帝国歴740年 秋 第一次合同踏破遠征計画

 とある青年実業家の悲鳴を歯車の音として、帝国740年の夏から、帝国勇猛社の契約探索者が効率のよい組織的迷宮踏破の実現を求めて実験が行われていた。


 今まで迷宮踏破の進捗が芳しくなかった理由は、大いなる英雄SSRが現れなかったことよりも、協力体制がなかったことが最大の原因である。というのが帝国勇猛社〝皇帝のコブ〟破却プロジェクト担当責任者に就任した低地巨人の見解である。


 人間が運搬できる糧食には限界があり、そして遠方に行くため量を切り詰めれば腹が減る。走狗の中には解体して食える物も存在するが、迷宮内でそれをアテにして計画を組むのは博打に過ぎる上、解体している時間や調理加工で足が鈍るのは考え物だ。


 また、10人以上が一塊で動くと迷宮が活性化し、大量の走狗を吐き出すという抗原抵抗反応めいた性質により、大規模な輜重隊を伴った移動も難しいとなれば、個々の探索者が今まで第三層までしか到達できなかったのも頷ける。


 これを解決するべく、帝国勇猛社は〝皇帝のコブ第四層の発見〟を大々的に発表し、関わった契約探索者達へ盛大にボーナスを振る舞った。


 その額、なんと5,000セステルティウス約180万円。それも参加者全体にではなく、一人ずつでの支給である。


 破格の報酬を受け取った者達に羨望の目が注がれると同時、帝国勇猛社が発表した「新しい階層の発見者には、所属を問わず同額を支給する」というお触れが探索者を迷宮の深層へ駆り立てた。


 日銭を稼ぐため迷宮で報酬を拾う者は〝踏破者〟という称号と、組合の壁に誉れ高き名が永遠に刻まれる名誉によって本来の職分を思い出す。


 やる気を出した者達に帝国勇猛社から、迷宮の性質を解明する実験への協力要請がもたらされた。


 それは、たとえば一塊で動く一隊がどれだけ離れれば別の隊として認識されるのか。


 一所に何時間滞在しても問題ないのか。


 迷宮に放置した物は取り残されて消えるというが、それにどれだけの時間がかかるのか。また、どの程度離れていれば放置したと見做されるのか。


 付けた傷や塗料がどの程度で取り込まれて消え、用いた物の差によって消えるまでの時間差があるのかなど、明確になっていない迷宮の“基準”を探る調査が実施された。


 「えー、じゃあ第三回調査報告を始めるけど、準備は?」


 帝国勇猛社の社屋内に設けられた会議室の一つに、契約探索者達が集められていた。


 特に有望な人物をスカウトし続けた結果、当初五十人に満たなかった人数は百人以上に増えており、現在ここにいるのはその中でも頭目格から副官格にあたる面々である。


 「じゃあ、始めるわね。えー……資料は行き渡ってるわね? あとで貰ってないとか、なくしたなんていったら本気で怒るから。今から話す内容の詳細が書いてあるし、全員熟読すること」


 議長として会議室の中央に座したカリスが特注の大型黒板へ、大きな手に握られたせいで米粒のように見えるチョークを器用に操って書き込みを始める。余談であるが、この大人数へ大きな文字で物を教えられ、更には繰り返し使えるという特性を持った商品は議会や教育機関、商人の間で大いに好評となり、先月のお披露目以来膨大な発注を受けていた。


 「まず、第一に迷宮の過剰反応は、二つの隊が合計で十人以上になり、300歩調未満の距離で長時間同行した際に起こると判明したわ。二十回ほど試験したから、信頼性はある程度確保できてるんじゃないかしら」


 「過剰反応する度にえらい目に遭ったから、もう実験はしたくねぇなぁ……」


 「確実、と断言するには試行回数が少ないんだけどね。それと、全く同じ場所から一日以上動かないと、周辺から走狗が押し寄せて来ることも分かったから、そこら辺は頭の使い所ね」


 契約探索者として実験でも酷使された――無論、報酬はあったが――者達の筆頭と言えるブレンヌスが上座に最も近い座席で深い溜息を吐いた。顔や体には治療の跡が多く見られ、どれ程の激戦であったかを雄弁に物語っている。


 危険が多いと判断された、迷宮の氾濫を誘発しやすい多人数での移動や、一箇所に駐留する実験の指揮を執らされたのだから無理もなかろう。五体満足でこの場に参加できる程に高性能な新装備の恩恵を誰より実感している、今最も尊敬を集める探索者は、その栄光とは裏腹に疲れ切っていた。


 酒場のおねぇちゃんから更にモテるようになったのはいいが、このままだと命が幾つあっても足りん、というのが正直な感想である。


 しかし、余所では絶対に得られない報酬と名誉を目の前に吊されると、配下共々逃げる気が失せてしまうのが悩ましい。どうせ、何処に行っても命の危険が付きまとう仕事しかできないことを考えると、どうにも命と金を乗せた天秤が金に傾いてしまうのであった。


 「第二に物が消えるまでの時間……これは短くて半日、長くて三日ほどと統計が取れていて、第一層から第三層で広く実験したから、層における時間の変動がないことが分かったわ。物が少なければ少ないほど早く、有機物でも素早くなる。多分、人間の胃腸みたいに消化するのに量と質が大事なのでしょうね」


 黒板には検証結果が書き連ねられ、参加者の半数がそれを読むことができるようになっていた。帝国語は表音文字であるため、言葉が喋れるならば文字と綴りさえ覚えれば習得が比較的容易であることもあり、希望者に受講させた言語講習が上手く働いた形である。


 迷宮には謎と同じく覚えるべきことも多い。情報の共有、及び伝達を考えると文字の読み書きは必須と言えた。地図に書き込まれた注意書きが読めないようでは、罠があると警告しても、どんな罠があるか分からなくて意味がないのだ。


 「ただ、迷宮の構造変化がある時は話が違うから、間隔を忘れないように。誰かいる間はよくても、離れた隙に問答無用で呑み込まれるわよ」


 迷宮には迷宮が生み出した物以外を取り込む性質がある。これによって死した探索者や走狗で埋め尽くされることがないのだが、同時に恒久的な迷宮内拠点の建造を不可能たらしめていた。


 それでも不親切なレトロゲームのように手から離した物が即座に回収不能になることはない。死体――人間も走狗も――は一日で消えてしまうが、荷物を満載したリヤカーであれば三日消えなかったという結果が出ている。


 「それと最後に、迷宮への人為的な加工について……これは少し込み入るわ」


 低地巨人の手によって小さな車輪が足に付いた黒板がぐるりと回転する。裏面にも黒板が備わり、一々消さずとも書き込めるような構造になっているのだ。


 小気味良い音を立てて踊るチョークが書いていくのは、迷宮に対して行われた物理的なアプローチの結果。


 迷宮の壁を掘ってはならない。これは帝国に生きる誰もが知る不文律に等しい知識だ。子供が親から読み聞かせて貰う英雄の話の中、失敗した愚か者達の例として出てくる上、寓話にも採用されており、また〝壁掘り〟という横着者を示す慣用句にも使われているからだ。


 迷宮にとっては内臓を抉られているようなものなので、免疫である走狗が反応するのも当たり前だ。


 今回実験されたのは、何処までなら迷宮を刺激せず、また修復されないのかの調査である。


 戦闘の途中で壁が傷つく程度のことで反応がないことは既に分かっている。


 同様に順路であることを示すため、また探索途中に迷わないよう印を付ける実験でも迷宮の反応は見られなかった。


 しかし、印の付け方によって大きく残存する時間が異なったのだ。


 「傷を付けて描いた矢印は、ほんの一刻ほどで消えてしまったから意味がない。チョークは書ける場所が限られているから採用は見送り。塗料も長持して一日くらいなので駄目だったけれど、立て看板は他の無機質と同じく数日残ったわ」


 壁を傷付ける最も原始的な方法は、一つの隊が目印にするには十分な時間だが、大軍を動員する際の標としては短過ぎるため見送られた。


 次に簡単な塗料で描く方法も、長持ちして一日となると効率が悪い。案内板として入り口まで残しておきたい印が、数日がかりの探索なのに一日で消えてしまえばパン屑の道標と同程度の信頼性でしかない。


 最後に試された立て看板の設置は、他の無機物と同じく三日保ったこともあったが、これは流石に運用が難しい。看板は重いし大きいので、道標として運ぶには装備を圧迫しすぎるのだ。


 「代わりに、ベリル工房からの提案でこんなものが提供されたわ。一般の探索者に試させたんだけど、立て看板と同じ時間残置できることが分かったから、正式採用することが決定しました」


 そこで代わりに考案された道具をカリスが懐から取り出した。


 彼女の手のサイズではチョークと大差ないように見えるそれは、大きな金属の杭だった。先端には丸い輪がついており、何色かの色が違う布が括り付けられている。


 「これを道標として打ち込み、探索済み、帰り道、危険、など括り付けた布の色によって判別することができるわ。色の組み合わせによって、簡単なメッセージとしても機能するから、金槌やらで要所要所に打ち込むなりして使ってちょうだい」


 本当は蛍光塗料を使って闇の中でも見つけやすくしたかったのだが、如何せんラジウムは職人に扱わせるのが躊躇われる物質である上――そもそも探すところから始めねばならないし――トリチウムなど作りようがないため断念された。


 「第四層の探索も、道標を作ればまぁまぁできるようになる……と思いたいわね。方向感覚に優れた人間を選抜して、一時的に別の一党に組み込むことも考えているから、各々そのつもりで。自薦、他薦、共に絶賛受付中よ。第五層発見者の栄誉が欲しいなら奮って挑戦してね」


 簡易ではあっても道標さえあれば探索の目処も立とう。柱を基準として地図を描けば、多少は方向が狂っていてもどうにか成立するはずだ。


 「そして、これを念頭に置き……第四層の大規模探索計画がアウルス様からの許可を得て計画されることになったわ」


 妙に具体的な作戦の提示に企業がざわめいた。


 今までは探索者達の自主性に任せて行われていたそれに、組合が初めて指揮を執って介入しようというのだ。装備などの支援などが行われるだけだと思っていた面々にとっては寝耳に水であっただろう。


 「一応、参加は志願制になっている……けど、できるだけ大勢の参加を希望したいわね。人数こそが力だから」


 「いや、待ってくれ姐さん……」


 「今は議長と呼びなさいな。それと、発言は手を挙げて指名されてからね」


 声を上げたブレンヌスが指示に従って渋々と手を挙げれば、カリスは発言を遮ったことを鷹揚に許して意見の発表を許した。


 「じゃあ議長、人数が力つったって、今正にその人数が集まれば危ねぇってのが具体的になったばかりじゃねぇか。ここの全員かき集めたって、昔押し入った軍みたいにやられるだけだろうよ。下手すりゃ120年前の大災いの再現だ」


 「説明は最後まで聞きなさいな。それと、何のための実験だったかを自分でも考えてみたのかしら。貴方、帝国勇猛社の第Ⅰ号契約探索者なんだから、その自覚を持ちなさい」


 「自覚って、何させたいんだよアンタ達は……俺はただの探索者だぞ」


 最終的にはちょっと色々と……という思惑を呑み込み、カリスは作戦の概要を示すべく、今度は黒板ではなく下男に運ばせた、大判の布に描かれた概略図を壁に広げた。


 「こいつぁ……」


 「第一次合同踏破遠征計画。何も馬鹿みたいに纏まって動くだけが作戦じゃないのよ」


 図示されたのは、全部で四段階に分かれた作戦であった。


 第Ⅰ段階では、第一から第二層までの地図を素早く仕上げる計画準備段階。この時点では契約探索者は大きく動かず、戦力を温存する。


 第Ⅱ段階に至って、踏破できる人間の少ない第三層を契約探索者が可及的速やかに調査し、第四層までのルートを確立させる。


 そして、第三段階までの道順が分かったら総動員に移る。日雇いの探索者を動員すると同時、半数で第四層に至る最短ルート上の走狗を順次一掃し、要所要所に再び湧いて来ても対処できるよう戦力を貼り付けるのだ。


 合流して大人数になってもすれ違う程度の時間であれば迷宮も反応しないことが分かっているため、ルートの確保は組織力を全力で活かして実施される。


 道の確保が終わり次第、最終段階に移行。最精鋭にて編成される主力部隊を突入させ、戦力を完璧に温存し第四層へ送り込む。道々で一夜を明かすと思われる地点に先発した部隊によって予め配置する補給物資を受け取り、本番前に物資と体力の消耗を極限まで抑える作戦である。


 迷宮が変容するまでの時間に余裕を残し、長い遠征の末に食料が足りなくなる心配を排除できるとあれば、激戦が予想される第四層でも思う存分に戦うことができるだろう。


 今まで誰も考えなかった、考えることがあっても金や指導力の問題でやれなかったことが、権力と予算のゴリ押しによって強引に実現されようとしていた。


 「余所様ん家に何の恥ずかしげもなく尻の穴向けて、気分次第でクソを垂れてくる変態野郎に野太いのをぶち込んでやろうじゃないの。ここで日和る不能野郎は帝国にいないと思うけど……どう?」


 ぞわぞわと湧き上がるのは興奮か、それとも数百年に渡って誰も成し遂げられなかった偉業に参加しようとしている畏怖か。根源の分からぬ感情に突き動かされ、更に深層の令嬢というのが似合いの美貌には全く似つかわしくない挑発に乗り、探索者達は奮起した。


 椅子を蹴立てて立ち上がり、あるいは拳を振り上げ、迷宮の底にのさばっているのが誰か知らねぇがぶっ殺してやると檄を発する。


 焚火へ盛大に火薬をぶち込んで爆発させた低地巨人の軍人は、にんまりと良い笑みを作って自らも拳をカチ上げた。


 「ぶっ殺しにいくわよ、野郎共!!」


 「「「応!!」」」


 軍隊でも中々ない高い戦意の呼応に、戦士は作戦の成功を確信した…………。


【あとがき】

 誤字の訂正指摘や感想など、とても励みになっております。

 これからも、沢山の感想を頂ければ嬉しく存じます。

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