帝国歴740年 秋 諸刃の凱旋/性癖と功利

 前線が過酷なのは言うまでもないが、後方とて安穏に茶を啜っていれば済む場所ではない。


 前線で飛んで来るのが剣や矢玉であるのなら、後方には引っ切りなしに補給や支援の要請が飛んで来るのだから。


 「おぶぇ……」


 帝国勇猛社のオフィスにて、余人にはとても聞かせられない呻き声を漏らしながらアウルスは書き終えた書簡を放り投げた。


 拘って設えた執務机の上には、最早本人が記憶頼りで整理した情報がなければ、整頓できない高さで書類が積まれている。精々、時折ぴょこんと飛び出した互い違いの方を向いた書類が付箋代わりなのだなと察せられる程度だ。


 何かの間違いで風が吹くか、ちょんと突っつけば悲惨なこととなろう。


 本来アウルスは、このような雑然とした机上の有様を嫌うが、それをして仕事を優先せねばならぬほど、決済印を捺さねばならない状況だった。


 大半が今回の無茶とも言える迷宮最新層事業の前線から届く報告書であり、残った物も殆どが今回の一件に関するもの。


 補給の申請、迷宮探索中に破損した物資の報告、想定よりも多い損失への追加補給の催促。細かな内容は既に配下によって纏められ、何十枚もの書類がキチンと決裁書一枚に圧縮されているが、社長として“妥当性”が保たれているかは、どうしたって確認せねばならぬ。


 いや、それらはいい。帝国勇猛社社長としての仕事であり、自分の何十倍も雑然とした書類を事務方と経理方が、不退転の心意気でやっつけてくれているから。


 問題は、当初想定していた事務処理能力を上回っていることだ。


 戦場を覆う不可視の霧は、出資者であるアウルスでさえも包み込んで想定を裏切ってくる。人はRTSのように戦場を上から俯瞰し、一切の遅延なく命令を下せる存在ではないのだ。


 なので、実際に戦ってみなければ準備が十分だったか、戦略が正しかったかは分からないもの。この堆く積もった書類は、如実に見通しが甘かったと彼を咎めている。


 事務方からは「我等に余剰戦力なし。増援を要請する」と言われているため、9時5時のホワイトな環境を保ちたいなら、倍の戦力をよういしておくべきだっただろう。


 ブラックな仕事をして辛うじて回っているというのは、企業として大失敗だ。一日5時間から6時間くらいの労働で、さぱっと終わるのが理想としているアウルスにとって、今の状況は到底褒められたものとは言えぬ。


 さりとて、戦時と平時を同じく考える方が愚かなのも、また事実。


 それに多いとはいえ、許容量を超えた訳ではない。中継点維持と補給のために走り回っている人員の損耗も、走狗の襲撃によって受ける物資の破損も「勿体ないなぁ」の許容範囲に収まっている。事前に立てた予算は未だ潤沢に残っていた。


 問題は……咎めるのがとても難しい、探索者達が発揮しただった。


 さて、今回の大事業は前線から物資が次々と送られてくるという前提の上に成り立っており、当然ながら荷物を届けたリヤカーは補給担当班が帰りに使う荷5~7分の食料を除いて空となる。


 そう、前線と後方で物資のリレーが可能になったことで、帝国勇猛社の契約探索者達が気付いたのだ。


 これ、俺らが中継点確保のために倒した走狗からの戦利品を取って置いて、補給品を下ろして空になった荷車に載せたら、選り好みしないで全部持って帰れるなと。


 全員が仲間だという厳しい――カリスの教練は一種〝洗脳〟染みてすらいた――規律の下にある隊員だからこそ発見できた、余所では中々真似できないマンパワーと報酬社会的利益によって得られた発想と成果。荷車一杯の有用そうな走狗の素材と、燦めく金銀財宝を重そうに引っ張った契約探索者の帰還は、あまりに強く人々の目を灼いた。


 アウルスは予算をケチらず、リヤカーの上にかける幌を用意すべきだったと強く後悔する。


 いや、ある意味で探索者など博打好きの目立ちたがり屋なのだから、備えさせていても〝率先して地味に振る舞う〟ことなど探索者達は思いつかなかったろう。


 まだ最深層からの成果品こそ戻っていないが、第三層の成果物でさえ人々の注目を集めるのには十分過ぎた。握り拳大の宝石、貴金属の塊、一流の職工でさえ唸る細工品、契約がなければ懐に入れたくなる武具などを積載したリヤカーを牽いて、契約探索者達の補給部隊は凱旋した。


 いや、凱旋してしまった。


 これまでは帰還までの重荷になるとして諦められ、時に黄金色の枷として探索者達を罠に絡め取っていた報酬が、有り得ない効率で引き揚げられたのだ。それは目立とうというものである。


 一層と二層は契約探索者達の勢いに誘われ、自分達も第三層に挑めると思って突っ込んだ雑多な探索者達が掃除していたため、想定よりも道はずっと綺麗だったのだ。


 こりゃ駄目だ、と途中で諦めるようなトラブルも起きずに利益は引き揚げられてしまった。


 アウルスとしては、迷宮を攻略する旨みがあると出資者達を説得する武器にはなったのだが……手にした剣は、今まで迷宮にあまり興味がなかった層の興味を惹く諸刃の剣だったというオチになろうとは。


 帝国勇猛社の株が欲しいという話は引っ切りなしに来ていたが、強請る書簡は倍に増え、今忙しいから……とお断りして尚、子会社のオフィスに引き籠もっているのを知らない人々が、会わせろと帝国安閑社の社屋にさえ押しかけてくる。 


 更にお宝の噂を聞きつけて探索者になろうとする退役軍人やら、腕に覚えのある者達の志願でオフィスの処理能力は圧迫され、ついでもって「帰りに怪しい目で見られるようになった」と契約探索者からの報告が上がってくる始末。


 これはアウルスに更なる人員拠出を強いた。帝国勇猛社の事務処理能力は勿論――彼は深刻に窓か林檎の刻印を恋しく思った――補給部隊に〝走狗以外の敵〟を想定させなければならくなったのが胃を痛めつける。


 何処の世界にも不精者がいた。それこそ今までの非効率的な迷宮探査でさえ、帰還間際に報酬を巡って一党が殺し合うことがあったのだ。当然のように深層から帰って来る疲れ果てた探索者という、走狗よりも狙うのが簡単な獲物を好む不逞の輩も存在したのだ。


 出入り口が監視されているとはいえ、博打のアガリがデカくなると思ったならば、契約探索者達の荷駄隊を襲おうと考える馬鹿者も出てくるだろう。


 事実として、組織化する前から探索者達は「入り口が最も怖い」と言っている。


 それは専ら化物の腹に自分から入りに行くことへの恐れもあるが、利益を掠め取ろうとするヤツらがいるので気を付けろという警句でもあった。


 何といっても証拠の処分が要らぬのだ。死体はそこら辺に放っておけば勝手に消滅してくれるし、武器を使う走狗もいるため、多少怪しい傷のある死体があろうが如何様にでも誤魔化しが利く。


 深層からのお宝を最も簡単に引き揚げてくれるのが他の探索者とあれば、それは迷宮の破却も進むまい。


 実力のある者ほど、疲弊する奥に潜って美味しいお宝を持ち、入り口で同胞に襲われる。迷宮が用意した罠にしても、何とも悍ましく〝効率的〟ではないか。


 アウルスとしてはほとほと人間という生き物に愛想が尽きそうになったが、結局は自分も同類であるため、そこを上手くあやしてやる他はないと堂々巡りに鋏を入れる。


 仕方がないのだ。どこかの芸人が言っていた。人は他人より少しいい酒を呑みたがる生き物なのだと。


 魔なんてものは、さす時はいつだってさす。


 碌なもんじゃねぇ、と両手を挙げて稼いだ金に飽かして仕事を投げ出すのは簡単だが、それで後の人生が楽しいかと言えば断じて否だった。


 「ま、楽であることに違いはあるめぇが」


 日本語で一つ嘯いて、アウルスは目頭を揉み、再び書類との取っ組み合いに戻った。この後は職員や流石に顔を合わせないと拙い人々とも言葉でぶん殴り合うのだ。書簡は黙って愚痴を聞いてくれるが、さりとて自分から減ってくれはしない。


 それならば、利益に聡い海千山千の財界人や貴族と喧嘩するよりは、手さえ動かせば帰ってくれる分、ずっとずっとマシだ。


「あー……温泉行きてぇ……そういや、結局行きそびれてたなぁ」


 疲労を引き摺りながらも、まだこっちは直接死ぬ危険がないのだから、我慢するかと腹を括った男の手が書類を掴む。


 仲間は一人、灯りさえない中を進み、もう一人も仕事を捌いている。前線で斬った張ったをしているカリスは勿論、持ち込まれた大量の品物を「とりあえず頼む」とブン投げられたベリルはベリルで、そりゃあもうハチャメチャな目に遭っているだろうから。


 終わったら慰労で療養地にでも三人で逃げるか、と密かに予定を立ててつつ、紙の上での戦争が再開された…………。












 肉が拉げ、血が飛び散る音が響く。


 硬めに硬めた拳が腹や頬を穿ち、歯をへし折らん勢いで一切の遠慮なく振り回された。


 「あーあー……もーやだ……」


 しかし、ここは娯楽として人間が殺し合う拳闘の舞台でもなければ、場末の酒場でもない。


 品も格もある筈の帝都はデヴォン氏族の本工房……だった筈だ。


 「馬鹿野郎! こんな上物を割るなんざ正気かテメェ!!」


 「じゃあ、誰の指になら収まるってんだよ、オオォン!?」


 「頭でも首でも良いだろうが! 石への冒涜だぞカナクソ野郎!!」


 「んっだと!? じゃあ、テメ、まずそれぶら下げて生活してみろや煤灰野郎め! 何日目で首の骨が歪むか見物だなぁ!!」


 場末のチンピラでも怯むような剣幕で殴り合いの舞台と化したのは、ベリルの工房ではなく、帝都本元の父グインの工房だった。量産品ではない鍛造した鋼の剣や鎧を生みだし、野太い指が不釣り合いに繊細な細工品を作り出す工房が、職人達の熱情で爆発していた。


 全てベリルが持ち込んだ迷宮からの成果のせいだ。


 「あの野郎……価値の鑑定は俺の方が上だからって全部ブン投げやがって……」


 身内が恥も外聞も捨てて血塗れになり、歯まで飛ばして――鉄洞人のそれは生え替わるからいいものの――諍い会っている様を眺め、矮躯の御姫様おひいさまは現実が嫌になって床に寝転んだ。


 これがいっそ、利権を争って殴り合っているならやりやすかったというのに。


 生粋の職人達を狂わせる魅力とは、迷宮からの産出物が持つ金銭的な価値ではない。


 これだけ希少な品を我が手で望むが儘に仕立てられたならば、と霊猿人だと一部のプロ変態以外には共感が難しい、鉄洞人の性癖をぶち壊すような代物だったからだ。


 それはもう、腕に覚えのある職人達が辣腕の振るい甲斐のある物を目にして正気でいられよう道理もなし。


 故郷の山が寝返りを打って沢山の宝石が出土することがっても、紅玉ルビー藍玉サファイアの原石が拳大の大きさで出てくることなど、何千年に一度もあるまい。あまりの巨大さにグインが信頼する主席細工技師の手が止まり、神の国に迷い込んだじゃなかろうなと、自身の正気を確かめるため膝に短刀を突き立てるような代物だ。


 そして、当然の様に工房全体が宝石、他諸々――金銀や真珠、珊瑚など盛りだくさん――をどうするかで揉めた。


 まぁ、貴金属はいい。冶金を生業とする者達の手に掛かれば、どれも溶かして飾りにするだけだから、配分さえ極端にしなければ産出した時以上の価値にしてくれるだろう。


 問題は原石に過ぎない宝石達だ。


 これをどのように加工するかで、工房は物理的に吹き飛ばんかの勢いで炎上した。


 主席細工師は持ち得る技量の全てを動員し、可能な限り原型を保って研磨し、特大の宝石に昇華させるべきだと主張した。


 一方で冷静だった――興奮による鼻血が止めどなく流れていたが――グインは常識的な大きさに分割して宝石細工にするべきだと主張した。


 どうあっても、どれだけ贅沢な削り方をしようが拳大の原石なんぞ人間の身に余る。たとえ人類最大の規格である巨人であっても「いや、もうちょっと使い勝手というか……」と苦言を呈するのは避けられない。


 指輪にすれば手を上げるのにも一苦労で、首飾りや宝石冠ならば肩凝り不可避。できて精々、置物にして鑑賞する程度であろうか。


 斯様な〝実用性のない物〟を作ってどうすんだと主張する頭目に、浪漫全振りの技師達は大いに反抗する。


 これが劈開があるがため、ある程度は分割して加工することが前提の宝石ならば、作ったってちょっとした衝撃で割れるならと細工衆も納得しただろう。


 しかしながら、今回上がったのは紅玉と藍玉だ。どちらも硬く脆いが、癖のようなものはないため、丁寧に削れば弧を描くことも鋭角を作ることもできる。


 まぁ、つまりは、使い道が決まったところで、どうせカットをどうするかで第二ラウンドが始まるだけということだ。


 「まずは値付けをして欲しいんだがなぁ……」


 ベリルは鉄洞人が生まれついて宿す宿業に、中身の関係前世の記憶フェチの方向機械好きによって然程悩まされずに済んでいるが、荒れ狂う同胞達を見ていると血が尚冷めていく。


 そう、大騒ぎをしでかしている彼等は、未だ持ち込まれた宝石に幾らの値を付けるかさえ決めていないのだ。


 まぁ、今も社長室で残業しているAに言わせると「そりゃα版のシュリンクも完璧なボックスが出たら界隈が盛り上がって、値段より先に語りが先行するだろうよ」とオタクらしく賛意を示したろうが、彼ほどの収集癖を持たなかったBの魂には、ノリがイマイチ分からないのだった。


量産能力に特化している自分の工房ではなく、此方に持ち込んだ方がいいだろうなと判断した己を悔いながらも、誰でも良いから早く決めてくれとベリルは溜息を吐く。


 アウルスは太っ腹な雇用主なのだ。


 なにせ、原石の価値だけデヴォン氏族が出してくれれば良いと提示し――迷惑料と鑑定料のつもりだろう――仕上げた品を捌く権利は全て氏族に寄越した。


 並々ならぬ金額を支払って、行政から迷宮の品を一切の検閲を挟ませず引き取る契約をしたのだろうけれど、装備の生産で無茶を強いたご褒美というには些か強烈過ぎたようだ。


 激論を物理的に戦わせる職工達は、ある場所では拳をめり込み合わせ、ある者は強烈な関節技を掛け合って、鍛造加工の賑やかさを上回る騒がしさを止ませる気配がない。


 これは数日は揉める筈だ。一番冷静でなければならない工房長が、主席細工技師と何発目になるか分からないクロスカウンターをぶち込み合っているのだから。


 如何にグイン工房諸氏から愛されているベリルとて、火消し役には些か格が足りない。


 これ以上揉めるようなら、もう余所に売るぞ! と玩具を取り上げるお母さんが如き振る舞いをしたとして、矛先が自分に向くだけだからだ。


 もういっそ、最後の一人になるまで殴り合って、立っていた者が処遇を決めて良いと煽ってやろうかと思いつつ、Bは静かに内心で詫びた。


 見積の提出、できれば明日までにとアウルスから頼まれていたが、ちょっとそれは難しそうだと…………。

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