帝国歴741年 初頭 右手ピッカピカやぞ!

 魂が新しい筐体に入るに至って、感覚は一旦再定義されているものの、魂にもこびり付いて忘れ難い感覚もある。


 人によってそれは様々で、Aは若い体でも煙草の煙を恋しがり、Bにとってはキツく泥炭の香りが燻るアルコールが忘れられず、Cも脳髄を撫で癒やすカフェインの欠乏に屡々発狂してみせるように、魂に結びついて今生の肉体にも影響を及ぼす。


 どうあれ魂の記憶にしたがって言うと、Aは内視鏡検査を受けた時のトラウマを思い出した。


 「リウィア嬢、ご無事で……んむぅぅ!?」


 アウルスとしては、木石でもあるまいし思慕の情とやらを察知する感覚は多少なれどある。少なくともリウィア嬢から好かれているな、と正しく認識していたが、よもや命懸けで助けに来て、感極まった末に接吻までされるとは思っても見なかったのだ。


 そして、予想外のことは、体格差による舌の長さもあるが、竜鱗人のそれは霊猿人より大分長いことである。


 ぬるぅり、あるいは、ずるうぃ、なんて擬音が浮かびそうな勢いで、口腔に舌が差し入れられたことにアウルスは驚き、右腕が吹っ飛んだだの、探索者の指揮云々を考えられなくなる。


 あれは本当にトラウマだったのだ。生来の体質からか麻酔の効きが酷く鈍く、医者に申し出ても「直ぐに効いてきますよ」と聞き流され、強引に突っ込まれた胃カメラが食道を下っていく苦痛と悍ましさと言ったらもう。


 しかも、相手が研修医だったからか非常に手荒で、行くも進むも地獄で、成人してから始めて失禁の危機を覚えたほどの形容しがたい苦痛。


 それ以降、彼は口腔に異物の侵入そのものがトラウマとなっていた。


 かといって貧血の体では碌すっぽ力が出ないし、竜鱗人の肉体は理力が賦活に専念していたとしても霊猿人ではとても敵わぬ。


 しかも周りは、あまりに劇的な救援の到来と歌劇のクライマックスを思わせる接吻に沸いており、止めようという気が全くないように見える。


 戦場では名場面とも呼べる絵面が好まれるのは仕方がないとしても、お前らもうちょっと何かあるだろ、とアウルスは叫びたかった……が、物理的に口が塞がれているので、できるのは精々鼻呼吸だけだった。


 「ああ、生きて、生きていてくれて、よかった……本当に……みんな、私を置いていくから、ああ、本当に……!!」


 感動に突き動かされて交わされた接吻はあまりに長く、映画だったら尺がダレるから短くしろと監督がキレそうな時間続いた。赫怒に塗りつぶされた思考が冷静になるまでには、それだけの時間が必要だったとも言えるが、長い間まともに呼吸ができない状態でトラウマと向き合わされたアウルスには、片目片腕が吹き飛ぶ以上の試練でもあった。


 既に鎮痛と止血で理力が限界だったので、吐き気だけはどうしたって地力で抑えねばならなかったのだ。


 少なくとも、どんな感動的キスシーンであろうと、その直後に男が吐いては酔っ払いの小唄にもなるまいて。


 とはいえ、麗しの竜鱗人が霊猿人の思い人を抱いて、定命と推定非定命の差による、今まで幾度も寿命によって親しき人達と別れてきた嘆きを思い出してむせび泣く姿は、歌劇の〆に持っていけば実に映えることだろう。


 仮に一方が死んだ魚のような目をしていても。


 まぁ、どうせ話を伝え聞いた人が勝手に脚色してくれるであろうから、そこはヨシとしておこう。


 「あ、アウルス様……?」


 「あ……ああ……ギルデリース嬢……これは恥ずかしいところをお見せいたしましたね」


 色んな意味で、という普段のジョークは呑み込んで、アウルスはか細く笑った。


 一時的にだが敵の大部隊を文字通りに消滅させたことで、戦線は救われた。その事実を脳が認識したからであろうか。ガンガンに決まったアドレナリンの働きが落ち着いてしまったようで、途端にふらつく政治担当。


 転倒はリウィアのおかげで防がれたが、膝に力が入っていなくて真面に立てそうにはなかった。


 「アウルス様! お引きを! 三階の指揮は俺が受け持ちますから!!」


 「ん……? ああ、君か……ああ、そうだな、君のおかげで冥府の門を潜らずに済んだのだったか」


 駆け寄ってくる探索者の中にアウルスは知った顔を見つけた。被弾直後は衝撃で記憶が飛んできたが、顔を見たことで思い出されたのだ。


 本当ならば、最初の礫はアウルスを完全に吹き飛ばす軌道で飛んでいた。


 そこで、アウルスを案内していた探索者が咄嗟の判断で突き飛ばしたおかげで、潰れたのが片目と片腕だけで済んだ訳だ。


 「君、名は?」


 「カヴァラのカッシウスですが……それより、早く中庭に! 治療を!!」


 「あー……良い名だー」


 リウィアに担がれて――あろうことか、御姫様だっこだ――救護所となっている中庭に運ばれながら、探索者の名を聞いてアウルスは全く関係のない名案を思いついていた。


 カッシウス。帝国ではよくある名前だが、奇遇なことに前世地球にて、とある有名人と名前が同じなのだ。


 ガイウス・カッシウス・ロンギヌス。帝政の芽ハゲの女たらしと、彼の後継者に完全なるトドメを刺し損ねた男達の一人。アウルスの家がカエサル家なので、何ともまぁ奇遇な差配ではないか。


 そして、その名は手に入れたるならば世界を制すると言われる、真偽定かなる散逸した聖遺物、百人長ロンギヌスの槍の担い手に通じる。


 「ロンギヌス銃、あるいはロンギヌスの槍とか超格好良いよなー……使わせてもらおー」


 「急いでお運びください! しかし、揺らさず!! 譫言が始まっています! いそいで落ち着いた場所で治療しないと!!」


 「む、難しい注文をしれっとしないでください!!」


 リウィアに担がれ、ギルデリースに診られながら中庭に運ばれるアウルス。かなり安易な思いつきであったが、少なくともカエサル銃よりは語感もよかろうなんて思い、一人で悦に入る彼は即座に治療が施された。


 ただ、ロンギヌスという家名は帝国にて珍しくはないので、どう理屈づけるつもりなのであろうか。


 「よかった、理力の扱いをお教えしていて……アウルス様自身が出血を防いでいなければ、疾うに亡くなっておいででした」


 野戦病院そのものの一画で組合の衛生兵ではなく――ベリルが指導した近代式の治療を行う探索者――理力の民が全力で治療に掛かったアウルスは、重篤な状態ではあるが死にはしないとの診断を下される。


 彼が負傷事の初期対応にしくじらなかったからだ。自身の肉体を操作して出血を止めていなければ、右腕を丸ごと失う傷は出血性のショック死を引き起こしてもおかしくなかった。


 右目からも僅かずつに出血しているので、パニックを起こしていたら今頃、彼の顔色は真っ白になって、安置する場所が救護所から墓穴に変わっていただろう。


 「理力を回して、賦活させます。血を造る機能を強化すればなんとか……」


 そして、この場にギルデリースがいるのは、正に幾つか目の剛運であった。


 他人の肉体を理力で治すのは、非情に困難が伴う。理力同士の波長が親和しなければ、逆に合わない理力によって傷付けることになるのだが、彼女は幸いにもアウルスと一つの行為を行っている。


 彼が理力に目覚める手助けとして、最初に理力を通したのだ。


 これにより、アウルスの理力は僅かにだがギルデリースと調和し、似た波長を発するようになっていた。


 原理としては造血幹細胞の移植に近い。生まれてから一切変わることのない血液型と同じく、理力も特別なことがなければ性質は変わらないのだが、唯一の例外が目覚めを促すことである。


 故にギルデリースの練る理力式であれば、他の理力の民よりも確実性も安全性も高く治療が施すことが可能だった。


 当人が理屈を聞いたら、そんなご都合主義ってある? と愕然としただろうが、起こっていることは起こっているので仕方がない。文句を言うとするならば、それは天上に坐す運命の神とやらに上申するしかない。


 だが、たとえ苦情を上げたところで、彼の神はニヤッと笑うだろう。こっちのが映えるだろ? などとしたり顔で。


 「目は!? 目や腕を治すことはできないのですか!?」


 「さ、流石にっ、そこっ、まで、は……綺麗なっ、断面ならっ、な、何とかなったかもしれまっ、ませんが……というっか、どなたか、存じませんが、揺らさないっ、で、くださいますか!?」


 がっくんがっくん竜鱗人の慮外の腕力で揺さぶられる理力の民は悲鳴を上げかけたが、傷口に触れることで繋がる理力の同調だけは切らなかった。


 少しずつ顔色に赤みが戻ってくるアウルスであったが、如何に理力が世界をねじ曲げる力があるとしても〝もともとそういう構造〟ではない霊猿人の四肢や感覚器を再建することは、現時点では不可能である。


 元の損傷が浅ければ接続もできたろうが、こうも酷い傷口では塞ぐのが限界だ。


 むしろ、内臓だろうと何だろうと、ぶっ壊れた端から癒やすことが許されている竜鱗人が人類の中でも規格外なのだ。脳さえ無事なら、自前の〝理力代謝〟で賦活できるなど、理力の民でも一握りを更に篩いにかけているかどうかという領域。


 伏し目の令嬢が高位の術者であることを自負していても、気軽に頼まれては困る。


 それより誰だよお前は、と睨み合う二人であったが、どう仲裁して自己紹介の時間を設けるかと悩んでいたバグバドグルズは、ふと一時の静けさを取り戻した戦場にて耳朶を打つ、奇妙な音に顔を上げた。


 「遠雷……?」


 呟いてから、直ぐに否定する。今宵は雲が幾らか出ているが、落雷が起こるような天候ではない。天文に通ずることは自然と気象予報にも通じることになるので、その手の知識は理力の民の得手とする分野でもある。


 また、音が届くような範囲でも落雷は起こっていないだろう。火災も積雲を生むような規模には至っていないので、否定要素が勝る。


 しかしながら、遠方から轟く木霊は何なのか。


 答えは直ぐに帰ってきた。再び走狗の噴出を始めた迷宮に立ち向かおうと、再編成を行っていた探索者達が喝采を上げたから。


 三階の大打撃を受けて、英雄的に鼓舞していたアウルスが退いたことで幾らか士気に陰りが見えた彼等の歓喜は、消えかけた焚火に油が注がれたかのような勢い。


 「軍旗だ! 軍旗が見える!!」


 悦びの声は南から湧いてきた。伝播していく歓声は、増援の到来を源とした。


 敵は減っても見張りを絶やさなかった、三階南側廊下の探索者が最も早くそれに気付いた。


 力強い太鼓の音を伴奏に響き渡る銃火の旋律。そは盾によって成る壁の行進曲。


 帝国軍団兵の基本技能、テストゥドによる進軍だ。


 側面と上面に盾を重ねる亀甲のような縦列は、投射武器による攻撃から兵士を守り、安全に白兵戦距離に肉薄するべく考案された。戦の前哨戦は決まって遠隔武器の応酬であるため、敵陣を粉砕するべく洗練されていった歩兵戦術が最高峰の一つ。


 しかし、常と違う部分がある。盾の合間合間より筒が伸びているのだ。


 俄拵えながら、長角盾の右側面を一部半円形に削いだ部位に据えられた銃だ。


 縦列は敵が近づくに従って斉射して前衛を蹴散らし、余裕があれば後陣の者達が銃を交換して装填を担い、あるいは側面路地から敵が来れば掲げた盾を下ろして即座に突撃破砕射撃を実行する。


 それでも弾の雨を掻い潜ってきた敵は盾で受け止められ、着剣した筒先にてお出迎えを受ける。


 最後に直近の敵が排除されたならば、亀甲陣は盾を置いて銃列となり、先頭から順に撃った後にしゃがんで、次の射手が撃つという美事な弾幕で一軍を掃討するのだ。


 来援前から走狗の多彩な色合いを見せる血で極彩色に彩られた軍団は、大路に敷かれた血の絨毯を更に分厚くさせながら、僅かに残った走狗をあっと言う間に鏖殺してみせた。


 「……勝手口を、開け……」


 「アウルス様、まだ喋らないでください! 傷が……」


 「急ぎ、迎え、入れるのだ……はは、来たぞ、来た。ここでトップ解決だ……ざまぁ……見やがれ……私の右手力も……馬鹿にした……もんじゃねぇな……」


 詳細な報告などなくとも、アウルスには鳴り響く銃声の合唱は福音に他ならない。貧血で薄れ掛かった意識の中でも、間違えるはずがあるものか。


 カリスが来たのだ。隊伍を率いて、銃を携え、万難を火薬と鉛で吹き飛ばして助けに来た。元々強大だった戦力を肥大化させて、リーサルを運んできてくれた。


 想定よりかなり早い来援に、やはり私の友人達は良い仕事をするとAは傷を忘れたように大声で笑った…………。  






【あとがき兼補記】

 感想、レビューなど大変励みになっております。ひともすなるコンテストいふものわれも参加してみむとするなり、と冗談はさておき、コンテストに参加しておりますので、よければ星評価などしてやってください。


 それと、ちょっとTCG用語で小ネタを沢山入れているので、どの程度通じているのだろうと不安になったので、補記をいれておきます。身内ネタなどは除外するように気を付けているのですが、狭い界隈でだけ通じている半身内ネタみたいな単語も混じっているのでは、という懸念が消せなくてですね。


 トップ解決。デッキから1枚捲ったカードが偶然、相手の王手リーサルを覆せる物だという幸運な現象。大抵のTCGは手札を枯らさせること0枚にするはできても、ドローは邪魔できないような構造になっているため、どれだけ盤面を整えたり、妨害を用意したりしても手札を引いて解決されてしまう不条理が起こる。

 まぁ、その不確定性による一発逆転が起こるからこそTCGは面白いのだが、逆に王手をかけた盤面をこれで覆されると「もう坊主めくりでもやってろ」と言いたくなるので、まこと自分の幸運と他人の幸運は不釣り合いなものである。


 右手力。運という言葉をTCG風に言い直した物。人類には右利きが多いので、多くのTCGフォーマットでは自分の右側に山札を置くようになっており、同時に近い方の手で引くこともあって、一部界隈ではドローが剛運であることを右手の力が強いだのと狂言めいた表現をする。また、とある日本一売れているTCGに準えてディスティニードローなどと言われるが、アニメの演出で大抵ドローする手が光っているので、引きが良い時に「右手ピッカピカやぞ!」ということもある。


 尚、これらの補記は全て筆者の身近な界隈だけでの“方言”である可能性も高いので、普遍的事実ではないことを添えておく。

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