帝国歴741年 年初 母親の威嚇/誓約歴2022年末 法解釈
帝国は他種族連合国家であり、大昔に手放しはしたが亜大陸以外にも多数の属州を持っていたこともあり、様々な人種と文化が入り乱れて混沌としている。
ただ、年賀の宴席にやって来た者達は、これは霊猿人……というより、どの種族からしても異質な光景なのではないかと思った。
「あー……親子仲が睦まじく、よろしゅうございますな、アウルス殿」
「ああ……タレンティウス殿……よくぞおいでくださった」
海軍提督、タレンティウス・マルクス・アタナシウス・テレンスは、実は今宵の宴席にかなりウキウキとした気分を抱えてやって来ていた。
というのも、アウルスから内々の打診として〝造船工房〟を幾つか買収したい、との手紙を貰ったので、早速候補を幾つか用意していたのだ。
最初は穏やかな、帝国の亜大陸が蓋をしている緑の内海を航海できる船を試験的に造るそうだが、使い物になる補助艦艇が増えるだけでタレンティウスには有り難かった。シケリアなどの諸島属州や、跋扈する由来も分からぬ海賊共を締め上げるのには、沿岸警備用の小型船であっても活躍の機会はある。
欲を言えば最初から、現行の
そんな願望が吹っ飛ぶ光景が、宴席では繰り広げられていた。
「あー……えー……メッサリーナ様もご機嫌麗しゅう」
「あら、テレンス提督、お久しぶりね。どうかしら、今宵の爪紅、とっても素敵でなくって? 貴方の奥様にも映えると思うのですけど」
「か、家内は猫頭人なので、爪は普段見えませぬからなぁ……」
館の女主人と、その次男が同席しているのはいい。何処ででも有り触れた、普通の光景だ。
ただ、息子からの贈り物であろう極小の飾り硝子を散らした、真っ赤なマニキュアで飾った手を見せびらかす――迂遠に土産として注文してけ、といいたいのだろう――〝悪女〟ことメッサリーナの膝の上に、今年で19になろうという息子が乗っているのがあまりに異様だった。
かなり無理のある光景だった。ぶっちゃけドン引きである。
寝椅子の上で嫋やかに膝を畳んで座っているメッサリーナの膝にアウルスが座らされているものの、曲がりなりに軍人であるタレンティウスは、死角になる位置で息子が必死に手足を突っ張らせて体重をかけぬようにしているのが分かった。
まぁ、当たり前だ。アウルスは痩せ型だが背は高いし、帝国の規範たる市民にして貴族の中で見劣りせぬよう、そこそこに体が鍛えられている。良い物を食べていることもあって、ゆったりとした伝統的なチュニカとトガを纏った姿でも、貧相には見えぬ。
そんな男児が自分より背の低い、もう結構な年齢になる――外見は未婚の女人でも通じそうだが――母親の膝に全体重を預けられる訳がなかろう。
自分は一体何を見せられているのだろうか、などと困惑を抱いて海軍提督は一旦、その場を退き別の社交を温めることにした。
周りも普通に「いや、何だアレ……」「ご乱心召されたか……?」「いや、ほら、アウルス様の婚姻話がだな……」などとひそひそ会話しており、とてもではないが商談に華を咲かせるべく、別室に誘えるような空気ではない。
一応は挨拶を済ませたから、そそくさと奇妙な親子の前から辞したテレンスは適当な寝椅子に寝そべって、奴隷が運ぶ酒の中から外気に晒してキンキンに冷やしたビールを受け取る。
ビールを湛える器は、大きな透き通るジョッキのグラスだ。ここに余分な沈殿物などなく、琥珀に近い透明度の高い褐色のビールと晴れた日の雲のように白い泡が被ると、まるで天上の飲み物のように美しい。
近年では帝国軍が保存性と味を大いに気に入ったことと、ジョッキや細身のグラスに注ぐと非常に優雅な見た目から、ビールは一大ムーブメントとして貴族の飲み物として受け容れられた。
最初はアリカと同じ原料ということもあって懐疑的な目線だった者達も、ベリル工房制のかつてない透明度のグラスと合わされば、元の味が良いだけあって受け入れるのは実に容易かったという。
テレンスも試飲して、美味しさに驚いた物だ。それも一年間、本当に腐らないのか試すため蔵に放っておいた物で、味が落ちていたにも拘わらず。
それに酒精の強さも丁度良い。霊猿人がたっぷり飲んでも悪酔いせず、大体の食事にも合う濃さ。これが縁故によって余所より優先されて手に入るようになっただけでも、アウルスと昵懇になった価値はあった。
「……とはいえ、本当に……あの……あれだ……なに?」
しかし、年初とは思えぬほど暖かい部屋に通されて、その上で器に霜が降りるほど冷やされた酒を飲むという贅沢をして尚、先程見た光景の奇っ怪さは薄れなかった。
元々メッサリーナがアウルスを溺愛していることは、帝都社交界の中でよく知られている。一時はよからぬ噂も――凄まじく下世話な話なので、タレンティウスとしては思い出したくもなかった――流れたが、専ら甘い母親と出来息子のコンビとして知られており、今の所は不思議と悪い風聞も聞かぬ。
しかし、ここまですることは今までなかった。あれではまるで、三つか四つの子供を政敵から護ろうとしている母親のようではないか。
「なんだ、よくよく見れば、今日は年頃の女子がいないではないか」
ビールを飲み、乾した果物をアテに一息ついて冷静に場を見回すと、面子の錚々たるやは何時もどおりなれど、宴席に付き物の適齢期の女人が全くおらぬ。
僅かにいる女性は、例外なく既婚者ばかり。しかも、浮名を関しているような女性は一人もいない。
あとは政略的婚約以外では、浮ついた話をするのも早すぎる年頃の子供だけとくれば、余程念入りに〝篩い〟にかけられていることが見て取れた。
「……大変だなぁ、アウルス殿も」
そういえば、カエサル家は結婚話で相当にゴタついていたなと、海軍故に社交への
長子のプリムス様でもお家同士がつぶし合ってえらいことになっているので、長男がまだだから、ゆっくり調略していこうと思っていた悠長なお家はさぞ慌てたことだろう。
普通、有り得ないことだからだ。身内から魔王を出した負い目があるからか、亜大陸の西沿岸にへばり付いて引き籠もりがちである理力の民が、どうあっても一人は嫁を取ってくれと〝外交的な打診〟をしてくるなど。
元老院としては、寝耳に水どころか煮えた蝋を流し込まれたように驚いたろう。
さりとて、皇帝も議員も、じゃあ数少ない安心して背中を預けられる国のお願いなら……と考え成しにアウルスとの仲を取り持つこともできない。
任期が残り短く――軍政のため、特別案で少し在任期間が伸びていた――世襲にも興味がない皇帝はともかく、元老院側の家にアウルスと縁戚になりたい家が普通に多いのだ。
特にルフィヌス氏族が頑迷に抵抗しているようで、外交重視の議員団とバチバチにやり合っていると、弛んだ艦隊を引き締め直すのに必死のテレンスでさえ知っていた。
議場ではルフィヌス氏族――何故か
まぁ、無理もない。あの母親の膝の上で、参加者がドン引きしていることを誰より理解しているであろうアウルスは、良い意味で八方美人だ。
味方が多い故に、誰もが遠くに行かせたがらぬ。同時に外国との親戚関係なんて、糞面倒臭いことを抱え込んで欲しくない一派も多い。
彼は放っておけば放っておくだけ、金を生む
「もうやだ! やめる!!」と薄い笑顔が張り付いた青年がブチ切れた瞬間、色んな目論見がおじゃんになるのだから、無理もなかろうて。
ただ、一番頑迷に結婚を妨げようとしているのが母親というのは、難儀で哀れな話だなぁ、と提督は若き実業家を憐れんだ。
彼自身は結婚には恵まれているからだ。肩書きだけで貧乏くじに近い役職なれど、裕福な家の妻が嫁いできてくれたおかげで、生活の苦労は少ない。むしろ、親戚からの支援によって遅配していた給金の代替えができたくらいなのだから。
しかも妻とは政略婚とは思えぬほど親しい理想的な間柄ができていて、男児だけでも三人も恵まれる幸運がタレンティウスには訪れている。
そんな良いご縁がアウルスにもあればいいのだけど、これは相当に縺れような、などと他人事のごとく按じつつ、霊猿人の提督は二杯目のビールを運んでくるよう給仕に声を掛けた…………。
エール誓国の暦は太陰暦であり、そのため〝年始〟がいつからかは帝国と若干のズレがある。
というのも、理力の民が振るう理力式は、星辰とテルースの位置に深く関わり、同時に神事にも絡むので、どうしてもテルースの衛星たる月と、その孫衛星たる二つ目の月の位置が重要だった。
なので太陽暦を採用している帝国歴では年始でも、まだ末晦日と呼ぶ年末の時期にあるエール誓国は、厳かに新たな年を迎える仕度で公的機関もお休みの筈だったのだが……。
「だから、早く使節を発たせた方が良い!」
「もう持参金でも何でも持たせて済し崩し的に成立させた方が良いのでは?」
「まぁ待て! 向こうの法哲学的にそぐわないことがあれば、関係に罅が入る! それだけは何があっても避けねばならん!!」
にも拘わらず、首都の公会議事堂――彼等は魔王によって虐げられたため、頑なに共和制を守っていた――には議員が満座に詰めかけていた。
下は最下級の直階、上は名誉職の浄階まで。役職も神事を司る祈祷官から理力を専門とする詠唱官は勿論、法に関わる律令官から実務を行う要務官まで総ざらいの勢いだ。
それだけ、今回エール誓国に持ち込まれた〝天体望遠鏡〟は、彼等にとって重要事であった。
「かと言って、株式会社という形態は今の我等の制度では理解が難しいぞ! それに、使節団も問い合わせたが新規株式は最低でも10年待ちだそうではないか!」
「株式の入手難度が高いな……使節官は既に発行された物を売ってくれそうな家に目処がつけられなかったのか?」
「まー、無理ですな。理屈は複雑ですが、持っていれば数年で払った以上の金が返ってくる意味の分からないお札ですぞ。購入時の五倍でも首を横に振られました」
「だから嫁をとって貰った方が早いと主張している! 最低でもあと50本は
「んなもん千本でも足りんわ! というか、試供品を全部星詠宮が独占しているのは狡いぞ!!」
そうだそうだ、と会議は半ば野次とやっかみが殆どの、お前らもう居酒屋ででもやってくれよという低俗さを醸し出してくる。
まぁ、種族総天体フェチといっても過言ではない国なのだ。むしろ、大分お上品かつ理性的に進行している方であろう。
なにせ、最初に持ち帰った時の騒動は凄まじかった。
誰から使うかで、五人しかいない浄階の神職がつかみ合いの喧嘩をしたのだ。理力式を広範囲にぶちまけないだけの理性はあったものの、肉体を最大限に強化して行われた殴り合いは、壮絶という言葉でも足りなかったという。
今は文句を言い合っているだけとあれば、冷静と言っていいだろう。
「それより次の使節団をいつ送るかだ! 定例であれば夏だが、もう明日にでも送り込みたいぞ!!」
「あ、そうだ! 次は私が行くからな! 絶対だ! デ=ヴォルドス詠唱官だけ、あれより高倍率の望遠鏡を覗かせて貰ったそうではないか!」
「その件を忘れていた! 狡い! 狡いぞギルデリース詠唱官! というか、まだ詳細報告書を貰っていないが!?」
急に話題の渦中に持ち上げられた――できる限り気配を殺していたのに――ギルデリースは、どうしたものかと困惑した。
いや、正直に言えば仲間の気持ちが分かる。自分だけが、あの双子月のクレーターや遠大なる崖、その惑星面に向けている容の全てを具に観察したといえば、嫉妬の一つ二つ抱かれて当然だ。むしろ、見ているのが自分でなかったなら、彼女は攻性の呪詛でも嫌がらせに飛ばしたかもしれない。
実際、ちょっとした因果操作の呪詛くらいなら、甘んじて受け容れているのだ。近頃はとみに机やら箪笥の角に小指をぶつけて悶える機会が多いのは、一人だけ超高倍率の天体望遠鏡を使った代価としては安い。
「ああああ、あまりにも素晴らしい体験過ぎて、あ、あの法悦を言語化できる自信が……」
「〆切りは先月だろう! 急げよ! 最悪未完成でもいいから知りたいんだよ!!」
「畜生! 次は絶対に修辞学に優れた者を送れ! あと、言論に強い者もだ!! どれだけ金を積んでも、いや、名誉称号を贈って最大の礼を示し、またアウルス様に使わせて貰うのだ!」
「そうだそうだ! 早く帝国の元老院を口説き落として、直接にアウルス様に見合いの絵をだな! エール誓国中から美女を探してこい!!」
「探す必要があるか! 噂が流れた瞬間から希望者が多くて処理が追っついてないんだよ馬鹿!!」
「馬鹿とはなんだ馬鹿とは貴様!!」
混乱する議場の中で、一つの声が大きく響き渡った。
言語を持つ種族の会話において、間さえ掴めばこれだけ議場を強く掌握する言葉はなかろう。
「あっ……」
気付きの言葉は、一人の高位律令官が帝国からの迂遠な「ちょっと待ってね」という回答書を読んでいてあげたものだった。
「向こうの相続的に結婚と急に言われても困るし、霊猿人は一夫一妻制なので国内政治を重んじればと否定の論拠が手紙にあったのだが……これ、我が国内に限った婚姻契約なら、向こうの法律的にもイケるのでは?」
一瞬の沈黙。
更に次の一瞬には、議場は拍手で包まれた。
その手があったかと。
彼等は神との誓約を重んじ、今も護っている種族だ。そのこともあって、かなり法律には厳しいが、同様に文言の解釈にも通じていた。
つまるところ、確たる縁故さえできればいいので、別にカエサル家の財産とか、帝国での立場とかは割と二の次なのだ。向こうでの覚えがよくなるに越したことはないが、今喫緊の問題より優先されるものではない。
アウルスとの間に誰かが作る子孫には、エール誓国内での地位と持参金を財産として残してもらえれば十分。帝国での財産とかそういうのは、向こうで勝手にやってもらって結構だろうと、ほぼ満場一致――ギルデリースだけが、小声で抵抗していた――で決定した。
斯くして、季節外れの使節団派遣は恐ろしいまでの素早さで、しかも帝国側の大使が「えっ、ちょっ、まっ……」と慌てて制止する余裕もなく組織されたという…………。
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