第17話 幕間2

 

 目を覚ますと、白い天井。白い壁。清潔な朝の香りの中にわずかに薬っぽい匂いが混ざっている。いつもの……私の部屋だ。

 横を見ると腕に巻き付いたチューブが目について、そんなの今までずっと当たり前のことだったのに、なぜだかため息をついてしまう自分がいた。


 今日もまた、あの不思議な夢をみた。言葉でうまく表現できないけど、あの夢は私にとって紛れもない現実なんだって……そう思えた。ここ最近はずっと同じ夢を見ている。

 夢にいつも登場するのは翔くんという中学生の男の子だ。私がみる不思議な夢にはいつも彼が登場するのだけど、私は彼のことを何も知らない。こんなに夢に出てくるくらいなのだから、普通知り合いじゃないかと思うけど、全然全く知らないのだ。  

 昔、読んだ本か何かに登場していたキャラだっけと思い返してはみるものの……やっぱり思い出せない。


 話を夢の内容に戻そう。夢で私は、いつも翔くんの身の回りで起こったことを近くで見ている。不思議なことに夢は時系列がつながっていて、翔くんと出会ってから今日までの出来事が若干飛び飛びになりつつも、一つの映画みたいに線で繋がっているのだ。


 だから実際に出会ったことはないし、所詮夢の中の話だから現実には存在しないんだろうけど……それでも私はいつも夢に出てくる翔くんのことがずっと気になっていた。

 まるで毎週、良いところで幕引きになるアニメみたいだ。


 夢の中で彼は、無理に普通の中学生を演じているみたいに見えた。


 自分の本心をひた隠しにして生活する彼は過去に何かトラウマになってしまうような出来事があったんだと思う。それが何なのか……私にはわからない。


 もし、私が本当に彼に会えたなら、何ができるだろう? 他人との間に殻をつくって本音を見せようとしない彼に対して何ができるんだろう。

 向こうから心を開いてくれないなら、こっちから殻を破壊するしかない。


 なにか一つきっかけがあればいいんだけど……私が見ている夢はいつも最後に白い着物の袖が視界の端にちらと覗いて目が覚めてしまう。あの袖の主は誰なんだろう。

 どうしていつも夢の最後に現れるんだろう。所詮、夢の内容なんて支離滅裂で当然なのだけど、それでも気になってしまう。今の私にとっては、不思議な夢の続きだけが唯一と言っていいくらいの楽しみなんだ。


そんなことをベッドに寝そべって考えている時だった。


「おや、もう起きてるなんて随分早起きね」


「入る前にノックくらいして」


「あらあら光もすっかり思春期ね」


「もー! からかうなら帰ってよ」


「ごめんごめん。でも、最近調子いいみたいじゃない。この分ならもうすぐ手術もできるかもしれないって千石せんごく先生言ってたわ」


 苦いものが胸の内に広がっていくのを感じた。


「……冗談でしょ」


「先生が冗談でそんなこと言わないわよ。……光?」


お母さんもいい加減、あいつに騙されてるんだって気づいてほしい。聞こえ良い優しい言葉で取りつくろってるけど、その実、あいつは……千石が言ってることは嘘ばっかりだ。

 この病院に来たばかりの時もあいつはそうやって私をだました。叶うはずのない希望を見せていい気分にさせて、結局残酷な現実を突きつけられる。もう、うんざりだった。

 だけど、この場でお母さんに対して声を荒げて抗議したって仕方がない。私はそれだけの分別はついている。努めて平静を装って、私は母さんと会話を続けた。


「ああ、そうそう。今日はこれを渡しに来たの」


 母さんはそう言って一通の手紙を私の机の上に置いた。


「クラスの皆で書いた手紙なんだって。すずちゃんがわざわざ届けに来てくれたのよ」


「そう……ありがとう」


 千石の話だけで、煮えくり返ろうとしていた私の心中はもはや臨界点に達していた。それからお母さんは仕事があるからといって帰ってくれたから助かった。私は机の上に置かれた手紙をそっと開けてみた。


 見慣れた丸文字で文章がつづられていた。ざっと斜め読みして、便箋びんせんを握りしめるとびりびりに引き裂いてゴミ箱に投げ捨てた。


『良くなったら、また一緒に遊ぼうね』の文字が目に浮かんで、私は胸が張り裂けそうになった。どの口が言う。順風満帆な人生を送ってるあいつらに私のことが分かるはずなんてない。安っぽく同情したふりして、クラスの皆に良い格好したいだけなんだ。こんな風に義務みたいに手紙だけ持ってこられたって、はっきり言って迷惑だ。なんでお母さんも学校の先生もそのことに気づかないんだろう。

 おせっかいを焼いてる気持ちだとしたら、勘違いも甚だしい。過ぎたおせっかいは誰かの身を削り、心を抉ってしまうんだ。


 そこでふと、また夢の中の出来事を思い起こす。


 こんなに夢の中の世界にとらわれている私もどうかしてると思うけど、私が翔くんから本当の気持ちを引き出してあげたいって思ってるのも、ひょっとしたら彼にとっては過ぎたおせっかいなのかもしれない。そう思うと、なんだかやるせなくなってくる。

 だけど、彼みたいに、心の底から打ち込める何かがあるってとっても素敵だと思うのだって本当だ。


 私にも昔は夢中になれるものがあった。


 パン! という雷管の音と共に一斉に駆け出す。走っている間は目の前の景色しか頭にない。鋭敏になっていく知覚が、目に映る世界を塗り替える。目に入るのは白いゴールテープだけ。後続を引き離して一着でゴールした感覚は今でも全身で思い出せる。今となってはもう叶わない、私の大切な思い出だ。


 翔くんは私とは違う。自分の殻を破ってしまえば、自分が本当に好きなこと、やりたいことと向き合えるんだ。私とは違うのだ。


 ふぅ……と小さく息をついて、私は読みかけの文庫本を手に取って、ページをめくり始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る