帝国暦741年 初頭 神格顕現
帝国の神々はかなり特異な形態をしており、異世界人の視点で見ると良いところを取りあえず全部パク……リスペクトしてごった煮に仕立て上げた混沌の神々だ。
異教の神でも実は家の神の別側面でしたと詭弁を操って現地の旧教を丸め込み、亜大陸の信仰を一つに練り上げたという奇妙な成立背景を持つ神群は、一つの神格が複数の名を持つことも、同一神格が二側面を持つことが珍しくない。
しかし、その中でも主神は飛びきりの変わり種で、雄神であると同時に女神であり、天の神にして月の神であり草木、つまるところの生と死や時間をも眷属とする、欲張りにも程がある背景を持つ。
これは日本神話的に
Aは下準備空間で大神に纏わる資料を読んだ時、あまりの難解さに「これは神学ではなく哲学では?」と理解をさっさと諦めたほどだ。
とりあえず、そういう有り難い神様だと理解を擲って崇められるのは、有神論的無宗教がベースとなる日本人であったからだろうか。
ともあれ最も近い概念を例にするなら、キリスト教の三位一体説だ。
父と子と精霊は三つの神々ではなく、一つの神が三つの位を持っているいるのでもなく、全てが矛盾せず同時併存する万物の神であるとする論。これもかなり難解であり、日本人では「いや、だからそもそもなんで混和させちゃったんだよ」などと思い、一神教的価値観への合流を困難たらしめる。
事実として直感的な理解が困難な解釈であるため、三位一体は考察し理解するのではなく、ただ信仰するものであるなんて、色々擲った見解を正教会が掲げていたりするくらいだ。
しかし、多神教であるにも拘わらず大神ユーピティウス、あるいはディーアナーは様態論を超越し普遍論をつま先で転がす、人間という存在から真に理解されることを拒む難解な存在である。
ただ寛容にして無節操、何にでも変質することから信仰を獲得した神は、帝国にて神々の頂点たる大神と認識され、多くの祝祭が催されながらも本質的に〝なんであるか〟の理解は一部の高位神職しかできていない。
大抵の庶民は夫婦神が一つの神格として奉られていると考えているようだが、本当の意味での理解は正気、つまるところ人間のパラダイムでは理解が困難なのだ。
それこそ正にA・B・Cトリオを送り込んだ、自分が持ち上げられない石を創造し、持ち上げられないという〝前提〟を破綻させぬまま持ち上げるといった、二元論を崩壊せしめる世界の外側の理を操る高次の概念存在に近しい。
理解できてしまったなら、それはもう、精神が人間の枠から外れてしまったということに他ならぬ。
「……は? 化身? あの訳が分からん大神の……?」
神代には様々な加護を与え、奇跡を授けたとされる神々が沈黙して永い月日が過ぎており、神託さえ中々下らなくなった世において神の分け身が到来する事態は慶事を越えて、最早混乱の種でさえある。
なにそれきいてない、などと呆けたくなる事態が多いアウルスであったが、これは特別に意味不明過ぎて一瞬フラッとした。
「私も
何だかもう宇宙的恐怖にジャンルが片足どころか腹くらいまで浸かってやいないかと不安になる神々はさておき、アウルスは母親の肩を揺さぶって、無理矢理自分の方向に意識を取り戻させた。
目の前で親類が電波を受信――しかも、ただの妄想ではないと確約されてしまっている――している様は、あまりに精神衛生によろしくないし、況してやそんな神の名の下に神格化などされては困る。
他ならぬアウルスも神託を夢で授かっているのに、更に混線されては決着の付け方が分からないではないか。できることなら、お前ん家どうなってんだよとウィクトーリア神に今からでも文句を言いたくなったアウルスであった。
少なくとも彼はファンタジーな神話の一説ならまだしも、コズミックホラーの一部に取り込まれて喜ぶような奇妙な感性を持ち合わせてはいない。
「……神々を重んじられるのであれば、そのような勝手な願いをする方が信仰を問われるかと思いますが」
「そ、そうではありますけど……」
息子に指摘されて、自分から神に直答を願った上で息子を神格化してくれなどというおねだりは、確かに高慢で無思慮だと正気を取り戻す元巫女。流石の彼女も、信仰の骨子を忘れるほどに電波で思考を乱していなかったと見える。
されど、息子を神格化する考えに未練タラタラなのが、もじもじ突き合わされる指先から明らかであった。
これはむしろ、神格化されることで俗世の繋がり、つまるところの結婚だの何だのから息子が解き放たれはしないか、などと期待していた節がある。
「母上、私は陛下をお迎えにあがります。そして、帝都の危難は終わったとお伝えし、一刻も早く宸襟を安んじていただかねばと」
「けど、アウルス、そんな大怪我で……」
「母上、私はもう初陣を済ませた一人前の男児なのですよ」
母親を大事にしたい気持ちと、同量の呆れた溜息を呑み込んで、政治担当は精一杯のキリッとした表情を作る。実際、いつまでも子供扱いされて、懐で温々している訳にも行かぬ。
人間はいつか巣立つ物だと理解して貰わねば。
「どうか、ご安心ください。ここで生き延びたのです。勤めはしっかり果たして参りますよ」
本来、敬礼は右でする物だが、ないから仕方ないかと左手で胸を叩く息子の背が、自分より随分と高くなっていることにメッサリーナは漸く気付いた。
そして、軍装に取り縋ろうとした手を止める。
「陛下の御前に向かうのであれば、その格好ではいけないでしょう」
立派になってくれて嬉しくもあるが、同時に寂しさが募る母の心は複雑だ。昔から手が掛からなすぎたからこそ、却って構ってしまったから尚のこと定まらぬ。
「いいえ、むしろ、この様が相応しいのですよ。敢闘した証なのですから。戦で流した血や塗れた泥は名誉です。これを汚いと言うようであれば、武人失格と誹ってやれます」
これだけ痛ましい様でさえ政治的な手札にしてしまう、毅い息子なればこそ手放したくない。
いつか、必要だと判断したならば、自分の命より高値が付けられる〝なにか〟のために、容易く捨てられる側の天秤に己を乗せてしまうと容易に想像が付く。
現に此度の氾濫も、逃げようと誰も文句を言えなかっただろうに。氾濫と聞いて、どれだけの市民階級が責務を理解し、都市に踏みとどまれただろうか?
皇帝さえ戦力の逐次投入を嫌い、帝都の失陥を覚悟してまで一旦退いたのだ。元老院の議員達も万が一に備えて戦力を安全な場所で集結させる案を呑んだし、徹底抗戦派の過激な軍人筋以外は帝都が焼けることを覚悟して合理的に逃げた。東の港から船に乗った者達は、もう疾うに縁故ある属州の彼方であろう。
無産階級が逃げ散るのは言うまでもなく、ある大路では悲惨な押し合いへし合いの末、倒れた群衆が連鎖的に転んで、走狗も来ない内から地獄のような有様になった。
帝都全体がこの有様で、況してや何の公職にもついていない、まだ19歳のアウルスが逃げたとして一体誰が誹れよう。誇り高い帝国人であるならば、幼長の何たるかを重んじるべきだと、雑言を吐いた方が笑われるものを。
なのに残った。母親には分からない、彼の頭の中にある算盤を弾いた結果、自身の損失でさえ〝許容範囲内〟と割切って。
更には進んで戦い、前線に出て、手足を失って尚も指揮を続けた。
そんなアウルスが貴賤問わず、親しい間柄には〝人的資源〟なる言葉を使っていることをメッサリーナが知らぬ道理もなし。
ああ、資源、資源なのだ。彼にとって人間は全て耐久消費財。資材の中に自分の命を勘定していることは、態度が示していた。
Aにとって自分を枠の外に置くことは、ただただ“卑劣”と感じられる。そのため彼は、自分の命も数量化することで平等と義務を果たそうとしているのだ。
気高いと形容するより、合理の極みにあって恐ろしい考えを知る母は、アウルスが捨て鉢、いや、自分の命を使った商談が〝割に合う〟と判断した際、己が息子のストッパーになれぬことは分かっている。
これだから男の子の親をやるのは辛いのだ。お家を盛り立てられると思えば、嫡男を喜んで死地に送り出すのが貴族の責務でもあるし、必要とあらば嫡男をすげ替えることもせねばならぬ。
アウルスをかなり贔屓しているメッサリーナだが、彼女は彼女なりにプリムスを可愛がってはいるのだ。
たしかに、プリムスが今は亡き姑からの寵愛が篤く――そして、メッサリーナは思い出すのも嫌になるほどいびられていた――幼少時の教育に関われなかったこと、手ずから乳を一度も与えられなかったことで隔意を覚えていないとは断言しないが、それでも憎んでなどいない。
ただ、手元に帰ってきた時には、母が無償の愛を与えて甘やかすことが許される年齢でなくなっていただけのこと。
同時に長男の気質を正しく見定めていた。自分の長子は権力の座やらに拘りがなく、何事も如才なくやっていけ、何処にでも馴染める気質だから別に〝カエサル家頭首という重し〟がなくても大丈夫だと。
一方でアウルスは自分の命を軽く見ている。死にたがりではないが、己を経済的価値に兌換可能だと考える様は物心ついた時から一貫していた。
そんな不安定な有様が怖かったから、メッサリーナは軽々に死んでいい立場でない地位にアウルスを就けさせようとした。
彼も暢気で地位に無頓着な訳ではない。頭首が交代する際に発生する悲喜交々を理解しているのであれば、金と地位、そして大量の権利が纏わり付くカエサル家頭首が失われる重みを知り自重してくれるかもと考えたのだ。
だが……どうやら、それですら重しにならなかったと分かり、彼女は溜息を漏らして意地を捨てる。
帝国安閑社と勇猛社。その社長である彼が失われた時に発生する政治的、経済的混乱を分かって尚も命を賭け金にしてみせたとあれば、当主位や母の嘆きが役に立つとは思えない。
この子は〝自分以上に大切で、自分が責任を持たねばならぬ命〟がなければ、きっとどんな地位であろうと、採算が合えば無茶をしてしまうだろうとメッサリーナは新しいプランを練る。
父や母、兄弟ではいけない。それらは支え合い、時に甘えられる存在だからだ。
戦友や同僚でも足りない。アウルスは自分と等価、つまるところの運命を共に出来る相手しか認めないから。彼のお眼鏡に適う力量を持つ友人は、仮にアウルスが損なわれても何とかできてしまう安心感から、彼を嗾けることはできても止めることはできない。
なら、自分と同じ思いをして貰わねばと、メッサリーナは膝を叩いて息子を招いた。
「それでも、髪くらいは整えていきなさい。戦傷と見窄らしさは別ですよ」
嗜みとして持ち歩いている梳き櫛を取り出す母親の命に、息子は大人しく従う。
きっと、手ずから髪に櫛を入れてやれる機会は、これが最後だろうと慈しむように髪を梳る母親に息子は安心して頭を委ね、風呂にも入れず泥や血の欠片が混じった髪を丁寧に繕われることを喜んでいる。
名残惜しさを感じながら、最後の櫛を通し終えた彼女は、自分の髪留めを使って長い髪を束ねてやった。
「ありがとうございます。母上」
「ええ、頑張ってきなさい。僧会との繋ぎは、ちゃんと根回ししておいてあげるから」
「はい!」
朗らかに笑う息子が立ち上がる姿を眺めつつ、メッサリーナは決意する。
お家を傾けず、アウルスにとって良き妻となり、同時に彼の命に〝重み〟を与える孫を健やかに育てられる母を選ばねばと。
そう、重しだ。最終的に自分が守り、最後まで味方であってやらねばならない存在。自分の子供を以てして命の礎石とさせる。面倒見が良い次男は、我が子の愛おしさでも魂に叩き着けられねば、自分の命の価値を正しく弾き直すことはできまい。
母親として口出ししてやれる最後の権利だ。精々、選りに選って篩い抜いてやろう。
会館の爾後を引き継ぐべく話を再開させていた男衆だが、思い出したようにアウルスがまた重大事を相談する。
何を思ったか理力の民が救援に来てくれて、大きな働きをした上、今は過労でぶっ倒れて揃って寝ており、挙げ句の果てにマルコシウスの竜が連枝も一人いるなどと。
それ自体は父子間での情報共有時に説明は済んでいたが、メッサリーナには完全に寝耳に水。
父子兄弟は滞りなく丁重に扱うことの引き継ぎをしていたが、残念ながら母は心穏やかに聞いてはいられなかった。
なにせ、どちらもアウルスの妻としては不安が残る割に、かなりの有力筋なので何とかして潰しておきたかった二大巨頭ではないか。
マルコシウス家は血統も財産にも不足はないが、元老委員議員として半世襲化している名家である上、規模が大きすぎて結婚相手にするには心強さより面倒さが勝る。アウルスの行動に横槍を入れられる、鬱陶しい親戚は要らないのだ。
それと竜鱗人自体が長寿過ぎて、定命の家系に迎え入れるのは懸念事項が多い。寿命で死なない語り手といえば聞こえはいいが、長々居座ってカエサル家を蚕食されては困る。
況してや、あの独占欲が異常に強い種族を娶らせるのは、万一婚家がアウルスにとっての害になった時、離婚が難しくて厄介に過ぎる。
のみならず、最終的にして最後の解決手段……密殺がほぼ効かないというのも性質が悪かった。
殺し方が分からない相手ほど、厄介な存在もいるまい。霊猿人なら100人単位で殺せる毒でもケロッとしていて、槍で胸を抉られても――そもそも殆ど刃が通らないが――平然としている怪物の処理方法など誰も知らぬ。
息切れするまで囲んで殴り続ければ死ぬ、というのは現実的ではない。というか、それだけの規模を差し向けたら最早密殺ではなくなる。
扱い辛すぎるのだ。
それどころか、外国人? 如何に同盟国とあっても論外である。帝国と同盟国の理外が拗れた時、真っ先に間ですり潰される立場ではないか。
僧会との繋ぎに文を大量に書かねばならないが、更に差配を考えねばならぬ事態の発生に対して、さてどうしたものかと母親は大いに頭を悩ませるのであった…………。
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