第22話 さようなら

 呼吸が荒い。りんごに考えていることを看破され、動揺が収まらない。

 りんごは心配そうに僕をじっと見つめている。


 不公平だ。


 りんごには僕の考えが、完璧ではないにしろ感じ取れる。


 だが、僕は違う。僕にはりんごが考えていることなんてわからない。


 どうして彼女がここまで僕の領域に土足で踏み込んで来られるのか、その精神が理解できない。お節介にもほどがある。だって、僕らは所詮赤の他人じゃないか。他人にどうしてこんなに過度に接しようというのか。


 声に出せない思いは渦を巻き始め、やがて胸の中に竜巻が巻き起こる。

 抑えきれない感情は、やがて僕の制御を外れてひとりでに暴走を始める。


 拳が勝手に動き出す。

 振るった拳は、勢いを持って後ろの壁面に叩きつけられる。


 ドン! という衝撃音が部屋にこだまする。

 居間にいた母さんたちにも聞こえたかもしれないが、構ってられるか。肩で息をしながら、向かいに座るりんごをじろりと睨む。


「――なんだよ、それ。ふざけんなよっ!」


『翔くん……』


「背後霊? だから、何だって言うのさ!? 君はなんなんだ? 僕をからかって何が楽しいのさ? わからない……僕には君が理解できない」


『翔くん、わたしはただ――』


「ただ、なんだよ? 僕の悩みを解決でもしようと思ったの? そうやって善人ぶってさ……大した偽善者だよ、君は」


『……わたしは』


「――出てけよ」


『…………』


「もうご飯も食べた。そもそも君を連れてきたのは、ご飯を食べさせてやろうと思ったから。もう、十分食べたでしょ? これ以上、君がここに居座る理由はないんだ」


 初めは彼女の空腹を満たしてあげようって軽い気持ちで約束を交わし、りんごは僕の背後霊になった。彼女の空腹は十分すぎるくらいに満たしたはずだ。僕にできることはやったんだ。これ以上、彼女に付き合う道理もない。僕らの関係は所詮、病院の売店でパンを買ってあげて、それで終わるはずだった希薄な関係でしかないんだから。


『…………』


 りんごは口をつぐんだまま、じっと僕を見つめている。

 その瞳はわずかに揺れていた。


「聞いてる? 迷惑だから出て行ってくれって言ったの!」


『だけど、わたしは翔くんと背後霊の契約をしてるから、離れたくても離れられないんです』


「勝手に契約結んだのは君だ。解消だってできるはずだ。君は契約なんて大げさに言うけど、ただの口約束じゃないか」


『でも、そんなことしたら、どうなるかわからないですよ……?』


「知ったことか。僕は別に構わない。頼むからもう僕のことは放っておいてくれ。君の気まぐれなおせっかいに振り回されるのはもううんざりだ」


『……いいんですか?』


 りんごは未練がましく念を押すように僕の顔をじっと見つめた。

 だが、僕に彼女に対する寂しさとか哀しさみたいな感情は欠片もない。

 早く目の前からいなくなってほしい。ただ、それだけだった。


「結構だ。君の顔なんか二度と見たくない」


『……そうですか。翔くんがそこまで言うのなら……』



 りんごはすっと椅子から立ち上がると、ゆらゆらと幽鬼のような足取りで歩いて行く。



『……さようなら、翔くん』



 そう言い残して、りんごはドアを開けて出て行った。

 もう足音は聞こえない。

 肩の上に乗っかっていたあんパン五個分の重みは、未だ残響のように重い。

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