帝国歴741年 初頭 防衛線の下準備

 「窓ぉ塞げ! 入り口は特に頑丈に積み上げろ! 正面は馬鹿みたいに扉がデカいから脆いぞ!!」


 「三重の閂つったって、信用ならねぇ! 積んだ壁の高さが命の高さだ!!」


 「書類以外は何でも使っていいとよ! 急げ!! 壊すヤツと運ぶヤツで分担だ!!」


 「手透きのヤツは二階に行け! お坊ちゃまが工作できるヤツをご所望だとよ!」


 探索者の野卑という印象を払拭するべく、旧日本銀行のホールを思わせる落ち着いた雰囲気に造られた組合会館は、そのお上品さが必死さによって全て引き剥がされていた。


 使える資材は椅子だろうが机だろうが、象徴的な受付だろうが解体して窓に打ち付け、敵の侵入を堅牢に阻むべくバリケードへと転生させられる。合間合間に隙間を作っているのは、そこから矢や槍を突き出すため敢えて残した狭間で、適当に塞いでいる訳ではない。


 防衛線が抜かれたら死ぬのだ。どんな馬鹿であろうと、死を目前とすれば仕事の一つも丁寧になるもの。


 特に走狗の殺到が予想される一階は、念入りに塞いでおかねばならなかった。


 会館全体で銃はたったの200挺しかない。弾なんぞ、補給がなければ一人あたりでたったの25発だ。一射一殺が適う火力があろうとも、一階に集められた熟練の探索者や、契約探索者の中でも腕利きの者達が、肉弾で敵の侵入を阻まねばならなかった。白兵戦は気合いが入った、経験のある者にしか任せられぬ。


 なので使える物は全て使ってバリケードに仕立て上げ、彼等が有利に戦える舞台を設えるのだ。例外と言えば、こんなこともあろうかと、なんて嘯いてベリルが用意しておいた、ホウ酸等を混ぜた難燃塗料にて塗装された書類の箱だけだ。


 それ以外は壊せる物は壊し、使えそうな物は全て使う。


 また、武具庫も総ざらいの勢いで吐き出したので、探索者達は皆揃って重武装だ。契約探索者でなくとも、防具の貧弱な者には正規装備が配られて、少しでも継戦能力を高めようとの大盤振る舞い。


 「なぁ、勝手口はまだ閉めないのか!?」


 「落伍兵は拾えるだけ拾えとの仰せだ! まだちょっと開けとけ!!」


 そして、探索者と共に働く者の中には帝国の兵士も混ざっていた。


 皇帝のコブに蓋をする要塞が落ちると悟った者達が早々に逃げ出し、捕まったのだ。


 彼等は、ここの方が幾らか生き延びる可能性も高いかと思い、逃げるのではなく探索者に協力することを選んでいる。まだ砦が落ちた訳ではないので数は20ばかしだが、いよいよ以て駄目だとなれば、更に大勢が逃げ込んでくるだろう。


 「こっちの棚はどうすんだ!? 入り口に積むか!?」


 「廊下側に持ってけ! 若君が第二、第三防衛線を用意しとけとよ!」


 「食い物は半分を中庭に、残りは地下に運べ! 廊下が細長いから、最後の最後はそこで持久するとよ!」


 道々にも障害物が置かれ、どこか一箇所が崩れても簡単に防衛線を敷き直せるように工夫がされていた。これは元老院からの頼みで契約探索者に加わった、退役兵達が良い仕事を見せている。砦攻めや防衛戦の経験があるからこそ、退き先を用意しておく大切さが分かるのだ。


 上手く人員の損耗が少なく撤退できれば、第二の防衛線で敵を粉砕し、余裕があれば第一防衛線を奪回することもできる。


 救援が期待できる籠城で大切なのは、どれだけしつこく粘れるかなのだ。


 また、二階にも大勢が配置されている。一階ほど頑丈ではないが、飛び道具を使う走狗に備えてある程度のバリケードが築かれ、弓手衆や〝銃〟を配られた者達が地上げ屋の使いっ走り共を歓待する仕度を調えつつある。


 「なんでこんな良い物、俺達に売ってくれなかったんだ? 帝国軍だって、こんな弓は使ってないぜ」


 「新人やら補助兵上がりに配るにゃ単価が高すぎんだよ、この弓は。第一、これ壊れたら直せるのかよお前ら。手入れ結構大変なんだぜ」


 補助兵を途中退役していた探索者が、配られた短弓を試しに引いてからぼやいた。豚や馬の腱など、都市部で一番入手が易い動物の腱で補強された複合短弓コンパウンドショートボウは、工具を使わねば三人がかりでやっと弦を張れる強弓なのに、あまりに簡単に引ける。


 子供でもとまではいかぬが、弓兵として教育されずとも扱える、両端に滑車を備え、簡易ながら照準器まで装備した複合機械短弓。製造にかなりの手間がかかることと、現場での整備が実習を受けなければできないので、今まで契約探索者の専用装備だったのだ。


 「矢の在庫はどんくらいあんだろうな?」


 「さぁな、俺達じゃ撃ち切れないくらいありそうだぜ」


 先の合同踏破遠征に伴って、矢玉は大量に備蓄されていた。使われずに余った物もあれば、聖痕を後続組が得られるかの実験をする遠征も企画していたので、ベリル工房にて水力で動く研磨機や成形機を使って、従来の効率を置き去りにする速度で大量生産された物が倉庫で唸りを上げていた。


 従来の品と基本的な使い方は変わらないため、弓を取った者達の動揺は殆どない。精々、契約探索者にならないと売ってくれないとか、ケチ臭いなとぼやかれるくらいだ。


 「な、なんか怖ぇなぁ、これ……マジで使えるのかな……」


 「的と金具を結ぶように狙う、的と金具を結ぶように狙う……」


 「こ、籠手穿いてると弾折っちまいそうだな。付けない方が良いかな……」


 一方で銃を与えられた者達は、その見慣れなさと、自分達に扱えるのかという恐れに震えていた。


 無理もない。初めて触れる概念に依る武器だ。怖気が走るほど恐ろしげな轟音を立て、見えない弾が飛んでいくと言われても実感は難しい。


 しかも、使うにあたって発泡ゴムの耳栓まで配られるときた。今までの武器と勝手が違いすぎて、新人も熟練者もおっかなびっくり扱っている。


 三階に集められ、皇帝のコブ方面、つまり北側の廊下に配置された面々は、大半が新人の探索者だった。


 アウルスは銃の練兵期間の短さを万全に活かすべく、銃がなくとも戦力として使える精鋭は白兵要員として下に配置している。そして、三階に銃兵を100人ほど配備し、弱卒でも最大の効率を発揮できるようにした。


 どうせ敵は大軍の走狗だ。人間が頑迷に抗っている会館に皇帝の洞穴からあふれ出れば、囲む勢いで押し寄せ、周囲に犇めくであろう。ならば、上から撃てば細かい照準をするのが馬鹿らしくなるはず。


 いわゆる「目を瞑っていても当たるぞ!」というヤツだ。


 残りの100挺の内、25挺ずつが一階と二階に配備されていた。これは専ら大型の走狗対策であり、蹂躙衝角ルイノサラス――カリスが苦戦したサイと熊虫の合いの子――の正面装甲でも100歩調約91mまでなら、確実にブチ抜ける性能があるからだ。


 既知の走狗は隊伍を組めば簡単に倒せるし、この8mmの弾丸を使うには些か役者としては物足りぬ。だが、突っ込んでこられると防衛線の一画が簡単に破綻するような大物が沸いてきたならば、一撃で殺せる手段は絶対欲しい。


 なので実戦を射撃練習としつつ、同時に大物に備えられるよう分散させた。それにベリルはご丁寧に銃剣も作ってくれている。近接戦闘に備え、着剣させれば剣より間合いの広い手槍の代わりくらいにはなるので、白兵戦主体の一階でも無駄にはならないのだ。


 「しかし、社長。本当に護衛隊なしで良いんで?」


 会館の地図を広げた机の前で、神経質そうな顔を険しくしているアウルスにブレンヌスは問うた。


 何をとち狂ったか知らないが、この御曹司は直卒はサレハだけでいい、などと抜かして作戦司令部に据えた会議室には護衛隊を置かぬと言い出したのだ。


 「戦って疲れたら交代せねばなるまい。遊ばせおける兵員が何処にいる?」


 「護衛を遊兵扱いっすか……いや、仰るこたぁ道理ですがね……」


 狂気めいた不退転の熱意が燃える瞳を見て、ブレンヌスは駄目だこりゃと頭を掻いた。


 説得して応じるような手合いではないと、よく考えないでも分かる。


 だとしても、乳母日傘で育っている貴族の次男坊様が――しかも、戦争童貞のはずだ――怖い怖い戦場で効率のためとはいえ、護衛を要らぬと言い切るなど、沙汰の他イカレてるとしか言い様がない。


 たとえ、この会議室が構造的に護りが厚く、いざ地下に退かねばならぬ段取りになっても十分間に合う場所とはいえ、どんな肝っ玉があれば門衛すら置かずにいられるのか。


 古今の歴史の中では、びびりの総大将が自分を護らせることで大事な精兵を遊兵に貶め、結果的に大敗した例もあるというのに。


 「戦術予備は必要不可欠だ。私の安心なんぞより千倍重い。今……全体で500人に届かないくらいか?」


 「ええ、まぁ、んなもんですな」


 「だから三交代、100人ちょっとは常に休めるように割り当てを組んだんだ。敵は迷宮の走狗。人間と違って休まず、命も惜しまず波濤の如く押し寄せて来るぞ。全力を出し続ければ、息切れするのはこっちだ」


 なのでアウルスは交代で休憩できる要員を増やせるなら、自分の護りなど要らんと全てを実働部隊に当てた。鼓舞する際に方々を歩き回る時は5,6人は連れていくだろうが、ここで指示を出すだけなら従者一人で十分過ぎる。


 「しかし、三交代ではキツそうだな。せめて四交代できるだけの人員が欲しかったんだが……戦術予備も100はないと不安だ……」


 最後に残った銃50挺は虎の子の戦術予備として、休憩中の者達に装備させる。防衛線の決定的な破綻を防ぐべく、休憩している面子さえも戦術予備扱いせねばならないのが辛かった。


 戦闘員は適宜交代させていくが――まるでゲームの経験値上げだ――十分に休憩を取って、飯を食い、仮眠できるかは怪しいところ。


 ここまで人員を温存しても、会館内を駆け回る伝令や物見まで用意したなら、もう一杯一杯。要塞から逃げる落伍兵を拾って人数が幾らかマシになったとして、この窓もない部屋に護衛を置くくらいなら、休憩していられる面子を増やした方が合理的である。


 「この無駄にデカい会館を護るには、兵員の密度がまだ足りんな。表に人をやってもいいから、落ち延びてくる帝国兵は問答無用で捕まえてきてくれ。責任は私が取る」


 「そりゃ別に構いやしませんが……退き兵ですよ? 使い物になりますかね?」


 「最悪、肉の壁として敵の一撃を止めてくれればいい。どうせ最後は棺桶みたいに出入りができんようになる。いないよりマシだ。君の判断で配置して、必要なら使い潰せ」


 あまりに冷たい物言いに、この社長普通におっかねぇなと歴戦の探索者が唾を飲んだ。


 「それとブレンヌス、最後の入り口を塞ぐ前に手透きの者を使って家々を回り、人を集めろ。女子供、歩けない老人はリヤカーを使ってでもだ。戦闘は無理でも、バリの構築や矢玉の運搬、伝令や見張りくらいには使える」


 「堅気さんを巻き込むんですか!?」


 「救援に来る帝国軍の邪魔しちゃいかんと避難を促さなかったが、落伍兵が出てる状態なら〝蓋〟は、もう保たん。踏ん張ってるだろうが、保って夜、早ければ夕刻には落ちるだろう」


 「マジかよ……一個大隊がぶち込まれてるんですぜ!? 増援も来ることを考えたら、もうちっと持久できるんじゃ!?」


 「官僚制の悪弊だ。さっき報告を持って来た屋上の物見は、もう一刻以上増援が来てないと報せてきた。そろそろ騒ぎを聞きつけた住人が慌て出す」


 「冗談キツいぜ……いくらこの辺に無産階級しかねぇからって、避難誘導すらしてねぇなんて……」


 「上の方がゴタついて、上手く動けていないんだろうし、他に優先すべきところがあると斬り捨てられたようだな。だから今から逃げさせても遅かろうし、近場の住民は収容できる限り抱え込め。女子供であっても治療や飯炊きはできるからな」


 また、凄まじいことを言い出すなとブレンヌスは閉口するしかなかった。


 都市の攻囲戦において守手側が平民や奴隷をも補助兵として使うことは知っていたが、よもや探索者を道楽みたいな勢いで纏め上げた男がここまでするのかと。


 まだ20にもなっていないようには全く見えない。数百年、指揮官として戦い続けていたと言われても得心が行く威風堂々とし過ぎた立ち振る舞いは、何処から沸いて出てくるのか。


 ブレンヌスは避難民まで防衛に使おうという無慈悲さではなく、逃げさせるより、まだ生きる目が高い会館に収容しようという心意気に驚いたのだ。


 訓練も受けてなければ、荒事にも慣れていない一般人なんぞ、逆に混乱を助長させて防衛線が内から崩れる危険性もあるというのに。


 邪魔になるなら死ぬに任せておけばいい。どうせ無産階級がどれだけ死のうが民会も元老院も気になどしない。むしろ、彼等を走狗が貪っている間の時間稼ぎにくらい使ってくるだろう。


 だのに、この男は功利と冷酷という分厚い紗幕で誤魔化しつつも、少しでも人間を生き残らせようとしている。


 尋常な肝の座り方ではなかった。殿軍を志願して捨て駒になった部隊の百人長とて、ここまでではなかろう。


 「家財は後で帝国安閑社が補填してやると言って、身一つで連れてこい。あの蓋が剥がれるようなら、どうせこの辺り一帯は火の海か血の池だ。それに、この辺に住んでるのは碌な財産もない無産階級だから、今度郊外にデッカい団地でも建てて、働き先も都合してやる」


 「……打ち壊せるもんは、先に壊しときやすか?」


 「いや、建物で進行方向が制限される方が迎え撃ちやすい……あ、いや待てよ?」


 無慈悲な物言いなのに、溢れんばかりの慈悲が籠もったことを口にする社長は顎に手をやって、ふと瞑目した。


 「……120年前の氾濫の時は、たしか走狗の死体が埋めるのも燃やすのも間に合わないくらい出たそうだな?」


 「え? はぁ、まぁ、曾爺さんも生まれてない時代のことなんで、俺も伝文ですけど、死体が腐れる臭いが海辺まで届いたとか何とか」


「……そうか、よかった」


 「はぁ!?」


 探索者は、この広い帝都で始末しきれない人と走狗の死体が出たという事態と、よかったという言葉を等号で結ぶことができなかった。


 アウルスが説明の言葉を続けなければ、状況が絶望的すぎて気でも触れたかと頬を張り倒すところである。


 「いいか、迷宮の中なら死体は一日で消えるが、外だと消えないんだ」


 「まぁ、だとしたら俺らの商売もあがったりでしょうよ」


 「分からんか? 殺したら殺しただけ、敵の死体が障害物になるんだ」


 「……あっ」


 ぽかんとする探索者を余所に、アウルスは右拳を左の掌に打ち付けて剣呑な、いっそ外連味があるといっていい邪悪な笑顔を作る。


 「私達が引き付ければ引き付けるほど、連中は自分達の死体で身動きが取りづらくなる訳だ。喜べブレンヌス、一番最初を乗り切ったらドンドン楽になるぞ」


 言われてみればなるほど、道理であるとは思うものの、ここで笑顔を浮かべられる心根の強さが、ブレンヌスにはいっそ恐ろしかった。


 「要塞が出口に蓋をしているのもあって、門は一つきりだ。釣瓶打ちで死体の山を作ってやる」


 パンっと音を立てて拳を打ち付けるアウルスの姿は、刺青だらけの探索者に劣らぬほど頼もしく映える。


 しかしながら、拳を打ったのが震えを抑えるためであることを、誰が知っていようか…………。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る