帝国歴741年 初頭 砂糖と弾丸
ベリルは自分の工房でウキウキと計画を練るのに夢中で、嫌な予感を一時忘れていた。
それも全て、この冷涼な亜大陸にて〝砂糖〟の現実的な量産が可能となる、下準備期間では知らなかった発見があったからだ。
砂糖。コーヒーに甘やかな恵みをもたらし、舌の上を撫でる苦さを絶妙なほろ苦さに和らげる顆粒は、21世紀の地球でも人々を魅了していた。
浴びるような勢いで様々な商品が作られていた甘いお菓子の数々は、殆どが砂糖に依存しており、紀元前から薬として珍重されるほどに愛されている。
ただ原料たる
赤道から離れて惑星の北寄りに位置する帝国では、仮にどこかで苗木を手に入れても、温暖な南方のごく限られた地域でも栽培できるか怪しい。ギリギリ亜熱帯地域と呼べる場所があるにはあるが、土壌が合うかも分からないのだから。
なので、海外に出てからと考えていたベリルだが、帝国勇猛社が活動を自粛するにあたって、馬車鉄道のテストヘッドでも作るかと考え――実寸大の鉄道の玩具みたいなもの――参考とするべく馬を見に行っていた時に奇跡が起きた。
葉が多く根が小さいそれは、見た目は育ちの悪い二十日大根といった有様で、専ら馬の飼料として用いられていた。何処ででも長い期間育つし、そもそも手間を掛けて栽培しなくとも勝手に増えるような代物なので、馬の食料に丁度良かったのだ。
どこぞかの貿易船に乗って、大昔に伝来した物が根付いていったのだろう。
また帝国で青菜といえば、輸入されて以後人気となったほうれん草で、サラダにするのもキャベツやレタスが一般的。かつては人間もビートを食べていたが、ほうれん草の方が美味しいこともあって食料と見做されなくなって久しい。
無論、ベリルがたまたま見かけたそれも砂糖大根と呼ばれる甜菜とは程遠く、囓ったところで甘みなど微々たる物。20%もショ糖を蓄える品種は、何年も時間を掛けて漸く生み出された叡智だ。
だが、それでもやり方を知っており、改良する本体があれば後は根気と金の問題。できるだけ根が太く、甘い株を選って交配させれば十年もすれば20%とまではいかずとも、十分に甜菜と呼べる品種ができよう。
歩留まりは悪そうだが、遠方から砂糖黍をえっちらおっちら運んでくる輸送費と手間を考えれば、直ぐに上回るようになるはずだ。
品種改良とは博打のような物なれど、やり方さえ知っていれば何とかなる物でもある。況してや小作農が多数いる荘園を営む親を持つ友人を使えば、試行錯誤は幾らだってできた。日本のように自作農一家や、小規模な会社がやるのではないのだ。この時代故の、人件費の安さが広大な実験農場の維持を可能とし、大体の問題を解決してくれる。
そして、購買層を貴族に絞れば、少数生産でも大量の利益が見込めた。
帝都において、その富の大半は富裕層から中産階級が持つ物だ。無産階級相手に商売をするのは、彼等がもっと豊かになってからでいい。
甘さとは麻薬だ。養蜂技術が未熟故、目が飛び出るほど高価なのに蜂蜜の消費が帝国では多いくらい、人類は甘みが大好きで、様々な精神的娯楽を得られるようになっても、あの舌を撫でていく甘さの愛撫からは脱却しきれなかった。
砂糖が作れればクッキーやケーキ、生クリームも作れる。蜂蜜の甘さに蕩けている人々が多い中では、阿片に等しい強力さで浸透していくだろう。
歴史的事実として、渋い紅茶を美味しく楽しむため、高価な砂糖をドバドバ入れて客に饗するのが一種のステータスであった時期もあるくらいだ。
頭脳労働に最適、などとチコリやタンポポを焙煎した代用コーヒーと一緒に売り出せば、知識階級に飛ぶような売れ行きを見せてくれよう。
今までは却って〝本物が恋しくなる〟とカフェインの含まぬそれを――代用コーヒーとは言うが、味わいとしては麦茶などに近い――作ることはCが許さなかったが、砂糖があれば気も紛れよう。
さすれば、時折起こる〝カフェイン欲しい〟の発作も減り、アウルスの頭が巨人にヘッドロックされて割れる心配をせずともよくなる。
「ふん、ふーん、おっさとーう、おっさーとうっと」
まーた初姫様が妙なこと始めたと思いつつも、ベリル工房の者達は急に馬の飼料なんぞを大量に取り寄せて、その中でも太った物を選り始めたベリルをさせておくがままにした。
このお人の場合、放っておいて自由にさせた方が格段に面白い物を作ってくれるからだ。そして、自分達がその発想の欠片や、稼ぎ出す大量の財貨を使い、新しくて面白い器具が作れれば何でもよい。ベリル工房に出張してきている者達、ひいてはデヴォン氏族の総意がそれだった。
ベリル様のなさること、と一言添えておけば、どのような奇行でも納得がいく環境を作った彼女の勝利である。
夕刻も近づいた頃であろうか。血相を変えた遣いが、馬を潰すような勢いで走ってきたのは。普通に馬を使えば数日の距離といったベリル工房にまで辿り着くのに、換え馬を一頭か二頭かが必要になったろうに。
「急使! アウルス様からの急使にございます! 工房長へ、どうかお目通りを!!」
「あン……?」
尋常ならざる様子だったことと、アウルスからの使い番としてよく訪れる男だったので、情報秘匿のため高く作られた門は直ぐに開いた。
そして、お砂糖が手に入るとテンションを上げていた鉄洞人の頭に、盛大に冷や水がぶちまけられることとなる。
「……こ……これか……あの予感は……マジか……そこまで馬鹿がいたのか……」
嫌な予感は、これだったのかと背筋を震わせるベリル。
ああ、人間とは誠に度し難い。誰かが頑張っている中で、短慮を働いて全てがご破算になってきた過去のなんと多いことか。
いや、この際、何処の馬鹿がやらかしたかは、もうどうでもいい。雷管を打っ叩いたのが誰かなど、最早調べようもないからだ。どうせ、迷宮からの脱出に失敗した者達は、誰も生きてはいるまい。
「こ、工房長、どうする!? あの若旦那のことなら、ただのフカシとか、盛って話してるとかじゃねぇんだろ!?」
「
「落ち着けって! ここは帝都から距離がある! 直ぐに来る訳じゃ……」
さしもの職工達も、奴隷達も身分差なく慌てた。氾濫とは一種の自然災害のようなもの。帝国のある亜大陸では地震も希に起こるし、火山の噴火もあるため、誰もが災害を恐れている。
災害は貴賤も財産も一切頓着しないことを、身を持って知っているから。
しかし、これは地震や津波と違って〝戦いよう〟のある災害だ。
「鎮まれ野郎共!! 小せぇ肝っ玉晒すんじゃねぇよ!!」
広い工房の隅々にまで行き渡りそうな一括。これが末姫様の声かと、一瞬疑うような怒気が煮えたぎった声に混乱は一瞬で収まった。
「……馬車は何台動かせる? 売りモンも使えるだけ動かす」
「へいっ、なら8台は! 本工房やカード工房を助けに行きますか!?」
「馬鹿言うな。本工房には、輸送用で最低でも十台は繋いであったよな? アウルス様のことだ、向こうにも報せはやってるだろうから、親父達っていう一等高価な工具はさっさと逃げさせてるだろうよ」
「いや、工具て……」
「どんなに良い炉や槌があったって、動かす俺らがいなきゃイイもんは作れねぇ。俺ら一個人も、商売って見知じゃ工具なんだよ」
自分自身も〝道具を作る道具〟という冷徹な見方をしている工房主にドンびく者達を余所に、ベリルは顎に手をやって素早く、しかし深く思考を巡らせた。
アウルスがこうやって急使を遣わせているということは、初動対応に必死こいていることだろう。今から訪ねて行って、何ができるという訳でもない。
グイン工房の鉄洞人達、そして他種族の奴隷は普段から良い物を腹一杯食わせているため、かなり体格が良い。槌の扱いにも慣れているため、武装させれば兵士としては十分に働ける。
だが、それでは、ちと〝弱い〟かとベリルは考えた。
職人達は、このドサクサ紛れに工房の秘奥を探ろうと考える、より度し難い馬鹿に備えさせた方が良い。逃げ込み先として、人々が大挙として訪れる可能性もあるので、見殺しにさせてでも工房は維持せねばならぬ。
何せ作りも作ったり、マザーマシンは15世代目。圧延プレス加工がやっとできるようになったそれを、またVer1からやり直しなんて何があってもご免だ。ようやっと熟練の職人でなければ困難だった、0.1mm未満の加工を機械的に行えるようになったところなのだから。
急使が齎した情報を頼りにするのであれば、〝征服や統治〟の工房にも避難指示が出されているだろうから、そちらの心配も無用。
そしてお家の急事とあらば、カエサル家の息が掛かったアルトヴァレト家が支配する第Ⅰ軍団の第Ⅱ大隊が直ぐに動きだそう。本邸への救援も取り急ぎ必要はない。
「よし、お前ら、馬車半分使って、私の倉の中にある箱を全部積み込め。それと、三番の蔵にあるもんもできるだけだ」
「御姫様の倉? ああ、あの半地下に作った、無駄に頑丈なヤツですかい。財産を逃がすんで?」
「三番の蔵……麻布の山と、何か木の枠が積んであったなぁ。アレより価値のあるもんなんぞ、幾らでも……」
「逃がすんじゃねぇ。軍営に運ぶ」
「……は?」
「第Ⅰ軍団第Ⅱ大隊付きの中隊にお届けするんだ。荒事ならぜってぇ役に立つ」
驚愕している職工にベリルは腰の物入れから鍵束を取り出し、放り投げた。
この工房には、彼女しか立ち入れない私用の倉が一つある。こぢんまりした物なので、まだ完成していない試作品や設計図でもしまっているのだろうと、発明家という側面が強い彼女のことなので誰も不審には思っていなかった。
しかし、そこには彼女が作った銃が、火を噴く時を待っておがくずに包まれて眠っている。
全部で実に200挺。作り貯めた実包は実包20,000発。三重の鍵で守られた倉の中には、世界をひっくり返し、戦争という概念に不可逆の変容を齎す危険物が封印されているのだ。
全ての部品を別の職工に〝新しい物を作る手慣らし〟として作らせ、組み立てはベリル自身が行った。完成品を誰にも見せずにおくことで隠した秘中の秘。
それを効率的に使うには、戦い慣れた人間が必要だ。
銃の恐ろしいところ。それは、鍛えていない人間にも簡単に〝殺人〟を行えるようにすること。
槍でも剣でも人は死ぬが、かなりの鍛錬が必要だ。そして何より、相手の顔が見えすぎるせいで〝覚悟〟も要る。普通の人間は鍛えていても、余程のことがなければ殺人を躊躇する。
その躊躇を薄れさせるために日々の訓練をさせたり、罪人の処刑をさせたりするのだが、銃の場合はハードルが圧倒的に低い。
手指に肉を断つ感触が伝わらず、血反吐も降りかからぬ。ともすれば、人相すら窺えない距離から撃った弾は、現実感すら薄く人を殺す。
何より鍛錬が簡便だ。使い方は単純。閂を上げて、装填口を開け、閉じて敵に向ける。後は引き金さえ引ければ、どんな馬鹿が持っていても相手は死ぬ。
しかも弾頭直径は8mmもある巨大な鉛玉。被甲していないこともあって
後世に名が残るとしたら、それはもう口汚く罵られるだろうなと、性能試験をした時は思ったものである。
迷宮で使える物は、人間相手にも使える。
本当はアウルスが戦争にも口出しできるくらいの重役になってから、持ち出したかった。
剣もそうだが、銃があると人間は使いたくなる。
今は割に合わなかったとして、征服地を放り出して亜大陸に引き籠もった帝国だが、またぞろ征服欲を出したらどうなるか。
考えるだけでも恐ろしい。ポエニ戦争以降のローマめいた、属州は増えたが国家としては弱体化した、なんて笑えない有様になって欲しくない。
特に、運命は何の皮肉か知らぬがアウルスにカエサルの家名を与えた。
今の帝国は三頭政治の時のように、多数の征服予定地を掲げて多方面戦争状態にはないけれども、ベリルには何らかの宿命を感じざるを得なかった。
アレには月桂樹の冠も貝紫のトガもナリだけ見れば似合うだろうが……内面には全く似合わないし、皇帝になんぞなられては困る。
然りとて、死ぬかも知れぬ死地を放っておく訳にもいかんので、どうしようもない。
ギリギリまで積み荷の中身を隠せれば、それでよし。大量の矢玉を届けようとした、くらいに誤魔化せば、また暗がりまで隠しておける。
だが、もし本当に帝都の半分が焼けて、それにアウルスが巻き込まれることになるなら、銃火を上げさせることをベリルは躊躇わなかった。
その後で、凱旋式の前より更にアクロバティックな踊りをして貰うことになろうが、死ぬよりはマシだろうさ。
「一抜けなんてさせぇねぞ、A」
慌てて商品になる予定だった馬車に積み込まれる荷物を見守りながら、Bは戦場に立つ覚悟を決める。
今の所心配なのは、Cが先走って一人で会館に向かっていないだろうなということだった…………。
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