帝国歴740年 秋 煌めく罠

 「ふんっ!!」


 裂帛の気合いを込めた怒声が柱にて埋め尽くされた空間に反響し、重量物を押し止めた肉体が軋みを上げ、土台となる足が床の石板を踏み砕いて深々とめり込む。


 それ程の衝撃を受けて尚、敢えて衝撃を真正面から迎え撃った巨躯は小揺るぎもしなかった。


 腰を落とし、膝をしっかり曲げ、肩を当てて圧力が掛かる点を分散させることで、霊猿人であれば壮絶な人身事故を引き起こすだろう〝突撃〟を前面から耐え凌ぐ。


 噛んだ歯の間から金属が擦れるような音を漏らしながら――実際、間近で見れば火花が散る様が見えたろう――深窓から詩集でも読んでいる横顔を覗かせるのが似合いの儚げな顔が歪んだ。


 「くっ……キッツいわね……!!」


 皇帝のコブ、現在発見された第四層にて低地巨人の軍人は、巨大な走狗と取っ組み合っていた。


 それを何と形容すべきかは、前世の知識によって様々な動植物を知るカリスでも難しかった。


 一見するとサイのようでもあるが、ようよう観察すれば足が六本あるため、肉体構造は奇蹄類よりも昆虫のソレに近しい。六本の足で大地を踏みしめる、体高2m半は下らない巨大な走狗は、全長の三分の一をも占める扁平で菱形の頭部に先端をなまらせた太く短い角を備えていた。


 天然の衝角ラムだ。鋭さよりも頑丈さを求め、当たれば確実に相手を血と糞の詰まった革袋に変える、自らの質量を最大の兵器に仕立て上げる武器。


 外殻は皮膚ではなく、キチン質――或いは類似した何か――にて成る装甲で覆われており、コラーゲン質によって作られる鎧状の外皮を持つ犀よりも堅牢であった。


 正に生きた破城槌とでも呼ぶべきであろう生物は、無機質で感情を宿さぬ複眼にて低地巨人を睨め付けながらも、後足を掻いて更なる前進を試みた。


 「ぐぬぬ……このっ……虫とも獣とも知れぬ怪物めっ……」


 ギシギシと装甲と間接を軋ませながらも、目の前で時速40kmにも達しようという速度で突っ込んで来た、犀とクマムシの合いの子のような怪物を受け止めるカリスを見れば、お前の怪物具合も大概だぞと友人達は皮肉を言っただろう。


 「今だ! 撃て! それから刺せ!!」


 頭目からの指示の声に従い、地底人達が一斉に攻撃を開始する。


 放たれる短弓の雨は、殆どが儚くも装甲に弾かれてしまうが構わない。


 本命は突っ込んでいく、手槍を担いだ探索者達だ。一瞬でも気を惹き、カリスへの圧力が弱まれば上等。


 何とも擬音語し難い悲鳴が迷宮のうろに鳴り響き、異形の走狗が悶える。手槍が三本、装甲の隙間を狙って突き込まれ、一本が足に、二本が胴部に深々と突き立ったのだ。


 青黒く汚らしい血をまき散らしながら走狗が体を激しく揺らせば、槍を突き込んだ探索者は衝撃に負けて吹き飛ばされるが、全員受け身をとりながらゴロゴロと転がって行く。巨大な蹄に蹂躙されては堪らぬと、一撃見舞ったなら直ぐに逃げる段取りだったのだ。


 「っしゃ……隙ありっ……!!」


 痛みに負けて押し潰そうとする勢いが減じたと判断するが早いか、カリスは頭を抑えていた手を素早く首に回すと、太い角を避けるようにして締め上げた。2.5m近い体高と、それに見合って長く太い腕なればこそできる技。


 前裸締めを仕掛けながら、満身に力を込めて一気に巨体を引き倒す。


 「うぉぁぁぁぁぁ!!」


 高い気合いの声と共に腕が締め上げられる。格闘技であれば頸動脈だけを締め上げる技だが、カリスは腕の締め方を工夫して首全体、気管も骨も纏めて圧搾した。むしろ、へし折って引っこ抜かんとするような勢いだ。


 敵の装甲が破滅的な音を立て、首が可動域を越えて伸びて行く。前足は何とか組み付いた敵を払おうと暴れているが、長さが足りずに届かない。


 更に容赦なく低地巨人の足が地面を蹴って宙に舞った。


 そのまま成人霊猿人一人分より太い二本の足が体に絡みつき、自重まで使って締め上げが強化される。


 遂に負荷に耐えかねて外骨格が爆ぜ、割れた合間より巨体を支えていた野太い脊髄の一部がへし折れてはみ出す。折れた骨の断面が動脈を傷付けたのか、大量の青黒い液体が迷宮を穢し、得もいえぬ悪臭をまき散らした。


 タップなどさせぬ、と全体重を掛けながら絶死の絞め技を見舞っていたカリスは血みどろになっても腕の力を一切弱めない。これが酸や毒の血ならまだしも、ただ臭くて汚いだけならないのと同じだ。


 美貌を汚泥と似た血で汚されながらも兵士は淡々と首を締め上げ続けた。巨体から力が抜けて大地に崩れ落ち、絶命の痙攣を終えるまで……。


 「姐さん、もう良くないですか?」


 「そう? 虫っぽい所もあるから、死ぬまで時間かかるかと思うんだけど」


 「もう首、殆ど取れ掛かってますぜ」


 ブレンヌスから声を掛けられ、漸くカリスは納得したのか走狗から離れた。口に入った血を唾と共に吐き捨て、汚れた兜を脱ぎ捨てる。すかさず地底人の一人から差し出された布を受け取ると、ウェットティッシュが欲しいなと贅沢なことを思いながら顔を拭った。


 「いや、しかし化物度合いが凄まじくなってきたわね。これ、なんて名付けようかしら」


 「伊達にうん百年見つからなかった深層だきゃありますわなぁ……踏み入った探索者を誰一人として還しちゃいねぇってんですから」


 首が完全に潰れた巨体の遺骸を眺め、呆れながら嘆息するブレンヌスに全員が同意した。


 第四層に踏み込んでから、かれこれ二日経つ。体感、そして食事を食った回数による計算なので正確に二日経ったかは微妙なところだが、むしろ彼等からするともっと多い時間をここで過ごしたようにも感じられる。


 その際、幾度も迷宮に跋扈する走狗から襲いかかられたが、今まで見つかっていない最新層というのは伊達ではなかった。


 醜形小人デーフォルミスプーミリオ害意狂犬ノクサラビトゥスといったメジャーどころは当然の権利のように上層よりも数を多くして突っ込んでくるし、更には未知の怪物も目白押しだ。


 今のように人を轢殺するだけを目的に進化した動物やら、カリスであれば背中から腕の生えた豹と形容する、器用に技を使って殺しに来る走狗まで分類に富みすぎている。


 地底人達は善く戦っていた。未知の敵にも臆さず、同時に無謀過ぎず、様子を見て能力を探りながら〝殺し方〟を組み立てて戦術を練る。


 そこに剛力無双にして理知によって成る武術を修めた、カリスが強力に前線を支えるのだ。低地巨人の尽力もあって、今だ深層攻略の第一班に重傷者は出ていなかった。


 「しかし、これ大型人類がいなきゃ相当に苦労するんじゃねぇですかね。真正面から抑えなきゃ攻撃が通らねぇし、かといってんなもん押し止められる馬鹿力の持ち主、そうそういやしませんぜ」


 「未婚の乙女を捕まえて馬鹿力とは酷い言い草もあったものね。まぁ、大変なのは認めるわ。真逆、複合短弓コンポジット・ショートボウが牽制にしかならないなんて」


 血を吸った布を捨てたカリスが巨体を屈めて地面を探り、拾い上げたのは走狗に弾き飛ばされた矢の残骸だ。カリス工房が提供する上質な矢柄と鋼鉄の鏃を用いた矢が、再利用できぬ程に拉げているではないか。


 両端に滑車を設け、叩いて伸ばした動物の腱で補強した、通常であれば軽々引けぬ三人張りの強弓でさえ真正面からは通じぬとは。この武器は30歩調約27m以内で、当たり所が良ければ帝国勇猛社の胸甲ですら貫通し得るというのに。


 「これ、普通この距離なら鎧も抜ける筈なんだけど。一体どんな硬さしてるっていうのかしらね」


 「走ってた時ならまだしも、止まられてコレとなるとお手上げですぜ。挙げ句の果てに複数に襲ってこられた日にゃあ、自由に突っ走られるだけで壊走もあり得る。供回りの雑魚がいたら、正に悪夢だ」


 「真正面に陣取って目を射貫くとか? 感覚器は顔の前面に集中していたし、態々角を持ってるってことはそこまで硬くないってことでしょ」


 誰か試して、という指示に従って探索者が一人短刀を抜き、亡骸の顔をつつき始めた。


 指摘通り、口吻らしき部分と目が脆く簡単に破壊できることが分かったものの、それが何の救いになるというのか。


 体高2.5m、全長5m近く、総重量に至っては2,000kgを軽く超えそうな相手が時速40kmで迫ってくるのを正面から迎え撃ち、目を射貫くか槍を突き刺してから避けろチキンレースをしろなどと正気の沙汰ではない。


 不可能ではない。命を賭せば。しかし、不確実に過ぎるし進んでやりたいかと問われれば断じて〝否〟であった。コインの表裏に命を賭けるのと何が違うというのか、という知っていても勝ちきれない賭け事に全員が渋面を見せる。


 「うーん……これ一頭だけってことはないだろうし、対策を考えないと。ベリルに頼んでおいた、視界を潰す投擲物で何とかするのが安定かしらねぇ」


 「安全に対策できる方法は要るでしょうな。向こうの戦力で一体一殺1:1交換されてちゃ釣り合いがとれねぇ。この速度じゃ逃げるのも無理だろうし」


 「そうね、対策は必至だから今度考えましょう。さ、標本採るわよ」


 「うす」


 イマイチ気の入らない返事は、やはり軍隊と調子が違うわねと思いながら、カリスは標本を採るため遺体に群がる面々を眺めつつ皮袋から水を呷った。口の中を濯いで、気持ちの悪い液体を豪快に吐き捨てる。


 「しかし、姐さん、当然……」


 「食えないわね。悪くなった魚の内臓と傷んだ芋をえたみたいな味がするわ」


 「そいつぁ……まぁ、ご愁傷様で」


 うぇぇ、という表情を隠しもしないブレンヌスであるが、彼は彼で斯様な味に舌を蹂躙されながら、悲鳴も上げないってどういう神経してんだと上官に言いたかった。〝乙女〟を自称するなら、そんなモンが大量に降り注いだなら渋面の一つも浮かべてほしいものだ。指揮官としては頼りになるが、どう足掻いても女としては見ようがない。


 「深層に行くにつれて、食える走狗が減りやすね。こいつは……」


 「走狗の主とやらの嫌がらせでしょうね。探索者の補給を難しく、そして……」


 「うわっ、スゲぇ!!」


 標本を採るために臓物を裂いていた一人が歓声を上げた。


 何事かと思って二人が見てみると、裂いた腹の中、肝臓と思しき臓器の中からカンテラの光であっても強く反射する〝金の塊〟が出て来たではないか。


 「すっ、スゲぇ……持って帰れば幾らになるか……」


 「ぜっ、税金取られても孫の代まで遊んで暮らせんぜ。市民権買って、商売始めたっておつりが来るだろうな……」


 「おっ、俺、こんなに綺麗な塊初めて見た……にっ、偽金じゃねぇよな、誰か噛んでみろよ」


 「短刀で簡単に傷つくし、削っても色は落ちねぇ。間違いねぇよ、混じりっけなしの金無垢だよコイツぁ……!!」


 あーあ、と言うように額に手をやるカリス。ここでもまた、迷宮という存在が持つ悪辣さが口を開けていた。


 もしこれがコンシューマーのゲームであれば、彼女も諸手を挙げて喜んだだろう。難物を倒したなら、それに見合う経験値と報酬品がドロップするのはお約束以前の話だ。狩りの成果は美味しくいただき、次の冒険に活用するべく懐に入れる。


 されど、ここは迷宮。行きも困難、帰りはもっと怖い怪物の消化器官はらわたのような場所。


 さぁ、一体どうやって一抱えもある金なんて、鉛より比重の大きい物質を持って帰るのでしょうか?


 宝物は持って帰って初めて嬉しい報酬になるが、残念ながら迷宮の中では食うことも飲むこともできない、インベントリを圧迫するだけの重しに過ぎない。この綺麗な金の塊で走狗が退いてくれるならまだしも、野盗と違って連中が欲しいのは暖かな生き血と断末魔だ。


 これだけ大きいと、動きが阻害されすぎるし、性能が良いリヤカーでも場所を圧迫して車軸への負荷が強く、負の面ばかりが目立つ。正の面を無理矢理見ようとしても、精々、生きて帰るぞと心を震わせるお守りくらいになればいいところ。


 ああ、いや、カリスならば、その豪腕と比重の重さを活かして“砲弾”代わりにブン投げることくらいはできようか。


 「またえげつないのを……」


 「旦那ぁ! これ、これ持って帰りますか!?」


 「姐さん! 荷車には飽きがありますぜ!!」


 「重さ的にはまだまだ行けると思います!! 俺、頑張って牽きますから!!」


 望外の報酬に沸き立つ配下にブレンヌスもまた、頭を抱えたくなった。


 金は幾らあってもいいが、多すぎると分配に揉める。時として長年同じ釜の飯を食った戦友の命すら上回る額ともなれば尚更だ。迷宮の出口で〝魔が差す〟馬鹿が今まで出てこなかった道理もなし。


 今は帝国勇猛社が一団となって行っている事業の間だからいい。しかし、私的に探索している連中であれば、帰り際に恐ろしい結末に行き着く火種にも成りかねないと思うと、実に薄ら寒い報酬だった。


 探索者は背中に気を付けなければいけない。暗がりから襲いかかってくる走狗は勿論、欲に目が眩んだ〝元仲間〟からの短刀にも。


 彼がぺーぺーだった頃にそんな言葉を教えてくれた、今は亡き先達の顔を思い出しつつ、余裕があるなら積んどけとブレンヌスは命じた。


 「こりゃ年金制度とか階級とか、目先の金以外にエサぶら下げといて正解でしたねぇ」


 「その辺の人間の機微には、嫌ってほど聡いのが家の社長よ。よく覚えておきなさい」


 カリスも最悪投棄するか、切羽詰まれば個人で削ってポケットにしまえる分以外は諦めろと命ずればいいかと黙認する。こんな重荷を背負って、まだ奥に行きたいのかと呆れはするものの、労働者のやる気を削ぎすぎるのもいけない。


 だとしても〝二個目〟が出たら諦めさせねばならないとは思ったが。


 第四層では、既に幾つも大きなお宝と遭遇している。拳大もある宝石の原石を醜形小人風情が懐に呑んでいることもあれば、金の飾りを動きの邪魔になるであろうに害意狂犬が身に付けていたこともあった。


 どれもこれも、見事な程に重くて嵩張り、壊れないか気を遣うような物ばかりだ。


 それらは全て、探索者に必要な物を捨ててでも懐に入れさせようとする〝光り輝く罠〟である。水や食料、ともすれば武具までも捨てさせてしまうだけの魔力を秘めた。


 人の心を狂わすのに理力式など要らぬのだ。持って帰ることができれば、と思わず夢想させる煌めきさえあればこと足りる。


 「ま、ちゃんと持ち帰れば、あの銭ゲバが上手いこと口利いて、政府よりも上手く捌いてくれるわよ。今回は気合い入っているだけあって、サンプルになるから全ての拾得物を帝国勇猛社の取得物として引き取ると決めてあるから」


 「そこまで帝国と交渉が済んでんのか……」


 「元老院のお歴々から期待が掛かってるのよ、家には。退役兵を食わせたり、厄介な腫瘍を摘出する医者としてもね」


 これらの報酬に足を引っ張られていないのは、高い輸送力を誇るリヤカーあってのことだ。もし背嚢だけ担いで進んでいれば、既に担いだ財貨の重みで前にも後ろにも進めなくなっていたであろう。


 一体どんな性悪のDMダンジョンマスターが考えたのだと思いつつ、彼女は解体作業が済んだら半刻休憩を入れると声を張った。


 戦闘の疲れを癒やし、緊張で強ばった体を休める必要がある。


 どすんと大きな尻を荷駄の側に下ろしつつ開いた地図には、かなりの広さが書き込まれていた。歩いた歩数、方角、印に楔を打ち込んだ場所を記録した地図は膨大な広さを数え上げ、更には遭遇した敵も大雑把に書き込んでいるので文字がびっしりと躍っている。


 二日間、戦いつつ歩き続けて、第二班と人員を交代しつつ、もう10km以上は進んでいるが、今だ四層の果ては見えない。


 こりゃあ難儀するぞ、と終わりの見えぬ行軍に疲れながら、彼女は次の補給は何時にするべきかと頭を捻った…………。


【あとがき】

 感想、大変励みになっております。これからも沢山感想を頂けると、筆が走るかも知れませんので、観葉植物に水をやるくらいの気持ちで感想を頂けると嬉しいです。

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