帝国暦740年 初夏 増えると却って面倒になるものなーんだ?

 決算期を目前として、株主総会の準備も終えつつある中に新たな案件が放り込まれたならば、人はどうなるか。


 結論。忙しくて死ぬのだ。


 「あー……ああー……」


 人目がなくともある程度の体面を保つことにしている――急な来客は珍しくもない――アウルスが全てを投げ捨て、蒸したタオルを目に乗せて帝国勇猛社の社長室で唸っていた。


 見て分かるとおり疲労の極限にある。つい先日、帝国勇猛社発足のセレモニー記念式典は恙なく終わり、その後の宴会も前途を期待する貴族や有力者が大いに満足して帰っていたこともあり大成功と言える。


 しかし、その勝利の美酒を嘗めたとして、癒えきらぬ疲れに襲われていた。


 全ては目の前に置かれた、皇帝印と元老院の認可が推された議決書のせいである。


 帝国中で最も字が美しいと認められた、元老院一等書記官が渾身の丁寧さで認めた文字列が意味するのは、帝国が予算を捻出してアウルスが起こした迷宮踏破事業に公金を投入することを決定したというものであった。


 さて、帝国勇猛社は帝国安閑社の子会社であるが、その株式は既に販売の予約が済んでおり、六割を帝国安閑社が所有し――そう、表面上はアウルス個人が綱を握っていないのだ――私兵集団の制御権を与えるため、帝国そのものと元老院に一割ずつ寄付し、残り二割を投資家達に売却することとなっていた。


 これを認めさせるべく、多方面に交渉と賄賂を山ほど送ったアウルスの行動を見ていた元老院は、皇帝のコブが改めて疎ましい存在であることを思い出す。


 120年程前の氾濫では帝都の半分が焼け、市民と走狗入り乱れる山ほどの死体の埋葬地に困らされた。斯様な特大の爆弾を何時までも自国首都に転がしておきたくないのが為政者というもの。


 今までは金と人命を積んでも解決できなかった問題が、金だけで解決できるかもしれんとなれば、じゃあちょっと予算を融通してやろうじゃねぇかという気になったのだろう。


 言うまでもなく、発案は親愛なる皇帝陛下その人による物だった。


 予算はアウルスが迷宮踏破者に贈呈する予定であった報奨金と、一年間は探索者から持ち寄られる戦利品を買い取っていける額であり、ついでに暫くは継続して予算が追加されるという。


 面倒臭ぇことしやがって、とアウルスはタオルの上から目尻を揉みつつ内心で唾を吐いた。


 金を貰うのが嬉しくない訳ではない。金という〝具現化した責任〟に付帯する大きな義務を思うと、背負った重みのせいで地面にめり込みそうになるのだ。


 皇帝や帝国が「アウルス君頑張ってるみたいだね。いい子だからお駄賃をあげようねぇ」と正月に訪ねてきた孫みたいに金を寄越すなんて都合の良い話があろう筈がないではないか。


 特に何も言われずとも、彼にはこの決定の〝裏〟にある意図が読めていた。


 要するに退役軍人なり何なりを養って、帝国経済の健全化を推進しろと言いたいのである。


 帝国は巨大な組織だけあって軍も莫大であるが、当然全ての退役兵や予備役兵を満足に養っていける訳ではない。しかし、往々にして軍人とは潰しが利かないため、軍縮の煽りなどの諸々で職を失った軍人は大抵が食い詰める。


 貧乏するだけなら良い方で、軍隊で培った暴力を悪事に使う人間も少なくないとくれば、もう何のために治安維持組織を作ってんだという話になってくる。


 さりとて、版図が固まり半ば引きこもりつつある帝国である。軍隊を食わせるためだけに――太古では、正に略奪だけ物理的経済政策が目的で外交的目標など持たない戦争は珍しくなかった――余所へ喧嘩を売って収奪戦争を始めることもできぬとなれば、痛みを伴う軍縮に耐えるか、どっかの阿呆が反乱起こして私財没収する口実ができねぇかなぁと待つばかり。


 そこで、彼等は別口で軍からあぶれた連中の口に糊をしてくれそうな先を見つけ、これ幸いと飛びつくことにしたのである。


 公金といっても額自体は国家的規模でみれば些細なものだ。だが、僅かそれだけの額で力を持て余した軍役の経験者を将来的に食わせてくれるとあっては、何倍にも効率的である。なにせ足りない分は迷宮踏破の収益と、大変な金持ちである帝国安閑社が出してくれるのであるから。


 次の株主総会に間に合うようにと急いで予算を組んで通してくれたに違いないが、アウルスにしては迷惑も良いところであった。


 何せ資料は何ヶ月も前から準備して誤りがないかを確認して作っているのであって、こんな土壇場になって総会で発表しない訳にもいかない案件を放り込まれては適わん。会計上は今年度の収支であるため弄る必要はなかろうが、公表する予定であった以後の収支計画には大きく関わってくるのだから。


 会計、事務部隊に特別報償まで出して休日返上で働かせ、急ピッチで資料の再作成と再計算をさせているが、当事者となって株主達の前に立たねばならぬアウルスもまた、休みを返上して社屋に缶詰であった。


 また社員専用の休憩室や仮眠室どころか、水道まで引いた風呂を用意するとかベリルも気が利いてるなと完成当時は暢気に思っていたが、よもやこういった自体を想定して〝カンヅメ〟にできるようにしたのではなかろうなと若き社長は訝しんだ。


 とはいえ、臭い体を抱えて徹夜仕事をしなくて済むので、意図がどうあろうと有り難いことは有り難いのだが。


 彼は大きく溜息を吐いた後、短い休憩を終えてタオルを引っぺがした。


 さて、上がってきた総会資料のデキを確かめて、また原稿を修正する作業に戻らねばと思った時、小さな鐘の音が社長室に響いた。


 社長室の前、秘書が詰める部屋から繋がっている来客を報せる合図だ。壁の中に張った紐が向こうの部屋で引っ張られると、部屋の中の小さな鐘を鳴らす原始的構造のインターフォンであるが、アウルスはこれを緊急でないなら鳴らすなと厳命していた。


 今、特大の難事をやっつけようとしているのであるから、新たな案件を持ち込まれるのは御免被りたいからだ。


 しかし、主からのキツい言い付けを無視して尚も鐘が鳴ったということは、即ちアウルスの判断を仰がねば決済できぬ難事が舞い込んできたことに相違ない。


 彼は聞かなかったことにしたいなぁ、と思いつつ、テーブルの脇に生えた金属の蓋を開いた。


 それは秘書課に繋がる〝伝声管〟である。部屋を隔てても移動することなく迅速に話を通す設備が帝国勇猛社の社屋には張り巡らされており、社長室には秘書室直通の回線が一本通されていた。


 盗み聞きを防ぐため、敢えて社長室には独立した回線を一本だけとし、秘書室側の伝声管の蓋にも鍵が掛かっている。


 「何だ?」


 機嫌が悪くなったのは事実だが、原因は部下にはないと自分に言い聞かせ、可能な限り明るい声で問う。ここで怒ったならば、主の虫の居所によっては本当に火急の用を報せてよいものかと悩まれるようになり、致命的な事態に対応が遅れるという最悪を招きかねないのだから。


 「ご多忙な中、失礼いたしますアウルス様。兄君からの書簡が届いておりまして」


 「兄上から?」


 忠実なる犬狼人の事務頭が寄越す報告に彼は首を傾げた。家族からは茶会や夜会で使うから、商品を用立ててくれという連絡はよく来るし、それはもう自分の決済を通さず優先して融通しろと命じてあるため、如何に親族からの連絡とあっても裁可を仰がれることはない。


 となると、並大抵のイベントでないことだけは確実だった。


 「何用だ?」


 「はっ。その、できるだけ早期に会えないかとご予定を伺っていらっしゃいまして」


 「……ふむ」


 アウルスは兄プリムスからの呼び出しは珍しいなと思いつつ――定期的に〝征服と統治〟の注文と、新商品の問い合わせは来ているが――その珍しいことが起こったなら、余程かと思い分厚い予定表の帳面を開いた。


 どうしても会わなければならない重要人物を除けば、予定は全て株主総会準備のために空けている。作業量と部下から上がってくるであろう報告の時間を勘案し、二日後の夕方からなら二刻は兄のために時間を使えると判断した。


 家族相手とはいえ、二日後に来てくれと頼むのは貴族感覚だと些か性急とも言えたが、流石に一大イベントである株主総会を成功裏に終わらせるためならば仕方がない。


 急ぎ返事を出してくれと命じたところ、それから一刻とせず了承の返事が返ってきた。


 さて、兄はどんな厄介事を持ち込んでくれるのかと考えつつ、アウルスは鈍い痛みを発し始めたこめかみを揉むのであった…………。












 「助けて欲しいのだ、アウルス」


 暫くぶりに顔を合わせた兄を見て、弟は少しやつれたなと感じた。


 帝国勇猛社の来賓室にて少し早めの夕餉支度を挟んで相対した兄弟の内、兄は気苦労でもあったのか酷く疲れている様子だった。


 疲れているのはアウルスも同様だが、その疲労を外見から推し量ることはできまい。なにせ、自らも広告塔として売上げに貢献するべく、ファンデーションなどで隈を覆い隠しているからだ。これからは相手に疲労を悟られたくない激務の議員や投資家にも、化粧品は大量に売れることとなるだろう。


 「兄上からの願いとあれば、この愚弟、どのような願いでも喜んで聞き入れますとも。して、助けて欲しいとは?」


 「うむ……私が父上から運輸業を預かっているのは知っているな?」


 勿論、と返答しつつ、彼は脳の中から実家の事業を引っ張り出す。


 カエサル家は領邦からの収入も多いが、帝都でも複数の事業を行って利益を上げている。その一つが帝都近隣での運輸業だ。


 車も航空機もない時代、主要な運送の手段は馬匹や船であり、地上では専ら馬車や人の背中を使って荷物を運ばせている。そして、馬は飼育にも運用にも金と経験が必要となるため、大半は金持ちの所有物である。


 大勢の人足と馬車を用いて市内の流通を支える家は幾らか存在し、カエサル家もそれに噛んでおり、家内においてはボチボチ重要なポジションにある。アルトリウス氏族の物資を方々に運ぶことは勿論、繋がりのある貴族の物品を運ぶのは信頼と実績がなければできないからだ。


 しかし、それに陰りが表れ始めたという。


 「お前の会社が軍に卸している背嚢があるだろう?」


 「ええ、大変好評を得ており、今も作っても作っても足りぬくらいですが」


 「それがだな、アッサリア家の運輸業者に横流しされておるのだ」


 「……なるほど」


 現代でも軍の備品横流しはなくならない問題であるとおり、色々と統制がガバガバな時代の軍隊が、手持ちの物資を高く売れるからと横流しするのは防ぎようのない問題である。国家戦略に関わる兵糧でさえ裏で取引されることを考えれば、他方面で欲しがられる個人装備が流出することは容易に想像できる。


 喩え、心穏やかに聞ける話ではなかったとしても。


 「人足が早く大量の荷物を運べるようになって、人と金がそっちに流れ始めている。私も欲しくはあったが、あれは軍への優先販売品であろう? かといって、他の者達が作った模造品を使うのも……」


 弟への気遣いによって兄の事業に支障が出ているのかと、かなりの面倒事であると悟ったアウルスは、いっそこの場で痛飲して寝てやりたい気持ちになった。


 既にキャパシティは一杯一杯なのだ。そこに厄介な問題を持って来られても困る。


 かといって、この優しくて、人ができた兄の事業を頓挫させる訳にもいかぬ。何より、株式会社諸方の制定に伴い、プリムスもまた自分の会社を興すことを決めていたからだ。


 帝都近郊と領内で行っていた運輸業を拡大させ、弟には手を出すのが難しい、帝国全土を含めた広範囲の商売を始めようとしていた彼にとって、お膝元である帝都の小規模運送が弱るのは大問題であった。


 元々上がっていた利益を元に事業拡大の予定を算出しているのだ。前提が崩れては、これからの商売に大きく障る。


 「商売の影響はどれ程で?」


 「まだ然程大きくはない。が、半年後は分からん。背嚢、アレは相当良い物らしいな。物が運びやすいとかで、帝都内の運搬では今まで二往復の時間で三往復できると評判で、しかも早く壊れにくいと噂されるようになった」


 「となると、一日に片付けられる件数が実質1.5倍……薄利多売ができますな」


 「ああ。まだ都市間は、やはり馬車などが勝っているが、背嚢を担いだ大勢の人足が用意できるとあれば……」


 「早さでは兎も角、費用面で馬すら負けかねませんな。馬車馬よりも奴隷の方が安いことなんて珍しくもないし、小作人を使えば幾らでも人件費は安くできるものですから」


 「そういうことだ。背嚢をなんとか融通して貰えないか?」


 兄からの頼みであるが、難しいかと弟は顎を摩った。


 如何せんベリルの工場は設備が整い人足の管理を徹底していることもあって、生産計画にはかなり忠実に動いている。完全に機械設備の工場と違って手作業の部分も多い故、急いで人を雇って四交代でラインを回せば能率が上がるという話でもない。


 そして、現状は軍の要望に応えるため目一杯の生産量で工場は稼働しているし、残った僅かな製品も帝国勇猛社の探索者事業に欠かせないため分けることは難しい。


 となると、別の何かがなければならない。


 製造するためのリソースにせよ、背嚢に勝る短距離運送器具にせよ。


 背嚢の融通は難しいと告げられて非常に暗い顔をした兄に、弟は家のお抱えにもっと良い物が作れないかやらせてみると慰める。


 ベリルは将来的には冒険者を帝国全土どころか全世界に展開させることを考えているのだ。将来作る物リストの中に現状でも生産可能で、兄の事業を大いに助ける案があるに違いない。


 工房からベリルを呼び寄せて案を出させるかと、多忙な社長は自分の時間を犠牲にしてでも家族を助けてやることにした…………。

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