帝国歴741年 初頭 運命の岐路

 アウルスは常々、山本 五十六や尼子 政久のように、何だって要人が一々前線を視察しに行って死ぬかね、などと斜に構えた物の見方をしてきた。


 基本的に彼は銃後の人間であり、戦地は疎か大きな震災に遭ったこともないので、その効力が分からなかったのだろう。効率だけを見て、人間なる生き物の原動力、言葉にもできぬ感情を勘案しないからこその見方だ。


 ある点において、平和な国家で育ったからこその観点と価値観であろう。


 そして今、己が見舞う側に立ったからこそ、危険だと分かっていても、同じような原因で死んでいった指揮官達がやろうとするわなと理解する。


 右目と右腕を失って尚も、着られている感が強いながら軍装を纏って、士気を高めるべく会館を練り歩くアウルスの姿は、強く人々の心を支えた。


 偉い人が責任を取って一緒に死んでくれる。ただそれだけで、何ともなしに兵士は、じゃあ死ぬかもしれんけど戦ってやるか、という気になるのだ。


 鳴り止まぬ銃声や遠くより轟く走狗と人の悲鳴に脅えていた非戦闘員も、物事をよく分かっていない子供以外は、確たる証拠などないが「何とかなるかもしれない」といった、最終的に全部の責任を被ってくれる人間を見て安心を取り戻す。


 アウルスは戦地で硬っ苦しい演説なぞ打たない。修辞学に秀でているが、この武器は使い所を誤れば、現場を知らないボンボンが来たのだなという落胆しか与えないからだ。


 兵士の肩を叩いて軽口を言い、家が燃えてしまったと泣く老人には目線を合わせてから立派なのを建ててやると慰め、負傷兵には報酬を渡すまで気合いを入れて死ぬなよと励ます。


 そして、埋める暇もなく、シーツを被せられた亡骸達の前で膝をついて、しかし涙は流さず声を張る。


 「必ず、お前達の命という財貨を奪った者共から、高利を取り立てて破産させてやるぞ」などと。


 その場その場で最も効率的に人々の士気を高め、喜んで死地に向かわせることができる人をこそ、歴史は名将と呼ぶのだろう。


 大凡、歴史に名が残る大戦おおいくさで決定的な敗北を運ぶのは、士気崩壊に伴う陣地の放棄から、雪崩式に戦略が崩れることだ。


 持ち場を護って最後まで戦わせることは、単純な戦術と同等、ないしは時にそれを上回る火力を発揮するのだ。


 敢えて悪い例で準えれば、英国のジョン欠地王などが好例だ。意気地がなく人心掌握に弱く、ついでにビビりだった彼は何年も掛けて、やっとこ二正面作戦を強いて有利に立った、怨敵フィリップ2世に初っ端自分が負けて引き返し、フランスの領地の大半を失うという無様を晒した。


 もし彼が多少不利でも現場に踏みとどまるだけの粘り強さがあったなら、アンジュー帝国は崩壊しなかっただろうに。


 アウルスと同じくカリスも指揮所に籠もりきりにならず、能く陣地を見張り、同時に能く戦った。


 危険とあらば配下を守り、突撃発起の合図を自ら上げながら殺し間への斬り込みを先導し、攻勢圧力で危ないところがあれば予備隊を率いて駆けつける。食事は他の兵士と同じく立ったまま行い、仮眠すら取らない。


 自分は低地巨人なので、戦っている間は平気だと大笑する指揮官の目は、何だか色んな物がキマっていて恐ろしかったが、味方として戦ってくれる分には心強い。


 戦える前線指揮官と体を張って責任を取る司令官がいる戦場は、最強の武器を使い惜しみしなければいけない状態であっても粘り強く、夕暮れまで耐えきってみせた。


 「さて、いよいよ運命の時だが」


 夕日が沈みきるよりも早く、灯りが方々に配られている中、指揮所には一旦組頭級の者達が揃っていた。


 昼過ぎから攻勢圧が弱くなってきたので、交代も兼ねて運命の岐路とやらに備えようというのだ。


 「今のところ、変な予兆はないな……」


 「各所の見張りも、異変はないとのことです。一応、最後には総掛かりで戦えるよう、兵員に仕度はさせておりますが」


 先が分かれば兵士達も多少の無理が効くので、何が起こっても良いようカリスは兵員の再配置を実施していた。


 「もしかして、このまま終わるとかないだろうな。凄まじい早漏度合いの連中だったし」


 ただ、先程報告が上がってきたように攻勢自体は延々続いていても、中ボス級の追加投入も、数千規模の増派もなくダラダラとした攻撃で勢いに欠けている。今も迷宮から走狗は吐き出され続けているが、往事の圧や理不尽さではなかった。


 これを戦力が枯渇して息切れしていると見るか、あくまで会館からの増援や物見を出すのを妨げているかと見切るのは難しい。


 後から歴史として俯瞰すれば素人でも読めそうな戦術であっても、現場では看破できないなど幾らでもあるのだ。それだけ戦場の霧は濃く、また危うい。


 そのこともあってカリスは斥候を出そうとしていたが、取りやめていた。二階や殺し間を掃除して人を出すか、飛行が可能な種族を出して体勢が乱れた瞬間、待ってましたとばかりに増派されて状況が揺れるのを厭うたためだ。


 籠城の基本は我慢比べ。我慢できず下手な動きをした方から死ぬ。大原則を守って手堅くいったカリスを怯懦ととるか、慎重ととるかは結果のみが差配する。


 「派手じゃないけど、このまま終わりなら最高っすね。昨日の晩ほど絶望的じゃなかったにしても、一日中だったもんで、もう十分試練でしたぜ?」


 「まったくで。死者こそ装備のおかげで少なく済んでいますが、脱落者もかれこれ60を越えています」


 「手負いはそれ以上ですからなぁ。これが走狗相手でないなら、玉砕するか城を明け渡すべきかの瀬戸際でしょうよ」


 ブレンヌスを始めにカリス隷下の百人長や、キツい局面を助けていた理力の民が同意する。


 むしろ、世間一般では昨夜の大攻勢を耐えた上、夜まで陣地を固持できる方がおかしいのだ。会館が頑丈で、士気を折らせぬ責任者がおり、指揮に秀でた前線指揮官が十分いて、更には理不尽にも対応できる強大な個が数人いる。そんな理外の幸運を以てして辛うじて保っている牙城。


 陽が沈むまで延々攻めるなど、十倍以上の兵で囲まれた砦でもそうそうあるまい。これを以て試練と言うには十分過ぎた。糞みたいなドローが一度でも挟まっていれば負けている盤面は、普通に心を試してくる。


 「いや……」


 しかし、と指揮権を預かっているカリスは楽観的になりかけている面々の言葉を止めた。


 「まだ」


 「……まだ?」


 「まだ、騒いでる。血が」


 低地巨人は武の種族だ。大飯食らいで劣悪燃費、その代わりに全能が戦うことに特化した種族は、戦に関して第六感めいた言語化し辛い感覚を持つ。


 その血がカリスに語りかけるのだ。まだ、まだまだ。


 まだお腹一杯には早いぞと。


 「まだ、戦える、まだ、殺せる。本能が戦から離れてない。体が闘争を求めてる」


 「……それは、消化試合めいて本気を出せなかったから、とかではなくか?」


 アウルスからの問いに護衛官は断固として首を振った。


 これは、そんな感覚ではない。元よりCは、遠慮の塊として皿に残った最後の唐揚げを躊躇なく食べられる人間だ。氾濫が終わって、残りが帝都市中に散った熾火のような敵だけとなれば、むしろ空腹を覚えはしない。


 「違う。これだけは、他の人種に理解しろというのは難しいだろうけど、確実に……」


 「伝令! でんれぇい!!」


 言い切るより前に、扉を開け放していた指揮所へ兵士が転がり込んできた。


 「迷宮が、止まりました! 走狗の噴出が止んでいます!!」


 持って来たのは朗報……の筈だが、真に迫った低地巨人の顔に誰もが唾を飲むばかりで、歓声など一つも上がらない。


 伝令は、装備を担いで皇帝のコブがよく見える三階へ向かおうとする偉いさん方を見て、大きく首を傾げた。


 方々では兵士達も直に視認して、寄って来た敵も全て追い払えたことに歓声を上げているというのに。


 一体何を難しい顔をしているというのか。


 「……来る」


 一見すると、確かに迷宮から湧き出る走狗は止まっていた。周囲には足の踏み場すら残らぬ程に走狗の亡骸が散乱し、酷い血の臭いが空気から拭い去れないのではと錯覚するほどに濃く立ち上っていた。


 しかし、まだだとカリスは確信した。


 大きな行動には、いつだって予備動作が付き物なのだ。右の大砲をぶち込む前にジャブで距離を測るように。念の為、相手が打ち消しを握っていないか確かめるため、潰されても惜しくない呪文を唱えておくように。


 ガツンと大きな音が会館の方々で上がる歓声を掻き消した。


 続くのは重なって一つに聞こえる大量の足音。


 それらは三歩ごとに一度止まり、またガツンと金属が打ち合わされるさざめきを残す。


 「来た」


 「灯りを! 要塞の入り口を照らしてくれ!!」


 「かっ、畏まりました!!」


 アウルスの指示に従ってギルデリースが皇帝のコブを護っていた要塞の残骸全域を照らすように、大きな光の球を生んだ。理力照明と同じ原理で熱も破壊も伴わないが、二次大戦時の照明弾より煌々と北面を照らす灯りは、むしろ味方により大きな衝撃を与えた。


 「あっ、あれは……ぐ、グラ……」


 迷宮の虚より這いだしたのは、一つの軍勢。


 鈍い金色に光るのは、鋳造されたばかりの青銅の煌めき。黄金色の髑髏が、同じ色に輝く胸甲と脛当て、そして上半身を悠々と覆う巨大な円盾と長槍を揃え、12人3列の一糸乱れぬ行進で次々に吐き出されてゆく。


 「小半島式重装歩兵グラエキア・ホプリテス……!?」


 社長の上擦った悲鳴は、一つの古式ゆかしい戦術に由来する兵種。かつて帝国を相争い、緑の内海の間に点在する諸島帯を激しく奪い合った小半島の都市国家群にて磨かれ、帝国がテストゥドという形で完成させた一世代前の〝重装歩兵〟


 衆愚政治デマゴーグと内輪揉めによる政治・経済両面の崩壊によって、今や斜陽国家と化した小半島の伝統戦術を取る走狗は、彼等の軍制と同じく一塊の横列がお行儀良く並び、互いにカバーし合いながら進んでくる。


 奇しくも都市国家群の軍制と同じ兵数で、288人の大隊が盾を密にして並び、都合五つの大隊がゆっくりと、その足取りで以て絶望する会館の指揮を挫くように、横一列の教則本にしてやりたいほど精緻な陣を敷いた。


 「た、盾に理力が迸っています。あれだけ密集すれば……」


 「大規模な理力式でも、かなり乱されますな」


 ギルデリースの言葉をバグバドグルズが補強した。


 強い強い、理力の守りが盾に込められている。盾本体の強度を上げたり、矢を逸らしたいりする類いの式ではない。偏に慮外の大規模理力攻撃から、密集軍を守るための装備。


 運命の岐路、正にそう呼ぶに相応しい光景だ。


 軍勢を以て抗する者に軍勢をぶつけてくる。統制もないにもない、ただ殺戮に飢えた獣ではなく、指示通り動く青銅の操り人形が差し向けられたのだ。


 恐らく、より深い階層でやっと出てくるような存在。少数精鋭で以て斬り込まざるを得ない探索者にとっては、悪夢めいた光景である。


 よくぞこれでレギュレーション違反に問われなかったものだ。


 「くっ、不味い、う……」


 「アウルス様、お待ちを!!」


 反射的に射撃を指示しようとするアウルスをカリスが止める。


 敵が砦の前、銃弾で十分に狙えるが、まだ遠い場所にあったからだ。


 それに、あの装備相手に打ち下ろしでは効果が薄かろう。生き物ではないと一目で分かる敵を止めるには、一発一発撃っていては弾が足りぬ。盾と鎧は8mm口径の弾丸で確実に貫通し、命中部位を破壊するだろうが、何をすれば行動停止に追い込めるか分からぬ相手に無駄玉は使えぬ。


 「鎮まれぇ!!」


 急に現れた敵に慌てて、わたわたと攻撃を掛けようとしていた守手勢に、低地巨人の一喝が重く轟いて軽挙を咎めた。


 あの悠々と陣を敷く様。あれも一種の攻撃だ。慌てさせて会館の統率だった防御行動を阻害しようという、デモンストレーション。


 乗ってやり、無駄玉を使ってやる筋合いもなし。


 「アウルス様、提案が一つ」


 「あ、ああ……聞こう」


 「暫し、北面の維持をお預けしてもよろしいですか?」


 「……兵は幾ら要る」


 即興の作戦であっても、アウルスは子細を問わずに予算を問うのみ。こと戦略においては一家言持っているアウルスだが、リアルタイムでことが進行する作戦レベルでは、カリスに全幅の信頼を置いている。


 彼女は前世からアドリブが必要な現場で働き、今もその場の閃きが大きく事態を動かす戦場を掌握している。


 だとしたら、経営者が現場の設計や運用にまで要らぬ口を出して、混乱を引き起こす方が馬鹿らしい。


 帝国では馬には馬の仕事をさせよ、と昔から言われているのだから、アウルスも大人しく餅屋に餅を突かせるだけのこと。


 「200……いえ、250。全て銃兵で」


 「あぁ!? 姐さん、そりゃ動ける面子のほぼ半数だぞ!?」


 「分かった。持っていけ。今の弾で足りるか?」


 「むしろ、此方の兵員には5発で十分です。残りは置いていくので、ご随意に斉射を」


 アウルスは後頭部を未だに慣れぬ左手で掻いてから、戦場を見下ろし、まぁ何とかなるかと溜息を吐いた。


 ご丁寧に陣を敷いてくれているが、会館北面には亡骸の山が積み上がっており、重装戦列歩兵の強みたる、一糸乱れぬ盾での行進はできぬ。


 となると、予備動作として死体の山を退けるか、強みを捨てて這い上りながら進むほかない。


 人員の再配置と防衛線の再構築には、十分時間がある。


 「よろしい、思うが儘に埒を明けよ。北面は死守する」


 「御意に。必ずやご期待に適う戦働きを披露してみせましょうぞ」


 「……北面以外は捨てる。構わぬな?」


 これは実質的にカリスの策に全てを任せ、安全な帰り道の放棄、即ち勝たねば死ねといっているのと同義だ。


 されど、カリスは戦意と殺意で目を煌々と輝かせ、右手で左胸を強く叩く、帝国式の敬礼をしてみせる。


 仕方のない相方だと笑い、アウルスは飢えた狂犬の手綱を放してやった…………。 


【補記】

 尼子 政久(あまご まさひさ):山本 五十六ほど有名ではないので念のための補記。安芸国と石見国、今の島根県あたりで戦国時代にわちゃわちゃやってた尼子家の嫡男。とある城を攻囲中、配下の兵が飽きて士気が落ちたので、得意の笛を披露して鼓舞していたところ、音を頼りに放たれた矢を喉に受け享年26にて戦死。

 武将としても教養人としてもかなり優秀だったらしいので、相当惜しまれたそうな。アウルスと境遇が割と近い。


 ジョン欠地王、あるいは失地王:優れた家系と優れた帝国から抽出されてしまった高純度のアホ。ないしは兄貴の出涸らし。

 トップが間抜けだと、どれだけ大量の国土と人材がいても駄目になる好例。教科書にも載っているが、知れば知るほど「そりゃ後の世に名前が継がれんわ」と呆れる内政と外交下手にして戦下手のヘタレ。なにせホームグラウンドの故郷の上、王たる兄が長年留守で無駄に戦費がかかる十字軍なんぞで遊んでいるにも拘わらず、国内勢力が味方に付かなかった時点で残念という概念が服を着て歩いているかのようだ。

 コーエー式能力だと、多分最高値でも30に行かないタイプで、レアリティではコモンですら勿体ない。ドラフトでも最後の最後に押しつけられるタイプのクソ雑魚。まかり間違ってレアリティがレアや神話だったりしたら、もう永遠のネタ枠にしかなりようがない。

 なんでこの様で、選りに選ってフランスの尊厳王ことフィリップ2世や、最強の教皇インノケンティウス3世に喧嘩を売って勝てると思ったのか。

 1回兄である当時のヨーロッパ世界最強であった獅子心王ことリチャード1世から王位を簒奪しようとして、けちょんけちょんにされているのに、何も学ばなかった点でも歴史上類を見ないアホ。

 実はアウルスが最も反面教師にしていたりする。

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