第15話 進路

 僕たちは公園を後にして、三人同じ帰り道を歩く。

 かたわらのりんごがやけににやけ顔をしてつぶやいた。


『翔くん、なんか少し嬉しそう』


「んなわけあるか」


「ん? なんか言ったか翔?」


「えっ……いや、なんでもないよ」


『くっくっく……翔くんはドジですねぇ』


(黙ってろよ、もう!)


 りんごの声は僕にしか聞こえない。それを頭ではわかっているんだけど、ふと話しかけられたときについこうして返事をしてしまう。だから外出時はなるべく話しかけてほしくないんだけど……。


『あ、ほら見てくださいよ翔くん! あそこ! うっすらとオリオン座が見えませんか!』


 などと僕の背におぶさりながらはしゃいでいる始末だ。何度かりんごには静かにしていてほしいとお願いしたけど、無駄だった。性格というものは、そう簡単に変えられないし、隠すのも容易ではないのだ。


 ちょんちょん。りんごが肩の端っこを持ち上げる。


(なんだよ)


 りんごが目を向ける方を見ると、上西が何やら眉根まゆねを寄せて僕をにらんでいた。


「な、なに?」


「音羽くん、今日ちょっとおかしいよ。体調でも悪いの?」


 ぎくりとするが、決して顔には出さないようにがんばる。結果、ひきつった顔で僕はつぶやいた。


「うぇっ!? 別に普通だけど……」


 すると、杉野まで上西と同じように僕をじろりと見つめはじめた。


「う~ん? 言われてみると、確かに顔色悪いな。腰も曲がってるし」


「やっぱり。音羽くん、無理しない方がいいよ」


 このまましらを切り続けるという方法もあったが、僕は二人のねめつけるような視線にこれ以上耐え続けるのはもう限界だった。


「……二人とも信じないと思うけど」


「いいよ。言ってごらんよ」


 ごくりとつばを飲み込んで。


「実は昨日ふとホラー映画を見たくなってさ。借りてきてみたんだ。そしたら思ったよりも怖くってさ……昨日、なかなか眠れなかったんだ」


 若干の沈黙。


「ぷっ」


 杉野の笑いを皮切りに、二人は近所の迷惑も考えず盛大に笑い始めた。


「そ、そんなに笑うか!?」


「だって音羽くん……ホラー見て寝られないって……あははっ」


「はっはははは! んだよ、心配して損したよ!」


「ほんとにそうよ。今日は帰ったら早く寝なよ」


「怖かったら、俺たちにメールしてもいいからさ」


「誰がするか!」


 ふぅー、と一人心の中でほっとする。

 ただ一人、りんごだけはいたずらっぽい笑顔を浮かべて口を押えていた。

 嘘はついたけど、半分はホントの話だ。僕の体調不良はおそらく、いやたぶん絶対りんごがりついているせいに違いないのだ。昨日なかなか眠れなかったのだってホントだし。


 そんな時、笑いの収まった杉野が不意につぶやいた。


「そういえば聞いてなかったんだけど、二人の志望校ってどこなんだ?」


 話が変わるにもほどがある。……が、杉野の場合はよくあることで、僕も上西も慣れていたので特に驚きはしない。


「言われてみれば私も二人の進路のこと聞いてないや。私はね……第一志望は北城きたしろなんだ」


「まじで!? 俺も北城なんだよ! 高校入ってからもよろしくな!」


 ふうん二人とも北城狙いなのか……。


 北城高校、略してキタコー。ずいぶん昔からあって、地元ではそれなりに有名な高校だ。近所には商店街もあり、ここはいつも北高生でにぎわっている。難関進学校ではないが、人気のある高校だけに倍率も高く決して簡単に入れる学校ではない。僕らの中学からも毎年、五、六人入学している。


 知り合いと同じ高校に行けると思って浮かれている杉野に、上西は冷静な一言を浴びせた。


「まだ受かったわけないじゃないでしょ。この前の模試の判定どうだったの?」


 杉野は鼻の下をこすりながら、えっへんと自信満々に言った。


「ぶっちぎりのD判定だ!」


 杉野の模試の判定を聞いて、上西は唖然としていた。

 夏休み前に僕らが受けた、県内の高校を対象とした模試では、成績によって志望校ごとに判定が出る。この判定はS~Dまでの五段階あって、B判定が合格のボーダーラインとされている。ちなみにD判定は合格確率20%以下である。上西の反応は当たり前のもので、D判定にも関わらず浮かれている杉野がどうかしているのだ。


「お前、よく平気でいられるな」


「だって0じゃないじゃん!」


「けど……Dはマズいよ。もっとしっかり勉強しないと。卒業制作なんて言ってる場合じゃないよ~」


 上西が言っても杉野は一向に態度を変えない。


「大丈夫大丈夫。俺はやればできる子だからさ。なんとかなるんだって」


「はぁ……どこからその自信は来るのさ?」


「んで、翔の志望校は?」


 言葉に詰まる。目下、僕はそのことで悩んでいたのだ。担任の堀口には進路希望表を提出するように急かされているし。


 いわゆる受験勉強は僕もそれなりにやっていた。夏休みには塾の夏期講習に通ったし、宿題も(昨日はやらなかったけど)そこそこまじめにやっている。

 だけど、二人のように明確な志望校があるわけではない。

 

 本当にやりたいこと、やってみたいことはある。けれどその道はきっと母さんが納得してくれない。今の僕にとって中学卒業後の進路うんぬんよりも、ぎりぎりのところで持ちこたえている家の雰囲気を壊さないようにするのが最重要事項だった。だから進路希望表にも、父さんや母さんが納得する無難な高校を書こうと思っていた。資金面で負担になるのも嫌だったから、私立じゃなくて公立の高校がいい。全日制の普通科で昔からそれなりに有名な公立高校。そう、例えば――


「僕も北城……にしよっかなって思ってる」


 僕が言うと、二人は目を見開いて驚く。


「翔がキタコー!? 嘘だろ!?」


「そうだよ、音羽くんが北城志望なんて……びっくりだよ」


 りんごが目を細めて僕の方を見ている。そんな目で僕を見るのはよしてくれ。


「俺は、お前はてっきり向坂にでも行くんだと思ってた」


「私も。音羽くん、絵が上手いもん。向坂むかいざか高校なら美術科があるし、私もてっきり……」


 向坂高校は日本国内では数少ない、美術を中心に履修できる美術科が設置されている高校の一つだ。美術科のある高校は県内では向坂高校一校しかなく、全国でもそれほど数は多くない。


 二人が言うように確かに向坂高校へ行けば、高校に入ってからもずっと絵に打ち込むことができるし、それは僕にとってきっと楽しいことだろう。

 けれど美術科へ進学するなんてのは「普通」の進路選択ではない。人と外れた道を選択することは母さんたちをどうしても心配させる。


 ――本当に美術科へ行くの? 卒業後はどうするつもりなの? どうしてあなたは普通の子のようになれないの?


 きっと水面下に潜んでいた欺瞞ぎまんがあふれ返ってしまう。


 そうならないように、僕は普通の公立高校へ行くことを選択する。「普通」の進路選択をすることは母さんの安心にも繋がるからだ。


「向坂……少しは考えたこともあるけど、やっぱり僕は北城だよ」


 納得がいかない様子で杉野は声を大きくして言った。


「なんでだよ。お前、ずっと前に絵の勉強をしたいんだって言ってたじゃねえか」


「いつの話だよ、それ」


「小学校くらいだったかもな」


「昔の話だろ。……今は違う」


「でも、私はもったいないと思うなぁ。音羽くんなら、きっと向坂の入試なんて楽勝なのにさ……」


 上西は残念な顔をして言った。


「それを言うなら、上西だってそうだろ?」


「私は……漫画を描くのは趣味の範囲だし」


「僕も同じだよ。絵を描くのは趣味の範囲でしかない。将来、画家になりたいとか、そんな野望はないし。僕は人並みの高校生活を送りたいの」


 僕がこう言うと二人とも口をつぐんで黙ってしまう。なぜかりんごまで、いつもより険しい顔をして僕の方をじっと見つめていた。

 みんな何が気に入らないのかわからない。僕の進路なんだから、僕の好きなように決めてそれでいいじゃないか。ずっと友達だった二人には喜んでもらえる。そう思ったのにな……。


 杉野がポケットに手を突っ込んだまま歩き出した。何も言わずに立ち去ろうとするヤツを呼び止めようと声を出す。


「お、おい!」


 杉野はくるりと振り返って、目つきの悪い目を僕の方に向けてぶっきらぼうにつぶやく。


「まあいいさ。お前が決めたんなら、それで。一緒の高校行けるよう頑張ろうぜ」


 それだけ言って、杉野はそのまますたすたと行ってしまった。

 歩き去る杉野の後姿を見つめて上西が言う。


「私はまた三人で同じ高校行けるんだったら楽しみだな。音羽くんはこの前の模試どうだったの?」


 一瞬言葉に詰まるのが自分でもわかった。


「え……と、B判定だった」


「いいじゃない。けど安心しないで勉強続けないとね。心配なのは杉野くんだけかぁ」


「上西はどうだったの?」


 模試のことを聞かれたのが嬉しかったのか上西はにっこりと微笑む。


「えっへへ。実はA判定だったんだ」


「A!? すごいじゃん!」


 A判定……。キタコーは特別難しい高校というわけではないが、それでもA判定というのは凄い。A判定なんて、よほど勉強しないと取れない。そう簡単に取れる判定ではないのだ。だからこそ信頼性があるし、上西は僕が気づかない間にそれだけの努力を積み重ねていたということだ。それは北城高校を志望する気持ちが紛れもない本物であることをもまた示している。彼女は本気でキタコーを目指しているのだ。


「お褒めにあずかり、光栄です。じゃ、私もここで! また明日~!」


「うん。またね~」


 手を振って走っていく上西を見送って、僕も家への道を歩き出す。

 踏み出した足は、何故かそのまま地面にぺたりと張り付いた。


 りんごが自動販売機の前でじっとしゃがみこんでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る