第23話 ビンタ
僕は勝手だ。
ああそうさ。そもそもりんごについてくるように言ったのは僕だ。
自分でも最低だ、と思う。
なんであんなこと言っちゃったんだろう、って。けれども後悔の念よりは、起こるべくして起こった……そんなふうに感じる。
人間は死者と関わってはいけない。あらゆる物語で死者蘇生が禁忌として扱われるのは、もしかしたら今日のような事態を防ぐためだったのかもしれない。
りんごは幽霊には見えない。生きている普通の女の子と変わらないように見える。だから僕もつい、普通の生きている人間と接するみたいになっていた。
だけど、そんなことはなくて。やっぱり彼女は幽霊であって。わかり合えない部分が確かに存在する。
思えば、最初に紙ひこうきを追っていったのが失敗だった。紙ひこうきなんか放っておいて、黙って病院の待合室で自分の番が来るのを待っていればよかったんだ。
――僕らは初めから関わるべきじゃなかったんだ。
りんごもたぶん、そう思っている。僕なんかに出会って、彼女も気の毒だ、と思う。
また、いい人に……僕みたいなやつじゃなくて、普通の良い人に見つけてもらえるといいな。
りんごが去った後の部屋の扉を見つめながら、そんなことを思っていると……。
突然ドアが開いて白装束の幽霊少女が駆け足で猛然と押し入ってきた!
入って来た勢いのままに大きく口を開けて、叫ぶように言った。
『――さようなら、なーんて……言う訳無いでしょぉっ!』
雷のごとく驚くべき敏捷性で僕の左頬に平手を見舞う。
本来、幽霊である彼女の平手は僕を透過するはず。
しかし、虚しく空を切るはずのりんごビンタは僕の左頬に痛烈に直撃した。
ぱちん! と音が響く。
引っ叩かれたほっぺたが痛く……そして、熱い。
渾身の張り手を受けた僕はわけもわからず混乱していた。人生で初めてくらったビンタは今もじんじんと衝撃の余韻が残っているけれど、痛さはあまり感じない。何が起きたのか僕の脳がまだ処理しきれていないんだ。
りんごは僕の眼前に仁王立ちになって、人差し指をびしりと向ける。
『黙って聞いていれば、ぐちぐちぐちぐちぐち……ネガティブ
「なっ……!」
『いいですか? まず、わたしは翔くんをからかってなんかいません! わたしはあなたの背後霊なのです。わたしにとって翔くんは大切な憑き主で、だから悩んでいるのならわたしも一緒に悩みたい。ただ、それだけです。なによりも許せないのは……』
すうーっと大きく息を吸い込んで、りんごが叫ぶ。
『わたし、まだ全然お腹ぺっこぺこですからぁ!』
大声で何を言うかと思えば……腹が減っているだと? こいつ、話の論点をわかっていないんじゃないか……?
「し、知らないよそんなの! 空腹は君の勝手でしょ!」
『アラ……忘れたんですか? 翔くん、言いましたよねェ? わたしがお腹いっぱいになるくらいご飯食べさせてやる、って。それくらいはお安い御用だ……って』
「む……そこまで言った覚えはないけど、君、うちで十分食べたじゃ――」
『全然全く決して十分じゃないですよ! そりゃ、タダ飯貰ってる身分で大層なこと言う訳にもいかず遠慮してましたけど……この際だから言わせてもらうと、小食気味な翔くんの食べ残し程度で満足できるわけないでしょう。ふざけてんですか?』
呆れてものも言えないとは、まさにこういう状況のことを言うんだろうな……と僕はりんごの話を聞きながら思った。
『わたしの空腹は一時も満たされていないわけでありまして、今も空腹のラッパは鳴りっぱなしなわけです。このまま出て行くなんて、約束が違います!』
「約束って言ったって、あれは……」
『うだうだうだうだうだうだうだうだうだうだ…………いい加減にしないと、呪殺しますよ?』
ごくり。りんごの口から出た『呪殺』という言葉に思わず唾を飲む。
「……そんなこと……出来るのか……?」
りんごは僕に目を合わせ、答える。
『いや、無理ですけど。できるわけないじゃないですか。ジョークですよ、幽霊ジョーク』
心配損もいいとこだ。この状況で冗談を言うなどと……やはり僕には彼女の考えが読めない。りんごはやっぱり幽霊とかいう以前に、常識の埒外の存在なのである。
『さぁ、観念して話してくださいよ、翔くんの悩みごと』
そう言って、りんごはフンと鼻息を鳴らして、ベッドの縁に座った。
お手上げだ。りんごには何を言っても無駄らしい。
僕がどう言い訳をしたところで、この迷惑な幽霊女はあの手この手で僕の本音を聞き出そうとするだろう。りんごが相手では、何を取り繕っても無駄だ。僕は遅かれながら、ようやくそのことに気がついた。大体にして初めからりんごに勝てるわけはなかったのだ。
不意に、口をにっとして少し笑っている自分に気づく。
いつの間に……僕は笑っていたんだろう。いや。そもそもなぜ、僕は笑っていられるんだ? ついさっきまであれほどりんごに腹を立てていたというのに。
抑えきれなかった黒い感情は、気づけばどこかへ消えていた。りんごと話しているうち、知らぬ間に僕は彼女に毒気を抜かれていたのだ。
なんで、なんて考えたところで無駄なのかもしれない。りんごのやることに常識で向き合う方が間違っているのだ。
「……はぁ。なんだかバカらしくなってきた」
『そうですよ。初めから、素直に話せばよかったんですよ。男が背中で語る時代はもう終わったんですよ。翔くんに頑固一徹キャラは似合いません』
「うるさいなぁ、わかったよ。話せばいいんでしょ、話せば。……けど、面白い話ではないよ?」
『わかってます』
一呼吸置いてから僕は口を開いた。
「君が言った通りさ。僕はおそらく、音羽の家に養子として引き取られた。だから父さんも、母さんも、たぶん僕の本当の両親じゃない」
『……本当の両親は今、どこに?』
りんごは無遠慮に質問をぶつけてくる。だが、変に遠慮されるより、かえってその方が話しやすかった。
「わからない。実は、自分が養子だと思うようになったのは最近のことなんだ」
『え……? それ、どういう――』
「あれは去年の暮れの事だったかな――」
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