第二幕 ぎこちない笑顔

第4話 幽霊とは……?


 どうにか薬を受け取り、使いの用事を終えた病院からの帰り道。

 僕の1メートルほど後ろを、自称幽霊の女の子がゆったりとした足取りで歩いている。


 なんで僕がりんごと家に帰ることになったのかと言うと、売店のパンが売り切れていたせいである。今日はちょうど特売キャンペーンの日だったらしく、午前中にほとんど売れてしまったらしく、僕らが売店に行く時間にはもうすっかり売り切れてしまっていた。


 彼女の空腹を満たす手伝いをするといった手前、放っておくわけにもいかなくて、僕の家が病院からも近いこともあって、家で何かご馳走することになったのだ。ご馳走といっても、冷蔵庫に入ってるご飯の残りくらいしか出せないかもだけど、りんごはそれでも大歓迎だと言ってくれた。そんなわけでりんごを連れて、家までの帰り道を歩いていたのだけれど、一つ大きな問題があった。


 彼女の歩行速度がびっくりするほど遅いのである。前を歩く僕と後ろからついてくるりんごの構図はさながら昔話のウサギとカメのようだった。


「ねぇ、もうちょっと早く歩けない? これじゃ家に着くまでに日が暮れちゃうよ」


『これでもわたしなりに早く歩いてるつもりなんです』


「絶対嘘ついてるでしょ。杖持ったじいさんの方が早いくらいだ」


『失敬な! 翔くんが早すぎるんです! ……いいですか翔くん。わたしから一つありがたいアドバイスです。こういう時は普通、男の子が女の子をエスコートするもんですよ。そんなんじゃモテませんよ?』


「別に、幽霊にモテなくても結構だよ」


『も~っ! わたしが言ってるのはそういう意味じゃなくて、もっと一般的な広い意味でですね!』


 そんな風に軽口を言いながら歩いていた時、ふと、彼女が幽霊ならば……と、ある考えが浮かんだ。


「そーいえば……りんごはどうして空飛ばないのさ? 歩くよりよっぽど楽でしょ?」


 テレビのホラー特番なんかで出てくる幽霊は、窓から突然顔をのぞかせたり、すさまじい形相で空中をゆったり漂ってきたりと、視聴者が想像する幽霊っぽい動きをしている。あれらは所詮作り物だが、りんごが正真正銘の幽霊なら、空くらい飛べてもおかしくはないと思ったんだけど……。


 りんごは眉間に皺を寄せ、ものすごくむっつりした表情で僕を睨む。


『何言ってんですか? 空なんて飛べるわけないでしょ、鳥じゃあるまいし』


 真顔で実に現実的なことを言い放つ。


「だって……よく幽霊って自由に空を漂ったり、壁をすり抜けたりしてるじゃん」


『翔くんはわたし以外の幽霊を見たことがあるんですか?』


「いや、映画とか本の話だけどさ」


『それなら全部作り物じゃないですか。わたしは空も飛べませんし、壁をすり抜けたりなんかもできませんよ』


「けど、僕が投げたゴミ袋はすり抜けたし……」


『もー……あんまし細かいことを聞かれたって、わたしにもよくわからないんですよぅ。幽霊になったのだって初めてだし。んーっとですね……翔くん、自分がどうやって歩けるようになったか、理路整然と説明できますか?』


「いや……ちょっと厳しい、かも」


『それと同じです。難しいことは偉い学者の先生にでも任せておけばいいんですよ』


「そういうもんか……?」


「そういうもんです」


 それからいくつか問答を続けるうちに、りんごの言う幽霊というやつがどう言った存在なのか朧気おぼろげながらわかってきた。


 まず、物語に出てくる幽霊にありがちな飛行能力や透過能力はない。りんごの言によれば、そんなのはテレビの見過ぎ。わたしだって空とか飛んでみたいです! とのことである。


 次に他の人には見えない、つまりりんごの姿や声は僕にしか感知できないということだ。

 先ほど道でおじさんとすれ違ったときのこと。りんごは傍目にも割とうるさいくらいに一人おしゃべりをしていたのだが、おじさんはそれに気づく様子もなく真顔で素通りしていた。いくら他人に無関心と言っても限度がある。ちらっとも視線を向ける素振りもなかったおじさんの反応は明らかに、りんごが見えていないからこその反応だったのである。


 そんな彼女の姿や声がどうして僕だけは感知できるのかは謎だ。

 彼女と前から接点があったわけでもないし、ついさっき病院で初めて出会ったばかりだ。


 僕以外にりんごの存在を感じ取れる人がいるのかはわからない。ある種の霊感的なものを持っている人ならば感じ取れるんだろうか……? 少なくとも今のところは、道ですれ違う人の誰一人として、りんごに視線を向けたり、彼女を気にする素振りを見せる人はいなかった。ちなみに僕には霊感みたいなオカルトみたいなスピリチュアル的な力はない……と思う。りんごの姿が見えてしまっている以上、説得力はないけれど、幽霊なんて見たのはりんごが初めてだし、妙な気配を感じ取ったりすることも無かった。そんな僕がなんでりんごの姿が見えたり、こうして普通に会話できるのかは……やっぱり謎だ。


 その他に目立った特徴はといえば、歩くのがすごく遅いこと。


 さっき僕も言ったけど、杖を突いた老人の方が早いんじゃないかってレベルで遅い。何か足を怪我していたり、障害があるのかとも思ったけど、そんな風にも見えないし。


 僕がちょっと先を歩いて、後ろからりんごがよたよたと歩いて来るのを待っての繰り返しで、いつもなら15分くらいで家に着く道なのに、30分たってもまだ半分も来ていない。

 僕がそれについてグチグチ口漏らしていたのが、しゃくに障ったらしい。りんごはガッと僕の肩を引っ掴むと顔だけはにこやかにつぶやいた。


『そんなに言うなら翔くんおぶってくださいよ』


「おんぶだって!? 冗談じゃない! な・ん・で、僕が、君を、背負うことになるんだ? それじゃあ、本当の背後霊みたいじゃないかっ!?」


『それでいいじゃないですか。それに背後霊って響き、どことなく素敵じゃないですかぁ』


 りんごはうっとりした顔でそうつぶやいた。呆れて物も言えないとはこういうことを言うんだろう。このまま置いていってしまおうとも考えたが、それはそれでなんというか……寝覚めが悪い。僕はお人好しな自分に辟易へきえきしつつ、嫌々ながらりんごを背負ってやることにしたのだけど……。


『えい』


「だぁもう! それ、やめてって言ったでしょ!」


 りんごが不意に僕の首筋に手を触れたのだ。その瞬間にやっぱりどこからともなく強烈な寒気が襲ってきて、僕は情けない格好で地面に手をついた。

 当のりんごはと言うと、何やら楽しそうに笑っているではないか。


『ぬっふっふ……コレは悪戯いたずらしがいがありますねェ……』


 もはや文句を言う気も失せてしまった。

 背後霊なんてロクなもんじゃないな、って強くそう思った。

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