第19話 三条先生


 昼休みになって、僕と杉野は美術室へ向かった。


「なぁ、あいつ上西じゃねぇ?」


 杉野が指さす方向を見ると、給湯室の脇で両手を結んでもじもじしている上西を見つけた。


「よ、上西。こんなとこで何してんだ?」


「二人とも……。もしかして……三条先生の呼び出し?」


「うん。今朝のホームルームで突然ね」


「私もそうなのよ」


「じゃ、なおさらこんなとこで何してんだよ? あれか? 小便でも我慢してたのか?」


 デリカシーの一切ない杉野の発言に、上西の表情がきつくなる。


「なあにそれ? 私は杉野くんと違って、先生に呼び出されたことなんてないし。どうせ二人も一緒に呼び出しだと思って、ここで待ってたの!」


 機嫌を損ねた上西はぷいっと横を向いてしまった。杉野にからかわれたのが相当気にくわないらしい。


「とにかく早いとこ行こうぜ。昼休みが終わっちまう」


 むくれた上西も一緒に美術室へと向かう。

 美術室の戸を開けると、三条先生が大机に座って待っていた。


「来たかお三方」


 先生は組んでいた足を解いて僕たちの方に向き直った。長い後ろ髪がさらりと舞う。芸能人のような外見は今日も相変わらずである。学校でベレー帽をかぶってる先生なんて、ほんと三条先生くらいだと思う。


「三ちゃんってば、何の用だってんだ?」


 杉野がつっけんどんな言い方で尋ねる。ちなみに三ちゃんとは、三条先生の愛称である。もっともそんな呼び方をするのは杉野だけなのだが。

 三条先生はベレー帽のつばの先っちょを手で触りながら話を切り出した。


「杉野、音羽、それに上西。君達三人を呼び出した理由についてだが……」


「先生、余計なかっこつけはいいですから早くお願いします」


「そうか。なら単刀直入に言おう。君達三人、昨日の夜学校に忍び込んだだろう?」


 なぜそれを――!

 瞬間、三人の表情がこわばる。

 僕らの様子を見て取って、先生はフッと小さく笑う。


「図星のようだな」


「そ、それは」


「なぜ? と問いたげだな音羽。職員室で、昨日当直だった先生に妙な話を聞いてな。外から声が聞こえてくるのに気が付いて出て行くと、暗くて顔は分からなったが数人の生徒がプールの辺りにいるのを見たそうだ。追いかけたものの、途中で見失ったらしいが、卒業制作だのなんだのってワードが聞こえたそうで、俺はピンときた。こんなことをしでかすのは杉野のやつだろうってな。極めつけはこの筆」


「あ、それ!」


「音羽、君の筆だろう?」


「は、はい……」


 昨日の夜、慌てて落としちゃったんだ!

 あれから画材鞄の中身を確認する余裕はなかったから、小さな小筆を落としていたことに気付けなかった。


「弁解の余地もないだろう。さて本題に移ろうか。君達は昨日学校で何していた?」


 三条先生はベレー帽をわざとらしくかぶりなおした。

 僕は口をつぐんだまま下を見つめるばかり。杉野も上西も何も言わずに黙ったままだ。

 バレるなんて思ってもみなかった。あのとき、先生の追跡から逃げられたと、僕らはそう確信していたのだ。なのに……。


「先生は別に君達の行動をとがめるつもりはない。夜の学校に潜入なんて、それこそ若いうちしかできない貴重な経験だ。俺がそんなことをすれば、間違いなく不法侵入でニュースになってしまう」


 ぷっ、と上西が小さく笑う。

 上西の微笑を見てから三条先生は口元をきゅっと結んで、眼光を鋭くして話を続ける。


「今上西が吹き出したように、笑い事ではすまない。だが、君達の場合は……そうでもない。やんちゃな中学生だから仕方ないだとか、まぁそう大事にはならないだろうな。大事なのは結果ではなくて目的だ。俺は何のために君達がこんな大それたことをしでかしたのかが知りたいのだ」


 三条先生は上目遣いでじっと僕らを眺め見た。しばらく僕らは黙り込んでいたが、やがて探るような先生の目つきに耐えかねて、杉野が一歩足を踏み出して言った。


「……俺だ。俺が二人を誘ったんだ」


「なぜ?」


「先生はこんなこと言うと笑うかもしれないけど、俺、美術部の皆と卒業制作がしたかったんだ」


 それから杉野は昨晩の出来事について語り始めた。自分が提案して、卒業制作の話をするために夜の学校へ来るよう僕らを誘ったこと。夜の学校に侵入しているのがバレたら大変だと思って、当番で残っていた先生から走って逃げたことなど、細かく全部伝えた。杉野が話している間、三条先生は片目を閉じたまま余計な相槌あいづちを挟まずに黙って耳を傾けていた。杉野が話し終えて、先生はようやく口を開いた。


「――笑わないさ。先生には笑えないよ。だって素晴らしいじゃないか。三人で秘密の卒業制作をするだなんて。何よりロマンがある! それで君達は何を作るつもりなんだね?」


 先生の問いに杉野が答える。


「合作絵画です。俺たち三人で一つの絵をつくる。それを卒業制作としてA・Aホールに飾りたい!」


 杉野の発言を聞いて、上西が苦悶くもんの表情を浮かべる。


「三条先生。杉野くんはこう言ってますけど、私難しいと思うんです。だって、三人とも画風がてんでばらばらだし……杉野くんの絵のひどさは先生だって知ってるでしょう?」


 先生は口に手を当てたまま考え込んでいる。やがて考えがまとまったか、三人じろりと眺め、首を振った。


「……無理だな」


「な、確かに簡単ではないけれど!」


「無理だ。俺は楽観的な人間だが、それでも難しいことだと思う。……君たちは受験生じだろう?」


 先生はひどく真面目な顔つきでそう言った。


「受験勉強の片手間に卒業制作なんて大変なだけじゃないか。受験も制作も同時にやり遂げるなんて、現実的に難しいと俺は思う」


 杉野が諦めずに話を続ける。


「それでも俺はやりたいんです!」


「杉野……君の気持ちはわからないでもない。だが、親御さんはどうだ? 君が卒業制作にうつつをぬかしていると知ったら、どんな気持ちになる?」


「それは……」


「それに合作絵画は一人では到底成し得ない作品だ。音羽、上西。君たちも杉野が言うように卒業制作をやりたいと思っているのか?」


 杉野は本気だ。彼は本気で三人で卒業制作をしたいと考えている。だから応援したいという気持ちは僕にだってある。けれど三条先生の意見もまた、もっともだと思った。母さんに卒業制作の話をして、承諾してくれるのだろうか? そもそも自分はその話を切り出せるのか?


「受験勉強と両立は難しい……と思います」


 上西が言った。


「でも、私はやってみたい。三人でやった卒業制作は、きっと一生の思い出になるから!」


 先生の目が僕を向く。上西はやってみたい、とそうはっきり言った。僕もはっきり自分の気持ちを示さないといけない。


「僕は正直不安です。けど、三人で絵を描いてみたいという気持ちは確かにあります。それは嘘じゃない、僕のホントの気持ちなんです」


 三条先生は目を細めて僕達をそれぞれに見つめなおす。


「結果……とても人に見せられないような作品になってしまっても……それでも君たちはやりたいのか? 勉強の合間を塗って作業しなきゃいけない。想像以上に疲れるし、辛いだろう。それでも……やりたいのか?」


 僕たちは目で合図し、三人同時に首を縦に振った。


「「「はいっ!」」」


 叫ぶような僕達の返事を聞いて、三条先生はふぅと息をつく。


「そこまで言うのなら俺も止めないよ。むしろ応援させて欲しい」


「三ちゃんんん!」


 杉野が三条先生の手を固く握って言った。


「俺……俺っ、がんばるからっ!」


 大きく握手する杉野を見て、三条先生はやれやれと肩をすくめた。


「一つ約束してほしい。絵を描くのを理由に受験勉強を疎かにしないこと。君たちが今一番しなければいけないことは、三人ともわかってるね?」


 三人一様に頷いたのを見てから、先生が話を続ける。


「それで杉野、君は合作絵画をやりたいと言っていたが、何か案はあるのか?」


「いや、特に。実は今日、三ちゃんに相談しようと思ってた」


「そうか……なら、油彩はどうだ? A・Aホールに飾るなら紙よりもキャンバスの方が見栄えが良いし、何より水彩より保存性が高い。それに描き方の特徴が出やすいから、合作にも向いていると思うんだが」


 油彩は絵の具と油を組み合わせて描く絵のこと。水を使って紙に書く水彩画と違って、油を乾かす都合上、完成までに時間がかかるものの、複雑な色合いを出したり、書き直しが容易なのが特徴といえる。


「でも先生、時間がかかる絵を今から、春の卒業式までに間に合うんでしょうか……」


「音羽の心配もわかる。君は普段、油彩を描いているからな。ただ、下絵と背景の下描きを俺がやったとしたらどうだ?」


 先生が言った下絵というのは、絵を描く前の準備作業のこと。キャンバスに背景に合わせる色を塗っておいて、乾燥させておく。この作業に結構時間がかかるのだが、それを全て先生がやってくれるなら、短い作業時間でも十分卒業までに間に合うかもしれない。


「ちょっと待って先生! 杉野くんの絵のひどさは先生だって知ってるでしょう?」


「それは違うぞ上西。杉野の筆使いは極めて個性的というだけだ。合作というのは個性のぶつかり合いだ。三人の画風が組み合わされば、きっといい作品になると先生は思う」


 意外だった。杉野のピカソ風の画風を、三条先生は認めていたのだ。


「だから君たちにやっておいてもらいたいのは、まず何を描くのかというモチーフを決めること。これはぜひ杉野にやってもらいたい。言い出しっぺだからな」


「わかった! 今週中に決めてくるから!」


 杉野が自信満々に胸を叩いてみせる。本人の中ではすでになんとなく書きたいモチーフができあがっているらしい。そんな顔だ。


「本当は君たちを止めるべきなのだろうな。俺は教師失格だな」


 三条先生はそう言いながらも笑っていた。その顔がなんだか嬉しげに見えたのは僕だけだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る