第五幕 卒業制作

第18話 三者面談のプリント

 翌日の朝。あれからりんごはすっかりむくれてしまって……はいなかった。彼女は僕の背におぶさりながら、今日も元気に頭上を流れる雲を見上げ、今朝のニュースで見た話題のケーキについてずっと語っていた。

 勝手に気まずさを感じている方がバカみたいに思えてきて、突っ込むのも無駄だと悟った僕は、少し駆け足で学校に向かった。りんごをおぶって歩くのにも慣れてきたと思ったけど、教室についたのは結局ギリギリだった。


 チャイムが鳴って担任の堀口ほりぐち先生がやってくると、見慣れた朝の光景が広がる。

 委員長の田沼たぬまさんが号令をかける。気だるげな動きで、みんなは起立して礼をすると、のそのそと着席した。


「はい、おはよう。えーっと今日は特に連絡もないな。あ! 提出物出してないやつは早く持ってこいよー」


 僕は鞄からクリアファイルを取り出し、中に入っていた進路希望表を机の上に置いた。第一志望校の欄は未だ空欄のままだ。昨日はなんだか疲れてしまって、帰宅してすぐに眠ってしまった。早く出さないといけないって、頭ではわかってるんだけど……。

 進路希望表をクリアファイルに戻して鞄にしまいながら、ふと、机の横で体育座りをしているりんごを見やる。彼女はうつらうつらと首を上下させてまどろんでいた。

 昨日のりんごとの口論の決着はまだついていない。このまま第一志望に北城高校って書いて紙を提出したら彼女は怒るだろうか……。

 昨日、風呂に入って、部屋に戻った時もりんごはずっとベッドの脇にぺたんと座ってじっと僕を見ていた。不思議なほどに静かな彼女が少し不気味だった。

 だけど、進路を北城高校に決めたのは僕だって、僕なりに悩んで出した結論だ。杉野や上西と同じ高校に行けるのだって、これで結構楽しみにしているのだ。

 だから後でりんごにとやかく言われる筋合いはない。さっきから、僕の服の袖をちょこちょこ引っ張ってちょっかいかけてくるやつのことなんて、知ったことか。


『――翔くん。翔くんってば! 前! 前っ!』


 その声ではっとする。気づけばホームルームが進んでいて、前の席の渡部わたべくんが少し怪訝な顔で僕を見つめている。


音羽おとわ、大丈夫か? ボーっとしてるなんて珍しいな」


「ご、ごめん!」


 慌てて渡部くんからプリントを受け取ると、後ろの藤野ふじのさんに手渡した。


「あー……プリント、全員渡ったか。今配った三者面談の日程希望なんだが、保護者の方と相談してなるべく来週末まで提出してくれ」


 進路希望表もまだ提出してないのに三者面談と来たか。父さんは日中働いてるし、たぶん来るのは母さんだよな。まだ進路希望出してないって知られたら、ちょっとまずいぞ……。いよいよ早く進路希望表書いて提出しないといけなくなったな。

 そんな僕の気も知らず、りんごがプリントを見つめて呑気に話しかけてきた。


『翔くん。この、三者面談ってなんですか?』


 僕は近くの生徒にバレないように、ノートの端っこにシャーペンを走らせる。


(生徒と親と先生とで進路についての話をするんだ。進路希望を出した高校と、今の学力や本人の希望なんかを踏まえて、本当にその進路選択でいいのかを話し合う)


『ふむふむ。筆談なんて翔くんにしてはオシャレですね』


(ほざけ)


『口が悪いですよ。この場合、手か。にしてもま、翔くんの場合は三者じゃないですけどね』


(どういうことさ?)


『だってわたしもいますし。四者面談ですよ』


(なんだいそれ。君、お化けなんだから数のうちに入らないよ)


 するとりんごはぷぅっとほっぺを風船のように膨らせた。彼女のこんな表情を見るのは久々だったので、僕も思わず戸惑ってしまった。


『失礼ですね、翔くんは。お化けにだって人権はあります。基本的人権の尊重です!』


(意外と難しい言葉知ってるんだね)


『もうバカにして!』


(お互い様だよ)


『でも……ふふ、三者面談か。そういうものがあるんですねぇ』


(なんでりんごが楽しそうなの?)


『さぁてね。わたしが楽しそうに見えたのなら、翔くん、あなた自身が面談を心待ちにしてるということですよ』


 僕が三者面談を楽しみにしてる? そんなわけあるか。可能であれば回避したいと思ってるのに、りんごの目はどうにかしてるんだ。


「おっといけない、忘れるところだった。音羽……あと、杉野すぎのも。三条さんじょう先生がお前ら二人に用があるそうだ。昼休みに美術室に来なさいと仰ってたぞ」


 急な呼び出しを食らって、ぎょっとした顔で杉野が抗議する。


「先生! 一体何の呼び出しですか! 俺、面倒くさいですっ」


「三条先生からの伝言は伝えたからな。それじゃホームルーム終わり、と」


 堀口先生はそう言うなり、プリント類を抱いてさっさと出て行ってしまった。

 僕は杉野と顔を見合わせる。杉野もに落ちない顔をしていた。


 三条先生は美術部の顧問の先生だ。背が高くて足もスラリと長いモデルのような体型の美男子で女子生徒からの人気も熱い。……と、そんなことより、先生は一体何の用で僕達を呼び出したのだろう? 杉野は昨日、卒業制作について先生に相談したいと言っていたから、ちょうど良かったのかもしれないけど。


 ふと、昨日の夜に学校に忍び込んだことが頭をよぎる。でも、暗がりで顔もわからなかっただろうし……杞憂きゆうだろう。逆に、変に意識して怪しまれないようにしないと。


 まもなく始業のベルが鳴ったので、机の中から教科書を出して並べる。

 りんごは未だ三者面談のプリントを眺めて、何か考え事をしているようだった。

 彼女が僕の三者面談に来たところで退屈なだけだと思うんだけど……。

 プリントをじっと見つめるりんごの瞳は怖いくらいに集中していて、他のことは目に入っていないみたいだった。――りんごは何を考えているんだろう?

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