第45話 まどろみ
ドアが閉まって、私はほっと胸をなでおろす。
はぁ、びっくりした。たぶん、これまでの人生で最も驚いたんじゃないだろうか?
病室であの男の子、音羽翔くんに会うなんて。驚いた拍子に思わず、彼の名が口をついて出てしまったが、不審に思われただろうか。
私は彼のことを知っている。とはいえ、直接会ったことはない。
彼、音羽翔くんは私の夢に登場する男の子だった。最近よく見る、不思議とリアリティがある男の子の夢。私はずっと彼の後ろにくっついていて、おしゃべりしたり、学校へ行ったりする、まあくだらない内容の夢だ。登場人物である翔くんは、絵が上手な男の子で、卒業後の進路に悩んでいた。彼の家はなんだかぎこちない雰囲気で、彼自身、家では仮面を被ったように振舞っていた。はじめはかわいそうな男の子だと思った。
しかし、夢の中で徐々に自分の気持ちに素直になり、感情を出せるようになっていく翔くんを見ていると、私もなんだか元気が湧いてきた。いつの間にか、私は夢を見るのが楽しみになっていた。現実とは違う、夢の世界の生活を見ているようで楽しかった。
そう、ただの夢……のはずだったのに、翔くんは私の前に実体として現れた。
信じられなかった。夢だと思っていたものが、突然目の前に現れたのだ。
彼は私を見るなり「幽霊を見たことはあるか」という意味不明な質問をした。想定外の出来事に私の頭は目まぐるしく動転してしまっていて、なんと答えたか、自分でもよく覚えていない。
――白い着物を着た幽霊みたいな、女の子。その言葉が頭の中に
白い着物の女の子は私と向い合って、何かをつぶやく。そして、小さく笑ったかと思うと、消えてしまった。そんな、淡い情景が脳裏に張りついて離れなかった。
まどろみに包まれたように、曖昧でぼんやりとしているけれど、その女の子を私は知っている気がした。実際に見たことも、会ったこともないのに、知っている気がするというのはなんとも不思議な気分だ。起きたら夢を見たことだけ覚えていて、その内容はまるで覚えていない――そんな状態に近い。しかし、どんなに曖昧で不確かなものだったとしても、それは小さな一ピースとして脳裏に確かに存在している。そんな、気がした。
翔くんはそれからすぐ、千石と一緒に出て行ってしまった。結局、彼は何のために来たのだろう? 私には考えてもわからない。わからない。
わからないことを思い巡らすのは疲れる。だから、私はテーブルの上の本をめくって続きを読み始めた。けれど、内容が頭に入ってこない。本のページが、単なる文字の集合体にしか見えない。集中できない。
去り際に千石が言った言葉を思い出して、右手の親指の爪がページに食い込んだ。
――考えておいてくれるかな。奴はいつもそうやって私を騙した。これまで何度も、何度も騙された。もう、うんざりだ。騙されるのも、お母さんたちに変な期待を持たせるのも。
私は、このままでいい。これ以上考えることなんてないんだ。
翼は、折れた。もう、直せない。翼の折れた紙飛行機は、たとい窓の向こうへ飛び出したとしても、そのまま一直線に落下するだけだ。それなら、最初から窓の向こうになんて飛び出さなければいい。テーブルの上でじっとしていれば、落下することもないのだから。
気づけば息が荒かった。
本のページに目を落とすと、右ページの右下隅に、爪の跡がくっきり残っていた。
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