帝国歴740年 春 迷宮進出

 現場を知らない上役口だけ野郎ほど厄介な者はない。カリスは前世のCであった頃の経験から、それが嫌と言うほど分かっていた。


 やはり持つべきものは叩き上げで現場に理解がある上官だ。それでいて便宜を図って貰えたり、装備や人員を潤沢にくれたりすれば最高である。


 故に彼女は心得る。もし己が人を率いるなら、自分が望んだような存在であらねばならぬと。


 「しかし、軍人の姐さん、本当に行かれるんで?」


 大型種族が着用することを考慮した、自分専用の専属探索者向け装具を身に纏ったカリスにブレンヌスが不安そうに問いかけた。


 「ええ。一度は現場を見ておかねば示しがつかないでしょう?」


 表情が優れない探索者に巨人は両の拳を強く叩きつけながら応える。手甲の代わりに指を通した皮革の分厚い手袋。その手の甲や指の背に縫い付けられた、重い鉄粉を蓄えた袋がぶつかり合って鈍く恐ろしい音を立てた。


 殴られれば鋼の胸甲であろうと凹む。そう確信させる、あまりに鈍い暴力の音を。


 これは彼女がベリルに頼んで作らせた装備であり、迷宮の狭隘な環境で格闘戦になった時に用いる補助兵装を兼ねた防具である。巨人の皮膚と筋肉は生中な刃物など殆ど通らぬため、頑強性より小回りと火力を取ったのだ。


 なにせ彼女は突っ込んでくる軽トラを真正面から受け止め、更に横に投げ飛ばせるような出力を誇る低地巨人なのだ。下手な短刀や小剣を抜くより、硬めに硬めた拳で思い切りぶん殴る筋力判定をする方が威力は大きい。


 本気で殴れば、契約探索者向けの凄まじく分厚い胸甲さえ陥没させる豪腕である。これを使わぬ道理が何処にあろう。


 「安心して。貴方の指示に従うし、指揮官面して命令をすることもない……領主が自分の壮園を見て回るのと同じよ。現場を知り、必要そうな物を融通するための視察は欠かせないでしょう?」


 「指示に従うつっても……」


 「そのデカい体を使って盾になって前ん出ろ、と言われても、はい上官殿、と素直に応えて従うわよ? 裸で踊れ、とか巫山戯たこと抜かしたら、どうなるか分からないけど」


 「んなこと冗談でも言わねぇよ!」


 はっはっは、と快活に笑う巨人に、本当に冗談じゃねぇんだがなとブレンヌスは冷や汗を垂らした。


 というのも、このやる気満々の女傑、探索者組合の話を何処からか聞きつけてきた生意気な連中を彼等の前で、しかも一人で叩きのめしているのだ。それも20人ばかし、大型人類も含む探索者界隈で特に柄が悪い連中を。


 高給と待遇に惹かれた無頼漢が、低地巨人の護衛を“お上品な戦争処女”と嘗めて掛かった結果は悲惨という言葉でもまだ足りない。


 ちょっと脅せば上に話を通すだろうとくってかかったところ、その深窓の令嬢めいた口から飛び出してくるのは、酒場の酔漢ですら眉を潜める罵倒の数々であった。


 顔の作りから生まれ、果てはアレの大きさまで揶揄するような罵言を雨霰と浴びせられ、沸点が低い無頼漢共は匕首あいくちや寸鉄を抜いて襲いかかった。後でどうなるかなど、その場の怒りや感情で忘れられるからこそ、彼等は無頼に過ぎないのである。


 しかし、結果は彼女が笑顔でここにいる通りだ。


 鉄拳一発。一人につき一撃、きっちり腹か顔面に叩き込まれて無頼共は路地裏に捨てられた。最も軽少な者でも骨が数本折れていただろうし、何人かは間違いなく内臓が破裂して死んでいた。辛うじて生きていた者とて、この医療が高額な時代に果たして何人が現役に復帰できたやら。


 斯様な武勇伝と呼ぶべきか、酸鼻極まる地獄絵図か分からぬ光景を組合の中で見せられた契約探索者達は、助けに入ろうと武器に伸ばした手のやり場を失いつつ恐怖した。


 ああ、これは絶対に手を出してはならん存在だと。


 恐らく、カリスが冗談で言った通り素っ裸で躍ったとして、誰一人ぴくりとも反応できないだろう。少なくとも兜を被った人間の頭を“握力のみ”で歪ませる怪物に、を許す度胸の持ち主はいなかった。


 なにかの間違いで力加減を間違われた自分を想像した日には、大事なボールが股座にめり込む勢いで縮こまる。


 「まぁ、本当に貴方達に指示を出し、迷宮を攻略させるために必要だからついていくのよ。悪いけど我慢して。その代わり、できる限りの仕事はするわ」


 「……そこまで言ってくれるから構わねぇがよ。軍人の姐さんが見栄や経歴目当てで軍隊に入ったハリボテじゃねぇことは、全員嫌ってほど分かってるし」


 「そ、じゃあ行きましょうか」


 嫌な予感を感じつつも、ブレンヌスは特別賃金も出るとあってやむなく上役の同行を認め、仕事にかかった。


 今日、彼が選んだメンバーはカリスと自身を含めて総勢八名。二人だけ帷子すら着込まぬ軽装であるが、彼等は斥候役とのことで身軽さを重視しており、最低限の防具だけで行動するのを常としていた。


 主武装は手槍と小剣といった軍団でも使われている物が殆どで、これは迷宮が基本的に閉所であるからだ。長い得物は取り回しが難しく、振り回せば味方に当たるため混戦と閉所戦闘に向いた物が好まれる。


 その他は頑強な装甲を叩き割るための戦槌、或いは肉厚の斧で、後者はブレンヌスが随分と使い込まれた愛用の品を担いでいる。


 曰く、走狗は下手な鎧より頑丈な表皮を持つ者が多いので、始めに痛打を与えて装甲を割らねば中々死なない個体に対処するためとのこと。


 「おお、黄旗か……危ねぇ危ねぇ、もう少し出るのが遅いと閉め出されるところだな」


 「黄旗?」


 武装を整えて迷宮の入り口に蓋をしている要塞を訪ねると、帝国旗の傍らでくすんだ黄色に染められた旗が翻っていた。カリスは軍団に所属して長いものの、別部署の知識まで深い訳ではないので、その意味が分からなかったのだ。


 何かと問うと、迷宮を管理している行政側が「そろそろ満員」と警告しているそうだ。


 迷宮には、一定の“許容量”が存在する。


 これは迷宮が具体的な数値を示しているなどではなく、管理側が今までの感覚に従って把握している数字であり、一度に受け入れられる人数が各地で設定されているのだ。


 人間が特定の物質を一度に摂取すると過敏に反応するのと同じく、迷宮も大勢の人間が一度に入りすぎると極度に活性化する。体内に入り込んだ毒物や異物に免疫が反応するかの如く、大量の走狗が深淵から吐き出されるのだ。


 いわば、迷宮のアナフィラキシーショックである。


 これが軍による数の力で迷宮を踏破することが断念された理由だ。迷宮が力の限り走狗を吐き出していけば、兵站が届かない軍が何れ音を上げる。また閉所では軍の強みである面製圧力が発揮できず、更には熱線ブレス体液毒ガス・強酸などを閉所にぶちまけてくる敵に殊更弱い。


 そのせいで帝国も“皇帝のコブ”とまで呼ぶ厄介な迷宮を閉じられずにいるのだった。


 「じゃあ結構入ってるのね、今は」


 「ここはたしか500も入りゃ反応し始めるそうでね。倍もいきゃあ氾濫は確実だ。だから、大事をとって半分の250人以上が入らねぇように規制されてんだ」


 「増強一個中隊で満員ね。随分と小さいケツの穴だこと」」


 「……後は一度に十人以上が一塊で動くのもよくねぇ。迷宮内で局所的な“氾濫”が起こった記録もあるから、潜る面子は一度に八人くらいにしとくのが安全だってんで、みんな律儀に守ってるぜ。怪物に塗れて死にたくねぇってね」


 「だから荷物を持ったり成果を運んだりするだけの雑用を連れていくのが難しい訳ね……離れて動く支援部隊を編成するべきかしら」


 「そりゃあ成果を別の連中が運んでくれりゃあ楽だが、そいつらも自衛できにゃ拙かろうよ。デケぇ道が急に変わるこたぁなくとも、振り返った瞬間さっきまでなかった小道が口を開けてるような場所だぜ? 大荷物担いで歩いて奇襲を食らっちゃ……」


 「ふーむ、課題は多いわね……」


 見るからにやる気のなさそうな軍団兵に割符を見せて、一同は迷宮の玄関口に踏み入れる。


 始めて要塞の中に入ったカリスは、また妙な構造であると思った。


 迷宮の入り口は、すり鉢状の穴となっていた。そこに降りるための――あるいは、中から走狗が這い出すための――階段が弧を描きながら底へ続いている。


 そして、その穴を囲むように通常の要塞であれば中庭にあたる空間が作られ、四方から狭間や胸壁などで穴に向かって攻撃をかける設備が整えられていた。


 帝国がどれだけ“氾濫”を重く見ているか、よく分かる念の入れようである。常時一個中隊100~150人が駐屯し、必要とあらば一刻足らずで二個大隊1,200人を集結させられ、一日で第Ⅰ軍団の半数が防衛に加われる体制は、見せかけではなく本当に必要だから構築されたのだ。


 最後の氾濫は今から120年前のことでも、その疵痕の深さは歴史に残っており、当時を知る長命な種族にとっては忘れられないトラウマだ。


 なにせ帝都の半分が焼け、身分の貴賤を問わず数万人が死んだ帝国史の汚点である。二度と起こしてはならぬ、とやりすぎな程に備えるのも無理はなかろう。


 「よし、行くぞ。斥候を前に前進……折角だ、軍人の姐さんは先鋒に付いてくれ。その馬鹿力を期待してるぜ」


 「了解、部隊長殿」


 指示に従って斥候を戦闘に突入した迷宮は、何本もの松明を掲げても酷く暗かった。


 「ま、姐さんの案内と雰囲気掴みってところだ……今日は第一層を軽く見て帰ろうや。金も出るから獲物を剥ぐのも止めとくか」


 すり鉢の底から伸びる横穴。入り口から幾本かの大路が奥へ向かって伸びる洞窟が、この迷宮の第一層目と言われている。カリスだと場所によっては頭を頭りかねない酷く狭苦しい洞窟が延々と続き、複雑にうねる道を辿って緩やかに地下へ下っていく。


 そこから更に進むと道幅が僅かに広くなった第二層、石壁や石畳で舗装された第三層へ続いており、第四層は今のところ、公式では未発見となっている。


 「黄旗が出るくらい潜ってるんで、浅いとかぁ殆ど怪物もいなそうだ。気楽に参りましょうや」


 「最低限の警戒は欠かさずにね」


 カリスは20mほど先行する斥候の背を追いつつ、腰にぶら下げた愛剣を抜いた。


 それは、剣と言うにはあまりに分厚すぎた。長さと身幅は霊猿人にとって長剣と呼べる領域に収まっているものの、厚さは三倍では利かず、振り下ろすことに特化した片刃の形状は剣よりも鉈に近い。


 これはカリスがベリルの工房に発注した特注の剣であり、剛性にのみ特化した鎧を叩き割る“刃が付いた警棒”のような物である。極めて高度な鍛造技術によって作り出された異形の刀身は、重量にして10kgを軽く超え、カリスの馬鹿力で振るっても歪まぬ頑丈さを誇る。


 全ては低地巨人の長身と人外の膂力を十全に発揮するための設計だ。


 高い背を用いて上から叩き潰すように振るう剣を受け止めることは難しい。そこに重力と重量の助けが乗れば、発揮される威力は理不尽と形容するに相応しい域に達する。


 仕上がりを試させようとするベリルの指示でこれを振るったカリスは、騎兵向けの厚い甲冑を“縦に割断し”、更には五枚重ねた軍団平均基準の縦も一撃で全て砕いてしまったという。


 技術など体躯に恵まれぬ弱者の玩具よ、と言わんばかりに警棒のような勢いで振り回される剣が迷宮の困難を全て吹き飛ばしていった。


 緑皮人を悪意的に醜悪な外見に貶めたような“醜形小人デーフォルミスプーミリオ”や直立して武器を持つ“害意狂犬ノクサラビドゥス”といった第一階層でおなじみの雑魚は勿論、ゴムの素材としてカリスご執心の巨醜蛙ラナフェクトムのような大型の走狗までもが一撃で体を割られて吹き飛んでいく。より小型の“有角兎コルヌクルーニス”などは得意の不意打ちを掛ける前に踏み潰されて絶命し、他にも雑多な怪異は敵として認知されているかも怪しかった。


 理性ある生き物が本能的に感じるであろう“恐怖”や、勝てぬ相手には退いて奇襲を試みるような“合理”を持たない走狗達が無謀な攻撃を試みて薙ぎ払われ、時に鉄拳で叩き潰され、そして首を使い終えた楊枝を捨てる勢いで折られる様を見てブレンヌス率いる地底人一同は思った。


 もうアイツ一人でいいんじゃないかなと。


 実際そうはいかないのも事実であるが、鬼神が「もうちょっと手心を……」と窘めてきそうな戦働きを前には、そう思ってしまうのも無理はない。


 だって、真面目に突っ立っていても小物一つ溢れてこないのだから。


 「ふぅ……雑魚ばかりね」


 「まぁ、第一層はこんなもんだ。最大の敵は、この暗さと動きづらさ、そんでもってアホみたいな長さだな」


 軽く息を吐きいているものの、額に汗すら滲ませぬ返り血まみれの巨人に慣れてきた地底人の頭目は、松明で洞窟の奥を指しながら言った。


 「俺らも、この程度の雑魚に煩わされるこたぁねぇが、順調に行っても抜けるのに一日、殆ど休みを挟まぬ強行軍でも半日はかかる」


 「そんなに?」


 「当たりの道が少ない上に数が乏しいもんでね。デカい大路が大体八本から十二本の間で増減しやがるんだが、第二層に繋がるのは、まぁ二本か多くて三本ってとこだ。その道も気が早ければ十日ほど、長くても一月で変わるとなりゃあね」


 「長い割にしくじれば復路もおっかないと。先に行った誰かが当たりを教えてくれたりしないのかしら?」


 「んなことして同業者に飯の種恵んでやってどうすんだ? 感謝もされねぇし、金にもならねぇってのに」


 あー、そういうことかと思いつつカリスは返り血を拭った。


 迷宮の踏破が遅々として進まないのは、探索者の連携が一切ないからだ。地図は全て自分達が使うためだけに作り、決して余所には回さない。壁に時折刻まれている略号も、その探索者グループだけが意味を知るもので他の一党を助けはしない。


 その上で遅くとも一月に一度迷宮の構造が変わるのなら、何百年と破却を望まれながらも“たった第三層”までしか攻略できていないのも頷けた。


 あとは兵站、及び野営の便が悪かったこともあろう。持ち込める水と食料には限りがあり、どちらも補給地点があるにはあるそうだが、いつだって期待できる訳ではないとくれば。


 明確な問題と課題という収穫を手に、カリスの初迷宮探索は、日を跨がず早々に撤退して終わりを迎えた…………。

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