帝国歴741年 初頭 今引き解決
ベリル工房は帝都まで馬で数日という距離だが、それは一頭の馬を休ませて普通に歩いた際の距離であり、空馬まで連れて、疲れた個体は離してでも入れ替え馬車を全力疾走させれば数刻で辿り着くこともできる。
無論、普通の馬車では不可能だ。しかし、ベリルが荷運び用に造った馬車は違う。
丁寧に舗装された街道の上なら、高性能なタイヤやサスペンションを装備した新型馬車は、既存の速度概念を置き去りにする。馬も二頭引き用の首当てや胸当てのついた最新型馬具の効果で疲労が少なく済み、走行時間と速度が増したため夕刻に工房を出て、夜に帝都へ辿り着くという離れ業ができるのだ。
「畜生、避難民が増えてるな……早く出て良かったぜ。あと一刻遅かったら、人に道を塞がれて帝都には着けなかったろうな」
馬車の屋根で胡座を組んだベリルは、荷物を背負って街道を逃げていく人々を見てぼやいた。
帝都から人が逃げるということは、余程の事態に他ならぬ。火事が起これば野次馬に行くような市民や住民が、態々担げる限りの荷物を背負い、大八車に家財を満載にして逃げるなど普通の事態ではない。
迷宮はアウルスの危惧通り溢れたのだ。そして、混乱により火事が起こり、間近に迫った街が赤々と照らされているのが分かる。
夜に灯される篝火ではない。避難するにあたって処理されなかった火が燃え移り、火事になっているのだ。
「
「馬鹿野郎! よく見える所にいねぇと咄嗟の判断ができねぇだろ!」
「御者席でよくないですか!?」
「よくねぇ!!」
御者をやっている職工の怒鳴り声に怒鳴り返すと――走行音のせいで怒鳴らねば届かないのだ――ベリルはどうしたもんかと思案した。
思い立って持てる物を持って出て来たはいいが、些か遅きに失した感がある。
帝都郊外でこれだけ人が逃げているなら、市内は凄まじい混乱に見舞われていることであろう。少なくとも大路を突っ切って最短経路でカリスの中隊がいる場所には向かえない。
かといって、あの無駄にデカい都市を大回りすると、甘く見積もっても二刻は余計に時間が掛かる。
しかもだ……。
「御姫様! 何か前に立ちはだかって止めようとしてる馬鹿いませんか!?」
「逃げる足欲しさの馬鹿貴族だ! 蹴散らせ!!」
「ええ!?」
こういう手合いまでいるので、どうにもやりづらい。より遠くへ逃げようとして、快速の馬車を捕まえたいのは分かるが、ベリルにはより大切な用事があるのだ。
「おい! 止まれ! 私は……おわぁ!?」
さりとて、どんな阿呆でも全身から汗を掻きながら必死に走る馬の前に立つのは怖い。ついでに立ちはだかられても御者が命令に忠実で、一切速度を緩めようとしないのだ。
保身に走ろうとした、身なりのいい男は跳ねられる寸前に避けたものの、盛大に街道脇の泥に顔から突っ込んで悶えていた。
後ろからどこそこ氏族の高名な~などと喚いているが、ベリルは一切を無視した。
足を寄越せと喚く金持ちも貴族も、ドサクサ紛れに物資を接収しようとする兵士も全て気にせず蹴散らしてきたのだ。今更、デヴォン氏族宛に届く苦情が一件や二件増えたところで誤差に過ぎぬ。
それよりも早く、早くカリスの元へ行かねば……。
「おおい、そこの馬車! 止まれ!!」
もう直、帝都に入るといったところで一騎の騎兵が駆け寄ってきた。また邪魔が入るのかと、ベリルが懐に手をやりかけたところ、その騎兵は併走しながら思わぬことを言った。
「ベリル工房の馬車とお見受けする!! 私はカリス様の中隊麾下の百人長だ!! 止まられよ!! 伝言がある!!」
「あぁん!? くそっ、停止!!」
「あいよ!!」
馬車の手綱を軽く引いて減速させつつ、御者は傍らのレバーを倒した。車輪に備えたブレーキを効かせることで、ただ馬を減速させるより早く安全に止める機構である。
とはいえ、これも結構加減が難しい。強くかけ過ぎると馬が引っ張られて怪我をするし、かといって弱すぎると追突するので慣れていないと事故るのだ。
ベリルは慣性に引かれて一瞬屋根から放り出されかけ、一瞬前世の死因であった車での事故死というトラウマが脳裏を過るが、縁を掴むことで転落死を免れた。
「バーロォ! もちっとゆっくり止まれや!! 一瞬冥府が見えたぞ!?」
「だから危ねぇつったんですよぉ!!」
まぁ、人類の中でかなり頑丈な鉄洞人なので、仮に落ちても車輪や後続に巻き込まれなければ死にはしなかったろうが、それでも怖い物は怖かったようだ。カリスの中隊から派遣されてきた斥候は、馬を宥めながら「なんか余裕だなコイツら」と一瞬呆れる。
「で、カリス様の遣いってのは……」
「我等は市中を分散して進軍し、ここから少し行った場所で再集結している! 今は街道毎に見張りを置いて、貴工房に向かおうとしていたところだったが……」
「っしゃぁ! カンドラ乗って、ついでに裏ドラ乗ったぁ!!」
「は? 今何と?」
ベリルは望外の幸運に大きくガッツポーズを取った。思わず日本語で叫ぶほど、状況がクリティカルに動く。
カリスが直ぐそこまで来ているのだ。
低地巨人は運命を硬貨に託して、討って出ることにした。言うまでもなく独断専行だが、軍紀を守ってウジウジしてた結果、護るべき帝都が落ちましたでは洒落にならぬ。それこそ鍍金でも施した案山子なりを立てていた方が、人件費が要らぬ分マシだと罵倒されよう。
現場レベルでの軍事ほどアドリブが必要な案件もこの世にあるまい。前線と司令部が無線で直結されていない時代なら尚のこと。
帝国における中隊は、戦略的な最小単位たる大隊の管理補助をするために作られた制度であり、小隊ほど臨機応変に動けないし、かといって大隊ほどの権限もない。
だが、時に百人がいるかいないかというのは戦局を大きく左右する。都市防衛戦であるならば、勝敗を決するほどに大きな単位だ。
会議が踊っている間に精兵130人を遊ばせておいては、勝てる物も勝てぬ。
そして、ちょっと死ぬ気で兵隊を走らせたら、次の朝日が昇るくらいには〝秘密兵器〟が取りに行ける位置にいる。
なのでアウルスが持ちこたえてくれることを信じ、カリスは帝国勇猛社には向かわず、隊を分散して駐屯地を脱した。
あまりに大多数で動いていると帝都内では却って動きづらいし、何処かの部隊に見つかって臨時編成などされては堪らないからだ。これから走狗と度付き合うというのに、同じ帝国軍同士で喧嘩している余裕などない。
兵士達には皆、何を言われても「元老院からの密命がある!」と強弁するように伝えていたため、奇跡的に落伍した兵員は発生していない。全て彼女が熱心に鍛え上げ、帝都内の地理を一兵卒に至るまで完璧に仕込み、分散行軍の調練を徹底していた成果である。
速度重視で帝都を南に突っ切ったカリスは、そこから定石通りに斥候を放ち街道を見張りながら工房を目指そうとする。
喧嘩っ早いベリルの下へも情報が行っていることは確実なので、行き違いになっては本末転倒もいいところだから。
友人の性格をよく分かっているカリスの予想は嵌まったようで、斯くして理論上は最も早く銃と兵隊が一所に揃った。
Aがガバ運を引かされている代わりに、BとCの方に剛運が偏ったのだろう。デメリットを押しつける戦術を敵が取ったが、不思議と自分のデッキの運用と噛み合って、いわゆる友情コンボを成立させてしまったようなものだ。
「カリス!!」
「ベリル!!」
身長差が倍どころでは済まない親友同士は、お互いの最善と幸運を喜んで抱き合った。
「ぐぇ、潰れっ、いでで! 死ぬ! 骨格が歪む!!」
「あ、ごめ、まだ力加減慣れてなくって……参るわよね、こないだ被ろうとした兜潰しちゃって」
が、直後、幸運が潰れかけた。物理的に
「うっかりで一抜けさせられて堪るかボケカスゥ!!」
「仕方ないでしょぉ!? このバフ恒常性なんですもの!! やりづらいったらありゃしない!!」
日本語で交わされるやりとりを見て、工房の職員と兵士はハラハラさせられた。急に外国語でしゃべり出した意味が分からないし――帝国では、富裕層は三カ国語くらい喋れるのが普通だとしても――あわや殺人事件の現場を目撃しかけたからだ。
しかも、明らかに雰囲気が拙い。二人の間に満ちる空気と言うよりも、二人が出会うことによって場全体の空気が酷い剣呑さを帯びた気がするのだ。
命に関わることに疑いはない。その空気自体は最初から帝都に満ち満ちていたが、兵士にも職工にもイマイチ言語化が難しい、首筋がぶわりと粟立つような危なさを感じるのだ。
何かこう、自分達が取り返しの付かない場面にて、重要な役割を担わされているような。歴史の岐路を前にさせられていることで発する、異様な気配を兵士の感覚が敏感に感じ取っていたのだ。
「で、大荷物抱えてきたってことは」
「ああ、持って来たぜ。200挺、銃剣もセット。弾は20,000発ちょいしか用意できなかったけどな」
「逆によくそれだけ用意できたわね……手工業的なやり方で」
「無心で作業したらあっちゅう間だぜ。でも、分配すると一人頭たった200発だ。いけるか?」
「十分。それ以上だと重荷になるから、かまわないわ」
大舞台に立つ役者や演奏家、巨大なプロジェクトの進行役になった人間ならば、分かるかも知れない空気。
今から、歴史が変わるという確かな臭いが彼等の魂を擽っていた。
「本当はもう10,000発は欲しかったんだがな。勇猛社の備蓄も同じくらい作っときたかったんだが……よもや、こんなに早く出番が来るとはな」
「銃の方が余るくらいね……けど、火薬の問題で銃身寿命が短いんだっけ?」
「ダブルベースだから初速とガス圧が高すぎてな。精度を保証できるのは1,000発くらいまでかな。撃てるだけなら……まぁ、安全幅を見て2,000ってとこかな」
「下手すると会戦二回とかで銃身が消耗しちゃうわけ? 防衛省と経済省だったら、絶対に首を縦に振らなそうね……トライアルからやり直せって」
「うるへぇ、アセトンがねぇんだ我慢しろ。弾が出て硝煙が出ねぇだけ上等だろうが」
バキリと音を立てて、態々釘まで打って封印していた箱が開かれた音が嫌に大きく響き渡る。
あるいは、ただ蓋が開いた音ではなく、歴史を回している歯車が切り替わった音でもあるからか。
「ま、そうね……中隊、傾注!!」
箱の中から、錆止めのためおがくずに包まれた銃を取りだしたカリスは、中隊員達に盾を置いて一人ずつ取るように命じた。
銃の次にはスリングと弾丸、チェストリグに吊すことができる弾薬盒。そして銃剣が配られる。
「そうね、五人ほど前に。今から操作を教える」
「あ、あの中隊長、なんで急場にこんな物を?」
「投げ槍や短弓よりずっといい武器を用意してやったのよ。見えない槍……戦場を変える、最新の概念」
言われるがままにさして複雑でもない操作を教わり、確実に熟した五人は横列を組むことを命じられる。
「そうね、目当ては……ああ、丁度良い。あれを見なさい」
集結地の近くで一代の荷車が擱座していた。大量の家財が詰まれている上、大型の金庫まで乗せたせいで可搬重量を大きく超えてしまったせいだろう。
言われるがままに簡単な講習を受けた兵士達は、銃弾を装填し狙いを捨てられた荷車に向けた。
そして重なる五つの銃声。野外であっても耳を劈く音は、兜を被っている兵士達であっても尚耳が痛むほど。
同時に、分厚い金庫を銃弾が貫通したことが彼等の度肝を抜いた。
「ま、迷宮の産物でだけ作れる秘密兵器ってところね……ご覧なさいな、立派な金庫が50歩調先からでも貫かれたわ」
三人がかりでやっと持ち上げられそうな金庫を、あろうことか片手で掴み上げてからブン投げたカリスの方に驚きが上塗りされながらも、兵士達は改めて自分達に配られた得物の威力に感嘆した。
鎧の何倍も分厚い装甲が抉られている。生き物であれば、耐えられる方が摂理に反しているだろうと確信できる異様な火力。
「総員、ちょっくらこれ担いで帝都を救いに行くわよ」
「「「おぉぉぉ!!」」」
何だか凄いことが起きている、というフワッとした興奮は熱された油のようなもので、ちょっとした火花があればあっと言う間に燃え広がる。
兵士達は喜び勇んで銃を取り、最初に使い方を教わった五人から順繰りに操作法を習っていった。
斯くして尤も教練の容易い武器が兵士に渡り、戦列兵は銃兵へと姿を変える。
単発式なれど高火力、高精度の小銃。銃剣を付ければ手槍より幾分か短いが、剣より頼もしい近接戦闘オプションにもなるのだ。
「……ベリル?」
中隊が現時点で最も洗練された暴力装置へと変貌していく中、鉄洞人が引き揚げようとしていることにカリスは気付いた。
「俺が活躍できる場面は終わっただろ。俄仕込みの職工が着いてったって、大した戦力にはなれねぇ。むしろ、統制を乱すだろ」
「何処に行くのよ」
「帰る。んで、次の手を打つ」
「……迫撃砲でも用意してくれるのかしら?」
「阿呆、政権は銃口から生まれるなんて古くさい道理でやる予定じゃなかったろ。毛沢東語録でも読んだか?」
一瞬カリスは意図を読み損なったが、ベリルが懐から取りだした物を見て、この悪辣な職人が何を考えているか察した。
手にしているのはカードだ。版画と〝初歩的な活版印刷〟によって作られる遊具は、何も金を稼ぐためだけに作ったのではない。
「いいの? それ、世間だと飛ばし記事って言わない?」
「馬鹿言え、飛ばしなもんかよ。負けやしねぇだろ、お前も、アイツも」
「……はぁ、友人からの期待が重いわねぇ」
Bが軽い越権行為をやろうとしているが――政治的な影響が多い“
少なくとも、自分も絶賛軍紀違反中だ。友人にデカい口を叩けはしない。
「ま、戦争処女が一人増えたところで大した戦力にはならないものね」
「うるへー、テメーだって会戦では処女だろうよ」
「あら、男の理想でしょ? 処女の癖して床上手。あたし、今晩は誰より上手く腰を振ってやるつもりよ?」
下品な酔漢でもたじろぐような下ネタを返して、カリスは悠々と配下の下へ戻っていった。
ベリルもまた、別の兵器を作るため帰っていく。折角来たのにとんぼ返りかよと職工達は辟易しているようだが、戻ったら戻ったで夜っぴいて働かされることになるため、こんなものは序の口だ。
序盤は終わりつつある。各々、戦場を彩る手札は出し尽くした。
後は運命、進行形で引いていく札次第。
巨大な戦力が今、混迷に燃える帝都へ叩き付けられようとしていた…………。
【あとがき】
いつもコメント、評価などありがとうございます。
あまりにも遅い山場なので、反応などいただけると今後に反映できるので、とても助かります。あと作者のやる気がでます。
今後とも何卒よろしくお願いいたします。
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