帝国歴740年 秋 ご褒美になっていないご褒美

 帝国暦740年秋。帝都は、一つの報にて激震した。


 帝国勇猛社、未踏の領域を一度の攻略隊にて踏破せり、という報せは帝都の人々を貴賓問わず沸かせた。


 皇帝のコブを破却できた訳ではないし、まだ終わりではないのかという一抹の落胆を覚えども、火種としては十分な火力の報せであった。


 盛り上がるのに、つまり大勢で騒いで酒を飲むのに大した理由は要らぬというのが人間の性質だが、長く帝都に恐怖を齎してきたモノの終わりを予感させる吉報は、人々に心からの喜びを齎したのだ。


 勇者達の凱旋を勇猛社の探索者のみならず、市民の多くが祝った。


 多くの邸宅が庭を開放して好きに酒を飲めるように祝いの席を設け、辻という辻が歓喜の声で溢れ、方々に帝国の旗が高々と掲げられた。


 「真逆、一発で中ボス倒してくるとはな」


 「あー、いや、あたしも、ぼちぼち引き返すかなー、とか考えてた頃だったんだけどさぁ……イケそうかな、と思ってつい、ね」


 しかし、その吉報はあまりに急であったため、企画した本人達にとって大変な報せでもあった。


 迷宮踏破の事業化と皇帝のコブ打破そのものは、帝国勇猛社の発足理由であるのでよい。


 ただ、予告なく大捕物をして入り口まで日数を待たず帰って来られると、出迎える側が大変なのだ。


 「しかも、こんだけ阿漕なやり方してる地上げ屋共が、限界に達する手前にワープゲート置いてくれるなんて思わないじゃない?」


 蓄えはたしかにあるが、宴を催すとなると中々に準備が大変なのだ。その上、噂を拡散する側は宴を開く側の都合など気にしないので、あっという間に広まって留めようもない。


 民衆の喜びとは火薬のような物で、一旦火が付いたら「お祝いは後日ね」と保留が効かぬ。集団化した人間とはまっこと、制御不能の固体燃料なのだ。


 そして、ここで大枚叩いて懐の広さを見せないと、貴族としての〝格付け〟が落ちるのが難儀だった。


 「あー……急使を出して中継に散った連中引き戻させて、元老院や民会への報告書用意して、取りあえずで倉から出せている祝いの振る舞い酒と飯の追加発注して……あまりに忙しい」


 下の方が騒ぐのは勝手だが、用意する上の方には熟すべき仕事が多い。アウルス自身が筆を執ったり、方々に足を運ぶ必要がない体制を作ってたりしていても、ある程度配下に指示は出さねばならないので、決して仕事がなくなる訳ではないからだ。


 のんびり昼頃出勤して、書類の二、三枚に判子を押すか、だらだらした訓示を考えてから夕方には退社、という有閑社長役員報酬泥棒への道のりは遠い。


 「いや、ほら、何か戦ってるとハイになっちゃって。まだ行けそう、もっと行けそうとついつい」


 「阿呆。不思議なダンジョンの定石を忘れんなよ。まだ行ける、はもう危険だって」


 「反省はしてるわよぉ……」


 「お前を失ったら予定が全部倒れるんだから頼むよマジで……明け透けに愚痴を言えるヤツが減ったら困る。たった二人しかいないし、今後増える予定もないんだからな」


 「はいはい、ツンデレ乙。そのナリでやられるとキショいわよ」


 「……お前も顔赤らめてんの気持ち悪いぞ」


 うっせ、と半巨人が軽く小突くと、痩身の霊猿人は大きく傾いで倒れかけた。


 「うっわ、ごめ!?」


 「いってー……加減しろ馬鹿! 鞭打ちになったかと思ったぞ!?」


 ともあれ、暫くはある物をあるだけ出して、好きに騒がせとけと時間を稼いだので――尤も、物品を卸し、管理しているベリルは忙殺が自乗されたが――二人で顔を合わせられているが、本番はもっと苛烈になるだろう。


 恐らく、皇帝個人か元老院どちらかからお褒めの言葉がかかる。


 そして、その儀式の仕度もせねばならぬし、具体的な報告の準備も要る。


 また何より……。


 「クッソ、その制御が上手くいかないのも、予定外の〝お土産〟のせいか?」


 「別に聖痕はあたし悪くないでしょ!? 文句はクライアントに言ってよ!」


 悲鳴を上げるカリス、その左手に輝く円形の紋章や、迷宮それ自体への更なる検証も必要となる。


 三人をこの世界に送った胡散臭い神。アレは「遊び心じゃよ」などと、不敬であることなど百も承知で拳骨を顔面にぶち込んでやりたくなる冗談を宣った。


 つまるところ、三人は何を以てしてゲームクリアかだけは知っていても、ルールブック自体は貰っていないのだ。


 勿論、ドロップアイテムの子細など、鑑定なんて便利スキルを用意してくれていないので、実験して調べていく他ないときた。


 「とりあえず……全員に出たんだな?」


 「ええ。正式な報告書は後で纏めるけれど、門衛を倒して結晶の破壊に立ち会った人間は全員」


 そして、迷宮を踏破するにあたって得られる〝ご褒美〟の存在も、初めて知った。


 如何に今まで迷宮が完全に破却された事例が少なく、また遠方に正確な情報が伝わらない時代のままならなさを思い知らされるかのようだった。


 「何人か、体にびっしり入れた墨のせいで気付かなかったし、あたしもシャワー浴びて初めて気付いたけど、これがあると中継点の門を潜れるわ」


 「なるほど。エレーベーターの通行証になる青いリボンみたいなもんか」


 「あれは一個あれば、パーティーの面子が変わっても平気だったけど、残念ながらこっちは無理ね。皮剥いでどうこうって代物でもなさそうだし」


 ナチュラルに怖いこと言うなコイツ、と流血を殆ど見ないアウルスは引いてみせた。


 帰還後、さっさと凱旋しようと五月蠅い配下を余所にカリスは幾つかの実験を行った。


 分かったことは三つ。


 一つは聖痕を持つ者と、その者が〝装備している〟と見做される品だけが門を潜り、入り口と中継点を通り抜けられること。荷車を引いて通ることはできたが、放り投げた物が自動で向こうの部屋に行くということはなかった。


 二つ目は、聖痕を持つ者だけが中継点の門を通れること。入り口近くに陣取っていた帝国勇猛社の探索者を捕まえ、唐突に入り口脇にできた鉄扉のある中継点の部屋に連れ込んで、通らせようと試みたが素通りするばかりだったという。


 これは、聖痕を持つ者が手を握っていたり、背負ってみたりしても同じだった。前者の場合は忽然と握っていた手が消え、後者の場合はそのまま無情に地面へ投げ出されたという。


 三つ目は、何らかの超常的な力を持ち主に与えるということ。


 「かなり力、というか体全体が頑丈になった気がするわね」


 「もしかして、あれできるようになったとか? ほら、例のアレ」


 「ステータスオープンってヤツ? 何にも起こんなかったわよ」


 そりゃ残念、と漏らすアウルスにカリスは、その能力を世界に持たせると、長期的な発展が阻害されるからやらないと下準備段階で言われたでしょうと呆れてみせた。


 「でも、人類の域は出ないわね。普通に刃物で傷つくし、マッチの火を熱いと感じる。心持ち、程度かしら。ただ、一番大きいのは……まぁ、見せた方が早いかしら」


 言ってカリスは執務机の上に置かれていたペーパーナイフを手に取った。


 封書を開けるための道具で、蝋で封をした巻物や手紙を開ける形ばかりの短刀には、鈍らと呼ぶにも足りぬ格好だけの刃があるだけ。


 しかし、それが低地巨人の、恐ろしく分厚いはずの掌を容易く傷付けたではないか。


 「……マジ?」


 思わず言葉を失う政治・経済担当。恐る恐る自分もと受け取って試してみるが、書類仕事しかしたことのない柔らかそうな手でさえ、薄皮が裂ける様子もなかった。


 「何かしらね、コレ。装備してる道具の能率を上げるのかしら。道具を無理矢理概念的に働かせているというか、本来の機能を発揮させているというか……ブレンヌス達は、風呂上がった後に靴が履きやすくて歩くのが楽になったとか、襤褸切れなのに何か髪が直ぐ乾く、とか言ってたわ」


 「ほ、ほー……えげつねぇな……」


 「無理ゲー半歩手前に近いクソゲー押しつけてきてる相手よ? まぁ、クリアされたら、何かしら重い代償でも支払わないといけない誓約でも負ってたんじゃない? 麻雀の役みたいなもんでしょ。難しければ難しいだけ、点は上がるのが相場ってね」


 「つまり、ふんわり分かってるだけでも装備の“効果”がガン上がりするってことか……」


 「レターオープナーで低地巨人の皮膚が切れて堪るもんですか。顔面ぶん殴った相手の歯も刺さんないのよ?」


 しれっと言ってくれるカリスに――ちょっと深く斬りすぎたかしら、などととぼけている――アウルスは頭を抱えたくなった。


 ただでさえ今後の予定が急に詰まってきて大変なのに、検証しなくてはならない重要案件が増えるなど、悪夢でしかない。


 友人が無事に帰ってきたことは嬉しいし、戦果を持ち帰ってきたのは言うまでもない。


 しかし、しかしだ。


 政治、ともすれば民族を揺るがしそうな問題を持ち帰ってこられると困る……。


 「寿命とか伸びてねぇだろうな、お前……風邪に強くなったり……」


 「あり得るわねぇ。迷宮の劣悪な環境下で体壊す人多かったし、それへの抵抗とかも得られてるかも」


 「ヤベぇよ、マジでヤベぇよ……どうすっかなぁ、隠していたら、それはそれで拙いしなぁ……後続組も取得できるとしたら、エグいなぁ……」


 もし己が国家元首であったら秘匿の一択だが、残念ながらアウルスはカエサル家頭首ですらなく、ただの次男坊市民に過ぎぬ。元老院にも席はなく、民会や市民からの支持は篤いものの“若すぎる”ということで無位無冠である。


 かなり好意的に解釈しても、帝国安閑社という新しい制度を束ねる者にして、帝都で上から数えた方が早い程度の金持ちというだけで、強権と呼べるだけの政治的熱量は持っていなかった。


 あと20も歳を取って、一人前扱いされたあと、いい家系から嫁さんを貰うなりして独立すれば元老院議員にもなれるやもしれぬが、それでもまだ足りなかっただろう。


 隠し事というのは、何処かから絶対に漏れるのだ。むしろ、綿密に隠そう隠そうとすればするだけ、致命的フェイタルな事態を引き起こしやすい。


 それが人類という生物の位階を一つ持ち上げるような物であったなら、どれだけ世が激震するか。


 発表するのは恐ろしいリスクを伴うが、隠すのはより拙い。


 こんな大事、黙っていたとお偉方に知られたら、その利益を独占しようとしたのかと突っつかれること請け合いである。


 「バレたら……よくて私財没収、市民権剥奪もあるかな……最悪……」


 「処刑もあるかもね。貴方殺して、財産取り上げたいって人も多いだろうし。それか、市民感情を考慮して流刑とか?」


 「おぁぁー、困る! とても困る! 畜生! お前らより寿命短いからって焦りすぎた!!」


 派手に動きすぎたかと後悔し、机に突っ伏しても遅すぎる。


 そもそも分かるかそんなモンとか、推測に過ぎなくても色々拙い、と転び回っても問題は解決しない。


 もしかしたら不老不死が手に入るかも、なんて曖昧な動機で、臨床結果エビデンスがない水銀でさえ、古代には珍重されとんでもない値段で取引されたのだ。


 まだ確実性なんぞ、いやさ効果さえハッキリ分かっていなくとも、某かの頭の悪いことを思いつく人間の発生を予防することはできなかろう。


 況してや、四層から持ち帰られる利益の莫大さが割れてしまった今では、欲深な阿呆が増える可能性は倍付けされているのに。


 「聖痕の効能次第じゃ三倍満だぁ……えらいことになったぁ……」


 「な、なんかごめんね……? ドラ増やしちゃったみたいで」


 「お前は悪くねぇよぉ……どっちかつったら、裏が捲れただけだしぃ……てか、誰も悪くねぇよぉ……強いて言うなら、地上げ屋の性質たちの悪さが怖いよぉ……人間っておいう生き物を知りすぎてるよぉ……」


 よもや迷宮探査を進める内に、報酬という形を取った厄を押しつけられることになろうとは、夢にも思わなかったアウルス。


 これでは経済的な価値があるなら、やっぱり破却なんてするべきではないのでは? という噂さえ囁かれ始めた中、益々動きづらくなるではないか。


 意図してやっているとなれば、地上げ屋の外神も大した性根の悪さだった。レギュレーションに基づいてご褒美をあげなければいけないなら、持て余すようにしてやろうなど、余程多くの世界を破壊してきたに違いない。


 これならばいっそ、数え切れない怪物や邪神として君臨する上位存在でも送り込んできて、地上で大戦争してくれる方がよっぽど楽で簡単ではないか。


 「遅かれ早かれ、当座のゴム供給源として迷宮には触っただろうけど、効率とガチさが仇になるなんて分かるかボケェ……ででこいクソDMダンジョンマスターぅ……」


 これが前世であったなら、酒でも奢って宥めてやるところだが、これから控えている仕事の多さを考えるとそうにもいかぬ。


 最悪を避けるために為すべき仕事が増えたとあれば、尚更酒に酔っている時間などなかった。


 この凹み具合は、アウルスがAだったころ、丁度良い角地の土地を見つけて企画が上手く行くかと思ったら、ほんの僅かな部分が何十筆にも分かれており、買収が地獄みたいになったと知った時以来かなとCは思った。


 今、彼女にできることは精々、優しく肩を叩いてやることくらいだった…………。 

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