帝国歴740年 秋 凱旋式と毒饅頭
やっぱり、案の定、結句。
様々な同意語を頭の中で巡らせながら、ベリルは帝国勇猛社の屋上から、通りの喧騒を眺めていた。
ただの喧騒ではない。凱旋式の盛り上がりだ。
まだ陽も昇りきっていないというのに、まだかまだかと、かなりの人々が普段は寄り付きもしない――走狗の氾濫や、ガラの悪い探索者が怖いのだ――皇帝のコブ近くに屯している。
「まー、似合わねぇことで」
帝国における凱旋式は共和制ローマや帝政ローマのそれと似ており、軍事的な大成功を得た時に行われる。
とはいえ、近年専ら引き籠もっている帝国では、反乱制圧以外で軍を起こす機会がなく、海賊討伐や大規模な野盗の成敗で楚々と行うことが多かったので、かなりハードルが下がっていた。
斯くの如き前提があったとしても、探索者の偉業を讃えて凱旋式が行われたのは、かなりの〝異例〟であっただろう。歴史を総ざらいしたとして、初といってもいいやもしれぬ。
かつて地場の小粒な迷宮を潰した勇者がいる、という記録は確かにある。だが、それは地元の英雄止まりで、態々帝都まで招聘して褒め称えるようなものでもないから。
もし、皇帝のコブに並ぶ大深度の魔宮が攻略さえされていれば、今のような煩わしさをアウルスは味わわずに済んでいたろうに。
そして、ベリルも株主総会や第一次合同踏破遠征計画から、半月も間を空けずして、これだけの祝宴を催す準備に駆られずに済んでいた。
「もっと気張れよなぁ、地元勢……俺らも二次受けみたいなもんだってのに」
勇猛社の屋上。私的な宴会のために設えた場所では、大勢が忙しそうに絨毯やら机、そして帝国の宴では欠かせない寝椅子を抱えて走り回っている。今宵は天気もいいので、篝火を盛大に焚いて屋上で有力者を招いた夜会を催す予定となっているのだ。
参列者は錚々たる顔触れで、皇帝を始め元老院の有力者や帝都有数の金持ちばかりだ。ただ一つの粗相すら許されず、手配の不足一個でアウルスの顔に泥が付くこととなるため、走り回っている奴隷の一人に至るまでかなりの緊張感を帯びている。
同じく、勇猛社会館西棟の飯場では、振る舞い飯や豪勢な夜会の食事を作るため、カエサル家から引っ張ってきた料理人や現地採用組が忙殺されていよう。
そんな中で、ベリルは一人喧騒から離れてのんびりしていた。
デヴォンの初姫様は現場指揮者で自分が動く必要がないから、と言うのもあるが、払暁と同時に社屋から出発する、親愛なる勇者達を一目見ておきたかったのだ。
「かえーそーに。株主総会で演説打つのも恥ずかしがるアイツが、英雄として前歩かされるたぁねぇ……」
暫くすれば鼓笛の音と共に――契約探索者の有志を募った俄仕込みだから、不格好だろうが――元老院の前まで歩いて行って、皇帝を先頭にお迎えしお褒めの言葉を頂戴する。その後、七つの丘の頂点を巡る予定の悪役面が、前世からの腐れ縁からすると哀れでならない。
本来、Aはこういうのが好きでも得意でもないのだ。むしろ、会社の表彰でさえ人前に出るのを疎むような男が、今までよくやってこられたものだと関心していたというのに。
前世の彼は目立つのも写真も本当に嫌いだった。集合写真では上手く他人に被るように動いて顔を写さず、表彰しようかと内示が来ても金一封を断ることになろうと辞するような男。
人によっては万金を詰んででも先頭に立ってみたい、と思うような行列に参加することとなったアウルスは、前日までヤダヤダと子供みたいなダダを捏ねていた。
カリスかブレンヌスでいいじゃない、と主張する社長であるが、そうは問屋が卸さない。
帝国行政府としては、帝国市民、それも模範たる貴族階級がやったという実績が欲しいのだ。
これは皇帝も元老院も同じ意見で、アウルスが否を言えないよう勅命という形で指示が行われている。
国家を国家たらしめるには、体面というものが欠かせないのだ。特に元首政による寡頭政治によって、少数の権力者が多数の平民を従えている状況下では。
コイツら使えねぇな、という下々の者からの評価が広がった場合、それは反乱という形で現れる。これを期に権力を握ってやろうとする者が焚き付ければ、混乱は枯れ野に放たれた野火の如く広がっていこう。
少なくともベリルは、帝政ローマの衰退期ともいえる軍人皇帝時代みたいに、ポコポコと慌ただしく皇帝が変わるような事態はご免被る。そうなれば商売だとか迷宮は客だとか言っていられなくなる。
だから、今の支配者層が成果を上げていると示威する必要を認めるし、泣き言を言うアウルスのケツも蹴り上げる。
なんやかや言って頑張る性質の男だが、彼は何時だって誰かに背中を蹴り出して欲しがると分かっているから。
「まーだ四層踏破から十日だってのに、忙しいったらありゃしねぇ。アクロバティックに躍りすぎだろ、アイツ」
そして、この示威を行えていることは、アウルスがある種の〝政治的に困難な局面〟を上手く乗り切ったことの証明でもある。
まず彼は、カリスが聖痕に対して敷いていた箝口令をより強力にした。四層踏破に関わった面子は、最初から西棟にカンヅメにさせていたし――その辺り、Cは前世の職歴もあって情報統制に余念がない――少しでも事態を知っている全員に、身内相手でも漏らすなと厳命し直したのだ。
勿論、飴は付けてある。第四層発見時にも支給した特別報償を倍にもして押しつけ、更には〝帝国市民権〟の授与を確約した。
秘密を守れるのであれば、と太い太い釘を刺した上に重りまで載せるような対応だ。
出生届けさえ出せば無料で手に入る日本の戸籍と違い、帝国市民権は非常に貴重で重い。
平民と明確に異なり、名誉階級となり財産を築けば貴族にもなり得る絶大な称号。
これを買うためには膨大な金か、補助兵として一五年以上、軍団兵になってからも十年以上はお勤めしなければならないと言えば、その重さが分かるだろうか。
迷宮を破却した者には帝国市民権を与えるという御触れによって探索者が増えた先例を考えるに、これは釘として十分以上に効果を発揮している。
次にアウルスは自分の父、ガイウスへ相談をした。季節は折良く夏。属州視察から帰ってきた父親の知恵を拝借するのは、ある意味で当然である。
何故なら、Aはこの期に及んで思考様式の基本が前世から乖離していない。奴隷という身分を使うことには慣れても、酷い扱いを絶対に容れられず、また見栄を張るために大金を投じることを〝
だから現地の高官として感性を磨いた身内からの助言は、絶対に必要だった。
ガイウスは異様なまでに膨れ上がった迷宮からの利益を聞き、更に〝聖痕〟という毒饅頭の子細、及び効果の類推を知り、珍しく難しそうな顔をしたのだ。
元々、眉間に寄った皺が癖になりきるような渋い顔の人間が、表情を更に濁らせるような品とあれば、やはり
ガイウスは、とりあえず皇帝、及び元老院でも力ある一派に多少無理のある日程で渡をつけ、聖痕の可能性について息子の代わりに説明してくれた。
限りなく迂遠に、同時に益より危険性に重きを置いて。
これは息子の身分、及び頭首か否かといった地位を比較して、アウルスが説明役をやるよりも己が出て行った方が、全てが上首尾に運ぶであろうと考えたからだ。
身分の軽重のみならず、この毒饅頭に腹を下さない相手を選ばねば、帝国は間違いなく中毒を起こす。真偽定かならざるとしても〝寿命が延びるかも〟なんて噂が出回っただけで、現行の迷宮探査計画を白紙に戻し、再考する必要が出てくる事態になり得る。
寿命が短い種族が聖痕獲得ツアーをしたい、なんて抜かし始めたら、迷宮の破却自体がご破算になりかねん。
話とは愚直に全てを詳らかにするだけではならぬ。相手、時、方法を絞って話すからこそ、情報は力を持つ。
個人では反逆に取られかねない重要情報も、素直に上と相談し、重役を何人も抱えて合意の上で秘匿したならば、それは立派な大義名分を得た国家戦略だ。後で黙っていたことが他の有力者や市民にバレても、結局は帝国全体の意向だった、ということでアウルスやカエサル家への非難はグッと減るであろう。
とてつもなく魅力的な――同時に限りなく危険な――聖痕の情報を上手くガイウスが調理してくれている間に、アウルスは別の政治的な案件へ取り組んだ。
元老院に寄付をし、迷宮探査が進んだことを記念する貨幣の提案したのである。
今回、カリスが倒した犀のような角を持つ熊虫めいた走狗から出てきたような、一抱えもある金塊複数の使途を寄付に定めたのは理由がある。
帝国安閑社も勇猛社もかなりの規模と利益を上げる法人ではあるが、公社ではないので利益を上げすぎるのは拙い。元老院と皇帝が持っている株式は二割に過ぎぬため、還元率が低すぎるのだ。
かといって、大量の金を考えなしに市場に放流するのも良いやり方とは言えぬため、彼は素直に換金するより貨幣の発行に充てて貰おうと考えつく。
テルースにおける貨幣とは貴金属を価値の共通規範とした本位貨幣であり、含有される金属の多寡によって価値が決まる。これは帝国でも変わらず、Nグラムの金を含んだ貨幣なので、これだけの価値があります、と誰もが簡単に信じることが能う実体通貨だ。
帝国の金貨は90%の金に10%の銅を混ぜた合金で、約8g前後になるよう調整される。
つまり、元となる金が増えて貨幣に鋳造すれば、一割増しの価値があるものとして市場が潤うのだ。信用通貨と違って実体があるので、大量に鋳造したとして貨幣価値は暴落しないし、国家としては何もしていないのに歳入が増えたと同じ扱いなので、とても助かるだろう。
似たような制度をしていたローマは金や銀鉱山の産出減少に伴って、人口と経済規模に貴金属の保有量が追いつかなくなった。それ故、市場全体に流通させられる金貨や銀貨の含有量を減らして対応したが、却ってインフレを引き起こし酷い経済破綻を来すこととなる。
テルースの帝国では定期的に寝返りを打つ鉄洞人の山によって、金と銀は安定的に供給されてきた。それも、貴金属が貴金属としての価値を損しない程度に。
あるいは、これもまた、世界の内側を管理する神々の差配なのやもしれぬ。
なので行政府と元老院にとって、この純粋な金の持ち込みは、正しく奇貨だ。
アウルスは大変な忠臣として元老院の興味を買い、これまでの功もあって、今まであまり良い目で見ていなかった議員の歓心も買った。
帝国という国家そのものに、行為のみならず利益を以て帝国勇猛社、ひいてはアウルス個人が忠誠を示していますよ、と認めさせたのだ。
全てを自分の利益にできる中で、率先して上位の団体に利益を供出することは、忠誠心が何処にあるかを示すよい示威行為となろう。
敵は作らず、味方を増やす。彼の基本方針に徹底した金の使い道は、今も変わらぬ。
そのご褒美が、この凱旋式である。
繊細な所は巧みな父に任せ、力押しで行ける部分は文字通り〝金で頬を叩いて黙らせる〟政治的にアクロバティックな振る舞い。
これをして尚、合同遠征が総合的に“黒字”なのが凄まじいところ。
元老院の親アウルス勢が――株主などの利益共同体とも言える――流石に凱旋式だけだと可哀想だから、記念鋳造する予定の貨幣を公金として勇猛社に注入してくれたのが大きい。
そうでないなら、探索者に払う報酬金を含めた人件費を計上すれば、ちょっと足が出ていたことだろう。周りにいい顔をして、いい思いをさせてやっていた福利が帰ってきたようなものだ。
とはいえ、仮に赤字だったら赤字だったで、金銭的ではない利益を得られる構図だったので、別にアウルスとしては構わなかったろうが。
「とはいえ、なーんか悪い予感がすんだよなぁ」
何か、そう、自分達の失敗によって引き起こされる物ではない、〝ナニカ〟をベリルは感じる。
政治とは個人競技的な性質と同時に、複合的な環境によって成り立つ集団競技だ。天才的なプレーヤーが試合を牽引することはできても、全体的な勝敗はチームの質によって決する。
野球のようなものだ。どれけ投手が好投してもエラーで出塁されたり、バッターが打てなかったりすると勝てない。
帝国と似ているローマに準えるなら、グナエウス・ポンペイウスあたりが良い例だろう。かつてない富と版図をローマに与えた彼は、政治的に足を引っ張る連中によって敗北させられた。
誰かが鉄板の一番人気を転ばせたせいで、有望株が諸共に転倒し、塩っ辛い試合になることなんて歴史上に何度でも起こった。
得てして舞台に立つ役者や選手は、斯様なボロの切っ掛けに気付きづらい。端から市民として、生産階級として関わっているから分かることもある。
「俺、直感は効く方なんだよなぁ……何かなぁ……アイツじゃなさそうなんだよなぁ」
独白を掻き消すように、ぷぁーっと気合いの入っていない――偏に奏者をやっている契約探索者が下手だ――笛の音が響いた。
凱旋式の始まりを報せる音色。集まった民衆が、無責任に盛り上がり始めていた。
彼等に見送られ、会館から出て行くアウルスから匂い立つものではない。
実質的な英雄として、またアウルスの護衛として付き従っているカリスからでもない。
それに、彼等からは血の臭いがしない。
だのに、遠くから燻されているように香る嫌な臭いはなんだろうかと、職工は首を傾げる。
かなり感覚的な、正しく直感としか呼べないので言語化が難しい。
アウルスの命が危ない、ということはなさそうだ。アレは保身の権化であり、如何に他人を不快にさせないまま金を稼ぎ、穏当に身分を上げるかに腐心している。その方針は、下準備の段階で「残機なんてないから、命大事にで」と当人がBとCがウンザリするほど口にしていた。
死んで欲しい人間より、彼の鼓動が続いている方が都合の良い人間は帝都で圧倒的に多い。
また、保身の重ね駆けとして、つい先日、儀礼の問題で一時帰国することとなった理力の民に、五本もの量産型天体望遠鏡を贈呈する保険を作った。
何でも理力の民は星辰の位置によって理力式の使い方が変わるため、多かれ少なかれ天体フェチらしい。となると、50倍もの倍率を誇る天体望遠鏡は――ギルデリースが触れた160倍の物は、技術実証用の試験品である――理力の民という国家そのものを大きく興奮させるだろう。
外国からも大事にされるようになれば、地盤は益々硬く、安全になる。
それに、前々から温めていた探索者をモチーフに持ち上げた、新勢力が登場する〝征服と統治〟第ⅩⅣ弾、地底の勇者達も版画が仕上がってきており、民生分野での金稼ぎも絶好調。
新しく、茶褐色の枠を用い、デッキトップを捲って、その種類によって闘士が強化される、“探検”というかなり博打要素が強い特色を持つ勢力は、今の事情も相まってよく売れるはず。
なにせ坊主めくりという遊びが、まだないのだ。どれだけ博打要素が強かろうと、そう揶揄されることもなかろう。
化粧品、燐寸、リヤカーに工業製品。逆に作っている物で売れ線でない物があるのか、という好調度合いで、版画を流用した字が読めない下級階級向けの宣伝工作も良い感じだと聞く。
では、何が心配なのか。何が血の臭いをさせているのか。
こればかりは、調べてみないと分からない。
「
「あぁ? 違ぇよ、そっちゃ個室に持ち込むヤツだ。篝火の下だと色味が変わっちまって地味だ。指示書に書いてあんだろ。一々俺に聞きに来んな」
「搬入用の札が取れてるのがあるんすよぉ。雑な仕事するヤツがいて」
「ったく、何処の馬鹿だ……」
どうあれ、現在進行形の仕事を片付けねばならない。十年後を考えて動くのは大事だが、予定を重視過ぎて今日死ぬようなことになったら笑うに笑えぬ。
やはり、事態に干渉するのが三人きりだった下準備の空間と違って、テルースは侭ならないと思いつつ、ベリルは仕事をする者達の群れに交じっていった…………。
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