帝国歴740年 秋 出陣/缶コーヒーの重さ



 帝国歴740年の秋。未曾有の大作戦の実施が大っぴらに喧伝されることはなかった。


 されども重ねられる下準備や、鬼気迫る激しさで訓練を課せられている契約探索者達の雰囲気から、誰もが〝何か大きなことが起ころうとしている〟と察する中、それは始まった。


 迷宮の変容から五日。地図によって金を稼ぐことを覚えた者達のかき入れ時が終わると同時、信頼性の高い地図が完成するのを待って作戦の開始が発令された。


 総計60名8班もの契約探索者達が、一刻おきに今にも爆発しそうな士気を抱えて迷宮へと突っ込んでいくのである。帝国行政府も優先的に潜る人数が予約されていたため何かあるとは思っていたが、予想外の大規模動員に衛兵すらも驚いていた。


 ルートの確保には四日と掛からなかった。先鋒が切り開いて綺麗になった道へ次々と元気いっぱいの探索者が突入し、自分の担当地点まで余力を考えず全力で斬り込む。消耗した物資は後続が運んでくる物資満載のリヤカーを丸ごと受け取ることで補給し、適宜迷宮が過剰反応しないよう小さく移動を挟みつつ地点を確保。


 そこに「契約探索者が道を綺麗にしてくれてるぞ!」とばかりに一般の探索者が便乗し、一層と二層に湧いた走狗は根絶やしにされる勢いで排除されていった。


 更に20名3班からなる補給部隊が消耗が多いであろう水や医療品を抱えて迷宮を走り回り、道を維持する部隊の継戦能力を維持し続ける。負傷者が出れば適宜入れ替えて後送し、常に元気な戦力を貼り付けることで準備は整った。


 契約探索者達の尽力によって誰も道を阻むことのなくなった、第三層深奥までの道を征かんと総勢18名からなる最精鋭の二班が迷宮へ訪れる。


 「姐さん、いいんすか? 責任者が堂々前線に出張って」


 「指揮官先頭は帝国軍の伝統よブレンヌス。第一、この手でペンをチマチマ操ってるより、剣ぶん回してる方があたしは役に立つでしょうよ」


 その最精鋭の第一班には、さも当然という顔をしたカリスが加わっていた。今日は帝国の軍装ではなく、自分に合わせて特注された大型人類向けの契約探索者用装備を纏っており、巨大な鉄塊と呼ぶのが似合いの愛剣もしっかりと携えている。迷宮では邪魔になることが多いため、壁もかくやの大楯は置いてきていたが、代わりに〝通常規格〟の人類にとっては大楯と呼べる盾をぶら下げていた。


 それに付き従うのは、十分に訓練を積んだ上でたっぷり英気を養ったブレンヌス率いる地底人8名。伝令を受け入れる余裕を含めて、各班9名を超えないように編成されている。


 「それに、責任取れる人間が前線にいなきゃ、ケツ捲る時の判断が鈍るでしょう。後方で椅子の尻をケツでピカピカにしてたって、情報は届かないんだから」


 「そりゃ仰る通りですがね」


 「だから、班としての指揮は貴方。全体での判断はあたし。役割分担よ役割分担。海軍でも旗艦には提督と艦長がどっちも乗るでしょう?」


 「海の上の人達んこたぁ知りやしませんけども……」


 本来の計画においてA・B・Cトリオは自分達が直接踏み込んで迷宮を破却するという、砂漠の砂粒を数え上げるような真似をする気はなかった。


 それでも今、探索者組合には全ての指揮を任せられるような人間はいない。ならば、全体の指揮を執った上で最終的に責任を取れる人間が前線に同行するのは、決して非効率的な行為ではあるまい。


 帝国勇猛社の威信を賭けたといっていい一大侵攻計画なのだ。ここぞというところでブレンヌスが気負ったり、上役の面子を考えて引き際を誤り、やっと育ってきた大事な戦力を喪失するようなことになったりしたら笑えない。むしろ、アウルスあたりはかけた金と時間の喪失を計算し、頭が変になって笑い出すかもしれないが。


 ともあれ零から始めるのとは違い、一度傷ついた名声を再び立て直すのは大変なのだ。10年は計画が遅延する懸念があるならば、換えの利かない人員を前線に派遣してまで斬った張ったする価値があると三人は判断した。


 「さぁ、最速で駆け抜けて、深層でのさばっている誰か、あるいは何かに人類初の顔合わせをしようじゃないの。元気にこんにちわと叫んで、そこから死ねとぶん殴るのよ」


 「こんにちわ、死ね。か。相当困惑されそうだな」


 やれやれとでも言いたげなブレンヌスのケツを――物理的に――引っぱたくことを開戦の号砲に代え、冒険者は深淵へと踏み込んだ…………。












 M&A、英語の頭文字を取ったMergers and Acquisitions、すなわち合併と買収のことであるが、帝国勇猛社の発足と軍との繋がりが深くなるのに合わせてアウルスは、これを率先的に行い始めた。


 如何にデヴォンの氏族が有力で、強大な伝手を持っていたとしても全てを賄うにはあまりに足りなかったからだ。


 それに、彼等は有能な技術者集団である。どちらかと言えば専門知識がなければ製造が難しい品々にリソースを割いて貰った方が、商売としても製造としても効率が良い。軍にも民間にも売れる樽、リヤカー、望遠鏡、そして機械を作るための機械マザーマシンは彼等にしか作れない。


 その人的資源を、悪く言えば反復作業さえできれば誰にでも務まる単純な仕事に取られるのはあまりに惜しい。


 故にアウルスはベリルから意見を聞き、幾つかの企業……というよりも、工房を買収・統合してベリル工房に原材料を納入する下請けを作った。


 運営に困っている工房など、競走が激しい帝都を探せば幾らでも見つかる。成長した帝国安閑社の財源でぶん殴り、借金を肩代わりして鷹揚に出資してやれば忠実に製品を作ってくれる工房が一から立ち上げるより簡単に手に入るとなれば、アウルスからすれば前世の企業がM&Aに腐心するのがよく分かる心地であった。


 向こうにとっても悪いことではない。腕はあるが経営手腕によって困窮していた工房主なら、帝国安閑社が一括買い上げを約束することで面倒臭い営業の一切を省ける上、安定した納入先が手に入る。希望量より多く作っても、旺盛な官民の需要に応えるべく量を問わず買い取っていってくれるとあれば、愚痴の一つすら溢れてこない。


 最も金を注いだのは〝足踏み式ミシン〟まで作って軍へ供給する背嚢やチェストリグ、軍船の帆布を製造するための繊維を欲しているベリル工房へ、布や糸を供給する繊維工場だ。


 18世紀の産業革命より前は、布と糸とは高級品だった。それこそ、死体から剥いでさえ使うくらいに。


 マザーマシンの高性能化によって大量生産が可能となった〝足踏み式糸車〟を厳しい管理の下に導入させ、手紡ぎの経験を積んでいた職人に紡がせる。フライホイールの回転に合わせて回るスピンドルは、手作業とは比べものにならない速度で羊毛や亜麻から糸を作り上げた。


 大量の糸が手に入れば、次に作るのは布だ。足踏み式の織機は簡易的な構造で、複雑な色味の布を作り出すことは諦めた構造ながら、華美さは求めない軍に卸すなら十分過ぎる性能だった。製造量、品質、共に既存のやり方が馬鹿らしい程の効率となる織機に職人は惚れ込み、こりゃあ楽で良いと原料を作り上げていく。


 あとは帝国安閑社が持つ権力によって、躍進といって相応しい生産量の増量と市場の侵食にも文句を言わせないように気を付けるだけ。


 軍に深く食い込んでいる既存の繊維業者はいい顔をしなかったが、軍民から高い支持を受けている帝国安閑社、ひいてはその後援者たるアルトリウス氏族に対抗することは難しい。正規のアプローチでも、後ろ暗い方法であっても。


 最終的に物を言うのは権力と金だ。どちらも手にした巨人を止めることなど、ただの背が高いだけの人間にできようはずもない。


 また、大手にも口を聞いて安価に原料を都合してやれば、今後もご贔屓にと仲良くしてくれる相手が増えるので、金と物の力とは誠に偉大である。


 更に軍に納めるにはちょっと……となる二線級の品質の品も、安く売りさばくよりは救貧院を通して無料で市井にばらまいてやれば、慈悲深いカエサル家の印象を作ってやれるので一切無駄にならぬ。


 この時代、民意とは下手な武力よりも強く身を守るのだ。帝都臣民に好かれていれば、下手な手出しをすれば住民が敵に回るとなって手出ししづらくなる。色々調子に乗ったネロ帝のように過信してはならぬが、盾としての頑強性は非常に安定していた。


 「うぁー……間に合って良かった……」


 「いや、本当にな。お疲れさん」


 帝国勇猛社の応接室。窓辺から元気よく迷宮に出陣していくカリス達が窺える中庭に面したそこで、ベリルは長椅子の上に脱力して蕩け、アウルスは漸く一息入れられるとばかりに昼間から酒を呷っていた。


 「いや、やっぱキチィって、もっと順序立ててやれよ……」


 「いきり立ってチャカ作るヤツが言っても説得力ないぞ。未だにおっかなくて封印しっぱなしなんだから」


 「だからってよぉ……急に契約冒険者に配る装備の大量追加発注……しかも補助装備に補給品まで……死ぬかと思ったぞ」


 ベリルが応接間に呼ばれているのは、契約探索者達の大規模作戦に伴って必要となる装備品の最終納入確認のためということになっていた。


 とはいえ、ベリル工房の仕事ぶりは完璧で不良品が混ざっていることはないし――納入前に人海戦術でチェック済み――賄賂を送り合う関係でもないため、届いた品が定数通りであることさえ確認が済めばこと足りる形式的なものだ。


 この場は、無茶を言ったアウルスがベリルの労を労うだけの場所と化していた。


 と言うのも、まぁまぁどころではない無茶振りがベリルを襲っていたからだ。


 探索者が昨夏から精力的過ぎる程に動いている上、百人からが一団となって動くには相応の物資が必要となる。


 一部隊につきリヤカーは最低二台欲しいし、補給部隊は半数が引っ張っていく。下準備や本作戦の途中で破損した物は投棄されて、高価なタイヤだけが持ち帰られることを考慮すれば、補修・予備部品も山ほど必要になる。


 持ち込む装備の予備や消耗品も1個中隊100~150人に近いので、莫大に求められた。更に彼等の身を守る防具や迷宮を踏みしめる靴は、全てベリル工房の専売品とあれば、それはもう大変なことになる。


 なった。


 大量の資材を一夏で揃えるのは並大抵のことではなく、特別ボーナスで釣った人足や職人を休日返上上等の糞ブラック環境で働かせ、夢の中でも仕事をしているような地獄に叩き込んで漸くだった。資材を持ち込む商人にもかなりの無茶をいい、余所に卸す予定だった品を無理矢理買い上げる横車を押すために目玉が飛び出るような金も使った。


 既に抱えている仕事がかなりギリギリな状態であるのに、大規模な作戦を満足に行えるだけの品を用意させるのは、原料の仕入から製造まで含めると修羅場以外の何物でもない。


 工房長たるベリルですらブーツを縫う巨大な縫い針を手にし、ベンディングマシンに取り付いてリヤカーの骨格を作るような最前線っぷりは、過酷という言葉を贈って尚足りぬ。


 スターリングラード並の大激戦を潜り抜け、それでも既存客――軍民共――に納品の後倒しを強請ることもなく、クレームも出ないようやってのけた殊勲賞ものの働きを見せた工房長は、久方ぶりに気を抜ける場にやって来て蕩けていた次第だ。


 「悪かったな。私も何とかしたかったが、カリスがな」


 「ああ……アイツも活躍できる場ができたことでテンション上がり過ぎたんだろうなぁ……俺やお前と違って、今まで結構地味だったし」


 カリスはカリスでやることは多かった。今も中隊長としての碌を食みながら軍団の中で実績を積みつつ、契約探索者を束ねているため暇とは決して言えなかったろう。


 軍務に配下の掌握、ついて回る雑事など決して楽ではなかったはずだ。


 それでも、世界救済の事業に関われているという実感が当人としては薄かったのである。


 そこに降って湧いた迷宮破却に繋がる好機だ。軍隊のノリに染まった彼女が、これが功績の立て所と焦っても無理はなかろう。


 三人は友人である。


 否、友人であるからこそ、並びたいと思ってしまったのだ。


 Aは世界救済事業を回す金を稼ぎ、Bは必要な技術を供給しつつある。軍事的に支援する役割があるとCは、まだ時ではないと分かっていても友人二人が積み上げていく実績に内心、自らも知らぬ内に焦りを覚えていたのだ。


 果たして、自分は友人達に相応しい仕事をしているのかと。


 極論、兵士の仕事など〝現地人〟にでもできること。装備の実証試験でカリス以上の適役がいないのは事実だが、彼女は「別に自分でなくてもいいのでは?」と思ってしまっていた。


 地味な働きを強いてきた自覚があるからこそ、アウルスは黙って金を出し、ベリルもキツい納期に尻を叩かれながら仕事をしたのだ。


 Cが友人であるために頑張ろうとしている意を汲んで、AとBも友人であり続けるために。


 また、前倒しするよと約束していた〝海外探索事業〟が進んでいない罪悪感もあった。


 如何せん、グイン氏族は陸の事業者である。鉄工や建築、細工に覚えはあっても船を作る造船工房は持っていないのだ。


 扇風機や爆風路のファンを使って、新しい物好きの鉄洞人職人が足漕ぎボートを作ったりはしていたが、それは半ば彼等にとって〝遊び〟に近い物だ。ボートも帝都内の小運河を渡る物を流用したに過ぎず、遠洋は疎か近海に出ることもできない、量販店で売っているゴムボート未満の代物である。


 やはり、新たな海外領を探せるような遠洋航海に適した船を造るならば、専門の工廠が必要となる。


 現在、帝国の正式な大型艦は三段櫂船トライリームだ。櫂による人力と帆走により航行する原始的な船であり、遠洋には出られなくもないが、現実的な運用は沿岸が限界。


 それもこれも、漕ぎ手を含めた非戦闘員が乗り手に多すぎるためだ。多数の人間を積載するということは、同量の水と食料が必要となれば、積載量の限界から必然的に行動半径は狭くなる。


 とてもではないが新大陸がどうこうといった代物ではない。


 水夫を山ほど乗せねばならぬ上、居住性も悪いため長期間の航海には向かぬ。戦闘もしていないのに半数くらいしか〝生還〟できない船に将来を託すのは、あまりに不安過ぎた。


 改装案は下準備段階で戦闘面、生活面共に隙無く用意してあった。船の中でも安全に煮炊きできる固定式厨房はストーブの製造によってある程度クリアされているし、蒸留装置によって真水の確保も燃料の問題はあっても解決できる。


 バイクで岡持を運ぶ出前機のように〝鍋を吊して安定させる〟機構を厨房に備え付けておけば、海が凪いでいなくとも安全に煮炊きができ、真水の供給と相まって食糧事情も改善しよう。


 それに木材は、今のところ良質な物が帝国内で生産されている。鉄の大量生産に伴って森林資源が激減した18世紀と違って、テルースではまだまだ森が豊かなのだ。


 それを使えば、既存の船より格段に性能が良い船を造り出すことは難しくない。竜骨――船体底部を縦断する船の背骨――を鋼で覆って補強し、腐食や虫食いから護るために薄い鉛を張っていただけの船体を半金属化した上で復元力を保つ構造も考案済みだ。


 また、推進にも〝人力駆動スクリュー〟という苦行めいてはいるが、櫂より高効率を出せる方式が策定されている。何人もの水夫が自転車のようなペダルを漕いでスクリューシャフトを回転させる、アヒルボートの巨大板である。


 推力が高まれば重量を上げられ、船体強度が上がれば大型化でき、大型の船なら居住性も上がる。更に大勢の水夫と兵士を詰め込めるようになるので、軍の要望にも応えられるとあれば、造りたくなるのは事実であったが……。


 如何せん、まだ帝国勇猛社の〝貫目〟が足りなかった。


 海軍の造船という、軍事の重大に深く関わるには些か弱い。まだまだ帝国安閑社は帝国全体にとって民生品と娯楽品の会社だ。軍に関わるようになってきてはいるが、補助製品の生産会社という立場からは脱していない。


 帝国勇猛社が大きな実績を上げて武名を稼ぎ、更に造船の実績を造ればあるいは……。


 「あー……どっかの造船会社買い取るか?」


 「もう少し後にしてくれ……ちょっと休暇取らせないと、ガチで反乱されかねん。職工にも奴隷にも休みは要る……というか、俺がもう無理……」


 非常に重々しい呻き声に政経担当は然もありなんと頷き、しかし配下に資金繰りで苦労していそうな造船会社を探させることに決めた。


 近海用の船で実績が出れば、見る目も変わる。あとは軍から大規模な受注を得られるかどうかだ。


 だが、それも全て今頃は迷宮に踏み込んだであろう勇者達の働き次第。


 コーヒーが欲しいなら頑張って働いてくれと祈るアウルス。


 しかし、前世では百円玉を握って自販機のボタンを押せば簡単に手に入った物が、何とも遠い存在になったものだと遠い目をせずにはいられなかった…………。   

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