帝国歴741年 初頭 氾濫の後始末

 この世で最も簡単に始まるのに、最も後始末が困難なことはなにか。


 戦争ではないかとアウルスは考えている。


 地球ではガバガバにも程がある計画によって王太子が暗殺され世界大戦WW1が始まったり、セルビア人が尻の穴に瓶を突っ込んで遊んだ結果、ユーゴスラビアがバラバラになったりしている。


 そんな下らない理由でさえ起こるというのに、たとえ勝っても始末が面倒臭いのが戦争という、人類における最大の非経済的愚行だ。


 果たして、世の中に勝利を得たから全て平らかに収まりました、なんて感じに幕が引かれた戦争があったろうか。第二次ポエニ戦争以降のローマは、広大な国土の統治が成功せず崩壊したし、第一次世界大戦に勝った連合国側も国債の償還だの借款だので大変なことになった。


 挙げ句の果てが、他方面に戦線を抱えて維持できなくなった古代ローマは分裂して滅び、ヨーロッパでは演説の上手いちょび髭が頑張りまくって、全体で3,000万人から死ぬ戦争WW2に繋がったので、まるで笑えぬ。


 開戦自体は、どんな馬鹿や暗愚でも簡単なのに、戦後処理がこれだけ難しいのは、人類という生物の致命的な欠陥ではないかと思って止まない政治担当であった。


 「いやぁ……生き残ってしまったなぁ……」


 朝日が昇る帝都では、生き残った者達が喜び合ってどんちゃん騒ぎ、とはいかぬ。


 お祝いは天を突く柱を見て喝采を上げるだけで一段落させ、休ませろと文句を言う探索者達を宥め、交代で休憩させつつ真面目にお片付けに勤しませている。


 やるべきことは多い。負傷者の後送は最優先で行い、人手を分けて方々に物見を出し、帝都の現状を把握する。あれだけ神々しい現象は街の何処からでも観測できただろうから、軍が帰ってくるのも早まるやもしれぬので、現状の掌握から先手先手を打つ仕度をしておかないと必ず後に響く。


 この惨禍を生き残った一般民も助け出し、同時に市中に散って討ち漏らした走狗を始末する必要もあった。


 そして、できるだけ高価な副産物を持つ走狗を優先して解体し、少しでも元を取るのも大切だ。


 なにせ帝都の冬は寒いとは言え雪が降るほどではないため、死体なんぞすぐ腐る。さっさと始末してしまわねば、勝ったはいいけど腐敗した敵味方の亡骸から疫病が発生し、二次被害で沢山死にましたとなれば全く笑えん。


 山ほど撃破した蹂躙衝角ルイノサラスなどといった、内臓から宝石や金銀が結石として取れる個体を優先して、探索者達は解体に取りかかっている。ポケットに収まる分であれば、ボーナスとして認めるので好きに懐に入れてヨシ、という発破が彼等を能く働かせていた。


 しかし、バラした後どうしたもんかなと社長の悩みは尽きぬ。


 既に被害が収まったのをいいことに、ご飯が沢山あると羽虫やら鼠やらがちょろちょろし始めているのだ。迅速に片付けねば、下手をすると走狗の被害以上に死人が出る。


 さりとて焼き払おうにも燃料が足りず、そこら辺に埋めとく訳にもいかぬのでどうしようもない。せめて工兵一個大隊もあれば市外に運び出すなりできたのだが、満身創痍の半死人揃いの上、馬車を全て使い果たしてしまったため効率がすこぶる悪い。


 逃げもせず頑張ってくれている分、むしろ御の字なのだが、最後の重装歩兵と巨大走狗戦で大半の戦力が疲弊しきっているのが辛かった。


 カリスはそろそろ限界が近そうなのでアウルスが命じて休ませているし――この後、まだまだ酷使する――リウィア嬢は本気の出し過ぎで再生力さえ鈍っているので絶対安静。理力の民も連日の大規模術式行使でノックアウト。


 指示を出した上で責任を取れる人間の内、真面に動けるのが、体を欠損させたアウルスだけという時点で惨状の程が窺えよう。


 「生き残って、しまった……あー、面倒くさい、どうすっかなぁー……逃げてぇー、日曜に上司から携帯掛かって来た時より逃げてぇー……」


 小休止を挟んだ探索者達が防疫装備をして――といっても、精々厚手の手袋と顔を覆うバンダナくらいだが――せっせと死体を運んだり解体している様を、会館三階の崩れた窓辺に腰掛けて眺めながら、アウルスは大きく溜息を吐いた。


 今になってできたことと、やらかしてしまったことの多さに頭が痛いのだ。


 まず、銃は全て回収し、中庭に積上げさせてある。幸いにも防衛線と最後の突撃以外では戦域が限定されていたため、一挺残らず回収できているのだが、人の口に戸は立てられぬのが厄介だ。


 守秘義務契約とかボーナスを豪勢に振る舞いはするが、それでも何処かから、銃の威力と凄まじさが漏れ伝わるだろう。


 なので元老院を口説き落とす論法は、即興だが何とか脳髄から捻り出した。


 カリスが言うとおり迷宮産の代物に依拠した生産物で、神託によって秘匿せよと言われてましたと嘯き、色んな責任を地上げ屋や神様に引っ被って貰うのだ。


 氾濫の引き金となった阿呆共の愚行の証拠という急所は握っているし、元老院に口を酸っぱくして提言した書簡も山のように残っていることもあり、説得力はかなりの物だろう。


 お前らのやり方からして信用ならなかったんだよ、と突きつけるには十分だ。


 とはいえ、真っ向から元老院の権威に傷を付けるような物言いをすると角が立ちまくるので、そこは修辞学を駆使して可能な限り遠回しに言うが。いわゆる京都府民文法というやつだ。


 ダメ押しとして「これメッチャコスト掛かりますよ」と財政的に使いづらいことを注意しておくことで、またぞろ要らぬ外征欲を出す連中にも掣肘する必要があろう。


 そう、後にロンギヌスの槍という秘匿名称が与えられる小銃は、全てベリルのハンドメイドかつ、アウルスの圧電素子から構想を受け継いだ撃針が必要ということもあって、おっそろしく高価なのだ。


 なにせ真面に仕組みを知っている人間が二人だけなので、特許料という名目を付ければ値段は正しく言い値青天井ときた。


 帝国安閑社の予算でコストを度外視して、この時代には規格外のマザーマシンを使って製造しているから400挺も製造できただけであり、言うまでもなく軍隊に降ろそうとすると調達価格は目玉が飛び出るような額にできる。


 まず工房を拡大して、製造できる技術者を増やすだけで大隊を数個食わせていけるだけの金が必要となり、継戦能力を維持できる程度の弾薬も製造すれば一個軍団の維持費でも足るまい。


 イニシャルコスト設備建造費が膨大なのは勿論、上質な鋼を使うため原価も高く、専門技能を持った職人の人件費を加味すると一挺4,000約120万円セステルティウスは最低でも欲しい。


 そして火薬の問題で、たったの2,000発で銃身を射耗してしまう、前世の経済省だったら「なめとんのか」と胸ぐらを掴まれかねぬ寿命の短さも大いに問題だ。


 しかも、この計算でもまだまだ“本体価格”だけときた。銃剣、付属品、何より膨大に消費する弾薬を換算したなら、帝国はあっと言う間に軍事費で破産しよう。


 その上、高威力長射程といっても所詮は小銃。会戦ともなれば既存の戦闘教義をまるっとひっくり返す力があるものの、全てを制圧して世界征服できるだけの物ではない。


 弾を装填しなければならず、狙いを付けてから発砲するまで数拍必要となるので即応性に欠けるし、何より兵站への圧力が既存兵力の比ではない。


 剣は刃が欠けても最悪鈍器としての運用も可能で、矢は性能に拘らねば現地での製造や再利用が可能であるが、銃は最低でも弾頭、薬莢、炸薬が必要となり、重整備を考えると専用の工房も大規模となる。


 況してや壊れたからといって、気軽に現地調達ができぬのだ。この時点で、銃という兵器はかなりの弱点を抱えている。


 この点を突いて将来的に実施する海外貿易会社の護身、そして迷宮踏破にしか使えないと、嘘は吐いていないが一側面の欠点を大きく論い、目線を逸らそうというのがアウルスが組み立てた話術である。


 あとは、どれだけ氾濫を抑えた功績で、色々お目こぼしして貰えるかだが。


 「うーん、割と生き残りがいたんだな」


 幸いなことに証人は山ほどいる。氾濫が収まったとみるや、方々から会館で炊き出しと治療をやっているという噂を聞きつけて、人々がぞろぞろと出てきたのだ。


 恐らく家に立て籠もるなり、必死に隠れて走狗の惨禍が過ぎ去るのを待っていたであろう、最北に住んでいる貧民達。この辺りは大火事にもならなかったので、当初の想定よりもかなりの人数が生き延びたと見える。


 食事が提供されるとなれば、早晩逃げ損ねた余所の地域からも大勢人がやってこよう。ここでどれだけ、縁と顔を売れるかが肝要だ。


 「飯食わせてやるから働けと言うのは酷かね。復興には時間が掛かるだろうなー……この辺は全部再建築する必要もあろうし、市街の被害も馬鹿に……」


 憂鬱な気分で、早く物見が状況報告に戻ってこないかなーと待っている社長の耳が、走狗を解体したり運んだりする音に紛れて鼓笛の音を拾った。


 軍隊が行軍する音色だ。


 「は……? 早くない?」


 帝都近郊であれば何処からでも観測できる光の柱を見つけて、軍隊が駆けつけてくることを想定はしていたが、楽観的に見ても昼過ぎから夕刻になるだろうなとアウルスは想定していた。


 方々での火事は消しきれておるまいし、東西の大路から市内に散った走狗が働く乱暴狼藉の嫌がらせは、氾濫が終わっても使いっ走り共が死ぬまで続く。軍は富裕層の居住区域や元老院議場の周辺、そして公邸など行政施設の確保を優先する筈なので、精々様子見の小隊や分隊が来るのが限度のはず。


 しかも、まだ日が昇って半刻も経っていない。鼓笛の旋律、つまり中隊以上の大部隊が動く際に伴う騒音が駆けつけてくるには、些か以上に早すぎる。


 市内に散った走狗も多かろうに、何故そんな大部隊が動いているのであろう。


 どっこいしょと、未だ慣れぬ左側に重心が寄った体を持ち上げ、社長は双眼鏡片手に南へ向かう。壁や土嚢の壁を寝床に寝ている探索者を跨ぎ、半壊した窓から覗き込めば、大路を北進する部隊があった。


 双眼鏡を覗き込むと、アウルスは大いに驚いた。


 先頭に立つのは帝国軍を象徴する大鷹像旗アクィラで、それに続くは大隊旗ではないか。


 しかも緋色の布地に金糸で刺繍されているのは、オリーブの半円にて飾られる象の意匠。紛れもなく帝国軍第Ⅰ軍団は第Ⅳ大隊……カエサル家の息が濃く掛かったルカス・イラクリオン・アルトヴァレト……つまり、カリスの父が大隊長を務めているアルトリウス氏族の私兵団に等しい大隊。


 「……はぁ? な、なんで……?」


 先頭には軍馬に跨がった、痩せた姿を軍装に包んだアウルスの父ガイウスが堂々と立ち、馬の轡をルカスが取っている。そして、一歩下がった位置には同じく軍装を纏った兄プリムスがおり、挙げ句の果てには酷く見覚えのある馬車が軍勢に護られているではないか。


 あれはアウルスが母メッサリーナに贈った馬車だ。高性能な懸架装置サスペンションとゴムタイヤを装備した箱形の車体は白い塗料で塗られており、諸所に金箔の飾りが清楚かつ高貴さを醸し出すよう配置されているため見間違いようがない。


 最北端にある皇帝のコブがある丘より少し南、帝都北部にあるカエサル家を護っているなら分かるが、何故彼等がここに来る。しかも、戦闘の痕跡が在り在りと窺える大隊にカエサル家が勢揃いではないか。


 「いやいやいやいや、ちょっと待て、私逃げろつったよな!?」


 アウルスはふらつく足取りで窓際から脱し、何度も転びそうになりながらも会館から走り出る。


 その慌て様を見て何人かの探索者が、すわ走狗の残党が来たのかと武器を取って社長の護衛にくっついていくが、彼には善意で追従する配下に説明する余裕もない。


 「父上!! 兄上!!」


 「アウルス……!!」


 碌に汚れを払いもしない血濡れの軍装を纏い、片手を失って顔は痛々しい包帯まみれという様で駆け寄ってくる人物が、自らの次男であるとガイウスが気付くのに時間がかかった。


 あの本と戯れることを愛し、経済を操って金を積み上げることに悦を覚える息子が、片手と片目を失うような戦働き最前線行きをするとは想像すらしていなかったからである。


 「父上、ご無事で!!」


 「アウルス、貴様、その様は……」


 馬から下りたガイウスは、胸に飛び込んでくる息子を受け止めはしたが、手のやり場に困ることとなる。よくぞあの氾濫を生き延びたと、冷厳に過ぎる顔を緩めて褒めてやりたかったが、壮絶な戦傷の身に触ってもよいものかと悩んだのだ。


 抱きしめるどころか、頭を撫でても大丈夫なものかと心配になるほどの大怪我なのだから、事情を知らねば当然だろう。


 「アウルス、そなた! 何があったのだ!?」


 「兄上もご壮健そうで! 愚弟は、まぁ、ご覧の通り下手を踏みまして……」


 同じく下馬して走り寄ってくる兄に弟は気恥ずかしそうに笑った。本来ならば指揮を執る人間にとって、捕虜になることの次くらいに戦傷を負うのはみっともないことなのだ。無欠の英雄をこそ尊ぶ文化があるからこそ、この有様は痛々しいと同時に恥であろうとアウルスは苦笑する。


 「下手なものか! よく、よくぞ生きていた!!」


 プリムスはいじらしくも自分を立ててくれる弟の痛ましい姿を見て、涙を流しながら抱きついた。


 最初、誰もが悲観したのだ。氾濫が起こったのに逃げずに市民の責務を全うし、会館に籠もって戦うなどと言伝を寄越したアウルスとは二度と会えぬと。


 元より彼は、まだ20にも成っていないのに割り印を捺した、三通の遺書を残すような人間である。父と元老院、そして自分の手元に遺書を置いて生活する人間と知っていれば、家名のため玉砕する様は想像に難くない。


 「アウルス!? アウルスが見つかったのですか!?」


 外の騒ぎを聞きつけた馬車の扉が開く。


 「しまっ、母上をお止めしろ! この姿は些か……」


 「アウルス! 私の可愛いアウ……」


 プリムスが御者に制止させようとしたが、どうやら少しタイミングが遅かったようだ。


 メッサリーナが扉を跳ね開いて、貴人の礼も忘れて馬車から飛び出すと同時……。


 「ル……ス……?」


 息子の悲惨な姿を見て、卒倒したのだから。


 四肢を一つ失い、傷口を覆う包帯は血塗れのまま。軍装は煤と血で汚れて、墓場から這い上がってきたような姿。


 奥様が気絶なされた! と大慌てする軍団兵や、同じく血相を変える父と兄を見て、一瞬で感動の再会が吹っ飛んでしまった弟は自らの軽率さを恥じた。


 自分を溺愛している母が、この姿を見てショックを受けない道理もないだろうと。


 せめて、手紙なりなんなりを送って、前もって覚悟させてから対面するべきだった。


 600人からの増援が来てくれるのは嬉しかったが、その600人が大混乱に陥って事情を聞くことすらできないとなると、どうしたものかと途方にくれるばかり…………。


【補記】

 尻の穴で遊んだセルビア人:サラエボ事件よりはマイナーなので一応。80年代のユーゴスラビアが民族紛争でわちゃわちゃしていた中、とある農夫がケツに割れた瓶を突っ込まれて病院に運ばれた。彼は当時関係が最悪だった「アルバニア人にやられた」と言ったせいで、ユーゴ内戦を巻き起こす諸原因の一つを作ってしまう。

 事件の真偽不明なれど、話題の面白さと検証した医者が「ケツに突っ込んで遊んでた時に滑って奥までいっちゃったっぽいぞコレ」と発表したため、歴史クラスタの中では面白がって、尻で遊んでたら国が一個バラバラになったと笑いの種にされた。しかも、彼がケツに瓶を突っ込まれたことを高らかに詠う詩が沢山詠まれる始末。

 まぁ、そもそも7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を束ねた1つの国家、というユーゴスラビア社会主義連邦共和国――社会主義なのか共和国なのかハッキリしろ――そのものの構造が現場猫も真っ青の欠陥品なので、サラエボ事件と違って彼が全部悪い訳ではないのだが。

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