帝国歴741年 初頭 払暁と神託

 電報が打てるならば、カリスは「ワレ、フツギョウヲミタリ」と知人全員に送ってやりたい気分だった。


 暗く血みどろの夜が明けようとしている。一階を塞ぎ、効率的に殺し間を作れたことで走狗の勢いは完璧に殺された。


 さりとて、余所を襲おうにも長射程の遠隔武器を持つ会館の守手勢が横槍を刺してくるため、会館に籠もった者達が上手くいかせない。大型走狗は一晩で嫌になるくらい実弾射撃を実戦で身に付けた探索者達が討ち果たし、小型の走狗もくれてやれとばかりに放たれる矢の驟雨に斃される。


 蕩尽される軍事費人的リソースさえ考慮しなければ、恐ろしく効率的に氾濫は堰き止められていた。


 「いい朝日ね」


 「っすね」


 二階の指揮所で顔中を血塗れにしたカリスとブレンヌス、他数名の組頭現場指揮官を任された百人長や契約探索者が廊下に差し込む光を見て、深々と息を吐いた。


 人類の多くにとって圧倒的不利な条件となる暗闇が晴れる。直下に暗い影を落とし、チラつくせいで却って見づらい篝火や火事の炎より確実な朝日が。


 「これで顔くらいは拭わせて貰えるかしら」


 「風呂で贅沢に一杯やって、夕方まで寝たいところですがね……」


 カリス達が血塗れなのは、全て敵の返り血によってだった。ついさっきまで、殺し間に誘引した敵を300ばかり矢と銃の一斉射撃で怯ませた後、白兵戦で蹴散らしてきたところなのだ。


 一息入れるためには敵の大戦力を叩き潰しておかねばならない。夕方から戦いっぱなしの探索者諸氏は、軍団兵と入れ替わりで休憩を取るか、やっとこ負傷兵という称号を貰って――それまでは、動ける傷は負傷扱いされなかった――中庭の救護所で休むか、どこか空いた部屋で飯でも食って寝ていることであろう。


 それでも四交代シフトに入れるまで敵を削るのに、朝までかかった。残業組は今頃、飯より寝たいと炊き出しの列にもならばず、どこかで適当にぶっ倒れているはずだ。


 余談であるが、衛生兵としてベリルの指導を受けた探索者達は、却って予備知識がないことが良い方に働いて、帝国既存の医療を提供しない。


 馬の唾液だの潰した蚯蚓だのは用いず、仕込まれたままに消毒薬高濃度アルコールやら薬草と活性炭を包んだガーゼで手当てし、取りあえず切っとけみたいなノリで四肢を切り落としもせぬ。重傷者には手仕事が得意な者が、傷の縫合まで施してくれるのだ。


 出血が止まって痛みが少ないなら、一休みしてまた戦線に戻っていけるのが幸福か幸運なのかは、如何とも判断が難しかった。


 何せ、動けるならさっさと前線に行けとケツを蹴り飛ばしてくる、おっかない百人長殿がいらっしゃるせいで、命が掛かっているという拍車以上の推力で以て、誰もサボる暇がないのだから。


 「しかし、何時になったら終わるんですかね、コレ」


 「さぁね。忌むべき記憶として、あと爾後の反乱祭りで記憶が途絶えてるか、書いてる余裕がないからか詳細な文献がないのよねぇ」


 「長生きな連中が覚えてたりしないんすかね?」


 「そういった連中は、基本的に物を忘れないか、頓着しないせいかで殆ど外に形として残さないのよ。ったく、どいつもこいつも演繹とか合理って言葉に唾を吐いてくるんだから、堪ったもんじゃないわ」


 ボリボリ頭を掻く低地巨人を見て、ブレンヌスはアンタもそっち側の種族だろうと思ったが、口には出さないでおいた。


 今のところ、巨人種族の実質的な寿命は観測されていないのだ。


 まぁ、寿命が来るより先に大半が壮絶に戦死するという、人生の芸風が普通の人類と違う生き物なので、ある意味で順当ではあるのだが。


 「ま、どうあれケツに根っこ張らせる勢いで粘るしかないわね。ブレンヌス、次休んで良いわよ」


 「そりゃありがてぇですけど……俺ら抜けてイケますか?」


 会館に詰めた兵員は、順次休憩や食事を採って継戦能力の回復に努め始めているが、ブレンヌスが未だに引っ張り出されているのは、臨機応変に動ける指揮官が足りていないため、やむなくの処置である。


 「落ち着いてきたからイケるわよ。ヤバくなったら水ぶっ掛けて起こしてやるから、飯食って寝てきなさい」


 「うへぇ……帝国軍式こえー……」


 「因みに家の中隊だと起床喇叭四回鳴らす約10分までに表に出なきゃ、フル装備で兵営20週だから、起こしてやるだけ優しくしてるわよ」


 「俺、やっぱこっち契約探索者でよかったすわ……じゃ、お先に……」


 動く半死人が元気な半死人になるため、体全体を引き摺るようにして指揮所から出て行った。戦場に身を置く者は、いつ死ぬか分からないので、じゃあ俺達は半死人だと空元気で皆が言い出したのはいつ頃だっただろうか。


 とりあえず、まだ空が朝焼けで黄色く染まる前だったのは確かだ。


 満身創痍の半死人だらけなので、実際には全く笑えないにしても、軽口が叩ける分まだマシだと思わねばやっていけないなと思いつつ、カリスはコーヒーに想いを馳せる。


 こういう時、絶対体に悪いと分かっていても、作り置きの糞不味いコーヒーが良く効くのだ。今10万の援軍が来るのと、熱々のを大容量のマグカップに並々一杯、それも濃ゆいブラックで貰えるとしたら、どちらか悩ましいくらい脳に渇が欲しかった。


 カフェインは疲労にも絶望にも効くのだ。それを探しに行く船を造る予定を台無しにしてくれた地上げ屋と、その使いっ走り共を無惨に皆殺しにしてやると、カリスは改めて硬く心に誓った。


 友人の片目と片腕、としてコーヒーの貸しは高く付くぞと。


 「会館全体での残弾は?」


 しかし、援軍のコーヒーも妄想の産物なので、脳裏でラブコールを送るのをやめてカリスは現実を直視する。


 何も駄弁るために組頭級の兵員を集めた訳ではないのだ。


 「大雑把に数えて、1万ちょっとは撃ったかと」


 引っ切りなしに方々から来る補給要請に応えるべく、補給将校にあてられた中隊幕僚の一人が素早く応えた。


 銃は会館全体で400挺で、弾は持ち込んだ物が20,000発。会館に来るまでに撃った分を数えると、残りは半分程度。


 カリスはあまりの消耗に、そりゃ第一次世界大戦時の蔵相が弾代に頭を抱えるわと嘆いた。


 あれだけ重い物を必死こいて運んできたのに、もう半分近く使ったとは。


 「途中で斬翼蝙蝠が来たのがキツかったなぁ……焦って撃たせすぎた」


 「あれの迎撃で弾を随分使いましたからなぁ。理力の民がいなきゃ西廊下が落ちてたな」


 「もっと頑丈に天井を塞げねぇか? 兵隊さん。あっちゃこっちゃ穴だらけで適わんぞ」


 「時間があればできるが、敵の弓手がキツいな。醜形小人が矢を使うとは聞いていたが、あんなのと地下で戦ってきたのか?」


 「ありゃ一番数が多いんだよ。の割に器用だもんで始末が悪い。矢にゃたまに毒が塗ってあったり、酷かったら錆びてたりするし」


 「よく、そんなのと日銭欲しさに戦って来たなお前達……俺は絶対、迷宮には潜りたくないな……」


 口々に厳しかった状況を並び立てていくのは、単に愚痴を言って精神安定を図っているのではなく、意見の交換を行って最適な配置を探るためだ。


 現在、理力の民は迷宮に討って出かねない勢いなので、会館の空を護ってくれと泣き付いて、三階の窓がない部屋を待機壕として大人しくさせている。


 いざという時、全力で護ってくれとの懇願が効いたようだった。


 リウィアはギルデリースと共にアウルスの天幕に張り付きっぱなしだが、そちらの方が安全なのでカリスとしては文句はない。


 問題は現状だ。


 「一階の封鎖が終わったら、熟練兵もできるだけ三階に上げたいわね……どれくらいかかる?」


 「外側廊下の進捗は八割ってところです。殺し間は、もう少し頑強にしたいところですが」


 「うーん……でも、外からの圧力が強すぎると、殺し間が崩れかねないから兵員の配置に悩むわね。連中に熱湯が効かないのが辛いわ」


 会館に生まれた余裕は、ほんの僅かな物でしかないので常に改善を考えねばならない。試せる物は全て試し、やれることは全部やらねば、明確なゴールが決まっていない持久戦になられると大変に辛い物がある。


 その試行錯誤の一環として、城攻めには付き物である熱湯攻撃を試していたが、こちらはあまり効果がなかった。痛みに怯まず、自己の喪失という損害を完璧に許容してしまう走狗には、即死させられない攻撃は効果が薄い。


 かといって、より高温にできる油はアウルスが目を覚ませば、簡易ナパームにして貰えるので浪費ができぬ。何より、あまり考えたくないが、また日が沈んだ時のことを考えると〝灯り〟として必要になるので分配が難しい。


 タワーディフェンスをやらせるのなら、せめてWave幾つなのか明確にしろよとキレそうになりながら、カリスは終わりをコッチから手繰り寄せられないだろうかと模索する。


 せめて味方と連携できれば、会館から討って出て一息に迷宮へ敵を送り返してやるところなのだが……。


 「第Ⅲ大隊が壊滅したのは確実にしても、まだ私達の第Ⅰ軍団は全体で10,000以上は確実に残ってる。今、どこに重いケツを乗っけてるのかしらね」


 「連中、黄金離宮を動かそうとして頑張ってるのかもしれませんな」


 軽い政治的な揶揄は高級将校の嗜みなれど、あながち冗談とも言い切れないので笑えない。個人の意向で動く軍は、どうしてもお偉いさんが家財を運べと命じれば、否と強く言えないからだ。


 当代に至っては「悪趣味だ」と呼ばれる、酷い散財癖のせいで罷免された皇帝が建てた離宮を丸ごと引っ越しさせようなんて阿呆はおるまいが――残しているのは、偏に解体費が勿体ないから――持ち運べる財産の運搬に浪費させられている兵力は多かろう。


 同じくらいに、引っ越し屋の真似をさせられている間に襲われ、失われた兵員も。


 「陛下は軍人筋だし、信頼も篤いけれど、自己保身が大好きな政治屋共を口説き落とすのに一晩……」


 「では済まんでしょうな。今の元老院は、殆どが戦地を知りませんよ」


 「やっぱり?」


 未だ社会集団という存在が持っているであろう〝理性〟に一種の信仰があるカリスの独り言めいた思考に対し、百人長や隊伍長、果てはちょっとお偉いさんの顔を知っている探索者までもが乾いた笑い声を上げた。


 今上皇帝、ウィリテウス・フラウィウム・エスクイリヌスは元軍人かつ、護民官あがりのエクストリーム叩き上げ人材であるため有事の危険性を十分に把握しているが、属州からの富を吸い上げて成立している帝都のぬるま湯をがぶ飲みしている元老院達は、自分達の護衛が減ることを是とはするまい。


 ぞろぞろ引き連れて、帝都からかなり離れた砦まで逃げられると困る。帝都の都市機能を復活させるためには、一日でも早く軍団の到来が必要なのだ。


 兵隊は数が増えれば増えるだけ足が鈍る。そこに元老院や貴族、富裕層の家族やら家財までが増えると始末が悪い。亀の方が幾分かマシといった速度でジリジリ逃げたとあらば、準備万端整った大軍が戻ってくるまでにどれだけ掛かるか。


 さしもの皇帝直轄軍である親衛隊数百だけ率いてやって来るほどウィリテウスも無謀ではないので、ともすれば第Ⅰ軍団の再編まで二日か三日かかってもおかしくない。


 「でも、火事自体は収まりつつあるのよね……なんでしかしら。どっかの気合いが入った大隊が、都市区画を要塞化して粘ってるとか?」


 「予備役連中や補助兵が頑張ってるんじゃないですか? ほら、以前にアウルス様の会社が下賜した……」


 「ああ、手押しポンプと木樽のバケツ?」


 朝日以外の原因でも、火事の眩しさが弱っていることは誰もが確認していた。


 おそらく、貧民区画に売名もかねて実験品を送りつけ、火事の時は自分で身を守れと嗾けたアウルスの策が上手く言ったのだろう。手押しポンプには、直結すれば水を噴出できる牛や豚の腸を加工したホースが備わっているので、大規模でなければ対応できる。


 そこに帝都っ子の意地が上手く働いたのか分からないが、大火は終息しつつあるようだ。


 「西と東から走狗が戻ってきて、我々を攻めるのに加わっていますからね。最初の噴出で逃げた者達も、走狗が引いたなら故郷を護ろうと頑張ってくれているのではないでしょうか」


 「で、その分、こっちが死にかけてる訳ね……ま、帝都が焼ける面積が減る分にはヨシとしましょう」


 状態は最悪一歩手前で、ゴールも見えていないが希望はまだある。


 「敵に総大将っぽいのがいたらいいのにね。そうしたら私を先頭に突っ込んで、さっさと首を狩ってやるのに」


 「付き合わされる我等中隊を慈しんでくださいよ、カリス様……」


 「長く辛く持久するより、強く一発ぶち当たった方が気も楽でしょうよ。ま、状態が落ち着いて、敵を上手く撃退できたら物見でも出しましょうか」


 そうと決まれば全体を見て回り、いっちょ士気でも上げてやるかと思った時、不意に指揮所を訪れた者があった。


 「よぉ」


 「は!? A!? 何してんの!? まだ夜明けよ!?」


 リウィア嬢に肩を貸され――右腕を失った体では、上手くバランスを取れないのだ――ギルデリースまで連れた、まだ病床を離れてはならないはずのアウルスだった。


 しかし、彼の顔色は昨晩片手も片目を失ったとは信じがたいほどに血色が良くなり、化粧がなければ嫌に目立つ隈が嘘のように落ちている。心なしか、怪我をする前より元気そうなのは、どういう理屈なのか。


 「何かめっちゃ体調良い。子供の時以来の元気さがある。今なら五徹くらいしても、その後平気でフルマラソンできそう」


 「いや、だからってあんた、まだ4時間くらいしか寝てなくない……? 半日は寝るって豪語してたのに。何か目ぇ醒めさせるような不手際でもあった?」


 「いや、君らは完璧に仕事を果たしているし、私もそのつもりだったんだがなぁ……」


 残った左手で不器用に顎を掻いてから、アウルスは帝国語に切り替えて口を開いた。


 「神々より神託を授かった」


 「……は?」


 割とどころではなく突拍子のない言葉に指揮所の全員が呆然とした。


 テルースでいう神託とは、神格が直接に基底現実の人間に語りかける言葉であり、薬や脳内麻薬でトランスした人間が発する電波的文言ではない。


 しかし、現代においては滅多に下ることがなく、専ら長い長い信仰と研鑽、そして深い瞑想の末にやっと得られるもので、数多の神々を奉ずる帝国では、もう長い間〝確実に神託である〟と証明できる言葉は下りていなかった。


 カリスは取りあえず相方の一人の前に歩み出ると、おもむろに額に手をやった。


 「……悲しいことに平熱ね」


 「ナチュラルに失礼だな貴様」


 低地巨人の掌を払ったアウルスは、自分でも大分電波な発言をしていることは理解している。彼は神職ではないし、神殿に大量の喜捨をするに留まらず祝いの度に欠かせないお香や蝋燭を寄付しているが、本人は全く神々に興味がないのだ。


 いわゆる有神論的無宗教。日本人の大半が持っている感性を、彼は神の実存を確認した後でも捨てていない。


 いや、むしろ確認したからこそ、依存しきれないのだ。


 あんなステロタイプ極まる、今時コントでも見ないぞという自称神様からコッチの世界に放り込まれたのだから、むしろ崇敬することができたら大した狂信者である。


 それでも〝夢を介して〟託宣が下ったのは、悲しいかな本当なので、伝えぬ訳にもいかぬのだ。


 「これは詳細は省くが……」


 「結論だけ言うとあたし達は死ぬ、とか仰らないでしょうね」


 「えーと、それ元ネタなんだっけ……えーと……」


 前世の映画の一場面を切り抜いたネタを思い出せなかったアウルスは、暫し思い出すため額に手をやったが、はよ言えと周囲からの無言の圧力を受けて渋々と口を開いた。彼からすると、ちょっと思い出しかけた記憶をそのままにしておくのは、大変モヤモヤして気持ちが悪いのだが。


 「夜まで持ちこたえよ。運命はそこで決する、だそうだ」


 極めてシンプルかつ明瞭な指示であったが、結論がフワッとしているのがいただけない。


 やっぱり右腕と目が潰れたせいで、脳内麻薬がキマってハイになっているだけではないかとカリスは懐疑的な視線をアウルスに寄越したが、彼は後ろに控えるギルデリースを手で示して言った。


 異教の神の信徒なれど、現職高僧からのお墨付きだぞと…………。 

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