第46話 おみとおし


 病室に戻って来た僕を見るなり、母さんがつぶやいた。


「あら、友達は?」


「杉野と上西は用事あるって帰ったよ。はい、おつり」


 母さんに釣銭を手渡し、缶ジュースのタブを上げて口をつける。


「それにしては随分遅かったじゃない」


「あちこち混んでたから。病院の人も大変そうだったよ」


 母さんはよいしょ、と体を起こしてテレビのリモコンを手にとって電源ボタンを押した。画面に映し出されたのはお笑い番組の再放送だった。僕もテレビの方に視線を移し、何を言うでもなく母さんと二人で黙ってお笑い番組を見ていた。

 芸人さんが入れ替わるタイミングで、不意に母さんがつぶやいた。


「翔。嘘はよしなさい」


「え? 僕は別に、その……」


 母さんの言葉が胸にずきんと突き刺さる。

 母さんは目を細く光らせて僕を見た。

 その目に見つめられると、もはや何も言い返す気になれない。


「本当に?」


 母さんがさらに問いつめる。心を見透かしているような瞳に嘆息する。


「……やっぱり母さんはすごいよ。ごめんなさい」


「何年あなたの母親やっていると思ってるの? あなたが嘘をついている時はすぐにわかるんだから」


 お互いにどちらからともなく、ぷっと笑う。僕も母さんもすでにテレビ画面を見ていなかった。


「それで、何をしていたの? 怒らないから正直に話しなさい」


「実は、知り合いに会ってきたんだ」


「知り合いって……友達が入院しているの?」


「ううん。学校の友達じゃない。けど、僕の大事な友達なんだ」


 ふと、りんごの言葉が脳裏によみがえる。



 ――あの子は今、一人でずっと暗い道を歩いてる。私は彼女をこのまま放ってはおけません。立ち直るきっかけさえ作れたら、きっと……。こんなこと頼めるの、翔くんだけなんです。だからどうか、よろしくお願いしますね。



 りんごは言っていた。凪原さんは今、一人で自分の殻に閉じこもって悩んでいるんだ。さっき会った時はそんな感じはしなかったけれど、無理に取り繕っていたのかもしれない。強引だとは思うけど、僕はりんごの言葉を信じる。

 だって、彼女の言葉通り、304号室には車椅子の女の子がいたのだから。

 彼女が何かに悩んでいるのなら、僕が少しでも支えになれればと思う。それが、りんごが僕に遺した、ただ一つの願いだから。

 

「ねえ、母さん。一つ聞いてもいい?」


「あら、翔が質問なんて珍しいこと。いいわよ。話してみなさい」


「その……自分の殻に閉じこもって一人で悩んでいる大切な友達を助けたいと思ったとき、母さんはどうする?」


「母さんなら……」


 窓から差し込む西日が、病室の白い壁をオレンジ色に染め上げる。日に当てられた手の甲がじんわりと温かい。凪原さんも、この夕焼けを見ているのだろうか。


「母さんならたぶん、無理矢理にでも壊しちゃうかも。だって、その友達は母さんにとって大切な友達なんでしょう? それならなりふり構っていられない。その人が嫌と言おうとなんと言おうと、閉じこもっている殻を壊してしまう。そして、きちんとその人の話に寄り添って耳を傾ける」


「でも、その友達は母さんに助けてもらうことを望んでいるかわからない。自己中心的だとか、おせっかいだとか言われるかもしれないよ?」


「そんなの気にしないわよ。悪態つかれようが罵倒されようが関係ない。喧嘩にだってなるかもしれないけど、大切な友達だからそれでも助けたいと思うんでしょう? それなら、何も迷うこと無いじゃない」


 迷うことなんかないという母さんの言葉に、胸がはっとした。

 凪原さんにとって僕はまったく見知らぬ人だろう。でも僕は違う。僕にとって凪原さんは、大切な相棒、りんごの形見ともいえる大切な人なんだ。それなら何も迷う必要ない。僕が助けになりたいと思ったから助ける。それでいいじゃないか。

 その時、看護師さんが入ってきて、まもなく面会時間終了であることを告げていった。


「母さん、話聞いてくれてありがとう。あくまで架空の話だけどだいぶ参考になったよ」


「そう。それならよかったわ」


「それじゃ、僕、もう行くね」


「帰り、気をつけるのよ」


 母さんに軽く手をふって病室を出る。

 明日、また凪原さんに会いに行こう。会って彼女の話を聞いてやるんだ。そう決意して、僕は鞄を背中にぶらさげた。





 翔が帰って一人になった病室で、香織は小さく微笑んだ。


「翔があんな相談をするなんて……。ふふ、これもりんごちゃんのおかげかしらね」

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