帝国歴741年 初頭 秘密兵器開帳

 秘密兵器、という言葉に心を躍らせない男の子はいないだろう。


 ただ、秘密の兵器という言葉にも二つの意味がある。


 一つは、正しく際の際まで秘密にしておいて、一撃必殺で相手を倒すリーサルに持ち込む切り札的な物だ。


 そして、もう一つは、できたら〝秘密にしておきたかった〟手段。


 地下の鉄扉の錠へ鍵を刺しているアウルスは、完全に後者を手に取る気分だった。


 あー、いやだなー、こわいなー、と思いつつも鍵を開け、中庭に運び出させ、厳重に封印――空けたら分かる糊付けされた紙の方――を剥がし、遂に世界へと〝最も効率的な個人的暴力〟のお披露目する。


 「さて……諸君、既に並々ならぬ事態が起こっているということは、薄々察しているだろう」


 サレハが他の下人と一緒に開封している品を見て、探索者達が首を傾げているのを余所に、アウルスは中庭で演説を打つ。


 初動対応を始めて一刻2時間あまり。ぶっちゃけて言うと、全く以て余裕がなかった。


 砦はまだ落ちていないが、屋上の物見からの報告では長くなさそうだ。あれだけ頑丈に固めたにも拘わらず、中で絶望的なことが起きていることだけは確実である。


 「偽らずに言うと、氾濫が起きた。皇帝のコブが弾けたのだ」


 何かあるなぁ、と薄々感付きつつも集められた探索者、総計300と余十名は想像以上の凶報にざわめいた。


 噂が回るのは早いが、政治担当はそれよりも素早く動いた。故に彼等は今になってようやく〝逃げ損ねた〟と知るのだ。


 より正確に言うのであれば、逃げ損ねたというよりも、アウルスが先手を打って逃げさせなかったのだが。


 「ここにいる者達は、120年前の惨禍を直接は知らないだろう。私も、伝わる日記と書籍で知っただけだ。なにせ曾祖父の曾祖父の時代だからな」


 騒然とする場に負けぬよう、アウルスは精一杯声を張った。友人達からあまりにも黒幕臭いとか、優しい声音を作っても後で絶対裏切りそうとか言われる声だが、こういう場で張り上げれば能く響くのが唯一の救いである。


 「だが、その酷さだけは、誰もが知っていよう。麗しの帝都の半分が焼け、大勢死んだ。事後処理も拙かったようで、腐れた死体から広まった疫病でも山ほど死んだそうだ」


 生まれて自己を俯瞰的に見た時、Aは良い札を引いたと思ったものだ。このナリと、この声音で抑揚を付けて喋れば、ただの博打に過ぎなくとも、まるで鉄板の上を歩いているような安心感を聴く者に与えられようと。


 ただ、現実に誰かを死に向かって嗾けようという段に至ると、心苦しさが強まるばかり。


 士気を高めて勇気を出させるなんて言えば聞こえは良いが、とどのつまりはオッズ倍率すら分からぬ賭けに命を場代として放らせる行いだ。


 心がじくじくと痛む。細やかなりし前世の人間性が、このクソ野郎めと囁くのである。


 後輩を嗾けて、小難しい爺さんに土地を売ってくれなんて交渉に行かせるのとは訳が違うのだ。探索者同業者組合を組織する時点でも感じていたが、率先して死が付きまとう仕事に他人を駆り立てるのを良心が咎めてくる。


 だが、やらねばならない。


 やらねば、より大勢が死ぬからだ。自分は元より、知っている誰かも、知らない誰かも。


 それならば、扇動者という誹りの方がずっとずっとマシだ。


 何よりも自分が、できたかもしれないのに日和って逃げたとあれば、心臓が脈打っていることさえ容れられなくなるだろうて。


 「しかし、120年前とは違う。我々がここにいる。君達がここにいる。精強無比な、誇りある探索者達がここにいる」


 心を打つ演説は練ってきた。即興だが、アウルスとしては良くできた方だと思っている。


 帝国人の感性を理解し、荒くれ者の心境を類推し、戦う者の矜恃を諮る。


 「あの偉そうな軍人達が、格好だけ護っている砦は保つまい。迷宮内での氾濫を知っている者達なら、分かるだろう」


 全く以て損な役回りだ。単に死ねと命じるのでも貧乏くじなのに、あまつさえ悦んで死ねと囃し立てるなど。


 「君達にしかできない。君達だからこそできる。そして、何かあっても碑文が永久に残るだろう」


 前もって、混乱が起きないよう契約探索者達に一般のギルド加盟員が慌てたり、逃げたりしないよう囲む配置をしていたのが効いている。場は混沌としているが、きちんと全員がアウルスの声に耳を傾けていた。


 「偉大なる探索者達、その身を犠牲に帝都を護り抜き、歴史の誰より格好好く此処に眠る……どうだ?」


 ざわめきが別種の物に代わった。


 興奮だ。


 偉大になる機会、歴史に名を遺す機会。そんなもの、誰だって欲しいに決まっている。況してや、探索者などという荒事に拘わり、先の遠征にて名声が沸き立っている今なら尚のこと。


 「私は、見ての通りの若輩だ。軟弱でさえある。……ああ、ふと思い出したが、童貞でもあるぞ。多義的にな」


 真面目な話の最中での冗談というのは、嵌まると凄まじい笑いを引き起こす。そして、笑ってテンションが上がっている時、人間の気は大きくなると相場が決まっていた。


 「だが、この帝国勇猛社を立てたからには、必ず義務と責任を果たす。どれだけ役に立つか分からんが、君達と共に戦う。そして、この氾濫を生き延びられたら、報酬を出し、名を讃え、石碑をブチ建て累代で墓守もやろう。まぁ……戦争童貞以外の童貞を切る好機が得られたらだが」


 かなり際どい、それもお上品かつ神経質そうな貴族のお坊ちゃまの口から出たとは思えぬ冗談が、探索者達の心を上手く擽った。


 嗤われてもいい。親しみを抱かれ、じゃあこのお坊ちゃまに女の味くらい知ってから死なせてやらねぇとな、なんて意気を掻き立てられれば上等だ。


 闘争に進んで身を捧げる者達は、いつだって名誉と洒脱を欲する。金が欲しい。称賛を浴びたい。武勲に添えて、笑い話の一つも持って帰りたい。


 人間という愚かな生き物は、たったそれだけの理由で換えが利かない命を賭場に放る生物だなんてことは、アウルスが誰よりも知悉している。


 然もなくば戦列歩兵として身を晒す若者や、塹壕で凍えながらも籠もる勇士も、砲弾と航空機が行き交う戦地を馳せた兵士達も存在しない。


 彼等はみんな、自分自身の中に抱いた名誉を守りたいか、手に入れたくて立ったのだ。


 これは、大凡全ての人間が持つ欲望。扇動者が風を送って薪を足せば、熾火は簡単に燃え上がる。


 格好好くて心が震えたから。たったそれだけの理由で、美大に落ちたちょび髭が一千万人から人を死なせているのだ。容易いことではないか。


 「しかし、ここで逃げれば、その碑文は雑紙にとって変わられるだろう。文面は……そうだな」


 あとは要訣を抑えるだけ。相手を見て、何に心が揺さぶられ、矜恃を擽るかと文面を考える。


 この場において必要なのは、直截に分かりやすい言葉だ。修辞学を高度に修めたアウルスではあるが、元老院の議事堂にて映えそうな文面を使わない。


 敢えて分かりやすく、単純に、そして煽る。


 言葉という武器は、場面に応じて最適化すればこそ、最大の効率を発揮するのだ。


 「膿んだ古傷を突いた愚か者共、犬のように鳴いて虫の如く死ぬ……とかかな?」


 そこに一つまみの香辛料。誇りを貶される可能性を示されるだけで、激発する人間は多い。特に〝ナメられたら終わり〟という気風がまだまだ強い、現代とは程遠い時代においては。


 「どうした、怒ったか? だが、歴史を見ろ。現場で命を懸けた兵士達なのに、負けて帰れば酷いザマだ。第Ⅹ軍団なんぞ、縁起が悪いと欠番扱いだぞ、全滅するまで戦ったのに。負けたとはいえ、個々の兵士は勇ましく戦ったろうに」


 負けた側は味方であっても歓迎されない。反乱鎮圧に失敗した軍団は解体され、今や鼻緒の切れた草履や縁が欠けた湯飲みのような扱いだ。言うまでもなく、加わっていた兵士達には恩給も市民権も与えられなかった。


 そして、戦場も知らぬ者達が、後ろから好き勝手言うのだ。


 「だが、私達は違う。お前達は腰抜けか?」


 否の大合唱。せっかくの板硝子が一枚、あまりの大音響を受けて僅かに罅が入った。


 「闘犬の当て犬のように、噛まれるだけか?」


 再びの否。腕を突き上げ、吠え立てて、舐めるなと探索者達の士気が青天井に上がっていく。


 いいぞとアウルスは笑った。帝国軍では兵士は真面目に鉄面皮を貼り付けて突っ立っているのが模範となっているが――長く外征戦争をしてない影響だ――最良の兵士は、笑って死ねる兵士なのだ。


 死を恐れず、突っ込んでいける最高の馬鹿野郎共。


 何処にあるかも分からない、東の果てまで突っ走ろうとしたアレクサンドロスの友朋。


 馬鹿みたいに命が大安売りの戦列歩兵になった、コルシカの人食い鬼が配下共。


 絶望的な戦況でまっしぐらに敵陣に突っ込み、逆にぶち抜いて撤退するという狂気を成功させた薩摩隼人。


 最強の兵隊とは、彼等のことを言うのだ。


 そして、真面目に働くのはしんどいけど、英雄にはなりたいな、なんて特大の阿呆を死兵に仕立てるのが最良の指揮官だ。


 なら、自分は今、良い仕事をしているとアウルスは断言する。


 同時に人間として大事な物を、また一個どこかに放り投げたとも。


 「そうだろう! お前達は探索者だ! 未知に斬り込み、外神とつかみの暴挙を諫める、この世界に生きる全ての者にとっての英雄だ!」


 だから偽りは言わない。利益が上がり名誉が付いてくるという建前はあれど、誰一人真面目にやらないことを曲がりなりにやってきた彼等は、アウルスにとって紛うことなき英雄なのだ。


 耐久消費財として危地に送り込むことと、大事に想うことは不思議なことに両立する。


 だから一度くらいは、己も命を張るのが道理だろうと、政治担当は覚悟を決める。


 この英雄の群れを一人でも多く生かし、迷宮破却に再び挑んで貰うためなら、政治的折衝の面倒くささなんぞどうとでもしてやる。


 前世ではよく言ったじゃないか、清水の舞台から飛び降りるなどと。


 あれだって、実際にやっても二割くらいしか死んでないのだ。


 なら、相手の土地が立っていて、手札も握られている状態で、ブッパするのも悪いもんじゃない。


 「そして、私も君達と共に戦う! 君達が最後の一人まで戦っても力尽きた時、私も安穏には死なぬ! それだけは我が父祖に誓う!!」


 アウルスは、しつこいおがくずが中々取れぬ銃から――錆の源となる湿気から護るためだ――必死に削り滓を払おうとしていた下男から、一見すると鉄の筒にしか見えぬ小型の大量破壊兵器を取り上げた。


 「探索者は、未知を切り拓き、世界をあるがままに戻す勇者だ! 私は、その戦いの一助となる武器を用意した!! 安心しろ、ベリル工房謹製の逸品だ!!」


 銘は付けられていない、量産型の銃。それの名をアウルスが問うた時、ウィンチェスターさんやカラシニコフさん宜しく、デヴォン銃なんて付けてくれるなよと言われたのは覚えている。


 これが終われば、格好好い名前の一つも付けてやらねばなるまい。


 なにせ探索者は、世界を救う勇者という憧れを持って成った者達もいるのだ。日銭稼ぎの無頼に報酬という鍍金を施したなら、今度は現実という錆でくすんだ地金を磨いて取り戻させてやろう。


 誰だって最初から、迷宮からのアガリでちゃちな生活をしたかった訳ではないのだ。


 お伽噺の英雄になりたかった者もいれば、市民権を手にい入れて幸せになりたかった者もおり、また新貴族として元老院に繋がる家に成り上がることを目指した者もいよう。


 彼等は分が悪い賭けにベットした。だから去年までの停滞があった。


 だが、倍率なんてのは余所からの横入で幾らでも代わるもの。丁半の分かりやすい賭けでないのなら、分が悪い大穴をド鉄板に変えてやることだって能う。


 故にアウルスは、自らの命と今後の艱苦を質に入れて、賭け率を動かしてやろうとする。


 銃の閂を外し、中折れ式の銃身を解放。暗渠の如く口を開けた8×57mmの巨大な弾丸を差し込み、甲高い音を立てて閉鎖。


 銃床を肩に当て、天に向けて構える。引き金には静かに指を掛け、実はコスト削減のために安全装置がないという――ゴムの塊を引き金の間に挟むか、弾を装填しないで運搬する前提――簡易な機構を確実に動作させた。


 割れるような轟音は、射手が耳を痛める程に巨大だった。


 そして、戦場において大きな銃声というのは、味方を実に強く扶ける。


 銃という存在を知らずとも、頭にズンと刺さる音が本能的に放たれた暴力の凄まじさを印象づけるのだ。


 アウルスの気分としては、余所様の世界から熱量を掠め取ろうとし、やっとこ軌道に乗り始めた事業にケチを付けに来た地上げ屋に、思いっきり中指を立ててやったような清々しさだった。


 大口径過ぎて肩がかなり痛いし、軽く耳鳴りもしているが、誰もが〝何か凄い場面〟に出くわしたことだけは確実に知らしめられただろう。


 「迷宮のあらゆる走狗を貫く、不可視の槍だ!! 我等は、その穂先となる! いずれ、世界中の歴史書に我等の偉業が載るだろう! 世界を救った英雄達の嚆矢として!!」


 どんなクソゲーであろうと、投げ出したくなるような盤面であろうと、ひっくり返す目はあるのだ。


 概念やら世界そのものをどうこうしてくる訳ではないなら、地上に生きている生命の領分で勝負ができる。


 「来るなら来てみろ、クソッタレの地上げ屋め! カリスに散々掘られても、まだ足りないようだから、私達がコイツをケツにぶち込んでやる! そうだろう、お前達!!」


 お上品な外見に似合わぬ檄に探索者達は、銃声の鮮烈さ以外で一瞬唖然としたが、ややあって大きく笑いながら応と応えた。


 こういう場面では、多少下品な方がノリがよくなるのは、世界が違っても共通だったらしい…………。  

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