帝国歴741年 初頭 号砲

 夕刻間際、帝都の丘に沈む夕日が被ろうとしている中、決定的な破綻が遂に訪れた。


 皇帝のコブに蓋をしていた砦の門が内から開かれたのだ。


 まず、溢れ出したのは敗残兵達。砦の中で抵抗を続けたが、無尽の勢いで吐き出される走狗に戦力を削られ続け、遂には耐えきれなくなったのだろう。


 「弓手衆! 前に!!」


 アウルスは三階の廊下にいた。自分の許可があるまで矢の一発、石礫の一つも放つなと厳命していたからだ。


 「まだ引くなよ! 腕が疲れるからな!!」


 指揮官として、戦を始める号令くらいは掛けねば格好が付かぬ。あとは指揮所に籠もって伝令からの情報を受け取りつつ、適宜部隊の再配置を行うが、何時だって火蓋を切って落とすのは責任者でなくてはならぬ。


 「アウルス様! 兵共がこちらに逃げてきますが……」


 「無視しろ。もう出入り口は全て塞いだ。助ける術はない」


 無慈悲ではあるものの、致し方ない。帝都に災いを溢れさせぬため、限界まで頑張った彼等には悪いが、入り口は封鎖しているので招き入れる術はない。三階から綱を下ろしたところで、帝国兵の重装備では真面に登攀などできまいて。


 助けてくれ! という悲鳴は三階まで聞こえてきたが、最早彼等にしてやれることはない。一階の指揮を任せているブレンヌスには、バリケードを壊してでも入ろうとする者は斬れと命じてあった。


 「銃兵、初弾装填! 筒先は上に! 引き金に指はかけるなよ!!」


 窓際に備えた弓手衆から一歩引いた場所に銃兵が控えていた。ギリギリまで装填するなと命じていたため、若き社長からの指示を受けてやっと、彼等は銃に弾を込める。


 「……来るぞ」


 数十名の帝国兵が門から逃げた後、微かな間を開けて地獄が溢れた。


 大量の走狗が一斉に門から溢れ出したのだ。


 第一層でも数が多い緑皮人を意図的に醜悪に貶めたような醜形小人デーフォルミスプーミリオ。疥癬まみれの痩せ犬にも似た害意狂犬ノクサラビトゥス。その他、ゴムの元となるラナフェクトムなど多数の走狗が波濤の如く大路へ押し寄せる。


 「北面弓手! 構え!!」


 号令と共に機械弓を手にした者達が矢を引き絞る。脅え交じりの殺意を鏃に乗せて放つべく、弦がビンと張り詰めた。


 「目当て付け!!」


 号令は階段付近に陣取った耳の良い伝令を介し、伝言ゲーム式に二階や一階へも届けられる。全ての階で戦闘配置についた探索者が遠隔武器を構える。


 「……撃て!! 三連射!!」


 アウルスは、予め皇帝のコブと会館の間に幾本か立たせた柱の内、最も要塞側に近い地点を走狗達が通り過ぎるのを見て発射を命じた。


 目標を指示し、同時に必中の距離に敵が入ったことを視覚的に分かりやすくするよう、会館から50歩調毎に印として立てて置いたのだ。


 怒号と共に腕が振り下ろされると、弦が指から放れ、矢が秒速60m/s近い速度で虚空を駆けた。三階での発射を感じ取った二階と一階でも矢が放たれ、100本以上の軌跡が夕映えの中を舞う。


 それでも、最も遠い杭まで200歩調。命中までには三秒以上かかる。


 重く太い矢柄と鋳鉄の鏃を使った矢は、狙いなど付けずとも必ず走狗の何処かに当たった。


 ただ、全力で走る走狗に精密な狙いを付けるのは難しい。水平射に近い一階の弓兵は多くを急所に当てて倒したが、二階や三階から放たれたそれは、大半が勢いに任せて突進する走狗の一体か二体分かは奥に当たる。


 迷宮という閉鎖空間で戦うことが常である探索者達は、手前方向への偏差射撃という技能を持たぬ故に致し方ない。


 三度続けて放たれた矢の内、一撃で走狗を殺傷せしめたのは三分の一にも満たない。倒れた同胞を全く構わず走狗は乗り越え、また腕や足、腹などの即死しない部分に被弾した個体も、損傷など一切気にせず突っ込んでくる。


 「一階と二階は任意射撃に移れ! 三階、銃兵、前へ!」


 驟雨もかくやの矢を浴びて尚も怯まぬ走狗の群れに探索者達がたじろいだが、アウルスは混乱が起こるより先に銃兵と弓兵の場所を入れ替えさせる。


 「構え!! 中間の柱で目当てを付けろ!」


 柱は最遠の位置で200歩調で、それから会館までに50歩調ごとに立たせてある。最初の照準に使わせた物は、既に走狗の勢いに負けて傾いでいるが――突貫工事にしても、急がせすぎたか――100歩調にはまだ先頭も達していない。


 「まだだ、まだ、よく引き付けろ。引き金には、まだ指をかけるなよ」


 銃を構えた探索者や落後兵、それと近場から引っ張ってきた軍役経験者は窓の縁に銃身を乗せて狙いを安定させ、教えられた通りに照門と照星を走狗に重ねる。


 狙いはできるだけ大型の異形だ。蛙と鰐を足して二で割り損ねたようなラナフェクトムや、個体差がある中でも大きいノクサラビトゥスは、矢を数本体に突き刺したままでも平気で走り回るし、他の雑兵でも当たり所が良ければ這いながらでも向かってくるからだ。


 「……撃て!!」


 テルースにて初めて、小銃の斉射を命じる号令は、感慨も何もなく多重の轟音に掻き消された。


 まぁ、言ってはなんだが当然のことである。窓は開いていても室内で、しかも口径と装薬量の多い銃を100挺からぶっ放したのだ。発泡ゴム製の遮音性が低い――号令が聞こえなくては意味がないからだ――耳栓をしただけの銃兵達は、先にアウルスが試射したことで音の大きさは分かっていても、驚きのあまり銃を落としかける者さえいた。


 「っ……怯むな! 見ろ!!」


 音の大きさが脳を揺さぶる衝撃も大きかったが、次に視覚的に飛び込んでくる衝撃も凄まじい物となる。


 潮もかくやに寄せてくる走狗の一団が、矢の斉射よりも格段に多く倒れたのだ。同時に多数の走狗が〝即死〟して頽れたのに後続も巻き込まれ、味方の死体に足を取られて転んでいるという有様。


 「大戦果だ!」


 「お、おぉ……!!」


 猪や熊のトドメ刺しにも使われるような大口径8mm弾なのだ。体の何処かに当たれば、必ず死ぬ。手足であっても千切れ跳び、強烈な衝撃波が傷口から体内に伝わり内臓を掻き混ぜる。掠っただけでも肉が抉れ、貫通した弾丸でさえ殺傷力を保っているのだから、殺意に突き動かされて突っ込んでくるだけの走狗には覿面に効く。


 動物的な〝生きる〟という本能を捨てて殺戮に特化させた、文字通り使い捨ての駒が相手だ。死を恐れず突っ込んでくるというのは恐ろしいが、学習することのない、刻み込まれた衝動によってのみ動く走狗にとって、初見の武器は恐ろしいまでの効果を発揮した。


 「再装填! 慌てず、慎重にやれ!!」


 一撃で先頭集団が崩れるような打撃だったので、人間相手なら指揮統制の破壊さえ適う一撃であったが、まだ足りない。倒れた敵も正面だけなので、突撃の勢いは弱まってもまだ止まらぬ。


 アウルスは直ぐにでも撃てと命じたかったが、心を炙られるような時間を唾を飲み込んで耐えた。急かして装填を失敗させたくなかったのだ。


 「……よし、撃て!!」


 続いての斉射で、頽れる亡骸の量は更に増えた。不発率は何とも凄まじいことに絶無で、一塊の群れに見える敵相手に撃てば何処かで必ず倒れる。


 三度続けば正面の勢いは明白に落ち、四度となると斉射が行われた一角の進撃が完全に止まった。


 「アウルス様、そろそろ……」


 「分かった。銃兵、一旦下がれ! 弾は貴重だ! 大物相手に取っておけ!!」


 「「「応!!」」」


 一人あたりの分配数は僅か25発。丁寧に使っても、全力射撃を続けさせれば四半刻と保たず枯渇する。


 先ずは、敵の衝撃力を殺せただけで十分。


 「私は司令室に下がるが、必要とあれば戻る! 皆、意気を高くもて! 我等が殺戮の腕前は、外神の走狗共に劣らぬと知ったろう!!」


 アウルスは二階の司令室に引きながら、状況は思ったより悪くないと考える。


 まず、飛行型の走狗が少ない。ヤツメウナギのような吸盤状の口に牙がびっしり生えた頭を持つ蝙蝠めいた物が、二層に沸いて厄介だと聞いていたが、今の所それらが雲霞の如く飛び込んでくる様子はなかった。


 屋上を守り切れないだろうと思って、入り口を完全に封鎖したのは早計であったろうか?


 「投擲よぉい!!」


 いや、備えに備えて悪いことはないと自分に言い聞かせつつ、二階を任せている組頭が――カリスの中隊から派遣されていた護衛だ――第二の秘密兵器を使い始めたのをアウルスは察する。


 二階はカリスに扱かれている帝国兵に指揮を任せているので、かなり気が楽だ。軍隊としての戦い方を仕込まれている人間がいるかいないかでは、勝手が随分と違う。


 札を切るタイミングを任意に判断しろと命じておけば、ちゃんと使い時に使ってくれる配下のなんと楽なことか。


 「投げろ!!」


 走狗の吠え声や探索者が自身を鼓舞するべく挙げている鬨の声に掻き消されているが、僅かな後に耳を劈く断末魔が混声合唱を始めたので、効果はあったのだろう。


 屋上で夜会を催すのに備え、篝火を煌々と焚くため大量に備蓄してあった油が良く効いたようだ。雑多な素焼きの容れ物に油を惜しまず注ぎ、調理場にあった〝ゼラチン〟を混ぜた、簡易ナパームは盛大に走狗を元いた地獄へとたたき返してくれる。


 オリーブや穀物油が原料なので、ナフサを使った本物のナパームよりは火力も持続時間も劣ろうが、適当な容れ物に燃えた布を突っ込むだけで大群を効率的に始末できる武器を咄嗟に思い出せたのは、アウルスにとって幸運だった。


 発火温度が低い油でも“理力”によって変質させてやれば、全く簡単に敵を火葬場へご案内してくれるのだから、費用対効果の何と優れたることか。


 それに、帝都は火事が多い街なので外壁に不燃素材を塗るなどして、防火対策が行き届いた会館に延焼しないのも最高だ。敵だけは燃えて、自分達は大丈夫。


 何処かの魔王が敵を取り込めて火に巻くのは気分が良いと言っていたが、全くその通りだなとアウルスは同意した。


 「攻勢圧が思ったよりも弱いな……近場の最大戦力を攻撃するだけじゃないのか」


 指揮所に戻り、各方面から届く報告を聞いたところ、走狗は一斉に帝国勇猛社社屋にのみ襲いかかっているのではなく、門から噴出する端から大きく三方向に分かれて進んでいることが分かった。


 恐らく曖昧な指示を与えられているのだろう。手近な者は取りあえず殺せるだけ殺し、焼ける物は焼けるだけ焼けといった、具体性のないものが。


 それ故に引き籠もっているだけの社屋にかなりの走狗が無意味に死にながら突撃しつつ、溢れた個体が市中へ散ろうとしている。


 「……我々への嫌がらせだな、これは。帝都を焼いて、国家機能を麻痺させるつもりか」


 しかし、悪くないとアウルスは拳を握った。


 かなりの数が帝国勇猛社に誘引されているならば、帝都を破壊するため散った走狗は必然的に減る。しかも、こんな俄拵えの要塞でさえ一揉みに蹴散らせないでいるのだ。蓋を護っていた大隊は、本当にギリギリまで街のために頑張ったのだろう。


 「ここで我々が踏ん張れば踏ん張るだけ、帝都は焼けずに済む……迷宮破却の必要性を説く理由にもなる」


 そして、第Ⅰ軍団は蓋を塞ぎにはいけていないにしても、富裕層を護るため市内には幾らか展開していよう。少なくともカリスの父、ルカスが預かっている大隊は迷宮氾濫の報せが来たなら、直ぐアルトリウス氏族を守りに出ているはずだ。


 同じように主家の意向で動く大隊や中隊が散っているなら、120年前のようなことにはなるまい。軽い被害で終わるとは言い難いが、帝都半壊からの地方における規律が緩み、属州が春の反乱祭りとはならないであろう。


 120年前は本当に酷かったそうだ。帝都が焼けたのは勿論だが、これは好機と思った属州総督やら現地民やらが盛大に蜂起して、鎮圧に全部で30年以上を要したと記録にある。


 上手いこと行けば、面従腹背の慌てん坊を炙り出して、何処かの属州総督が空席になるやもしれん。


 アウルスがそこに収まろうというのではない。兄プリムスは順当にいけば父のコーニュコピア属州を世襲するだろうから、適当に仲が良い家を強力にプッシュして恩を売るのだ。


 「……皮算用が過ぎるか。そもそも、生きて帰れるかもまだ分からんのに」


 こんな時にも政治的な考えが頭から抜けぬと笑った社長の下に朗報が齎された。


 「一階で複数の蹂躙衝角ルイノサラスを撃破する大戦果がありました! 死体の壁を掃除しようと突貫してきたものを、ブレンヌス殿配下の銃兵隊が美事に粉砕した模様!!」


 「よぉし! いいぞ! 四層の化物も対応できたか! 大金星だ! 全員に金貨を三枚くれてやると伝えてこい!!」


 「承知!!」


 敵が平押しで解決しようとしてきた弊害が出て来た。死んだ自分達の走狗が邪魔で、熊虫と犀の合いの子を複数繰り出して、会館を破壊するがてら掃除したかったようだが、こうも簡単に突撃破砕射撃にて粉砕されるとは思うまい。遭遇数からして、雑兵と違って沸かせられる数も多くはなかろうて。


 「ふふ、地上げ屋め、裏目を引いたな。四層を抜かれて、焦りすぎだ」


 カリス達に聖痕が与えられたことと、迷宮の構造から何らかのレギュレーションがあることは明白だ。そして、氾濫を起こすのにも今まで地上げで奪ってきた熱量を消費するなり、回数制限があるなりの代償があるのだろう。


 然もなければ、こんな世界有数の人口密集地に迷宮の口を開けておきながら、最後の大規模氾濫が120年前というのはおかしい。無尽蔵に走狗を外に吐き出せるなら、今頃は地上が走狗で埋まって全てが終わっている。


 となると演繹的に考えれば、今回の氾濫は初めて大規模な迷宮の深層が抜かれて、焦りすぎたようにしか見えぬ。


 ド素人の投資家共が悪乗りしたのに託けて大規模氾濫を引き起こしたようだが、Aに言わせれば遅すぎるか早すぎた。


 「こちとら準備にどれだけ時間を金を掛けたと思っていやがる。今までと同じゴリ押しで潰せると思ったら大間違いなんだよ」


 やるなら四層を抜かれたその日にやるべきだったのだ。あのタイミングであれば、探索者も軍も対応に窮して、帝都に大打撃を与えられたはず。


 だが今や探索者達は遠征を終えてゆっくり休んで元気一杯だ。摸擬迷宮や契約探索者からの訓練を受けて、志願した新人達も幾らか戦力が底上げされている。


 そこに氾濫の可能性を危惧したアウルスが、銃まで大量に持ち込んだときた。前の氾濫を教訓とし、皇帝のコブに蓋までした帝国全体の努力を甘く見すぎだ。


 あるいは、早期の氾濫が間に合わないなら帝国が引き揚げられる膨大な財宝や、身内でパイを食い合い始めて情勢が乱れるまで待つべきだったのだ。こんなもの、ちょっと声の上がり始めた「迷宮を破却するのは勿体ないのでは?」という馬鹿げた声を鎮火する消化剤以外の何物でもなかろうよ。


 何処まで全力を出し続けられるか分からないが、自分はとことん付き合ってやるぞと悪役面をこれでもかという邪悪な笑みに染めるアウルス。


 友人達が、この顔を見たら「どっちが悪役か分かったもんじゃねぇ」と軽口の一つも言ったろうが、幸いにもこの笑顔を見たのは、忠臣の犬狼人だけであったという…………。 

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