第10話 美術部

 昼下がりの午後。

 青空の下、校庭の片隅かたすみでは壮絶なにらみ合いが繰り広げられていた。


「――君、僕の話聞いてた?」


『聞いてましたよ。しかし。それとこれとは話が違うというやつです』


「口ばっかり達者だよね、りんごは! 君のせいで……君のせいで僕は午前中、冷や汗だらだらだったんだ! もう勘弁してくれよ!」


 りんごはおほんとせき払いをして。


『まあまあ……悪戯はロマンの遊びですからね。そーいうことには目をつむっていただいてですね。だいたい翔くん。わたしにもわたしの自由があるのです。いくら背後霊だからって、そこを束縛する権利はあなたにはないはずですよ』


「人の風呂をのぞいていたやつが、いまさらそんなこと言うなよな!」


『ち、ちがっ!? あれは、その……仕方なかったじゃないですか! 翔くんは何か、わたしを変態女に仕立て上げるよう仕向けているんですか? まったく意地悪にも程があるってもんです』


「僕が意地悪? どの口がほざく。君、頭が湧いてるんじゃないか?」


『ぐむむぅ……。心がささくれだった翔くんにりんごちゃんの一言アドバイスを進呈します。かつてエライ人は言いました。『人は誰しもが、別の誰かと関わって生きている。許す、という行為は無駄な戦闘を避け、種の存続可能性の向上に関わる、極めて人間的な行いなのだ』であるからしてですね、翔くんはもっとこう……』


「それ、誰が言ったんだよ」


『うぇっ!? いや、その……まぁ……わたしが今、考えたんですけど』


 あくまでふざけた態度を一切崩さずに言い訳を並べ立てるりんごに対し、僕の怒りの沸点が限界を迎えようとしていたその時、後ろから僕を呼ぶ声が聞こえてきた。


「あ~いたいた! 音羽おとわくん~! 杉野すぎのくんが放課後にミーティングやるってよーっ!」


 声に振り返ると、眼鏡をかけた女子がこちらを向いて手をふっていた。大きめな眼鏡と二つ結びにした髪がトレードマークである彼女の名は上西祈里かみにしいのり。クラスは違うが、同じ部活の仲間である。そういえば昨日の帰りがてら、杉野がミーティングやるとかなんとか言ってたっけ……。


「わかった連絡ありがとう。でも、杉野のやつ……同じクラスなんだから、直接言えばいいのにな」


「う~ん……私が聞いた話だと、今日の音羽君、突然独り言つぶやき始めたり、全然関係ない場所を見つめてたり……なんかいつもと違う感じがして話しかけづらかった的なこと言ってたよ。……確かに、ちょっと顔色悪いけど大丈夫?」


「だ、大丈夫だよ。ちょっと寝不足なだけだから。あはは……」


「ホント? 無理はしない方いいよ。とにかく、用件は伝えたから。また放課後ね」


 上西は僕の顔を覗き込んで心配そうに「体調悪かったら無理しないでね」と言って、校舎の方へ戻っていった。


 そうか……今朝けさからなんとなくクラスメイトの反応がいつもと違う感じがしていたが、僕の顔色がだいぶ悪いせいらしい。自分では自分の顔色はわからないし、そうか……気をつけていたつもりだけど、無意識のうちにりんごとの会話が声に出ていたのかもしれない。そりゃ、クラスのみんなもなんかおかしいって思うよな。


 う……。ずしりと背中に重みがかかる。ひとしきり言い訳を並べて満足したりんごが、またいつものように僕の首根っこに腕をからませてきたのだ。

 彼女は僕の耳元をなんとなしにじーっと見つめている。そんなふうに凝視ぎょうしされるとなんか居心地が悪いからやめてほしい。


「……何?」


『そーいえば……翔くんって何部なんですか?』


「美術部だけど」




   ◇ ◇ ◇




 帰りのホームルームが終わると、美術部のミーティングに向かうため、僕は廊下を歩いていた。

 校舎二階にある図書館。その角を曲がって真っすぐ進んだ廊下の突き当たりには美術室がある。僕達美術部の面々は、主にこの美術室で活動する。たまに外へ出て行ってスケッチをすることもあるけど、基本的には美術室で絵を描いたりしている。

 がらりと戸を開けると、絵の具のつんと刺すようなにおいがただよってくる。窓から入ってくるオレンジ色の西日が、放課後の美術室の風景を形作っていた。


「よー、遅刻だぞ遅刻!」


 不機嫌な顔で出迎えたのは部長の杉野一史すぎのかずふみだ。野球部のようにすっきりした短髪は一見、さわやかな印象を与えるが、するどすぎる三白眼が全てを台無しにしている。目付きが悪いせいで、杉野は昔からよくトラブルに巻き込まれることが多かった。正直、一見して美術部員とは思えない。空手部とかの方がお似合いなのではないだろうか。制服のシャツもいつものようにだらしなく出しっぱなしである。


「時間通りだろ。お前が早すぎるんだよ」


「まあそう言うな。今日、お前らを呼んだのは大事な話があるからなんだ」


「大事な話? それより上西は? もう、来てると思ったんだけど」


 うわさをすればなんとやら、である。


「ごめんなさーいっ! 日直だったから遅れましたぁ!」


 二分ほど遅れて上西が到着して、メンバーがそろった。

青葉中学校美術部の部員は僕、杉野、上西の三人だけなのだ。

それぞれがいつもの定位置に座ると、杉野が口を開く。


「よし、そろったか。んじゃ始めっぺ」


「っても……ミーティングって何を話すんだよ?」


「うん。私もそれ思ったの。なんか話し合うことあったっけ?」


 杉野は僕と上西を交互に見つめ、やがて、ふぅと息をついてつぶやいた。


「俺らさぁ、もう三年じゃん。なんか……このままでいいのかなって思ってさ」


 いつもは黒々とギラついている杉野の瞳が、今はなんだかぼんやり味気ない透明な色に見えた。視線は宙を漂って、部屋の壁に染み付いた絵の具汚れにたどり着く。


「お前、どうした? 五月はとっくに過ぎちゃったよ」


「そうだよ、杉野くんおかしいよ。何か悩みあるなら相談乗るよ?」


 上西も僕と同じ違和感を感じているらしい。普段の杉野ならこんな弱気な発言はしない。何かあったんだろうか、と心配になる。

 そんな僕らの心配をよそに、杉野はいたっていつもと変わらぬ口調でつぶやく。


「別に。俺は五月病なわけでもないし、普通だよ。どっちかってーとかけるの方が疲れた顔してるし」


 そうつぶやく杉野の口は、やっぱりいつもとどこか違って見えた。何もないなんて……そんなの嘘っぱちだ。これでも十年以上友達やってるんだ。それぐらいのことは、わかる。

 だから僕は杉野が話すのを黙って待っていた。

 杉野は伏し目がちに僕と上西をちらと見てから、やがて、吐き出すようにぽつりとつぶやいた。


「俺さ……いや、俺たちさ、このままでいいのかなって思ってさ」


 窓の向こうに見える山の尾根をぼんやり見つめながら、杉野は続ける。


「……あと半年経たないで卒業じゃん」


「まあな」


 こうしてあらためて言われると、自分があと半年で中学校を卒業するんだって実感がまるでない。そもそも卒業後の進路すら決まっていない。


「なんつうかさ。まだやりきってないっつうか……。美術部はさ、運動部の奴らと違って、わかりやすい大会とか無いだろ?」


「うん。けど、大会とは違うかもしんないけど、私達も市のコンクールに作品出したじゃない。結果は知っての通り。音羽くんが見事、金賞獲得したでしょ」


 上西が言ってるのは、夏休み前に市が開催したジュニア美術コンクールのこと。主に小中学生が参加するコンクールで、僕らも期日までに作品を仕上げて提出した。その結果、運良く僕は入選して賞状をもらった。きっとあの時はよほど運が良かったに違いない。


 しかし杉野は未だ煮え切らない様子だった。


「うーん……俺が言いたいのはそういうんじゃなくてさ……」


 曖昧あいまいとした言い方を続ける杉野に、僕はもううんざりしていた。隣に目をやってみれば、どうやら上西も僕と同じ気持ちらしい。口をへの字に結んで、その顔は実に面倒くさそうだ。


「よーするに、お前は何がしたいんだよ?」


 漫然とした空気を変えようと僕が言うと、杉野ははっとして身をこわばらせた。そして、元気なガキンチョのごとく目をぱちくりしばたたかかせると、こともなげに、つぶやいた。


「卒業制作」


「「はぁ!?」」


 思わず耳を疑った。


 卒業制作――って普通はクラスとか学年全体だとか大人数でやるもんじゃないのか?


 小学校の時は卒業生全員の手形を付けた紙をつくったっけか。確か、今も体育館へ行く途中の渡り廊下に飾ってあるはずだ。当たり前だけど、卒業生全員で作ったものだし、しかもかなり時間と手間がかかった気がする。

 手形アートみたいに大人数で作るものじゃないにしろ、何にせよ卒業制作というからには三人で簡単に出来るものではない。


 杉野は一体何を考えているのやら……ついさっきまでいじけたようにウジウジしていたのに、そんな気はどこへいったのか。やつはバカみたいに大口開けて熱弁し始めた。


「まぁ待てって。話はまだ終わっちゃいない」


 いくらやつがアホだとしても、たった三人で卒業制作などと、そんな無謀むぼうなことはしないだろう。おそらく美術部が中心となって、クラスのみんなに呼びかけをする、だとか、まぁそういうことなのだろう。杉野もそこまでアホではないはずだ。高校受験を前にした僕らにそんな暇な時間はないことくらい、いくら杉野でもわかっているはずだ。


「俺がやりたいのはただの卒業制作じゃない。俺たち以外、クラスの奴らも、先生たちも知らないヒミツの卒業制作だぁっ!」




 夏の終わり、暑さは一向に衰えを見せない。酷暑に頭がやられたのか、宇宙人にさらわれて頭のネジをはずされたのかは知るよしもないけど――。




 杉野一史はアホだった。

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