帝国暦740年 初夏 並べると地球五週分できるだけ売れた車があるらしい

 「三日くれれば用意できるぞ」


 「三日!?」


 人払いされた社長室の中で、職工ベリルからの提案に社長アウルスは大いに驚いた。


 こんなこともあろうかと、と完成品を中庭に運んでこられるよりはマシだが、それでもかなり驚愕の短期間である。


 こういった構図の場合、普通は逆ではなかろうか。発注元が短い納期を告げて、製造側が「そんな理不尽な」というやりとりの方が多そうな物だというのに。


 「リヤカー作りゃいいだろ。家、もうベンディングマシン折り曲げ加工機あるから割と簡単に作れるし、タイヤは馬車用に作ってるの流用すればいける」


 「あー……なるほど」


 都市内の小規模輸送を効率化する手段はないかと兄から受けた相談を、そのまま御用聞きの職人に問うたところ、返ってきた解法は極めて単純であった。


 個人で牽ける大きさのリヤカーを製造すればいいのである。


 「前から考えてはいたんだよ。探索者の物資運搬用に小回りが利くのが一台ありゃ助かるだろうなって。今の荷車は不安定だし、荷痛みも多けりゃ小回りも利かん。だから一人で運べる程度なら、それこそ前世で宅配の兄ちゃんがチャリンコで牽いてたみたいなのを作りゃいいだろ」


 現在の帝国で用いられる輸送用の荷車は、大八車のような平たい荷台に物を載せる形式か、馬車の物を小型化しただけの不格好な代物ばかりで利便性は高くない。その割に車輪を使っているため複数の家が共有して買うような高価さで、個人所有していればかなり裕福な家といえる。


 しかし、大型化しないと荷物のバランスを取ることが難しい構造上の欠陥などにより、市内では通れる道が限られることもあり、商業目的では振動で壊れない穀類などの移動に用いるのが精々であった。


 それも入り込んで邪魔にならない大路まで持っていくのが精々で――未舗装路であれば、ぬかるみに嵌まって動けなくなることも珍しくない――目的地付近まで運んだならば、後は人の仕事となってしまう。なら、もう最初から安い人件費で人間に担がせりゃいいじゃねぇか、というのが市内物流の現状であった。


 そこに背嚢を用いて輸送力が上がったことで、プリムスの競業相手が力を付けたのである。


 だが、サスペンションとゴムタイヤを履き、細く頑強な金属フレームを木で補強するリヤカーならば人間は勿論、大八車を上回る輸送量と性能を発揮できる。


 左右の車輪を独立構造にすることで重心を低く取れば、荷を積載しても崩れにくく安定する上、取り回しのために矢鱈と長くせざるを得なかった引き手も短くできで旋回も容易となる。市街地で求められる機動性と個人が発揮できる最大の積載量を同時に満たせる、最良の個人用装備となるだろう。


 「流石に全金属の立派なのは無理だぜ。まぁ、金属フレームにするから底板は薄くできるし、幸いにも探索者共が山ほど持ち込むラナフェクトムのおかげでゴムにも余裕が出てきた」


 「供給は増えたか。たしかに経理の報告で上がってくる報酬の支払額が凄いことになってたからな……」


 稼働を始めた探索者組合は、連日凄まじい盛り上がりを見せており持ち込まれる物品は多岐に渡る。特別指定で懸賞を賭けたラナフェクトムの皮は、ベリル工房の在庫不足が一遍に解決される程の量に上っているようだ。


 「構造も簡単だし、まぁ下っ端の曲げ加工練習やタイヤチューブ加工の研修に丁度いいべ。えーと、材工込みで……まぁ、一台1,000から1,200セステルティウスでおさまるかね。数百台単位で発注してくれりゃ2/3くらいに抑えられそうだが」


 リヤカー一台が現代円に換算すると40万円前後というと中々法外に感じられるが――安い物なら2万円もあれば調達できる――革新的な運搬手段と考えれば格安であろう。大八車が二台買え、奴隷でも一人調達できる額を高いとするか安いとするかは、仕事の効率と比べる他ない。


 「どうせなら軍にも売り込むか。馬車輸送以外にも物運ぶ手段はいるし、暖炉弄った調理器具乗っけりゃ簡易の調理場ができるから、軍営の設営にも役立つだろうよ」


 「……気軽に言うけど、売り込むのは私だって忘れてないか?」


 「頼りにしてるぜ、若旦那。お得意様は多けりゃ多いほどいいんでね。まずは、その実家の太さを使って、利便性を宣伝してくんな」


 けっけっけ、と愉快そうに友人の苦悩を笑う職工に対し、次男坊は一瞬無礼打ちにデコピンしてやろうかと考えたが、短気は損気だとして頭を冷やした。


 「分かった。とりあえず五台頼む。兄上も試験運用したかろうし、もし要らぬと言われても契約探索者共に使わせてみる」


 「おう。五台か……試作品だけなら三日で納品できるが、五台一気になら五日いるぞ。それだと株主総会終わってんな」


 「じゃあ試作品だけ三日後に納品してくれ。兄上が気に入ろうと要らなかろうと、買い上げるから」


 「あいよ」


 まぁ、思ったよりも早期に兄の心配事をやっつけられてよかったと弟は安堵した。


 それにリヤカーは、思えば売り込み先が多い商品だ。荷駄に随伴する徒の人間に牽かせて、彼等の食料や荷物をそれで賄えば荷駄の運搬効率が上がるため運輸業者に飛ぶように売れるだろうし、行軍中に最低限以外の装備を脱いで突っ込み、誰かが交代して牽けば兵士の疲労も抑えられるため軍団だって無尽蔵に欲しよう。


 また、帝国の軍団は全ての兵士が工兵の仕事をする尖った集団である。土木作業用の物資や道具を運べるとあれば、それはもう歓迎されるであろうよ。


 「……しかし、アレか、兄上殿は運輸の大手だったよな」


 「専ら帝都近辺と、父上が総督をなさっている属州との繋がりだから、言うほど大手ってもんでもないぞ?」


 だが、その安堵を追いやるように悪い顔をした職工が新しい話題を始めた。


 疲れているから新しい案件は聞きたくないのだが、と思いつつも、聞かない方が損になりそうならば斬り捨てることもできない商売人は無言で先を促した。


 「なら、いっそ馬車鉄道でも作るか」


 「て、鉄道!?」


 「馬車って一言を聞き逃すなよ」


 「いや、だとしてもお前……」


 まぁ聞けよ、というとベリルは懐から帳面を取りだして鉛筆――念願の品を遂に作ったようである――で絵を描き出した。


 それは四頭立ての無機質な箱形馬車を薄い金属板を上面に張った木製レールの上で走らせる鉄道の走りとなった運送技術の雛形。


 鉄製の車輪は地面を転がるソレと比べて抵抗が著しく小さく、馬に掛かる負荷も下げられるため街道を行く荷馬車の何倍もの物資を運ぶことができた。


 イギリスや西部アメリカの開拓時代でも大活躍した移動手段は、なんと一日で350kmを踏破しロンドンからリバプールへ人を運んだという。


 「綺麗な敷石作る必要はねぇから、レールと砂利、基礎を造る必要が……まぁ、通常の街道よりちょっと高価なくらいか。そんくらいなら、お前の兄上なら出せるだろ?」


 「そりゃまぁ、出資を募れば幾らでもできるが……」


 「いや、どうせやるなら国を巻き込めよ。駅やらなんやら整理するなら、費用面で他社と競争したくねぇから独占事業にしたいし、レールを持ち去られないよう軍に見張りをさせてぇ」


 「となると……」


 脳内で自動で算盤が弾かれ、得られる利益があっという間に算出された。


 帝国は陸上国家であり、旧来然とした技術を頼りとして広大な版図を納めるのに苦労している。距離という障壁は車も航空機もない時代では、100mの厚さを誇る石壁よりも分厚いのだ。


 これを解決できるとあれば、帝国も喜んで街道整備の予算から馬車鉄道建設に金を出してくれるのではなかろうか。


 「新型炉が上手くいったから、そろそろ鋳鉄にも手ぇ出そうと思っててよ。製鉄の品質も上がって、可動部品も壊れにくくなったから、でっけぇ転炉でも一個こさえようかと。その使い道としちゃ上等だろ」


 「……あったまイッテェ……いや、だが有用か……私じゃなくて兄上なら、カエサル家次期家長として政治的により上手くコトを回せるから、私達より方々から入る横やりが少なくて済むからな」


 「そこら辺の難しい話は知らんが」


 「もうちょっと人の仕事に興味持てや」


 知らんことは知らんから任すぜ専門職、と気軽に宣う職人に悩まされながら、アウルスは果たして兄に巨大な爆弾を渡していいものか悩んだ。


 魅力的な案だ。もし成功すれば帝国は統治が楽になって各地が安定し――諸侯が好き放題できるのは、軍隊を遠隔地へ送り込むのが手間だからという側面が大きい――帝国全土に影響をもたらす新事業はカエサル家に膨大な富をもたらすと同時、アルトリウス氏族内での格を大きく上げるに違いない。


 が、同時に多くの敵を作り、内側から食い荒らそうとする寄生虫のような輩もごまんと寄ってくるであろう。


 政治の世界において利益は上げるだけではならぬのだ。あがった利益で誰を味方に付け、どうやって敵を最小限にするかが、ともすれば利益より重要になることもある。


 商売で上手くいきすぎて、その嫉妬により吊された者など幾らでもいるのだ。況してや、国や都市単位でさえ政治謀略により潰されることもある。第四回の十字軍を知る身としては、成り上がり者から小遣いをせしめよう、なんて適当な理由で滅ぼされる側に回るのは御免被りたいものであった。


 「……とりあえず、企画書は用意しておいてくれ。流石に次の株主総会では出したくないから、ゆっくりでいいぞ」


 「双眼鏡の作成が安定したから、腕木通信機も造りてえんだけど。探索者組合を全土に広げるなら絶対必要……」


 「また今度ね!!」


 そこから更に高速通信まで持って来られると、アウルスも兄もキャパシティを大幅に超過するため、大声で話を打ち切ることにした。


 帝国安閑社、ひいてはアウルスの今の優先事項は回り始めた探索者組合を上手く回すことにある。新事業によって更に財布を肥やし、新たな展開に繋げることは必要ではあるものの、野放図にやり過ぎてはいけない。


 地球にも山ほどあったではないか。新興企業が数年で上場するような急成長を遂げた後、事業規模を拡大しようとしてM&Aであれやこれやと企業を買いあさった結果、その大半を上手く回すことができず本業が黒字でも倒産するという、一種の喜劇めいた悲劇に終わることが。


 「私はもう、銃だけでも割と手一杯なんだぞ……冷静になると怖いぞ、手前のケツの下に兵士達に持たせれば百人ちょっとで数千から下手すりゃ万を撃破できる武器が埋まってるってのは」


 「相変わらず肝の小せぇ野郎だなぁ……それでもアレ付いてんのか」


 「付いてるよ! 立派なのがな!!」


 「はン」


 下ネタを振られたので下ネタで反撃してみれば、返ってきたのは鼻で笑うような反応。若き社長は、こいつ一回本気で押し倒してやろうかと考えたが、職人であり鉄洞人の頑強な肉体相手だと自分の方が大変そうだったために考えを改めた。


 それに、仮に上手くいってもだ。この女なら、それを出しにして何を要求されるか分かったものではなかった。


 「畜生め……まぁいい、三日後に持って来いよ。それに会わせて兄上も呼ぶ」


 「おう。積載量限界まで何か積んで登場させてやらぁ。精々良い値を付けてくれるよう、上手く言葉で転がしてくれよ」


 「お前こそ、十万台売れるような品を持って来い」


 「十万? へっ、初代カローラ4,400万台以上より売ってやる」


 不敵な笑みを携えて社長室から去って行くベリルに頼もしさと一抹の不安を抱きつつ、アウルスは仕事に戻ることにした。


 彼女の人間性は、前世と下準備空間で嫌というほど重ねた時間によって正確以上に把握し、同時にされているものの、頭の中に抱えているものの破壊力に関しては未だに懸念が拭えない。


 帝国安閑社の設立時点から、21世紀でも重要な産業と言える物を着々と生み出しているのだ。既に征服と統治の売上げは、壮園経営では追いつくのが難しい莫大な領域に至り、半ば注文生産に近い化粧品でさえメッサリーナや彼女の奴隷が振りまく美しさによって日々留まる所を知らず、旧い製品を駆逐しつつあった。


 軍が握って離したがらない物品も多数生産するに至って、帝国安閑社は帝国にとって欠かせない存在となりつつある。やろうとしている事業を――彼等に有益な側面が強いとはいえ――国が公金まで投じて支援しようとしている時点で明白だ。


 そろそろ自分達は帝国という名の船の重要な部品になりつつある。未だ竜骨とまでは言えないものの、マストではためく帆の一枚くらいにはなって来たであろう。


 軽々に斬り捨てられることのない立場を構築し、政治においても口出しし易い状況が生まれるにつれて可能なことが増えると、発表できる新技術のヤバさが益々と上がってくる。


 距離という世界の障壁を削る鉄路や高速通信、軍事を明確に変革する武器、海を乗り越えて余所に進出する能力。


 これらは全てベリルのさじ加減によって決まったようなものだ。たとえそれが、三人の協議によって決まったことになっていても。


 ベリルの工房は帝国安閑社の制御下にあり、彼女も権力に酔って「いっちょ皇帝にでもなってやりますか!」とか言い出さないタイプの人間であるため、彼女自身の暴走に関して心配はしていない。


 ただ、その脳内に多数埋設された爆弾を自分達が上手く使いこなせるかが心配になったのである。


 「……怖いなぁ、今更になってだが」


 世界は便利になるにつれて致命的な破壊をもたらすようになる。鉄と剣の時代であれば、どれだけ頑張ったところで国家を滅ぼすことはできても、人種を消し去ることはできなかった。


 しかし、時代を経て人が太陽の熱を操るにつれ、少しずつ破壊できるものが増えてくる。


 遂には種族そのものを滅ぼしうる領域に至った生き物であることを思い出したアウルスは、酷く破滅的な妄想に捕らわれることが増えていた。


 莫大な利益、新たに生み出した権益によって追いやられた旧権益者や、踏みつけにされた見も知りもせぬ誰か。


 さて、積み上げた大量の金貨がいつか自分達を殺すのでは、と考えると経営者は心穏やかにいられないものだ。


 それが元々、単なる中間管理職の小心者であれば特に。


 前世で親しんだ多くの同じ境遇にある者達は、どうやってこれを乗り越えたのだろうかと愚にも付かぬことを考えながら、アウルスは仕事に溺れることで現実を忘れようと努力した。


 今のところ、大変ではあっても全て上手く回っている。


 この心配は杞憂であると言い聞かせつつ、アウルスは社長室で書類が捲られる音を満たすのに専心した……。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る