お題:月虹 ― 動物の声が聞こえる娘の嫁入り

 11/24 お題:月虹

【月虹】げっ‐こう 月の光によって生じる虹。光が弱いので白く見える(weblioより)




 ソヨは小さなころから不思議なものを見たり聞いたりしていました。


 田んぼのそばの雀が、あそこの姑は嫁の飯をやらずに自分だけ握り飯食べてるとか、木で休んでいるカラスが、どこの旦那がどこかのおかみさんと逢引きしてるだとか。

 幼いソヨは意味も分からず動物たちのお喋りを親に教えていました。最初は子供のざれごとだと思っていた両親も、ソヨの言っていることが本当だと気づき始めます。人の秘密を見てきたように喋るソヨを段々と薄気味悪く思い、しまいにはソヨが何かを言うたびに怒鳴りつけるようになりました。

 両親から疎まれた幼いソヨは口を閉じ、何も話さない静かな子供に成長しました。


 口は閉じても、耳は話を拾ってしまいます。今日も聞くとはなしにカラスのお喋りを聞いていました。


「今度の満月に嫁入りがあるらしい」

「一本杉の狐のところだろう。大層な嫁入り道具だと穴熊から聞いた。花嫁行列も見ものだろうな」

「紅白饅頭を山と用意したのは聞いたかい? 誰でも行って祝いを口にしたらもらえると」

「そりゃすごい。随分とはりこんだな」


 この話を聞いたソヨは狐の嫁入りを見たくなりました。

 花嫁行列だって見たこともありません。さぞかしきれいなのだろう、一度でいいから見てみたいと胸をときめかせます。誰でも行っていいのだから、ソヨが行ってもいいはずだと考えて。


 満月になるのを指折り数えて待ち、眠ってしまった兄弟を起こさないようこっそり家を抜け出しました。月明かりを頼りに山の一本杉が見えるところまで駆けていきます。

 高い場所から見まわすと、いくつものぼんやりした灯りが行列になって木のあいだを通り、こちらに向かってくる所でした。お嫁さんを一目見たいソヨは、行列のそばの茂みに隠れました。

 ぼんやりした提灯の灯りが森の中を照らして進み、行列がソヨに近づいてきます。歩いているのは狐でしょうか。立派な紋付き袴に紙のお面までしているので、ソヨにはまったくわかりません。

 白い綿入れを被った白無垢のお嫁さんが輿に乗っているのが見えます。提灯の灯りにも薄っすら光るきれいな着物の美しさに、ソヨはうっとりみとれため息をつきました。


 行列の人数が多く、全員通り過ぎるころには体が冷えてしまいました。思わず出たくしゃみに慌てて口を塞ぎましたが、一番後ろを歩いていた子供が気付いたみたいです。振り返ってソヨが隠れている茂みにやってきました。


「何してるの?」

「花嫁行列が見たくて……」

「紅白饅頭もらいに行かないの?」

「行ってもいいの?」

「いいよ。でもお面がないと……」


 いいよと言われて喜びに輝いたソヨの顔は、いっぺんに曇りました。甘い物を最後に食べたのはいつだったでしょうか。村の名主の息子が嫁を迎えたときにもらった紅白饅頭は、ソヨにだけ分けてもらえませんでした。

 ソヨがあまりに悲しい顔をするので慌てた子供は、キョロキョロ周りを見渡して大きな葉とツルをもってきました。ソヨの顔が隠れるくらい大きな葉に目の穴を開け、額からツルをまわして頭の後ろで縛ります。


「ほらできた。これでいいよ。一緒に行こう」


 子供は弾んだ声でそう言ってソヨに手を伸ばしました。ソヨがその手を掴むとお面の向こうの目が笑いました。

 2人は手を繋いで話しながら、行列に追いつくために少し早めに歩きます。


「お面、ありがとう」

「うん、このこと誰から聞いたの?」


 ソヨはわけを話そうとして両親の怒った顔が浮かびました。

 この子は私が話しても怒らないかな? カラスから聞いたって言ったら気味悪いって思うかも。でも、狐のお嫁さんだから大丈夫かもしれない。


「……カラスがお喋りしてるの聞いて、花嫁さん見たくなって」

「ふーん。お喋りカラスがあっちこちで話してるって本当だったんだ」

「うん。豪勢な花嫁さんだって言ってた。行列も長くて花嫁さんもきれいですごかった!」


 恐る恐る口にした言葉をなんでもなさそうにするので、ソヨは嬉しくなりました。喋っても怒鳴られないどころか、ソヨの話に笑ったりうなずいたりしてくれます。

 なんて優しいんだろう。お面を作ってくれたし、ソヨが迷子にならないように手も繋いでくれます。

 寂しかったソヨは優しい子供がいっぺんに好きになりました。


 一本杉のそばの立派なお屋敷に着きました。こんなところにお屋敷があったなんてと驚くソヨを連れて、子供はずんずんと門をくぐります。玄関を入ってすぐに紅白饅頭を山と乗せた盆があり、紋付き羽織を着て紙の面をつけた男の人が愛想よい声を掛けてくれたました。


「これはこれは、いらっしゃい」

「あの、おめでとうございます。とてもきれいな花嫁さんでした」

「ありがとうございます。花嫁も喜ぶでしょう。お祝い事ですからおひとつどうぞ」

「どうもありがとうございます」


 ソヨは手渡してくれた紅白饅頭を受け取ってお礼を言いました。


「坊ちゃん、もうすぐ始まりますよ」

「この子を送ってくる」


 ソヨと子供は手を繋いだまま、また門を出て歩きます。


「一緒に食べよう」

「僕は中で食べられるから全部食べなよ」

「でも」

「これからお膳も食べるからお腹空かせておかなきゃいけないんだ」

「ありがとう。わたし、ソヨって言うの。あなたは?」

「名前を教えちゃいけないんだ」

「なんで?」

「知りたい?」

「うん」


 友達になりたいソヨは力強く頷きました。


「僕たちは結婚する人とだけ名前を教えっこするんだ。だから僕の名前を知ったらソヨは僕のお嫁さんになるんだよ。いい?」


 子供はいたずらするみたいに笑いながら言いました。初めて聞く決まりにソヨは驚きましたが、優しい子供がすっかり好きになっていたので迷うことはありません。


「うん、なる」

「声に出しちゃダメ。誰かに教えてもダメ。約束できる?」

「うん」


 子供は楽しそうに笑いソヨの耳に小さな声で囁きました。

 そんな大事な名前を私に教えてくれるなんて。嬉しくて飛び跳ねたい気分です。でも口に出してはいけません。ソヨは教えてもらった名前を胸の中の宝箱にしっかりしまいました。


「僕が大人になったら迎えに行くから待っていて」

「うん」


 ソヨの家の近くまで送ってくれた子供は大きく手を振って帰って行きました。


 それからソヨはまったく話さなくなりました。怒られるので元々あまり喋りませんが、宝箱にしまった大事な大事なものをうっかり口に出さないように、いつも閉じていることにしたのです。喋らなくなったソヨを家族はますます疎ましそうに扱いましたが、ソヨはじっと耐えました。


 あの子が迎えに来てくれるのだから大丈夫、と自分に言い聞かせて。


 八つだったソヨは十八になりました。

 姉は嫁に行き、妹も嫁ぎ先が決まっています。兄も結婚が決まりました。どこにも貰い手がないソヨが邪魔な家族は、姑にいじめられて嫁に逃げられた男のところへソヨをやろうかと相談しているのを聞きました。

 ソヨは気が気じゃありません。迎えにくるといったのだから、待っていないといけないのです。嫁に行きたくないと言ったソヨの小さい声は、誰も聞いてはくれません。

 そうこうしているうちにソヨの嫁入りは決められ、ソヨの家に姑と相手の男が挨拶にきました。嫁に飯を食わせないと雀に噂されていた姑は意地悪い顔でソヨを見ます。


「なんも話さねぇ薄気味悪ぃ嫁だわ。せいぜい躾してやらんとな」


 結婚相手の男は何も言わずソヨのほうと見ようともしませんでした。

 姑は働かせる前に飯を食わせるのがもったいないからと、収穫を始める3日後に迎えに来ると言って帰っていきました。

 もうこれ以上は家で待っていられません。ソヨは思い切って柿の木に止まっていたカラスに声を掛けました。


「うちに迎えがくるって話を聞いてない?」


 カラスはソヨの顔をチラリと見て飛んでいってしまいました。

 お喋りカラスも知らないなら、あの子はソヨのことを忘れてしまったのかもしれません。もう十年経ちます。あの優しい子ならソヨじゃなくたってきれいなお嫁さんをもらえるでしょう。つぎだらけの擦り切れた着物じゃなく、あの花嫁さんみたいに真っ白な着物を着れる良い家の娘と。

 そう考えると涙が溢れました。ずっとずっと大事にしてきた宝箱が割れたように胸が痛みます。いいえ、割れてしまったのでしょう。しまっておいた大事な名前が口から出てきそうで、ソヨは唇を噛み締めました。


 あの意地悪い姑が迎えにくる前の晩、眠れないソヨは家を抜け出して一本杉を目指しました。明るい満月はあの夜と同じです。山に入ると薄っすらと霧がかっていました。

 悲しくて何も考えられず、ぼんやりしているソヨの目に小さな灯りが一つ見えました。たった一つですがあの夜の花嫁行列みたいに近づいてきます。目を凝らすと紙の面をつけているとわかりました。

 その人はソヨの目の前で止まると、面の向こうで笑いました。


「迎えにきたよ」


 びっくりして声が出ないソヨの手を取ります。


「嫁に行かされるってカラスから聞いたよ。間に合ってよかった」

「……だって、待ってて」

「うん、ごめんね、遅くなって。成人にならないと迎えにこれなかったんだ」

「うん」

「さあ、行こうか。もう戻れないけど大丈夫?」


 涙を流すソヨの顔を覗き込んで心配そうに聞いてきます。家族も誰もソヨに大丈夫か聞いてくれた人はいませんでした。あんなところに戻りたくありません。


「うん」


 その子は嬉しそうに目を細めるとソヨの手を取って歩き出しました。


「僕の名前覚えてる?」

「うん。もう言ってもいいの?」

「2人のときだけね」

「わかった」


 大事な大事な宝物を言葉にのせて口にしました。


「ゲッコウ」


 握られた手にギュッと力が入ります。


「どういう意味か知ってる?」

「知らない」

「ああ、ほら、今夜はちょうど見える」


 ゲッコウが指差した満月の下に白い虹がかかっています。


「夜の虹?」

「そう。月の虹。月虹っていうんだ。この虹をくぐってお嫁にいくと幸せになれるんだって」

「そうなの?」

「そうだよ」


 今、虹を見ているソヨも幸せになれるのでしょうか。優しい言葉に、またホロリと涙がこぼれました。


 風がサァと吹き抜けて霧が晴れ、満月が月虹を照らしました。夜の山なのになんだかとても明るく見えます。

 不思議そうにしているソヨに、紙の面を外した月虹がニッコリ笑いました。



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