帝国歴740年 秋 醜怪なる大敵

 何事にも規則、レギュレーションというものがある。


 技術力と金を注ぎ込みさえすれば最強無敵という印象へんけんがあるカーレースでさえ、ことこまかに車体全長がやれ何千mmまでだとか、使ってよい素材はコレだとか五月蠅い指定があり、資本力によるゴリ押しの権化が如き競技でさえ規則がある。


 だから、この世界を滅ぼし形而上学的熱量を得るというヤクザの地上げめいた、あるいは世界そのものを鉱床のように見立てた〝抗争〟にも何らかのレギュレーションがあるのだろうとカリスは確信した。


 形而上学における魂やらうんたらと市役所のようなあの世で説いた、如何にも神様で御座いますと宣うような外見の神にも、未だ影さえ掴めていない世界の侵略者にも何らかの規則がある。


 だからA・B・Cトリオにも、この世界に持ち込める物に限界があったのだ。


 三人の紐帯、事前準備の時間、脳髄と手帳に蓄えられるだけの知識。これが強力チートであることに疑いようはないが、それでも細やかとしか言えぬ。


 もし本当に一切のレギュレーションがなければ、ヒトん家で何やらかしてくれてんだゴラァ! とこの世界の創造主を上回る力を多数の現地人に与え、迷宮を破却するよう洗脳し、橋頭堡なんぞ生まれた端から虱潰しにさせればいいだけだからだ。


 いやさ、況して余所の世界でバグの発生した魂なんぞ使うまでもない。内側を管理する、業務委託を請け負った神々に力を授けるだけで全てが片付こう。


 あの神が、そんな力業に訴えられなかったのと同様に、侵略者側にも規制がある、というのがカリスの想定である。


 「ははっ……タッパで上いかれたのは久し振りね」


 「姐さん! 笑ってる場合じゃねぇっすよ!!」


 迷宮四層、光呑回廊に潜って早四日。そろそろ一度引き返すかしなければ、迷宮の変容が始まって、死ぬ気で築いた中継点が役に立たなくなるといった時節。遂に帝国勇猛社の最精鋭、カリス直卒の第一班は四層の最奥に辿り着いていた。


 そこで待ち受けていたのは、果てなど無いと思っていた回廊の壁。両開きの荘厳な高さ6mにも及ぶ巨大な扉。


 そして、門前に立ち塞がる巨大な“門衛”の姿だった。


 それはあまりに大きすぎた。


 それはあまりに耐え難い臭いを放っていた。


 それは朽ちた亡骸が組み合わさり、牛頭の巨人を模した怪物だった。


 足は無数の脚が束ねられ隆々と盛り上がり、手は絡み合った腕や拳で形を成す。そして、頭部や関節は、様々な種族の頭部を出来の悪い粘土細工のように押し固めて作り上げている。


 「上背は40歩調約3.6mちょいって感じかしら」


 回廊の最奥にて待ち受けるのは、強大な敵ボスというのが相場というもの。


 これもまた〝レギュレーション〟に従ったお決まりごとなのだろう。


 Aがアウルスとしてやっている経済戦略のように、軍事にもどうしようもないように思えることはあっても、一方が絶対に勝って、一方が絶対に負けるということはない。


 そして、これは世界の内側を管理している神性と違って、世界の外側まで含めた形而上の熱学を通貨として戦争をしている上位存在にとっても同じことなのだ。


 ゲームや試合はクリアできるからゲームと呼ぶ。


 一方的に勝つか負けるかしかなさそうな戦争でさえ、どう転ぶか分からぬのだから、当たり前と言えば当たり前だが。


 オタク趣味を共有していたトリオからすると、バグやそもそもの未完成でクリアできない物はクソゲーと呼ぶことすら烏滸がましい。


 だから、一応はこの世界を簒奪して形而上学の熱量を得ようとしている連中にも決まり事はあるのだろう。


 故に走狗は無尽の勢いで押し寄せてこないし、人類側も数万の軍勢で圧倒できない。


 繊細な、地上を這いずっている人間には理解できない強固にして複雑なレギュレーションがある。


 なればこそ、こんな異形が立ち塞がれども〝やりよう〟はあるのだ、とカリスは愛剣の柄に唾を吐きかけて保持力を高めた。


 「やるわよ! 後衛! 取りあえず滅茶苦茶に撃って様子見!」


 「お、応!!」


 指揮官の心が折れず、勇猛に立ち向かう姿を見せれば兵子も応えるものだ。異形の怪物を前にして一歩も引かぬ頭領の男気――本人は繊細な乙女を自称して憚らないが――に駆られ、怖じ気づきかけていた探索者達に力が戻る。


 弓手ゆんでは矢を取り、前衛組は各々の獲物を掲げる。


 「私が盾と囮をやる! この体より下手に前にでないこと!!」


 「応!!」


 規格外の相手であってもカリスは退く気はなかった。


 勝ち目はある。元々、彼女自身が低地巨人という、テルースにおける標準的人類たる霊猿人では、腕相撲も成立しない規格外の体を持って生まれたのだ。


 なら、どれだけ敵がおっかなかろうと、どれだけ醜かろうと殺す術はあるのだ。


 「お、ォ、ヲぉおオォヲヲヲ!!」


 形容しがたき、亡骸の巨人を造る数多の口が挙げる絶叫が戦の始まりを報せた。


 初手は巨大な手を頭上で組み合わせ、槌と変じての打擲ダブルスレッジハンマーであった。


 カリスはこれを盾で受け止める……と見せかけて、ギリギリまで惹き付けてから半歩左に退くことで躱す。


 巨大さとは質量なのだ。あの大きさであれば、軍隊で使っている時とは違う小さな盾では受け止めきれない。低地巨人の尋常ならざる膂力を持つ筋力と、異様な粘りを持って巨躯を支える骨格を以てしても危険だと判断してのことだった。


 事実として、低地巨人の出力と頑強さに任せた防御ではなく、回避を選んだのは正解と言えただろう。


 際の際で躱し、踏みしめた地面が打擲の余波で粉砕され、身動ぎすることとなったのだから。


 受け止めていたならば、盾を斜に構えて衝撃を逃していたとして潰されていた。


 「ははっ、こっわ」


 乱れた地形から脱しつつも、カリスは後衛が果敢にも放った矢の軌道と効果を見逃さない。


 「ぅ、ヲぉォおオヲ!!」


 効いている。巨躯に刺さった鏃は些細としか呼び様がない大きさだが、亡骸が、恐らくはかつて迷宮に挑んだ者達から成っているであろう怪物の一部が剥離したのだ。


 そして、ダブルスレッジハンマーという強力なれど後隙の多い攻撃に反応し、手首の辺りめがけて斧を叩き込んだブレンヌスの一撃も、死体の飛散と剥落という形で現れている。


 「姐さん!? あんまり効いて……」


 「いや、効いてる!! 撃ち続けて!! 前衛も諦めず斬り続けなさいな!!」


 一見しては攻撃を意に介していないように見えるが、確実に効いている。


 この巨体、低地巨人より巨大な山岳巨人に吾する、巌もかくやの肉体を成しているのは圧縮された死体の山なのだ。


 一撃受ける度に飛散する肉体は、一撃で破壊されぬよう防御の働きも熟すが、疑いようもなく屍の巨人そのものの体積を削ってゆく。


 盛大に血を流すでもなく、痛みに悶えるでもない様に押されそうになるが、あれは間違いなく倒せる手合いなのだ。


 少しずつでも肉体の構成要素を削っていけば、果てはある。


 然もなくば、この迷宮はクソゲー未満だ。


 「前衛は手足! 後衛は顔か胸を狙いなさい!」


 「「「応!!」」」


 振り回される手足は衝動に任せてやっているとしか思えない乱雑さで、殆ど無造作といってもよい。武の理は滲まず、ただ暴威として振る舞っている。


 ナリこそデカいし恐ろしげだが、強敵止まりだ。


 倒し得ない理不尽ではない。


 つまり、高難易度のゲームではあってもクソゲーでも無理ゲーでもない。


 カリスは自らに流れる低地巨人の血が沸き立つのを感じていた。


 アウルスは霊猿人、元々のホモ・サピエンスと大差ない肉体に生まれ落ちたので知らぬだろう。ベリルは前世から物作りが好きだった上で、今生の役割を認識しているので、影響を受けているなど露ほども感じていまい。


 この本旨を果たしている状況において得られる快感。低地巨人が命を賭ける戦いに身を興じる喜びを。


 本能が訴えかけるのだ。別の肉体だったことを覚えている魂は、どこか冷えているが、抗いようもなく炙られている。


 本能は戦いを求めて止まぬ。低地巨人とは、それに向けて自身の小型化さえ受け容れ、質量と武が辛うじて同居できる〝レギュレーション〟に嵌まった種族なのだから。


 性的な絶頂が軽く思える歓喜と熱情が愛撫として肉体を撫でていく。


 もっと、もっと激しく。


 体高で上を取っていることもあって、死体の巨人の戦法は単純だ。


 上から叩き潰すか、下から掬い上げるか。


 「姐さん!」


 「よっ、ゆう!!」


 横から薙ぎ払うかだ。


 腰を屈め、地面に擦れるような低きを襲う横薙ぎの左拳をカリスは迎え撃った。


 霊猿人基準では巨大に過ぎるが、低地巨人では普通の寸法に見える盾を構え、激突の寸前にむしろ自分から進んで拳にぶつかっていく。


 叩き潰されるのではない。上から地面に叩き落とし、相手の運動を強引に潰しにかかったのだ。


 腐汁と臓物、死体の肉を弾けさせて拳が手首からもげ落ちる。


 「お、ぉォヲをおォぉ!?」


 魂や自我があるのかは分からぬが、死体が悶えてもんどり打った。もげて失せた左拳は見る間に再生しているが、元を成している死体を拳に回したからなのか、目方が目に見えて減っていく。


 「っしゃぁ!! 俺も……」


 「馬鹿!?」


 分かりやすい敵の損傷に釣られたのか、一人の探索者が槍を足に突き刺した。


 人間ならばそれは刺さった踝を破壊し、立てなくする痛手を与えただろう。


 だが、相手はあくまで人間の形を模しているだけで死体なのだ。


 人間の殺し方では殺せないし、動きも止まらない。


 「うあぁぁぁぁ!?」


 動かない筈の足が動き、探索者を空高くへ放り投げる。死体が前へと足を振り上げた反作用は当然の様に槍の担い手へと伝い、巨体はただの反射を立派な反撃へとならしめる。


 探索者は6mほど上に放り投げられただろうか。突然のことに脳が追いついておらず、体はバタバタと暴れて天地の判別もついておるまい。


 受け身は、当然取れぬ。


 人間は落ち方が悪ければ、僅か30cmの高さでも死にうる。とある業界でいえば、1mは一命取るとも言われるくらいに高所からの落下は恐ろしい。


 瞬き数度の後に地面に叩き付けられて探索者は、今まで迷宮に挑み、アレの一部と成り果てた物と同じ末路を辿ることとなるだろう。


 「だぁっ、危なっかしい!!」


 カリスの助勢がなければ。


 彼女は愛剣を放り出し、三歩の助走で放り投げられた探索者に追いつく跳躍を見せた。


 虚空で男の襟首を引っ掴み、手近な柱に着地。膝と体を撓めることで横ベクトルの加速を殺し、地面に向かって再び翔ぶ。運動エネルギーを相殺された肉体は、大地との致命的な抱擁を交わすことなく、あるべき地面に戻った。


 「あっ、姐さん……」


 「ぼさっと呆けてないで立ちなさい! 槍をなくしても剣があるでしょ! さっさと立て! 付いてんのか!!」


 「はっ、はい!!」


 あの状況から助かったことに驚き、一瞬忘我とした探索者が己を取り戻すよりも早くカリスは駆け出していた。命を救われた男も直ぐに気を取り戻し、投げ出されたせいで軽い打ち身を負って痛みを上げる肉体に鞭を打ち、予備兵装の小剣を抜いて走り出す。


 遠間に仲間の行く末を、視界の端っこで捕らえていた者達は股ぐらに血が俄に回り始めるのを感じた。


 情欲ではない。歓喜だ。


 道々の戦いで分かっていたが、あの低地巨人はよい指揮官だ。


 戦に兵士達を駆り立てるのは、何よりも率いる者の為人ひととなりだ。


 この人のためなら、この人の横でなら死んでもいい。


 この人を生かして帰し、更なる戦果を上げさせるためなら自分なんて安い。


 そう戦士の心を燃やす、屈強な背に続くことを喜びと認識させるのが、前線指揮官の要訣。


 無意識ながらカリスは最良の組頭として振る舞っていた。


 彼女は数の計算など常識の範囲でしかできない。


 経済のことや国の大戦略など分からぬし、前世から興味も薄かった。


 機械を扱うことはできても作れない。公務員として報告書を書くのに使っていたパソコンが動いている原理など、半導体という物を正しく理解しているかもあやふやだった。


 しかし、前に出ると言うこと。


 国家の僕として、戦うことを知らぬ、牙を持たぬ人々の代わりに前に出ると言うこと。


 そして何より、先を行き規範を示し、共に戦うという性能だけはAやBが適わぬほど知っていた。


 「うぅるだぁぁぁぁぁぁ!!」


 猿叫も霞むような轟音が横隔膜と喉の振動によって生み出され、死体に大鉈もかくやの愛剣を叩き込み続ける。呼吸のために開けた口に死血や腐肉が飛び込もうと、構いやしない。


 付き従う探索者達が死力を尽くし、死線を共にするに値するという立場を見せ、低地巨人にとって性交にも勝る悦楽を貪るために止まらない。


 だが、頭の一部は冷静に働いていた。


 「あそこ……!」


 矢や刃を浴びて肉体を欠損する度に厚みと高さを薄れさせていく亡骸、その胸部に淡い光を放つ〝核〟のようなものが、一瞬だが確実に見えた。


 巨体ボスのお約束、という物が過去の情景と共に思い出される。


 あれは下準備の部屋ではなく、生きていた頃、たしかAの部屋だ。


 何時ものように三人で屯して、ダラダラ酒を呑んで大分できあがった頃、酔っ払った状態でゲームの腕前自慢が何処までやれるのか、なんて大学生らしく馬鹿みたいなことをしていた。


 ああ、悪魔達デーモンズを倒してソウルを求める世界でも一緒だったじゃないか。


 「一瞬! 動きを止めて!!」


 「分かった!! 合わせろお前ら!!」


 最早、誰も指揮官の指示に疑問を抱くこともない。


 この人に任せれば、どんな大敵でも倒してくれるという信頼感が探索者を初めて英雄たらしめる。


 彼等は探索者なんぞ、暴力くらいしか自慢のない日雇いの仕事だと思って腐っていた。最初は英雄に憧れた筈だったのに。


 しかし、奮起する。諦観と日々を生きるための仕事という塵に埋もれていた輝きが。


 今一度、英雄にと。


 巨体を構成する死体が減った腕は細くなっていた。蠅を払うように振るわれていた手を潜って躱したブレンヌスが、すれ違い様に斧を見舞って指数本を切り落とす。そして、あろうことか右膝に組み付いたではないか。


 「くたばり損なった先輩共ぉ! 今楽にしてやるぞオラァ!!」


 そして、予備兵装の短刀を抜いて遮二無二に突き立て、顔が密集して膝頭を成していた部分を切り刻み始めた。


 それは彼が帝国勇猛社としてベリルに誘われた日、餞別として貰った物だ。鍛造された刃は腐肉を裂き、複雑に組み合った遺骨を切り裂いても鈍ることなく切り続ける。


 人間のように一突きに関節を破壊できないのならば、木を切り倒すように何度も切り分けるだけだと。


 刃がめり込む度に肉が弾けて、それに混じった骨が体を傷付けようとブレンヌスは膝から離れない。体についた虫を引き剥がそうと巨躯の指が背中を摘まんでも、全力で縋り付いて、短刀を振り続ける。


 「兄貴に続け! 膝だ! 膝ぁ崩せ!!」


 「律儀に人型してやがる! 倒しゃ隙になんぞ!!」


 探索者達も続き、膝に攻撃を始める。矢が突き立ち、槍の穂先と剣に引き裂かれれば、無事な部分から死体を寄せることで修復している巨人も一瞬崩れる。


 膝を成り立たせている機構が一時的に壊れ、巨人はどうと膝を突いた。その衝撃に探索者達は弾き飛ばされたが、幸いながら誰も地面と死体に挟まれて圧殺されることから免れている。


 その隙を活かせないなら、前線指揮官など務まらぬ。カリスは絶好の好機を逃さずに翔んだ。


 「逃げなさいな!!」


 手に持つのは籠目のような格子模様が入った金属の筒。


 一つだけ、物の試しにとベリルが持たせてくれた玩具。


 「アイツには内緒な」


 と古い友が託してくれたのは……無煙火薬コルダイトを大量に詰め込み、容器そのものを殺意に変換する兵器。


 手榴弾だ。


 銃と同じくアウルスが理力式で作った発電素子の金属片を、贅沢にも一度で使い捨てる雷管としたそれは、ピンを抜けば五秒後に発火するように設定されている。


 膝を突いた死体を一息に駆け上り、早く解放してくれと苦痛に嘆く死体の分厚い胸元に貫手が突き込まれた。


 その鮮やかさは、プロレスのフィニッシュムーブ、崩れた膝を足場に駆け上がる様からしてシャイニングウィザードを連想させた。シメこそ顎に向けての蹴撃でこそないものの、汗と血をまき散らしながらの跳躍は一服の絵画の如し。


 「伏せろ!!」


 僅かの後、炸裂。


 音も衝撃も、飛び散る鉄片も僅かであったが、それはなにもベリルの手榴弾が不良品だったからではない。


 全てを死体の巨人が呑み込んだのだ。核の間際で炸裂した手榴弾が、迷宮内の歪んだ法則の中心諸共に死体を砕き、同時に威力を吸い込む。


 まるで、ここで果てて〝再利用〟された者達が、せめてこれ以上同胞を傷付けてなるかと体を張ったかの如く。


 「ヲ……お、オォぉヺ……」


 か弱い悲鳴を上げて死体が悶える。体の端から肉体を成していた大量の手足、胴体、人の顔が解れて崩れ、迷宮の床へ吸い込まれるように消えていった。


 トリオをこの世界に導いた自称神は、世界を救う戦いを事業と呼ぶ。


 つまり一種のゲーム。規則は正しくあったのだ。どれだけ強大に見える敵でも攻略の手法がある。迷宮の作成主も、単騎の探索者であれば実質攻略不能なえげつない迷宮を構築しても、最期の最期では勝てる敵しか用意できない。


 それが分かったのが、カリスにとって最大の報酬。


 「やっ、やった……のか?」


 「かっ、勝った。勝ったぞ!?」


 「いよっしゃぁぁぁぁ!!」


 吹き飛んだ死体の一部や、肉に吸収されきれなかった鉄片の欠片を喰らった探索者達だが、敵が斃れたことを認めると、やや遅れて勝利という実感が総身を震わせたのだろう。武器を掲げ、兜を放り投げ歓声を上げる。


 勝利に湧き上がる探索者は、着地と手榴弾の炸裂が同時だったため、爆轟の余波を受けて倒れていたカリスへ群がって、その巨体を立ち上がらせた。


 「いでで……やっぱ無茶するもんじゃないわね」


 兜の合間、鎧の隙間、微かに飛び込んだ鉄片が肌を傷付けていたが、幸運なことに命や取り返しの付かない部位への損傷はなかった。


 精々、深窓の令嬢という形容が似合う顔に向こう傷が残るかもしれない程度であろう。


 「すげぇぜ姐御! 俺らは一生、帝都の歴史に名が残る!! 初めて四層に至って、しかも一辺に最奥を突破したんだ!!」


 「俺、一生姐御に付いていきます!」


 「うおおお! 帝国勇猛社ばんざぁぁぁい!!」


 もみくちゃにして歓迎してくる配下の頭を一度ずつ、優しく叩いていきカリスは興奮を収めさせた。


 まだ終わりではない。


 その証拠とばかりに巨人は倒れても〝何も残さなかった〟のだ。


 そう、何も。


 今までの走狗達が、一層の矮小な物でも何かしらの報酬を残したというのに。


 扉の向こう側に何かかがあるのだ。


 第一層から三層までは、次層への門衛などいなかったし、大仰な扉もなかった。


 ならば、この先にはとてつもない何かが待っているに違いない。


 「さぁ、開けるわよ」


 「うっす! って、おもっ……」


 「これ、中型から小型の人類だと一人で開けらんねーぞ!?」


 「どんだけ俺らに嫌がらせすりゃ気が済むんだコイツら!?」


 扉は見た目通りに重く、簡単には開かなかった。門衛を囮が惹き付けて、その隙に開けられないようにするためなのかもしれないが、番人に頭数を減らされすぎても開かなくなる扉。一体どれだけの悪意があれば、こんな理屈の上では攻略可能でも、限りなく難しくする発想が湧いてくるのか。


 「……これは」


 扉の向こうに待ち受けるのは金銀財宝……などではなく、光り輝く20面体の巨大な結晶であった。


 直系はカリスより少し大きいくらいであろうか。広大な玄室の中央にて、緩やかに回転する様は神々しくもあり、禍々しくもある。


 色は透き通った蒼からどす黒い濁った紺色へと不規則に変じており、一定ではない。


 「こいつぁ何だ? 宝石……って感じじゃねぇよな」


 ブレンヌスを初め契約探索者の一行は不思議そうに眺めていたが、カリスにだけは、この多面体が何なのか直感的に分かった。


 神託めいた閃き。この世界の起源と構造を知っていなければ、狂気に触れるような発想に耐えられたのは前世と下準備の期間があったからだろうか。


 これは、世界そのものから汲み上げられた力の形だ。多面体の形をとってこそいるが、あくまで基底現実、三次元空間上に投影された形而上学熱量の一側面に過ぎぬ。


 この形だと“脳が認識している”のは、三次元空間にしか対応していない肉体が、精神に負荷を掛けぬよう簡略化しているからだ。


 ふらりと触れようとする巨人の手が、一人の男の手に止められた。


 「姐御、何があるか分からねぇ。俺にやらせてくれ」


 それはカリスによって命を救われた男の手だった。


 「迷宮の品は何から何まで悪辣だ。それがよく分からねぇ、深層にあるモンつったら尚更だよ。だから……」


 「分かった。任せるわ」


 カンが何となく大丈夫だと告げていても、カリスは配下の献身を無碍にするまいと最初に触れることを許した。


 男が脅えるようにゆるゆると多面体に触れると……世界が歪んだ。


 結晶が弾け、目映い光が天を貫いて立ち上る。あまりの光量に探索者達が顔を覆った数瞬の間に全てが変じる。


 これは世界の結晶。本来ならば魂が輪転することによって膨大な形而上学熱量を生み出すはずだった資源が、動かぬよう一所に纏められた集積所。


 皇帝のコブにて果てた、或いは氾濫によって死んだ人間達や、その魂が持っていた可能性を簒奪して固めた熱量が侵略者の枷から放たれて、現世へと、在るべき流れへと戻っていったのだ。


 残されたのは、急に縮んで手狭になった部屋と、砕け残った結晶の輪。奥には歪んだ空間と共に別の部屋が映し出されており、見た者は直感的に「これを潜れば帰れる」と察した。


 「これで迷宮は終わりか……?」


 「いや、おい、マジかよ、あれ見ろ、まだ扉が奥にあんぞ……」


 だが、終わりではない。四層は果てではないのだ。


 ただの中継点。現実的に人間が持ち運べる食料と物資、それがギリギリ保つ距離まで迷宮を延伸する〝代償〟として用意されたレギュレーションの一つ。


 「ははっ、こりゃあハードね……喜びなさい英雄志願者共。まだまだ功名を用意してくれるみたいよ、異界の神々ってヤツが」


 難易度は高く、然れど公正に。


 更なる冒険の予感に震えるような、興奮と怯えを覚える一党は興奮のあまり、そして防具に遮られて気付かなかっただろう。


 察するのは、具足を脱いで会館の風呂場に入るとき。


 その左の手の甲に、小さな丸い、砕け散った水晶が最も澄んだ色をしていたのと同じ時の色合いで〝聖痕〟が刻まれていることに…………。

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