帝国暦741年 初頭 武門の責任
カリスは何処ででも眠れる。良い兵士とは、早く多く食べ、場所を選ばず即座に熟睡できる物だと教育されたからだ。
負傷者だらけで呻き声が五月蠅かろうと、遠くから漂う臓物と血の臭いが鼻を苛もうと、たまに手当を受ける重傷者の悲鳴が聞こえてきても眠りの深さは変わらぬ。
周りで上手く寝付けなかったり、眠りが浅くて夢と現実の淡いを彷徨いて魘されている面々は、毎度のことながら豪胆極まる上官に感服した。
鎧は着たまま即応体制を保っているものの、背嚢を足下に敷いて脚を上げ、長靴の紐を解いて締め付けを緩めて効率の良い仮眠を貪る姿は、寝ているだけで畏敬を集めるほど堂々としていた。
如何に疲れていたとて、あれだけ神経が高ぶり精神を揺さぶる戦の後、酒も異性もなしに平静になって眠れるものだと改めて感服されているのだ。
ただし、そんな彼女でも殺気にだけは敏感に反応する。
ズドン。そう凄まじい音を立てたのが人体同士だと言われ、轟音に飛び起きた探索者達が納得できただろうか。
しかし、その音は確実にカリスの掌と、彼女の顔面に〝満身の踵を踏み降ろした父ルカス〟の間で鳴り響いていた。
「……父上?」
「主君が起きて政務を行っている中、何をしておるかカリス」
食い止められて尚、体重が掛けられた靴底と素手の掌の間で、恐ろしい軋みが上がる。本来なら1G下では肉体が維持できないような巨体を成立させる合金の骨格が、橋梁を支えるワイヤーも格やに太い筋肉の圧を受けて奏でる音色は、通常の人類からすると何か悪い冗談のようである。
「何故ここにおわすか存じませんが、二日ばかしぶっ続けで最前線だったもので。アウルス様から、一休みしてこいとご命令されたのですよ」
「それであっても手負いの主君を置いて、高鼾をかく阿呆がおるか」
「仕方ないでしょう。
私の主君は滅茶苦茶に兵士遣いが荒いですよ、などと臆面もなく言ってのける娘に、古い巨石が歩いているかのような印象を与える荒削りの顔も厳めしい父は、ようやく納得したのか足から力を抜いた。
同じ部屋で寝ていたカリス麾下の中隊兵士や探索者は、凄まじい音と唐突過ぎる不意打ちに慌てふためき、事情を把握し切れていないようだが無理もない。
普通の家では中々なかろう。常在戦場を文字通り脳髄に叩き込むべく、ダラダラ寝ていると鉄拳や踵が振ってくるなんてことは。
そして、どういう訳かそれに耐えられて、日常にしてしまえる人種の存在も。
「ふぁ……今何時で?」
「払暁から少しといったところだ」
だとしたら2時間は眠れたかと、カリスは寝起きの髪を手ぐしで整えながら思った。まだまだ眠いが、人心地は付いたのでぼちぼち戦えるだろう。24時間勤務の仮眠中にたたき起こされて、交通事故の対応をやらされるより幾分かマシだ。
「しかし、お久しぶりですね父上。大Ⅱ大隊長から再編で第Ⅳ大隊長になってから……」
「半年ぶりくらいだな」
元々、カリスの父ルカスは第Ⅰ軍団の第Ⅱ大隊の長であったが、人員再編によって現在は基幹要員と共に第Ⅳ大隊の再錬成を務めていた。これは専らカリスの軍内部からの人気に煽られ、近々長兄フィロタスや次兄フェルミオンと並んで大隊を任せられる可能性が高かったため、予め一人娘が率いる大隊の〝下地〟を拵えてやろうという配慮に基づく人事である。
個人的に多大な献金――株式配当をそう呼ぶのは語弊もあろうが――を受けた、元老院や何かと便宜を図られている第Ⅰ軍団からのご褒美も兼ねた、格別の差配はカリスとにっては「これ以上仕事を増やすな」と言いたくなるありがた迷惑でしかないのはさておき……。
「兵共が落ち着かないので、表で聞いてよろしいですか?」
「そうだな。行くぞ」
寝起きの人間を気遣っているとは思えぬ早さで歩き去る父親に、カリスは遅れずに付いていった。無論、鎧を着たまま寝ていたので身支度など要らない。精々、靴紐を緩めていたブーツがすっぽ抜けないよう気を付けて歩くくらいだ。
さて、〝前世〟という負い目があるCは、この久方ぶりに顔を合わせた父親にどう対応するべきか考え倦ねていた。
元々、彼女は一種の憑依や成り代わりのようなジャンルとは違い、正しい因果を持ってテルースに転生してきたことを知っていようと、どうしても家族の中に確たる前世の記憶と自我が持った魂が混ざることに引け目を感じていた。
何せ我がことと考えたら気色が悪いではないか。自分の子供の魂が成人しているのみならず、厳密には違う誰かの子供でもあったなど。魂を収める筐体は提供していても、魂の繋がりがないことをどう感じるか。
それを愛して養育することは、Cにとって違和感が強烈過ぎる。自分が同じ立場であったなら、斯様な子供を愛せる自信は全くなかった。
それどころか、秘して子供を装われていたとあれば吐き気すら覚える。
他人と思うなら良い方で、なまじっか彼女は産む側なので、嫌悪感から雑に扱ってしまうかもと思えてならぬ。
むしろ、何の恥じらいもなく前世で得られなかった幸福に甘えているAと、恐ろしいまでの適当さから簡単に受け容れて、上手くやってるBの方が妙なのではないかとすら、口に出して言わぬが内心では考えているくらいだ。
このような価値観を持っているからこそ、Cは正しく子供を立派にしようと鍛え上げてくれる父にも、真っ当な娘のように可愛がってくれる母にも負い目を感じている。末の妹として可愛がってくれ、何かと贈り物をくれる兄達にもだ。
朴訥で会話も仕事の内容や、武人とは斯くあるべしなどと説かれるのが主たる、かなりドライな家系でなかったらカリスは発狂していたかもしれない。
自分がされたら嫌なことに手を染めている。そんな現状に細やかなりし良心が悲鳴を上げてしまうくらいに、彼女は三人の中で飛び抜けて真面だったのだから。
「で、アレは貴様が?」
「協同戦果ですけどね」
避難民や探索者が会館前の死体を掃除している中で、悠々と皇帝のコブに向かって歩く父子は大変に目立つ。しかし、降り注ぐ視線をない物のように扱う二人は、昨夜に打ち倒された巨大な走狗の前に立った。
間違いなく普通に召喚され、真面に動き始めた瞬間にグッドゲームと言わざるを得ない怪物だ。一人が攻撃を受け止めても平然と突き抜けていくであろう様は、こうやって明るい下で眺めれば、トドメを刺した当人からしてもよくぞ殺せたなぁと感嘆する。
「……槍でも剣でもないな。多くの亡骸も、矢傷や剣の傷はあるが、大半は違う傷跡だ。何を使った」
「ご賢察で」
全く新しい武器で、本体すら見ていないのに傷口から察するとは、流石歴戦の低地巨人というべきか。その娘は、こと殺しに関して親に隠し事はできないなと、厄介さに首を竦めた。
「これを。迷宮産の武器です」
腰帯に突き刺しておいた――実用を想定していないからか、拳銃嚢はなかった――
「重いな……」
「我等の剣より幾分かマシくらいかと」
「あれは柄が長いから振り回せるのだ。こんな拳大の柄で、よく握れるな」
両手で掲げ持ち
「何らかの礫を打ち出す機構か。矢、ではないな。バネや弦もないなら、この穴に収まる大きさの物か」
一瞬で武器の要諦、その本旨を見抜かれるのは想定外だったからだ。
「理力? いや、それにしては普通すぎる。動力は何だ?」
クエレッラを弄りながら、巨大走狗の残骸に歩み寄った父は、未だ謎の粘液でテラテラ輝いている巨大な亡骸を拳で打った。
中身が詰まった重い物を殴る、ゴンという音。通常規格の兜を〝素手で潰す〟低地巨人の力でも、破壊が難しい硬度であるとルカスは経験と肌感覚から察した。
「厚い装甲だ。肉も詰まっておる。剣では無理だな。大弓でも射抜けまい。よくぞ、その破壊をこんなちっぽけな物で為せたものだ」
それだけで、理外の火力が振るわれたことを理解し、ルカスは娘にクエレッラを返す……ように見せかけて、思い切り銃のグリップで頭をぶん殴った。
人間からしてはいけない音が再び。10町先にも響きそうな轟音は、近くで走狗の始末をしていた者達を大いに驚かせる。
されど、小揺るぎもせず、初動を見切って尚も父親からの〝叱責〟を受け止めるカリス。
専属護衛にも拘わらず、主君の片手片目を損なわせた挙げ句、自分はのうのうと五体満足でいたのだ。これくらいのお叱りは当たり前であろう。
普通ならば、低地巨人でも盛大にぶっ倒れているであろう打撃を受けても、クエレッラもカリスもびくともしなかった。前者は20mmの“砲弾”に耐えうるよう最高の鋼から削り出されたため。後者は聖痕からの強化を含め、人類では最高峰の頑丈さから。
それでも殴られた額は盛大に裂け、黒髪の合間より一筋の血が垂れる。瞬きもせぬ右目を通して滴ったそれは、やがて唇に達すると静かに舐め取られた。
自分の流血を舌舐めずりで拭ったカリスは、血の味など久し振りだなと思った。あまりに頑丈すぎて、仕事でも訓練でも出血なんぞしなくなって久しいから。
「叱責は以上ですか? 父上」
「ああ、そうだ。アウルス様が自裁を命じていない以上、私がこれ以上口を差し挟むことはない」
無骨にして他の人類基準であればオーバーキルなれど、武門の長にしては随分と〝甘い〟説教は一瞬で終わった。
これが他の家なら殺されていてもおかしくない。主を守れない護衛など、何の役にも立たぬ。金や兵糧を消費しない分、路上の死体の方がマシであると教育されるアルトヴァレトの家中では、失敗して凹んでいる末娘を撫でて慰めたに等しかった。
余人の目からすると些か理不尽やもしれぬが、アルトヴァレトの血筋にとって状況などは問題ではない。氾濫という非常時であろうと、主が危急の場に専属の護衛がおらず、お体を損なわせた事実のみが重い。
カリスの来援があったからこそ生きていられる。アウルスならば我が身を盾にして、そう抗弁しただろうが、何十代に渡って〝護衛〟という生き方を貫いてきた低地巨人の血筋には、間に合う間に合わない以前の問題。
主君の身が危険に晒される可能性が出た段階で、直ぐ駆けつけらる段取りを付けていないことそのもが失態なのだ。
実際、アウルスが死んでカリスだけ生き延びていたならば、ルカスは彼女を迷いなく斬り捨てていただろう。
当の護衛対象が、仮に自分が死んでもカリスには寛大な処置を望むことを遺書に遺してあろうが、剣奴より拾い上げられ今も篤い恩顧を受けている血筋なればこそ、彼等は彼等の筋道を守る。
いっそ叱っている側が理不尽だと分かっても叱責するのは、主人の負傷が主人の責任ではなく、護衛の落ち度であり、アウルスは何も悪くないと対外的に示すためでもあった。
そして、この一件はこれで終わりだ。あとは主従間で反省会でもして、二度と同じ失態を犯さぬようにすればよいだけである。
「以後、アウルス様が血を流すことが二度とないよう、我が命を鴻毛の軽きに置いて励みます」
「よろしい。次はない」
「存じてます。むしろ、次は自分で自分が許せないでしょう」
何ならカリスは詫びとして、右目をえぐり取り、片腕を叩き落とすくらいのことはしたかった。それが一文の得にもならず、大事な前線指揮官の戦闘力を損なわせるだけの、個人的情緒を満たす自慰に等しいと理解していても、そうしたかった。
主従としての恥ではない。下準備を終えて転生する前に、五体満足で終わろうぜ、なんて他愛のない約束を覚えていたのは、なにもAだけではないのだ。
況して、友人が政治担当として徹底して全てを熟したのに、完璧とは言えない勝利しか用意できない己が見苦しくて醜くて、辛かった。
後から俯瞰すれば、もっと警戒するべきであったと後悔だけが止まない。アウルスが勇猛社に出社する時は、どれだけ困難でも予定を調整し、自らが護衛についていれば斯様なことはなかったろう。
分かっていたではないか。迷宮が氾濫の危険に晒されていることくらい。
Cが会館にいたならば、Aは大人しく銃後に下がって別の仕事をした。それこそ、会館に銃の残りを運び込み、彼女直卒の中隊を拾ってくることだって、伝手を使って安全圏からやってのけただろうに。
さすれば、あんな〝小石一つ〟で大怪我をさせずにいられた。理力の民やルフィヌス氏族に借りを作ることもなく、兵員の被害こそ甚大になったろうが戦い抜けたはず。
名目も幾らだって用意できよう。僅かな供回りを率い、周辺の市民を拾って安全圏に下がろうとするのであれば“戦場から逃げ出した”という誹りは受けづらい。Aが踏ん張ることで得られた結果も多いが、彼は勇猛社を死守する絶対必要条件ではない。
全て、まぁ大丈夫だろうという楽観が生んだ、する必要のなかった辛勝である。
「……で、飯は」
次はより完璧で、毛筋ほどの怪我も銃後に負わせぬ勝利を……と決意を新たにしていたカリスは、唐突で要領を得ない問いの返答に窮した。
「はい? ああ、中庭で炊き出しをやってます。東の倉庫街は焼けていないでしょうから、後で幾らでも買い取るので、貴賤を問わず腹一杯にしてやれとアウルス様が……」
「そうではない。貴様がだ」
補給の心配かと思ったのだ。会館西棟、探索者向けの宿舎には大食漢の肉体労働者共を飢えさせないよう、大量の食料備蓄があったので心配ないと回答した。
しかし、そこでお前はどうだ? と聞かれる意味が分からなかった。
「えー……一応、携行糧食は用意させましたが」
兵站のことを指摘されたのかもしれぬ。そう思ったカリスは、手抜かりなく自分の配下は二日は行動可能な食料を持っていると言ったが、父は冷厳と巨大な亡骸を眺めながら否定の言葉を発する。
「違う。食っているのか」
「……何を?」
「食事だ」
「えー……まぁ、腹八分目くらいには。幸い、ほぼ無傷でしたので」
「そうか。食っているなら、いい」
後に残るは微妙な沈黙。この問いが不器用な父親なりに、娘の実を案じて行われたことをカリスが知るのは、酒の席でアウルスに問うてからだった…………。
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