帝国歴741年 初頭 運否天賦

 帝国の軍隊は常備軍であり、文明レベルにしては珍しく、土地で縛るでもなく強制的な賦役を課するでもなく、況してや犯罪者を徴用もしないで給金を支払って兵士を養っていた。


 とはいえ、兵卒の給料は安く、結婚も自由にできないし、住まいは基本狭苦しい兵営。外征戦争を暫くしていない昨今では、往事の分捕り物による財を成せるでもなかったが、市民権を得られるから人が結果的に人が集まった。


 補助兵から軍団兵に繰り上がるのに10年から15年の忠勤が必要で――勤務態度で左右される――そこから軍団兵になっても軍務は続く。寿命が長い種族だと、更に長い軍役を勤め上げねば、除隊報酬金が出ないので尚更キツい。


 素行が悪い者は退役間際に“不名誉除隊”にされて、市民権を得られないことも屡々だった。


 それでも、軍団が常備軍として成立しているのは、彼等が警察、貴族階級の護衛、そして公共工事の担い手であったからで、純粋な軍隊かと言えば微妙なところだ。


 それでも帝都の護りを務める第Ⅰ軍団は――専ら金満者、との異名を受ける――帝都近辺に分散して宿営地を持ち、帝都内にも多数の詰め所がある、最も近代的軍隊に近い軍団だった。


 そのため、軍団内での情報共有は早かった。


 「何の騒ぎ?」


 カリスは昼前、ベリルの下へ急使が着くよりかなり早い時間に異常を察知した。指揮官は兵営の空気に敏感でなければならないため、自然と身についた習性だ。


 彼女は中隊マニプルスを一つ率いており、現在の部下は136名、二個小隊ケントゥリアから成る。軍制は時代よって変わるが、帝都を鎮護する第Ⅰ軍団の中隊定員を十分に満たした精兵揃いだ。


 特に探索者と同じく厳しく、同時に優しく躾けていることもあってお行儀がとても良い。最先端の装備をベリルとの伝手で最優先にて配り――人体実験でもあるが――給料の遅配など就任以来一度も許したことがないだけあって、殆ど彼女の手足と言って良い兵隊達。


 専らアルトリウス氏族関係の警護が彼等の任務だが、有事となれば戦場でも活躍できるよう、カリスはしっかりと扱いて鍛え上げていた。


 ブリキに鍍金を張った、ナリや所作だけが綺麗な兵隊が欲しいのではない。必要とあれば堡塁を打破し、砦を堕とせる鋼の兵士が背嚢姫様のお好みであらせられる。


 「食事が傷んでたりでもしたのかしら。だとしたら、補給将校を締め上げてくるけど」


 「いえ、先程、大隊本部へ遣いが走ってきまして」


 「まるで馬の尻に火が付いたみたいな勢いでしたよ。こりゃ大事じゃないかと」


 「やだなぁ、またどっかで火事かなぁ……俺、あの臭い嗅いだあとは飯食えねぇんだよなぁ」


 「それとも謀反かなぁ。陛下も任期が残り少ないから、大丈夫だと思うけど」


 「奴隷の反乱とかもやだなぁ……勝っても武勲になんねぇし、死んだら損じゃん。奴隷相手じゃ恩給でねぇべ」


 兵卒の一人がぼやいたように、帝都は広く住民も多いだけあって火事の絶えない都市だ。特に冬の寒さを追い払うため、常に火を焚いているような環境では、彼等が文字通りの火消しに狩り出されることも珍しくはない。


 それに大規模な物は暫く起こっていないが、待遇に不満を感じた奴隷の反乱も屡々あった。これらを鎮圧するのもまた、帝国軍の仕事というのがやるせない。


 「ちょっとお伺いを立ててくるわ」


 「いいんですか? 天幕の中、かなり騒がしい感じですが」


 「あたしが大隊長閣下に幾つ貸しがあると思ってんのよ」


 ちげぇねぇ、と配下は笑った。事実として、帝国安閑社からの〝寄付〟という形で、第Ⅱ大隊はかなり羽振りがいい補給を受けているし、何処よりも早く背嚢が完全充足された。カリスが使っている、鎧の上から付けられるチェストリグ型の携行具も兵士の全員が身に付けており、刃先が欠けた剣や槍に嘆く者もいない。


 そして、演習で何時も良い働きをする中隊長のおかげで、大隊長がどれだけ名を売ったか。図上演習でさえ、ちょっとした助言で大勝させてくれる上、かなり丁重に支えてくれる名家の武人を無碍にするはずもなし。


 「雑事なら、余所に回せって言っとくわ」


 「お願いしますよ、カリス様。嫌なんすよね、延焼防ぐのに家潰すと、惨めったらしく縋られるんで」


 「そういう恨まれ役をやるのも軍人の仕事なのよ。受け容れなさいな」


 ぷらぷらと気楽な調子でカリスは天幕に歩いて行き、その中の尋常ならざる空気にギョッとした。


 第Ⅱ大隊の筆頭百人長大隊長は、元老院筋の犬狼人で気っ風の良い頼り甲斐のある人物である。その彼が他種族でも分かる程に顔色を悪くし、頭を抱えている。


 「クィントゥス様。如何なさいましたか? 顔色が……」


 「あっ、ああ、カリスか……」


 天幕の中では幕僚や副官、大隊長直卒の第Ⅰ中隊長も含めて全員が顔面蒼白、まるで家族の訃報を聞かされたかのようなムードが漂っている。


 いわゆる、お通夜そのものの空気だ。


 こんなもの、皇帝が暗殺でもされなければ早々ならないだろう。


 「で、何があったのですか?」


 「はっ、氾濫だ! 大氾濫だ!!」


 「……はい?」


 天幕が通常規格の人類向けである理由以外で、カリスは大きく首を傾げることとなった。


 今、ちょっと冗談にしても笑えない言葉が聞こえたからだ。


 むしろ、日本語であったら反乱と聞き間違えることができて、まだコトもマシだったろうに。悪辣な迷宮より、手管が分かっている同類の方が何倍も殺しやすいのだから。


 「皇帝のコブが弾けた! 探索者が大勢敗走し、物見も帰って来ぬとの報告があった!」


 「じょ、冗談でしょう!? あれは第Ⅲ大隊の管轄で、氾濫しないよう調整……」


 言いかけて、思わず「あっ」と気付いてしまうカリス。


 昨年末に愚痴り合ったばかりではないか。先人が血で認めたマニュアルを軽んじる馬鹿野郎共に対して。


 まかさ、そして、よもやが起こってしまった。祖父の代くらいのことでも忘れる、定命の悪い癖だ。こんなのだから、紀元前から何千年と殺し合いをしても戦争がなくならない。テルースとて、最古の歴史書が今から三千年前の物なので、当たり前ではないか。


 「すっ、直ぐに全軍を動かす! 陛下の下にはせ参じ、指示を仰がねば!!」


 「いや、お待ちをクィントゥス様! 近衛や第Ⅰ大隊が陛下の下へ参り、お逃がしするでしょう! 我々は元老院を……」


 「それより、小隊を分散させて有力者をお救いに回る方が!」


 「いや、即応中隊では早々保つまい! まだ要塞で押し止められるやもしれん! 駆けつけるべきです、大隊長!!」


 「それこそ専横では!? 第Ⅲ大隊が上手くやっていたなら、恨みを買いますぞ!?」


 そして、この期に及んで幕僚共が大騒ぎだ。軍政でモタモタしていては、どれだけ軍備が整い、有事に動ける体制を作っても意味がない。結局のところ、責任者が責任を取ることになった時のことで荒れるのだから。


 クィントゥスは仕官にも兵卒にも好かれる良い将校だが、元老院筋というのもあって柵が多いのがいかん。


 これが官僚制の悪弊。人間が役割分担をすれば不可避の難題。


 下準備の段階で、A・B・Cトリオが頭を捻りに捻り、殴り合いに至るような大討論を交わしても、抜本的な解決法は終ぞ脳髄から捻り出せなんだ。


 カリスは、こりゃ駄目だと内心で溜息を吐いた。一緒に反吐まで出そうな、大きな溜息を。


 臆面もなく予定表を引っ張り出し、念の為に確認すれば、今日アウルスは帝国勇猛社に出社している。そして、彼の下には軍団兵の護衛が六人。


 そして、ブレンヌスを初めとする契約探索者100と余名。他、数百の探索者が宿泊施設の西棟に滞在している。


 「なら、直ぐには落ちない……どれだけ酷くても、半日は籠もれるわよね」


 社屋東棟はベリルにカリスが入れ知恵した、テロにも強い複雑な構造をしている。曲がりくねった廊下は迷路の如く――一般探索者が入るのは、玄関ホールくらいなので問題ない――最先端の鉄筋造りで地震にも攻撃にも強い。


 加盟した探索者に住と食を提供する西棟から食料を運び込めば、兵糧もは十日は保つだろう。中庭に水道も引いているので、余程酷い打撃を受けねば水も尽きない。


 そして、地下の物資倉庫も含めて防衛線を下げながら戦い抜けば、かつての大災、帝都の半分を焼いた大氾濫で湧き出した計上不能な数の走狗にも耐え抜けよう。


 それに、あそこには銃がある。200挺ばかしと弾が5000発は運んであったか。欲を言えば弾が十倍以上欲しいところではあるものの、既存の武器と構造を上手く使った籠城をすれば、10万の走狗を前にしても早々崩れはずだ。


 ただ、相手は士気もへったくれもなく、死ぬまで向かってくる走狗共。人間の軍隊のように三割ばかり惨たらしく殺してやれば、すごすご引き下がってくれるような手ぬるい存在ではない。


 となると、絶対的に戦力が足りぬ。最低でも倍、欲を言えば五倍は会館にぶち込みたかった。


 アウルスは指揮の素人だが帥の玄人だ。朝が来ない世界なんて揶揄された某電子ドラッグシヴィなんちゃらや、パラドックスな会社が出すゲームハーツオブなんちゃらは三人の中どころか、サークルで一番上手かった。野良マルチでも結構良い線いっていたようで、沢山のファンメール罵倒を頂戴している。


 反面、反射速度に自信がないようで植民地を焼き合うRTSは苦手だったが、事前にガッツリと準備を組んで挑める大軍系のRTSの腕前も大した物。


 何より、自称神が「もういいんじゃないかのぅ……」と様子を見に来るまで、延々と人心掌握、そして扇動の腕を磨いた人造の天才。


 天才が生まれながらに持つ物を、無理矢理に膨大な時間を用い、地球の歴史を教本として理論化し脳髄に叩き込んだ怪物だ。


 それこそ、酒場で民衆を煽っていた頃のちょび髭とでも良い勝負をするはず。


 帝国人の、探索者の心を擽ってグッと来る演説の一つも打って、上手いこと時間を稼いでくれる公算が高い。


 あと、アレは変なところで“ええかっこしい”だからなぁ、と前世の時点から付き合いのあるCは、公算を確信に変えた。


 では、やれることは多くないが、やることは明白だった。


 「少し、兵営を見て回ってきます。声を絞って論議していただいた方がよろしいかと。兵達が慌てますよ」


 一言断ってカリスは天幕を抜け出し、努めて冷静を装い、静かな足取りで自分の配下が屯している場所へ戻った。そして、声を張り上げて隊伍を纏める者達を集める。


 「卒長! 隊伍長! 集結!!」


 今日は決まったお勤めがないことと、上手いこと自分達の上司が面倒なことからは逃してくれるだろうと暢気にしていた連中だが、声が掛かると動きが早い。


 これが正しく錬磨された常備軍の特性だ。規律があり、まるでスイッチが切り替わるように、だらけていても一瞬で兵士の顔になる。


 「総員、戦仕度をなさい」


 「反乱ですか? それとも、アルトリウス氏族の何処かが焼き討ちにでも?」


 「色々な噂が耳に飛び込んでくるでしょうが、私の指示を待つよう全兵卒に徹底させるように。まだ出ないわよ」


 「お上の方々が慌てておいでで? あまり、いい予感はしませんな」


 「ええ、とびきりに嫌な予感よ。ただ、期待はできるわ」


 「……期待?」


 「帝都を救った英雄になってみたくないかしら」


 唐突な、しかし甘い問いかけに指揮官級の者達が微かにざわめいた。


 帝国軍は常備軍だが、文民統制下にある21世紀地球のそれとは大いに違う。部隊ごとの指揮官が持つ固有の信念や思惑で動くことは珍しくない、私兵を束ねた軍閥集団に過ぎぬ。


 利益や名誉のための独断専行なんぞ、当たり前のように起こる。軍紀違反への罰則は重いが、それも元老院や皇帝が納得する働きだったら、有耶無耶の内になくなる。


 とてもいいやり口とは言えないが、負けて滅びるよりはずっとずっとマシだ。いずれ、この悪習を正していくべきだとカリスは考えているが、今は自由に動けることが却って助かる。


 高々一中隊に過ぎない戦力ではあるものの、彼女の配下は精兵中の精兵。探索者とは違った鍛え方をしているが、こと純粋な〝戦争〟というやり口において、第Ⅰ軍団のどの中隊と殴り合っても負けない自信がある。上手くやれば大隊相手でも壊滅判定に追い込めるだろう。


 探索者には探索者に向いたやり方があるが、今必要なのは彼等の方法ではない。


 隊伍を組んで、圧倒的な勢いと兵数で駆逐する軍の力。


 自分達が功を上げれば、臆病風に吹かれていた連中や、日和っている上の輩も俄に元気を取り戻そう。


 「……ゆっくり準備させなさい。決して、騒ぎにしないように。携行食は少なめでいいけど、必ず持っていくこと。フル装備よ、いいわね?」


 「「「はっ」」」


 配下が散っていくのを見送りながら、ちらと天幕の見やれば、丁度多数の兵士が出て行くところだった。


 手に丸めた書状を持っていることからして、急ぎ出陣するように仕度させる伝令ではない。恐らく、軍団本部や元老院、皇帝など各所にお伺いを立てて、どうやって動くべきか考えようとしているのだろう。


 これが現代の軍隊なら正解だ。しかし、無線一本、電話一つで上の意志を確認できない時代では、悠長に過ぎる。


 書状を持った兵士が行って帰ってくるのにどれだけかかるか。帝都中が混乱に陥っているなら、大隊本部は似たようなお問い合わせが殺到して真面に機能していまい。上手いこと指示を仰げても、まぁ良くて二刻4時間はかかるはずだ。


 政治を慮ってノロノロ動いた結果、肝心の首脳陣がみんな死んでましたでは、後の世で笑い話にもなるまい。帝国軍が存在する意義が問われよう。


 急な仕度の準備にも拘わらず、ちょっとした愚痴だけを溢して手早く軍装を纏っていく兵士達を見て、カリスは己の重ねてきた準備が間違っていないことを確信する。いつか、この数を増やせば、このテルースに生きる人達にとって〝不可解〟でしかないアウルスやベリルの行動を守れる。


 ペンは剣より強し、という言葉は、少なくとも機関銃座に狙われたことのない人間の言葉だろう。


 どれだけ崇高であろうと、どれだけ世界に貢献するやり方であろうと、権力と技術、そしてそれらを裏打ちする〝暴力〟がなければ成立しない。


 三人で分け合おうと誓った分担だ。必ず守る。


 「……あのモタつきようだと、軍全体が動くとしたら夕刻。いや、でも、今から動けば…………」


 もしかしたら、と囁くのは虫の知らせと言うよりも、誰より長い腐れ縁が繋いだ強固な絆の鎖が揺れる音。


 CがAとBのために動くなら、それは二人にとっても同じだ。


 Aは、ここが踏ん張り所だと会館で頑張っているだろう。


 なら、Bが大人しく逃げ仕度をするか。


 否だ。


 しかし、可能性は五分五分。それに、ちょっとした博打の要素も強い。駐屯地から帝都までは半刻ばかし。遅くとも夕刻には部隊を動かさねば、皇帝のコブに蓋をしている要塞が保たぬやもしれぬ。


 いや、最悪を想定するなら、既に墜ちているくらいの心持ちが必要か。


 こればかりは、迷宮に潜って経験を積んだカリスの肌感覚に依る完全なカン。


 ただ、戦人としての経験、そして戦いに喜悦を覚える低地巨人の本能が告げるのだ。


 あの程度の〝蓋〟では保たないと。迷宮の氾濫は抗原体反応のようなものだ。一度、中継点を作られる位に穿たれたなら、より激烈な反応を見せたとしておかしくはない。


 何せ、あのコブは歴史に類を見ない打撃を受けた直後なのだから。


 「……五分五分ね。となると」


 彼女は懐に手をやって、一枚の硬貨を取りだした。先の凱旋式に伴い鋳造された、記念金貨には皇帝たる猪頭人の笑う顔が刻印され、裏側には穴蔵とそれを埋める円匙の意匠。


 彼女は、運命に問いかけを投げるべく、巨人の手には小さすぎる硬貨を親指で天高くに弾き上げた…………。

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