帝国歴741年 初頭 大敵の匂い

 負傷兵だらけの上、北面が半壊した有様を見てカリスは感嘆の吐息を漏らした。


 よくぞまぁ、ここまでボロボロになりながら夜明け近くまで保ったものだと。


 報告によると戦死者は現在40名を超え、内二人はアウルスの護衛に派遣していた軍団兵で、更に半数が帝国勇猛社の契約探索者であった。動けない重傷者も同数くらいであろうか。


 これは、優秀で職業意識の高い彼等が、寄せては返す防衛線の放棄と奪還の際、進んで殿しんがりや先鋒を務めたことに依る。


 貴重な熟練兵が……とカリスは泣きたくなったが、まぁ状況は絶望するほどでもない。


 少なくとも、帝国勇猛社会館はアラモ砦や硫黄島リーサル盤面よりはマシだ。


 「ったく、何やってんのよ……」


 「よぉ、見ろよC、劇的ダイエットだ。たった一晩で3kg近く痩せたぞ」


 「重量じゃなくて体積減らして喜ぶ馬鹿が何処にいるんだか……」


 「太るのを気にするご婦人に馬鹿ウケだと思ったんだがなぁ」


 それでも千早城に籠もった楠木方戦力比約25倍か、スターリングラードのソ連側都市人口以上の戦死者くらいの覚悟は要るだろうが。


 中庭に張られた天幕にて、社長が大怪我で運び込まれているという報告を受け取った中隊長は、急いで見舞いに来たが、平素と変わらぬ日本語の軽口に思わず憮然としてしまった。


 三つ子の魂百までとは能く言った物。前世から状況がヤバくなればヤバくなるだけ饒舌になる気質は――専ら酒の場の席にて学んだ――今生でも健在だったようである。


 しかし、それも四肢を喪失してまでやっていられると、本来護る側だったCにとっては、下手な罵言よりも深く刺さる。


 やっとのことで助けに来たカリスにとって、アウルスの惨状は心理的に相当響いた。


 元々、転生する直前に、「最後はみんな、五体満足で大往生してやろうぜと」などと軽口混じりの誓いを立てたというのに。まだまだ序盤戦の内に斯様な有様にしてしまうなどと。


 前線に立つことも、ある程度は想定していたカリス自身の負傷であったなら、不満はあったが容れられただろう。


 だが、三人の内で最も脆く、技術担当の次に戦から遠くにいなければならなかった政治担当のAが、いの一番にこうも傷つくなど、軍事を担当するCにとって失態以外の何物でもなかった。


 しかし、万言と億の後悔を積み上げたとして、潰れた右目も千切れた右腕も戻っては来ない。


 なので、Cは内心を大いに乱しながらも、粛々と努めて普段通りに振る舞うことにした。


 「ま、安心して寝てなさいな。アホ共のケツは、私と私の配下、130人で細切れにして下水に流してやるわ」


 そして、贖いは積み上げた敵の骸によって成す。


 「あー、たのまぁー……あの早撃ち野郎共は、まだ元気か……?」


 「バカバカ湧いてるわよ。銃200挺、弾2万発で足りるか心配になるくらいにね」


 既にカリスの配下達は主に攻勢圧力が掛かる北側に陣取り、たまに銃身を水に漬けねばならない勢いでの全力射撃を敢行していた。天幕がビリビリ震える程に銃声の合唱が止むことはなく、余剰弾薬を分配して探索者も全力で射撃することで、一階への圧力は極めて軽微になっている。


 「エラい数用意したな、あのアホ……私、これどうやって元老院に申し開きすれば良いんだ……?」


 「迷宮産の代物で、危ないからどうやって教えるか悩んでたって誤魔化しなさいよ。こんだけのじゃじゃ馬乗りこなしたんだから、人間相手に弁舌で煙に巻くのなんて余裕でしょ」


 「軽く言ってくれるなテメー……」


 日本語で気安く喋る異世界出身者二人を見て、共に天幕内にいた現地人二人組は強烈な違和感を抱く。


 何だろうか、この数十年連れ添っても醸し出せなさそうな空気は。


 元々リウィアもギルデリースも夜会だの何だので、カリスが護衛に付いた際に面識があり、乳母姉弟であることも聞いてはいたが、それ以上の匂いがするのだ。


 肉体関係云々とかではなく、どうあっても敵いそうにない信頼の匂いが。


 カリスが来るまでは、どれだけ体に障るから力を抜けと言っても緊張しっぱなしであったアウルスが、護衛官の顔を見た途端、一気に体から力を抜いたのだ。


 そして、気安い者にだけ見せる顔よりも更に気の抜けた笑顔は、彼がもう「ああ、もう大丈夫だ」と確信していることを示す。


 二人が助けに来た時にも見せなかった、心底から苦痛より解放されたと分かる顔。


 猛烈に恋の炎を燃やしている乙女と、自分の感情を咀嚼しかねている令嬢は、横たわる御次男を挟んで無言のさや当てを行っているのが途端に馬鹿らしくなった。


 敵の敵は味方、という法則は色々な物に当てはめられる。


 そして、無意識に意識の共通化が図られた。


 もかして、一番の難敵って目の前の低地巨人なんじゃなかろうかと。


 「しかし、ここで持久できるか? 三階は大分こっぴどくぶっ壊されたが。軍団の動きはどうだ?」


 「帝都内で錯綜中。組織だった反攻なんて、暫くは期待できないわね。元老院やら有力者逃がしたり、防備にも向かない宮殿護ったりしようとしてるし」


 言語はまったく未知で、外国語に堪能な二人が力を合わせれば七言語まではカバーできても、どの単語が主格かさえ分からない。仮に東の方にA・B・Cトリオが「何か知ってるぞコレ」という感じの列島があったとしても、更にそこからウン千年の変化を経た言語だ。人前で暗号を使って会話するのに、これ以上最適な物はない。


 「うーん、散々に使わせて貰っといてなんだが、やっぱ軍が個人の利益で動くのは、よろしくないなぁ……」


 「その個人の利益のために、独断専行して私が来てる訳だけどね。にしても、Bが滅茶苦茶キレそうね。新築一年目で大規模リフォームさせられるなんて」


 なればこそ、嫉妬心に油がくべられる。どうしても理解が及ばぬ間柄に、しかも顔だけ見ればとびきりお淑やかそうな専属の護衛官があるなど、今になって見せ付けられて、どうして心穏やかでいられようか。


 「まぁ、建て直しとはいかんが、まだ戦うなら内装は全取っ替えかなー……それより、この窓がアホみたいにデカい一階が保つか?」


 ただ、ある点において彼女達は幸福だった。


 まだ最強の敵が一人だと勘違いしている余裕があるという一点で。


 二人の令嬢が気を揉んでいることなど欠片も意識せず、やれやれとカリスはちょっと表に出てから、すぐ戻ってきた。


 満帆に土が詰まった袋を持って。


 「土嚢か!」


 「そ、ベリルが銃と一緒に持って来たのよ。木枠に袋を沢山並べて、中にエンピで土をかっ込むだけで生産できる、最も安価な防壁材をね」


 ベリルは銃と弾薬だけではなく「こんなこともあろうかと!!」とドヤ顔を引っさげて色々な小道具を馬車ごと渡していた。


 その中に積載されていた道具の一つが土嚢製造機だ。


 マス目状に区切られた箱に水力紡錘機と足踏み式の織機にミシン、三つのコンボによって大量生産できるようになった麻布を並べていけば、ただどこにでもある土を詰めるだけで重量ある壁となる。


 「中庭、勝手にじゃんじゃん掘り返してるけどいいわよね? せっかく芝敷いてくれてたのに、事後承諾でアレだけど」


 「もー全部任すよ。金なら出すから何でも好きにしてくんろ。命と帝都に比べりゃ、全部が駄賃だ」


 極めてローコストで、積み方を工夫すれば石壁よりも強力に攻撃を阻む、ともすれば下手な銃火器より強力な〝兵器〟は、アウルスが軍界隈に売り込みの第二攻勢をかける前段階として、軍隊に更なる恩恵をもたらすことを企図して制作された。


 帝国軍はインフラを担うほどの建築家集団で、軍団兵は漏れなく工兵でもあるとかいう、ちょっと狂気の領域に片足を突っ込んだ軍隊だ。


 会戦地までに道を敷いて、井戸を掘って、物資集積拠点にして後退先ともなる砦を造ってから戦争を始める、世界基準で頭がおかしい連中ならば、理論上は会戦中でも堡塁を作れるような代物を欲さない道理がないとして、ベリルはこの案を密かに温めていた。


 あとはカリスに相談して、盛大にデモンストレーションでも行ってから、専売契約を結べば濡れ手に粟でガッポガッポと算盤を弾いていたのだろうが、よもやこんな形で日の目を見ることになるとは思ってなかっただろう。


 非戦闘員で手が空いている者が土嚢を作り、延々と一階と三階に運び込んでいた。一階では空気穴を残して窓を完全封鎖する勢いで三角形に積み上げていき、三階では壁が崩れた場所で新たに遮蔽を作る。


 屋根が崩れた部分は、屋内だと使いづらい長い角盾スクトゥムで補強して応急処置。砦や馬防柵を作ることに慣れた熟練の軍団兵達には、実に慣れた仕事である。


 「防衛線も再編中。雑な家具の壁より足止め力は抜群よ。何カ所かわざと開けて殺し間キルゾーンにしているから、そっちは入れ食いでしょうね」


 「あー、その手があったかー……」


 カリスはアウルスと護衛の帝国兵が考えた、瀉血戦術に特化した戦場を更に洗練させた。守り切れない場所は早々に土嚢で上から下まで埋めてしまい、敢えて入りやすいよう進入路を用意した場所には、元々はバリケードだった家具の残骸を逆茂木のように縄で縛り上げ、合間合間に剣や槍を括り付けて鉄条網代わりにする。


 そして、意気揚々と飛び込んでみたら、半包囲している探索者と軍団兵が矢玉で大歓迎だ。生き残りには仕上げとして、長槍が進呈される歓待の満足度は極めて高いであろう。


 三階には目の良い種族をやってライノサラスなどの、防壁や建物を破壊しうる敵を置いて接近する間もなく集中射撃で突撃を粉砕し、小物は誘い込んで絡め取られている間に殺す。


 古来、城とはそういった思想に基づいて設計されるのだ。


 「帝都内で迷子になってた兵士とか、何処かで落伍した部隊、それと逃げ遅れた民間人も連れて来たから、まぁ兵だけでも大体300は追加で入った感じね。朝までには一段落させて、四交代で休ませるわ」


 「うーわー、超助かるー、めっちゃ助かるー、流石はC、我等が軍事顧問。愛してるぜ、マジで」


 「はいはい、愛してる愛してる。ヒョロいお坊ちゃまは、それ以上のダイエットしないで済むよう大人しくしてなさいな」


 「っしゃー、寝る! 起きたら全部終わってるくらいの心持ちで寝る!! 正直、意識保ってるので限界だった!!」


 「それは流石に過分な期待ねぇ……」


 専門家が来たのだから、筆を執るべき指が――といっても、利き手はついさっき、永遠に家出してしまった訳だが――軍配を取る時間は終わった。


 もう平気だと確信したアウルスは、天幕内の折りたたみベッドに身を投げた。木枠と帆布を組み合わせたそれは、本来探索者の長期行に備えて作られたものであるが、いざとなれば野戦病院でも使えるので非常に便利である。


 しかし、まだ在庫があるらしい簡易ベッドが満帆にならぬよう努めねばならぬ、軍事担当に渡ったバトンは恐ろしく重い。


 「アウルス様はお休みになられるようです。小官が館全体の指揮権を賜りました」


 ばたっと倒れ伏すと同時、アウルスは理力で半ば強引に意識をカットして深い深い良質な眠りに入った。夢を見ない程度の深さに制御されたレム睡眠と、脳を効率的に休めるノンレム睡眠を交互に行うことにより、彼が4時間で常人の8時間睡眠に近い休憩を取れていることは、身内だけの秘密である。


 ただ、この調子なので治療を受けながら半日は眠り続けるであろう。


 その間、カリスは万難を鉄火で以て排し、眠りを全く邪魔させぬ覚悟であった。


 「その職責でお伺いいたしますが、えー……あー、その、リウィア様、そして理力の民の皆様方は、何故こんな激戦地に?」


 そして、漸く事態の整頓と情報の共有が行われる。


 リウィアは大事なアウルスが損なわれては困るという、極めて個人的な感情論による独走で。


 理力の民も帝国安閑社の天体観測技術が欲しくて、嫁の宛てがいにという外交的にしては、些か稚気が過ぎる理由にて訪問したついでに、押っ取り刀で助けに来ただけ。


 カリスは軍人モードでなかったら、とても人様に見せられない渋面を作りそうになった。どいつもこいつもその場の気分に任せたアドリブが過ぎるだろうと。帝都は一体いつからエチュード即興劇の舞台に改装されたというのか。


 が、全ては結果論的に良い方に働いているので、難しく考えることはやめた。


 氾濫が終わったあと、政治的に助けてくれる味方と、客観性に裏打ちされた強力な証言してくれる第三者機関が増えたと考えた方が精神衛生にはよろしい。


 それに彼女達が来ていなかったら、カリスはすごすごと残兵を纏めて、地獄の撤退戦をやるハメになっていたのだ。


 人は城、人は生け垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり、などと宣いながら敵を作りまくった挙げ句、家の継承に失敗した偉い人が昔にいたが、アウルスはそれを地でやって成功させた。


 これは喜ぶべき事態で、事後処理にも上手く働くであろう。


 さしあたって必要なのは、絶対に死んで貰っては困る、新たに増えた守り抜くべき対象すら戦意一杯なのを、どう宥めるかの話術構築であった…………。  

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