帝国歴740年 初春 装備貸与式

 「良く集まってくれたわね」


 帝国暦740年の初春。暖かくなってきて出かけるのが楽になってきた時候なれど、とある施設の中庭に集められた面々は、全くそんな気がしていなかった。


 なにせ呼び出しに応じて顔を出してみれば、上背が240cmもある低地巨人の武人が待っていたのだから。


 儚げな令嬢めいた整った顔も、きゅっと唇を引き締めた上で腕を組み、でんと隙なく突っ立っていられれば見惚れる余裕もない。況してや霊猿人では扱うのも困難そうな長剣を腰にぶら下げていられると、邪な気分を抱くのは困難どころの話ではなかった。


 「ここは来月には探索者組合の施設として落成する別館の中庭。鍛錬場としても解放するから、使う機会も多いでしょう」


 場所は帝都北方。“皇帝のコブ”として知られる帝都の七つの丘であった一角を占有する、帝都唯一の迷宮が鎮座する場所の目と鼻の先。


 かつては危険な場所でも家賃が安いから、貧民達が我慢しながら暮らしていた場所に新たに立てられた施設の中庭だ。


 彼等がここで工事が行われていることを当然ながら知っていた。職場の前で盛大に古屋が破壊され、大仰な工事が大勢の職人によって行われていて気にならない筈もなし。


 秋頃に住民が合意の内に追い出されて生まれた広大な空き地は、今や上品で洗練された佇まいの館が二棟も聳えている。内装を整えているようだが外観は殆ど完成しており、周囲の住人達や仕事で訪れる探索者達は、貧民街が広がる区画には不釣り合いな建物の様相に首を傾げていた。


 来月には内装の仕上げも終わり、完成を控えた建物は帝国安閑社の子会社、帝国勇猛社の本社社屋にして“探索者組合”の組合会館となる。


 そして、組合発足直前にして中庭に集められたのは、ベリルが勧誘し、ブレンヌスが音頭を取って集めた組合第一の参加者となる40と余名の探索者達である。


 当初12人であった地底人達であるが、彼等の軽い口から溢れた噂を聞いた面々が、俺もおこぼれに預かりてぇと集まった結果の人数である。使える面子が増えるのは大変結構、としてベリルが認めたため、予定人数の三倍以上が第一陣として契約冒険者の列に名前を加えることとなった。


 「あたしは帝国軍第Ⅰ軍団第Ⅱ大隊隷下第Ⅲ中隊、隊伍長のカリス・イラクリオン・アルトヴァレト。貴方達の雇用主となる男の護衛官であり、今日の差配を任されているわ」


 堂々と軍装姿で屹立する戦乙女の前に、そろそろと出ていく者があった。


 「あー……でっけぇ軍団兵さんよ。ちょっといいか?」


 霊猿人の中では大柄なブレンヌスが歩み出て声を上げたが、子供と大人の身長差がある故に些か及び腰である。人間、鉄火場に慣れていても自分を圧倒する巨漢――女だが――を前にすれば恐怖の一つも覚えるもの。


 それが軍人として鍛え上げられ、武威が空気として周囲に漂うほどの人物であれば尚更だった。


 「何? 次から質問がある時は手を上げて貰えるかしら」


 「ああ……俺はよ、小さい姐さんから来いとしか言われてねぇから、勧誘した面子を連れて集まっただけなんだが……こりゃあ何の催しだ?」


 イイもんやるから来いよ、というお誘いを受けて意気揚々と来てみれば、現れたのは見るからにおっかない低地巨人の軍人だ。あまつさえ、誘った当人は来ていないときた。


 よもや誘いはフェイクで、今から地獄の扱きでも始まるんじゃなかろうかという悪寒すら感じるほど状況は悪い。


 「装備の貸与を行うのよ」


 「貸与……?」


 「そう、支給じゃなくて貸与。そのために管理者兼説明役としてあたしが選ばれただけのことよ。優待が付くから買えって言っても、直ぐには金もないでしょう。それに、実際に使ってみて意見も聞けと言われているからね」


 他に質問は? と聞かれて、探索者諸氏は顔を見合わせながら、とりあえず首を横に振った。金を取られることもなく、予想外に訓練が始まるのでもなければ、とりあえず文句はなかった。無料で貸して貰えるなら、貰っておいた方が得でもある。


 「じゃ、まず全員靴を脱いで向こうに置いてある板の上に順番に乗りなさい」


 まだ寒さも残る中、脈絡もなく靴を脱げと言われて訝りながらも、各々言われた通りに中庭の一角に並べられた板の上に順番に乗っていく。見るからにおっかなく、拳でも権力でも勝てなさそうな人物に突っかかるような短慮の持ち主は、ブレンヌスによって弾かれていたようだ。


 板の上には目盛りが刻まれており、足を乗せると事務員らしい下男が蝋板にサイズを書き付けて計測の終わった者に渡していった。


 採寸が終わるとカリスは別の下男に命じ、探索者達に袋を配らせた。袋にはサイズが書き込まれており、持っている蝋板と同じ物を押しつけていく。


 「そこの洗い場で足を洗って拭いたら、中に入ってる物を履いてちょうだい。薄いのは靴下で、デカいのは新型の軍靴よ」


 命じられた通りに足を洗って袋を開けば――有り難いことに温かい湯と石鹸が用意されていた――探索者達には見慣れない物が入っていた。現代人には必須の生活衣服である靴下と、現代の軍人が履いていそうな無骨なコンバットブーツだった。


 考えるまでもなく、どちらもベリルの工房で作られた軍と探索者向けの最新装備だ。


 靴下は麻製なれど丁寧な縫製によって履き心地はよく、ゴムによって適度な締め付けがあるため勝手にずり落ちてくることもない。今までこうも足にぴったり沿う物を履いたことのない面々には足を通すだけで一苦労ではあったが、特に苦情は上がってこなかった。


 この寒さが残る春先、薄い布とはいえ湯から出た足をかばえるのが有り難かったのだ。


 一方でサンダル型の靴が一般的な帝国人が初めて長靴を履いた時の反応は、あまり良い物ではなかった。


 「窮屈だなぁ、オイ……」


 「ちょ、ちょっと踵がイテェ」


 「足首があんまり曲がらねぇぞ! これじゃ転んじまうよ!!」


 ベリルが用意したのは革と帆布を組み合わせたコンバットブーツであり、脛まであるハイカットの構造を見たことがある者は誰もいないだろう。ご丁寧に足が大きな種族にも対応した様々な形のブーツは、高く編み上げた紐を解き、口を限界まで広げてもかなりキツい靴の中に足をねじ込むのに全員が苦労させられる。


 その上で締め付けが強く、同時に踝や踵が硬い感覚は、気軽なサンダル型の靴に慣れた者達にはどうしても不快であった。


 しかし、いざ履いて歩かせ、馴染んでくると不評は次第に収まってきた。


 「……これ、悪くねぇな」


 「ああ。最初は暑苦しいと思ってたが、慣れたら悪くねぇ」


 「なんか地面の踏み心地がちげぇな。軽いつーか、弾むようつうか。重さの割に楽な気がする」


 「思ったより暑くねぇな」


 それもそのはず。量産体制が整っていないため職人の手作業で仕上げがされているブーツの品質が良いのは当然であり、更にベリルが現代でも通用する構造を多数採用しているのだ。


 靴底にはラナフェクトム由来の高反発ゴムを採用し、更に罠や刃物を踏んでも踏み抜かないための鉄板が仕込まれている。革と帆布を組み合わせた本体は、諸所に開けた通気穴と工夫が凝らされた構造により風通しがよく、湿気の強い迷宮でも不快感を感じづらくできている。


 更に蝋を塗るなどして耐水性もある程度確保している靴は、重さを除けばこの世で最も快適な軍事用の靴と呼んで差し支えのない性能であった。


 幸いにもブレンヌスが集めた面々には、霊猿人基準の靴が収まる者が多かったので混乱はなかったが、カリスは異形系の足に合う靴の試用者を別に集めねばなと残念に思う。蹄や巨大な形の足に合わせた靴も用意されていたからである。


 その後、背丈に合わせて背嚢が配られ、迷宮でも扱えるであろうアルコールストーブやマッチ、軽量な入れ小細工型の金属椀などの装備が説明と共に貸与されていった。


 「この発火具いいなぁ、下町で使ってるの見て俺も欲しかったんだ」


 「こっちの丸い暖炉もいいぜ。この水入れるだけで燃えるのはどういう理屈だ?」


 「折りたためる五徳がありゃあ、鍋を火に掛けながら暖も取れるの楽だな。薪を持ち歩かなくていいから軽く済む」


 「デケぇ鉄の箱はなんだ? 焚火台? 石で炉を組むより良く燃える? マジかよ。重さを我慢する価値はあるかね」


 解説に従って器具を展開していく面々を見て、カリスはなんだかキャンプギアの展示会のようだと感じた。


 前世でキャンパー達が愛好していたキャンプギアのアイデアとデザインを借用したデッドコピー揃いなので、彼女が抱いた感想も強ち間違いではない。素材は殆どが錬鉄か鋼鉄製、ないしは木製なので薄さを追求しても元製品と比べれば倍ほど重く、錆止め塗装を施していても劣化速度は比べものになるまい。


 それでも彼等が今まで担いでいた、粗悪で安価な品と比べれば格段に楽になるはずだ。背嚢によって携行品の容量が増えれば行軍で消費される体力は減り、持って帰れる物も増加する。同時に戦い易くなれば、損耗も抑えられて経験が蓄積し、優秀な探索者も増えることであろう。


 「使い心地はどうかしら?」


 一頻り使い方を教えて回り、携行食の味見の段に入ってカリスはブレンヌスが囲んでいる鍋に近づいた。少々大柄のアルコールストーブで炙られている鍋の中では、大麦を荒く粉砕した物に香草などを練り込んで固めた携行食が煮えている。少量の水で板状に固めて焼きしめた食料は、水で戻すだけで味の濃い大麦粥になるため野営でも手早くマシな食事が採れると、カリスの配下では好評だった。


 それに最後の手段として、そのまま囓っても水があれば我慢できなくもない味になっている。


 「ああ、軍人の姐さん……まぁ、どれもタダで借りられるのが嘘みてぇだな。本当に担保は要らねぇのかい?」


 「差し出せるような物を持っているのが何人いるのかしらね。生憎、私達の雇用主は指や手足を切り落としても「そんな金にならん物より金もってこい」と仰る方よ」


 「ははっ、ちげぇねぇ。俺らは身一つで生きてる根無し草だしな。死んでも残るのは体だけってもんじゃ価値もねぇわ」


 探索者の刹那的な生き方にイマイチ共感を覚えられないカリスは、意見を聴取しながら下準備期間で学んだ迷宮のことを思い出す。


 中々面倒で融通が利かない、異界の地上げ業者が作り出したダンジョンには危険が多い。そこに潜ることを生業とするのであれば、長期的なビジョンなど持ちようがないのだろう。


 「ただ、仕事は兎も角、質に入れたり売ったりしたら酷いわよ。道具には全部、番号が振ってあってどれを誰に貸したか細かく管理しているから、横流しが分かったら報酬から天引きされるから全員に徹底させておきなさい」


 「げぇっ!? き、厳しかないか!?」


 「元手なしで借りられる装備に何しようとしてるのよ。世の中そんなに美味しいことばかりじゃないわよ」


 「ま、まぁ、今の段階で教えて貰えた分、まだマシではあるがよ……」


 何人かがギクリと肩を揺らしたのをカリスは見逃していなかった。ブレンヌスが選んだ面子であっても、狡っ辛いことを考える面子が少なからず含まれていたらしい。


 「あ、あのぉ、ぶっ壊れたら……?」


 怖や怖や、と厳しい女軍人に肩を竦めながら大麦粥を啜っていた冒険者の内、一人がおどおどと手を上げながら質問した。まだ若い緑皮人の探索者は、金色の大きな目玉を不安げにぎょろつかせている。


 カリスの返答は素早かった。荒事に投じるのだ。壊れるのは想定の内であり、壊れた場合どうすればいいかは探索者も知りたかったであろうから。


 貸与品は帝国勇猛社によって備品として予算が計上されており、破損した際の予備も用意されている。装備品は戦って壊れてナンボの製品であるため、業務の中で壊れたなら買い取れと言う無情な企業ではないのだ。


 ただし、壊れたと言い張って横流しをさせぬため、余裕があるなら壊れた品も持ち帰り、それが無理なら番号の振ってある部分を切り取って持って来いと命じた。シリアルは部品の重要な部分に刻印されており、切り取ってしまえば役割を為さぬような構造になっていた。


 「よし、休憩終わり! 撤収準備!!」


 パンと甲高く手を慣らすカリスであったが、探索者達の行動は機敏とは言えなかった。むしろ、さっさと片付けろと言われていることに面食らっている節すらあった。


 「……まぁ、探索者ならこんなものかしらね。規律に従えないから補助軍じゃなく、探索者という別の荒事を生業に選んだのだし」


 これは先が思いやられるわ、と思いつつ、カリスは探索者を引き連れて別館の中庭を離れた。行き先は大路を通して対面に聳え立つ、一際豪華な貴族の屋敷としても成り立ちそうな組合会館だ。


 内装は半分ほどしか完成していないが、既に仕上がっている区画が幾つかある。


 それは組合の中でも帝国勇猛社の“専用区画”として整備された場所であり、単なる探索者ではなく、帝国勇猛社の“契約探索者”のみが利用できる区画である。


 専用の受付、専用の談話室、そして専用の武器防具保管庫。


 「おお……!?」


 やってきた保管庫には、誰の目にも印象的に映るようアウルスの手引きによって鎧が陳列されていた。


 黒と赤を基調とした、煮革と薄い板金、そして細い鎖帷子によって編まれた軽装の鎧。帝国の軍団兵が着込む重厚な鎧とも、補助兵の軽装とも明確に異なるそれは、強いて言うならば近世の胸甲歩兵の出で立ちに近い。


 鎧下は厚いキルト生地によって構成され、立体縫製が施されているため着心地は中々の物だ。胴部は黒と赤でチェッカー模様に塗り分けられていて、探索者好みの“伊達”な意匠となっており、鎧を着ずとも十分格好良いデザインとなっている。


 それに合わせて下半身に履く装束には見覚えがなかったが、何人かの北方生まれは脚絆だと気付いた。此方では暑苦しいとして不人気だが、不整地を行くなら脆い肌を護れるため、そう悪い物でもない。


 その上に纏うのは二の腕までの袖と腿までの長さがある、信じられないほど薄いチェインメイル。一本一本丁寧にベリルの工房にて編まれた鋼鉄の鎖帷子は、生半可な刃を阻み、堅さと柔軟さで以て鎧下と協同し殴打による衝撃を殺す。間違いなく下手な鎧よりも防御力が高く、同時に機動性に優れた逸品だ。


 バイタルパートである胴部を丸みと鋭角が絶妙に混合させた胸甲が覆い、両手は諸所に板金が縫い付けられた手甲が据えられている部分も実用性を高めている。


 その上で頭に頂く兜も良い物だった。簡素ながら前は広く空いており、視界を妨げぬが致命的な部分は上手に護ってくれている。耳の辺りは空間が少し空けられていて、音を拾い集める構造になっていた。見る者が見れば、第二次対戦時のドイツ軍を想起したであろう。


 性能もさることながら、全ての武具が外見的にも調和するようデザインに気が払われている。現代人が見ても現地人が見ても勇猛で格好良く映る意匠は、ベリルが下準備期間に何十枚と草案の絵を書き捨てて漸く行き着いた境地。


 近代で通用した技術を現代の知恵で以てアップデートした、しかし弾丸と砲声轟く戦場では通用しなくなってしまった時代後れの最新鋭。しかしながら、科学が未熟なこの地では、神の恩寵を受けた装備や理力によって強化された装備に等しい頑強な護りをもたらす鎧は、現実にスレた探索者達を一息に英雄譚に憧れる子供へと引き戻してしまった。


 「これも貸与することになっているわ。ボロい装備に泣くのはもう止めて、専業、プロの自覚と誇りを持ちなさい。これを着込んでダラダラ歩いたり、背を丸めることは以後堅く禁ずるわ。異論があり自信がないものは、黙って立ち去りなさい」


 さぁ、どうかしら? とカリスが振り向いても、部屋を辞そうとする探索者は誰もいなかった。


 彼等も生業としての探索者にスレてしまっていても、子供の頃に抱いた憧憬まで全て捨てきったのではない。


 迷宮の奥から秘薬を持ち帰り命を救った姫と婚姻し貴族になった男。持ち帰った名剣にて暴虐の竜を討ち領地を相続し領主となった英雄。皇帝が宝冠に据えることを望むほどの宝石を持ち帰って臣籍を得た幸運な者。


 数多の詩に残る英雄達に憧れ、探索者を志した者も多い。日雇いの労働者や補助兵になるよりマシな選択肢だと思って迷宮に足を踏み入れた者が大半でも、その源流には尊く輝く無垢な物があったはずだ。


 「逃げるなら今よ。契約するなら責任が付きまとう。権利に付帯する義務は安くない。それでもいいなら、この装備に身を包み迷宮に赴き、我々が必要とする物を持ち帰りなさいな」


 甘い水は何時だって、危険な崖の際にあるものよ。


 カリスの警句を聞いても踵を返す者などいなかった。


 彼等は探索者。一攫千金と栄誉を求めて迷宮に踏み込み、戦場という羅紗板の上に好き好んで手前の命というチップを放った連中だ。これに臆して断るようでは、探索者家業が成り立つ訳もなし。


 この日、帝国勇猛社契約探索者として登録する契約書に40と余名の血判が捺された。


 全ては擦り切れつつあった、憧れを取り戻すために…………。 

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