お題:クリーニング屋 ― どんな毛皮もおまかせあれ

 11/19 お題:クリーニング屋





 友人と飲みに行き、ほろ酔いで乗った終電で居眠りしたらしい。目覚めたら最寄駅を出発したところだった。仕方がないので次の駅で降り、タクシーも見当たらないので歩くことにした。

 明日は休日だから早起きする必要もない。たまには運動になっていいだろうとのんきに歩いていたら、急に雨が降り出した。みるみる雨脚が強くなるのに周りには何もない。ぽつんと離れて建っている店まで走り、軒下に駆け込んだ。


 少し待って小ぶりになるといいのだけど。ならなかったら雨の中、濡れて帰らなけりゃいけないな。もっとも、もう随分と濡れているけど。


 頭から垂れてきた雨を袖で拭っていたら、暗かった店の明かりがついた。カラン、とドアベルの音がして扉が開き、開けた店主と目が合う。


「おや、今晩は。雨に降られましたか」

「はい。申し訳ありませんが少しのあいだ、ここで雨宿りさせてください」

「もう少し降りそうですから中へどうぞ。それにずぶ濡れではありませんか。風邪を引いてはいけませんから、乾かしましょう」

「いえいえ、お休みの時間でしょうからお気遣いなく」

「うちはいつもこの時分に開店するのです。ですから遠慮なさらず、さあどうぞ」


 迷ったが、さあさあと急かす店主に促されお邪魔することにした。ドアを開けてすぐに長いカウンターがあり、『おつきみクリーニング』という木札が置かれている。奥にはいろんな洋服や毛皮が掛けられ、アイロンや色々な道具が並んでいた。

 明るい店の中は暖かく、濡れて冷えた体がブルっと震えた。


「おや、いけませんな。さあ、濡れた服を全部ぬいでよこしてください。アイロンで乾かしましょう。なに、ちょうど暇していたところなのでね、話し相手になってくだされば充分です」


 愛想のよい店主が渡してくれた毛布にくるまり、代わりに濡れた服を渡した。タオルで水気を取り手際よくアイロンを動かすたび、しゅうしゅうと白い水蒸気が立ち昇る。

 お喋り好きらしい店主は最近の天気やら、どこそこの紅葉が見ごろやら、サンマの値段が高くなったやら、手と同じくらい口も一緒に動かした。


 カラン


 ドアベルの音に振り向くと深緑のカッパを着て帽子を目深にかぶったお客が、雨水を滴らせながら入ってきた。


「いらっしゃい」

「やあ、珍しいお客だね」

「雨に濡れてらしたのでお招きしたんですよ」

「そうかい。私の毛皮の洗濯も頼むよ」


 そう言って、ふところから薄いグレーと黒のマダラになった毛皮を出してカウンターに置いた。店主はアイロンの手を止めると毛皮を受け取り、腕まくりをした。


「これはこれは。洗濯のしがいがありますね」

「埃っぽいところをうろついたらすぐこれだよ。自慢の毛皮だが汚れやすいのが難点だ」


 カッパを着た男は水を払って、私の隣の隣の椅子に座り話しかけてきた。


「ここの店主は腕がいいんだ。評判を聞いて遠くの山からも客が来るぐらい。繕いもしてくれるから、引っ掻き傷を作ってばかりいた若い頃はたいそう世話になったよ」

「へえ、すごいですね。あまり通らないものですから、ここにクリーニング屋があるなんて知りませんでした」

「うちは夜中だけですからねぇ」


 カウンターの奥でジャブジャブ洗濯しながら店主が口を挟む。


「なんで昼間はやらないんですか?」

「まあ、そのほうが都合がいいんですよ」

「俺も昼間なんてこれたもんじゃないからね。夜中じゃないと」

「そうなんですか」


 仕事が続いてクリーニングを取りに行けなかったことを思い出した。まあ、確かに遅くまで仕事してるなら夜中のほうが都合いいだろう。


 ゴオオォォー


 風の音が聞こえる。毛皮を乾かしているのかもしれない。


「大抵の洗濯屋はね、専門なんだ。羽毛だとか毛の短いのだとか硬いのとかね。でもここの店主はなんでもござれだ。そうだ、そろそろ渡りの洗濯で忙しくなるんじゃないのかい?」


 専門クリーニング屋なんて初めて聞いたと感心して聞いていたら、今度は店主に話しを振る。この男も話し好きらしい。


「もう少し寒くなったらですねぇ。大分痛んでるものもありますから気を遣いますよ」

「だろうね」

「よし、出来上がりました」

「お、相変わらず早いね。助かったよ」


 店主はふわふわ柔らかそうな真っ白い毛皮をカウンターに置いた。あのグレーのまだらが真っ白なら、なるほど確かに腕がいい。


「じゃあ、どうも」

「ありがとうございました」


 カッパの男は僕にも挨拶して店を出て行った。


「さあ、あなたの服も乾いたようです。どうぞ」

「ありがとうございます」


 パリッと乾いて気持ちの良い服を着る。最後にアイロンをあてられた上着を渡されて羽織った。


「パリッとしたものを着ると気持ちがいいですね」

「ええ、本当に。ああ、丁度良く雨も止みましたね。遅いですから気をつけてお帰りください」

「はい。本当にありがとうございました」


 店主に挨拶をして店を出た。雨が上がった夜空には明るい月が浮かび、道路に残る水を光らせている。

 僕は乾いた服で気持ち良く家まで歩き、大事にハンガーへ掛けて眠りについた。


 次の日、久しぶりに散歩へ出掛け昨夜のクリーニング屋まで足を伸ばした。たしかここら辺だと思うのに店が見当たらない。酔っ払って記憶が曖昧なのかと歩き回ってもそれらしい建物はなかった。


 狐につままれた気分で帰る途中、ブロック塀に座っている猫を見つけた。僕をジッと見つめる猫は真っ白でフワフワしている。昨日のカッパ男もこんな毛皮を持ってたっけ。なんとなく親しみを感じて声を掛ける。


「良い毛皮だね」

「ニャー」


 猫は得意気に返事をして、それきり目を閉じた。






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