帝国歴739年 晩秋 勧誘、あるいは洗脳

 帝国暦739年の晩秋。そろりそろりと寒さが這い寄り、薪の値段が少しずつ上がり始める季節が帝都に訪れる頃。


 寒さの到来につれてますまず需要が増えていくストーブの増産や、鉄製品需要に応えるべく新型鉄炉の増産計画が始まるなど、やること多いなぁ、と計画表の分厚さに悩まされつつベリルは珍しく帝都の工房にて客人と顔を合わせていた。


 「お宅が俺をお呼びの……」


 「ベリル・グインソン・デヴォンだ。ベリルでいいぜ」


 帝国安閑社関係で紹介される高貴な御仁でもなく、最近増えた軍関係の朴訥ながら実直な人物でもない、如何にも野卑な人間と工房で顔を合わせるのは、彼女にとって新鮮なことだった。


 炉が燃える音や鍛造炉で鋼を打つ音が賑やかな音が飛び込んでくる、工房の中で最も安っぽい応接間にて待っていたのは一人の霊猿人である。


 主人がやって来るのを待つこともなく饗された食事と酒に遠慮なく手を付け、身分的に圧倒的に上位である――ベリルは市民権を持つ立派な帝国市民だ――彼女が入室しても起立して出迎えることもせぬ様子からして、全く教育が施されていないことは明白だ。


 粗にして野であるものの、肉体だけは文句の付けようがなく鍛え上げられていた。


 見た目に拘った彫刻を想起させる筋肉の塊ではなく、適度な脂肪と筋肉に被甲された肉体は武人の証。人に暴力を振るう遠慮がないことだけが強みのヤクザ者ではなく、正しく戦うことで方便たづきの道を成り立たせている人間のみが持つ最初にして最後の武器。


 ならば、十分である。招いた客に彼女が求めるのは、礼儀作法や所作の優美さなどではなく、合理的な暴力を振るう能力だけなのだから。


 軍団兵や補助兵と違って日焼けこそしていないものの、それは主戦場が暗い穴蔵である迷宮にあるからだろう。嫌に白い肌は実戦にて鍛え抜かれた筋肉で機能的に隆起し、ダボついた薄汚いチュニカとズボンの下でも錬磨した武を見せつける。


 短く刈り込んだ髪は、長く迷宮に潜り続けるための処置だ。汗を最低限吸う程度の機能を残し、余分を全てそぎ落とした髪の下にある顔は、剃刀のように鋭い印象を受ける。全てはつり上がった眦や細く厳しい目、そして薄い唇のせいだった。


 そこに帝国人ではまずしないような、複雑な紋様を描く刺青で頬や両腕を彩っているのが恐ろしさを助長する。


 頬骨が僅かに発達し、恐ろしく彫りが深い顔付きと相まって、帝都の生まれではないことは明白だ。中央大陸北方。亜大陸の付け根より更に北、かつて帝国が征服し、価値なしとして放棄した森林帯に祖を持つ霊猿人種の特徴だった。


 「悪いね、帝都の北から南の端っこまで走らせて。まぁ、この飯と酒は駄賃だ。遠慮しねぇで食ってくれ。足りなきゃ幾らでも作らせるからよ」


 だが、野卑さはベリルも負けていない。作業着のまま、油で汚れた手ぬぐいをぶら下げて、煤の臭いをこうで誤魔化しもしないのだから大したものだ。真っ当な貴人や貴人から腕を認められた職工であれば、眉を潜めるような来客の出で立ちにも態度にも全く興味を示すことはなく、自身も寝椅子に腰を下ろすと手酌でビールをピッチャーから酒杯へ注いだ。


 「どうだい、美味いだろ、この酒は。帝国安閑社謹製の新製品だ。市井に出回るのは……まぁ、あと5年は先になるかね」


 「ああ、気に入ったよ。土産に一樽持って帰りてぇくらいさ」


 「包んでやれるだけの余裕はないんだ。悪いがここで堪能しきってくんな。んで、アンタが……」


 「おうよ。お召しに従って参上したぜ。“皇帝のコブ”で活動してる探索者。シケリアのブレンヌスだ。まぁ、仲間内じゃ俺の面子12名含めて地底人で通ってるがね」


 教養も礼儀作法も身についていないのは当然だ。彼は探索者、皇帝のコブを主戦場とする無頼漢なのだから。


 「なんだ、内海出身かい? その名前は北方人のだろう。刺青もそうだ」


 「親父が移民しておきながら、ゴロワ北森人の誇りや文化がどうだのと未練がましいヤツだったのさ。北森語も喋れやしねぇってのにな」


 シケリアのブレンヌスは、ベリルが仲良くなった迷宮産の物品を扱う屋台の寄合衆から紹介された腕利きの探索者である。彼女は寄合衆にも酒を奢り――金は役員報酬で唸る程ある――荒くれ者の中でもマシな人品を持ち、腕も伴った人物と繋ぎを作りたいと伝えると、彼の名が出て来た。


 地底人と呼ばれるくらいの長期間、迷宮に潜って生活する術を身に付けた探索者の頭領であり、赫奕たる戦果を上げはしないが手下を死なせず、装備を失うこともなく帰ってくる堅実な探索者という評をベリルは多いに気に入っていた。


 今、三人にとって必要なのは強大な個を誇る戦力ではなく、組織を作るための礎石となれる人物だったからである。


 「まぁ、俺んこたぁいいだろうよ、小さい姐さん。迷宮を這いずり回る無頼の来歴なんざ聞いて楽しいこたあるめぇ。で、態々呼びつけて豪華な飯を奢ってくれる理由はなんだい。俺に一目惚れって訳じゃねぇんだろ?」


 下町訛りのべらんめぇ口調はベリルと似ているが、軽口の性質は正に遊び人のソレだった。彼女は探索者の軽口と無礼を鼻で笑うことで許してやり、俺の好みはもうちっとお上品で人間が出来た感じだなと返した。


 「だとしたら、迷宮の珍品をお求めかい。金や宝石に関するモンなら、関所の専売所を通して貰うか、前もって帝国に金を納めて持ち出し許可証を買って貰わねぇとな」


 仕事の話、となるとブレンヌスの理解は早い。金持ちの職人が探索者に会ってでも叶えたい用事など、その程度のものだ。原則として金や宝石の値崩れを防ぐため、迷宮産の貴金属と宝石は迷宮の出口で帝国によって買い取られるが、それも貴人からの依頼があるなら一部例外を認めさせることはできる。


 そのため、一部の好事家や珍品好きは持ち出し許可証とやらを莫大な金を掛けて購入し――一品につき一度だけの使い切りだ――子飼いの探索者に希少な品を探させることがあるという。


 「お宅の工房の質からすると……紅玉か? たしかに先月、ホリンの野郎が巨人の握り拳くらいあるのを掘り当てて話題になったが、ああいうのが欲しいってんなら、そりゃ運の領域だぜ。大人しく競売を待つのが一番だと思うがね」


 「そんなチンケな物が欲しくて呼んだんじゃねぇよ。宝石が欲しけりゃ、態々博打みたいなことしねぇで故地の寝返りを待つか、親戚の氏族をあたらぁ」


 握り拳ほどもある紅玉をチンケたぁ大きく出たもんだ、と野卑な哄笑を上げるブレンヌスにベリルも大きな笑いで応えつつ、懐に手を差し込んだ。


 すると、やはり荒事を生業にするだけあってか、笑っている男の目だけが異様に剣呑な輝きを帯びたのが分かった。金持ちの家に呼ばれ、殺す理由などないと分かっており、酒を飲んでいたとしても警戒心に一部の緩みも生まれないのは流石というべきか。


 加点1、と心の中でつけた内申書に評価を書き加えつつ、ベリルは懐に呑んだ短刀を取りだした。


 「握ってみな」


 己に柄を向けて差し出された短刀と、その短刀の鞘を握る鉄洞人の顔を二度三度と見比べた後、聞くよりも行動してみる方が早いと察した探索者は迷わず柄を取った。そして、鉄洞人が握ったままの鞘から刃先が引き出され、窓から差し込む陽光に良く研磨された刀身が美しく輝いた。


 「……へぇ……こいつぁいい」


 刃渡り15cm程、片刃の多用途ナイフだ。生活的な用途には勿論、鍛造された良質の鋼で構成される肉厚の刀身は、予備兵装として腰にぶら下げておけば安心できる逸品である。


 しかし、非凡な刀身の出来よりも、ブレンヌスは柄に目をやっていた。


 帝国領内に多い胡桃材の握りは、人の指の形に合わせて婉曲する独得の形に成形されており、更に諸所を薄いゴムで覆ってある。外見は簡素極まり優美さの欠片もないが、実用性に関しては貴種が好む動物の牙や角を用いたそれより数段上の領域にあった。


 しっとりと手に吸い付くゴムは水気にも脂にも強く、粘り気がある感触からして強い摩擦により保持を多いに助けてくれるだろう。


 戦う者にとって刀身の切れ味と並ぶほど、柄の握り心地は重要な要素だ。刃がどれだけの切れ味を誇ろうが、それが握りづらく力を込められなければ意味がなく、血や泥で汚れる鉄火場においては柄の滑りにくさが明暗を分けることもある。


 探索者の目線であれば、これは完璧な戦闘用のナイフだった。刀身の美事さはグイン工房の刀匠衆の習作であるため、無銘なれどケチの付けようがない領域で、冒険者風情では切っ先を買うだけの金も出せない品質だ。新型炉による高品質な鋼を用い、高精度の旋盤を転用した研磨機によって研ぎ上げた刀身に手作業での仕上げを施したのだから当然だ。


 それ以上に柄が気に入った。堅く頑丈な柄材の上を覆う素材は、ブレンヌスにとって全く未知の障り心地だが、干上がった地面のような細かな模様が浮かび上がる表面は、汗を掻こうが泥まみれだろうが滑らないであろうという確信をもたらしてくれる。


 これを持てる戦士は幸福だと思える逸品を堪能した後、探索者は短刀を卓の上に乗せ、そっと押し出して持ち主に返却した。


 「いい品だった。欲しいくらいだが、とんでもなく高いだろ。この柄は触ったことがねぇ代物だ」


 「ああ。血でも泥でも滑らねぇ、俺の工房でしか手に入らない逸品だ。まぁ、売るなら500セステルティウス約18万円は貰いたいところだね」


 とんでもない額に探索者は口笛で反応した。乗せただけで紙が切れそうな鋭さもさることながら、彼が気に入ったこの柄を手に入れるためには数ヶ月分の酒代が必要になるとは。


 「モノの良さは結構だが、俺にそれを自慢したくて、態々呼びつけた挙げ句に上等な飯まで用意したってことはあるめぇな?」


 「俺も酔狂者で通っちゃいるが、そこまで暇でもねぇよ。さて、こいつが100セステルティウスで手に入るつったら、どうするよアンタ」


 値を聞いて、軽薄な顔が一瞬真面目になった。顎に手を添え、五分の一になったとはいえ未だ高額なそれの価値を計る。少なくとも、安酒の量を減らして手に入れるには十分過ぎる品だからだ。


 「……まぁ、買うが、意味もなく半値以下になるってこたぁねぇよな?」


 「そりゃあな。条件が幾つかある。探索者を纏め上げてぇんだよ」


 「あ? 俺らを?」


 「そう。欲しい物がある。だからつって、ロハで働かせようとは思わん。きちんと見返りをつけてやる。俺の雇用主は金持ちでね。折角使うのなら、気持ちよく働かせてやろうつって、組合を作ろうと仰ったのさ」


 組合ねぇ、と訝しげにしているブレンヌスにベリルは構想を打ち明けた。


 探索者同業者組合を発足する準備は着々と進んでいた。準軍事組織ともいえる戦士共を統括する集団の結成とあれば、既存の権力者がいい顔をしないのも道理。されど、此度の無法ともいえる企ても、また株式会社の体面を取ることで大体の人間が懐柔されていった。


 籍を置いているだけで役員報酬が手に入るポストの提示、優先的にを発行する約束、そして軍においては新装備導入にあたって必要な実験で失っても痛くないモルモットの提供。ちょっと問題がある組織のように思えても、そこから蜜を吸うことができればお偉いさんは大抵静かになるものだ。


 善良……というより政治家としては真面目すぎる者も、無頼漢に首輪を填めて秩序を護らせる効果を説明すれば納得し、数百年前にあった剣奴の反乱と似たケースを抑圧できると考えれば首を縦に振った。


 用地買収も着々と進んでいる。皇帝のコブ近辺の地主は、元々あの土地を売りたいと思っている人間が大半だったのである。


 治安が悪くて貧民しか住まないので家賃収入も多いとは言えぬし、その割に建物が古くなって崩れる危険が出たら一応は修復しないと、行政府から怒られるため利回りもよくない。


 挙げ句、迷宮が“氾濫”を起こす危険性を孕んでいるともくれば、ご先祖は何だってこんな所を買ってしまったのだと嘆いている者もいた。持っている以上、利益が少なくとも帝国が遠慮なく地税を召し上げていくのだから。


 まるでうっかり相続してしまった売れもしない山林のような達を抱えて嘆く彼等に、アウルスがちょっと色を付けて買収を匂わせれば、近所の地主から逆オファーが来るわ来るわ。想定より安い予算で広い土地が手に入ってしまったアウルスは、もう折角だし探索者が安く泊まれて飯も食える宿舎も作っちまおうと開き直る程であった。


 ファンタジーの冒険者には、馬小屋を貸してくれる宿屋が不可欠であろうと。


 「で、組合に加入したら、組合が賞金を出す標的を狩ってくると報酬が出る。具体的にはこんなもんだが……字ぃ読めるか?」


 「単語程度なら……って、おいおい、小さい姐さん、ラナフェクトムなんかに50セステルティウスも出していいのか? しかも革だけ剥いでくればいいってなりゃあ持って帰るのも楽だが、使いようがねぇだろ、あんな気色悪いの。その割に強いから誰も相手しねぇ怪物の代表格だぞ」


 「俺にとっちゃ銀の塊みたいなヤツなんだよ。で、狩ってきた標的の量に応じて組合で格付けをして、賞金に色が付くようになる」


 「美味しいことだらけじゃねぇか。なんか美味すぎて裏があるようにしか思えねぇなぁ……謀反の片棒担がせようってんじゃねぇだろうな? スパルティコ剣奴反乱の首謀者の二の舞はご免だぜ」


 「利益が出るからやるんだよ。誰が好き好んで剣奴の真似事させるんだ。俺達は全く以て素直な方さね。騙されたと思って乗ってみろよ。大手のアンタが口火を切ってくれりゃあ、後に続くヤツも増える。続けるぞ、上がりから何割か組合に入れることで年金に加入できるようになってだな」


 「年金!? 軍団兵が退役後に貰える、働かないでも金くれるってあれか!? 探索者に!? 冗談だろ!?」


 制度としてはゲームの冒険者ギルドと大差ない。依頼があり、それを狩れば報酬が出る。それによって重ねた信用により階級が決まり、より高難易度の依頼を受けられるようになる伝統の形式だ。


 アウルスはこれに合わせ、赤字どころか手出し覚悟で年金制度や保険制度を整備するつもりでいる。一定の階級以上に昇級し、勤続年数によって退役時に年金を出して生活を保障してやる制度だ。


 船乗りと同様に探索者も生活が破綻する者が多い。一度の仕事で結構な収入を得られるが、それを刹那的に女や酒に蕩尽して後が続かず、最終的に何処かで看取られることもなくのたれ死ぬ者が迷宮の中で死ぬのと同じくらい多い。


 しかし、それをやられると折角育って後身に教えを授けられるような熟練者が勿体ないため、三人は探索者という身分そのものの向上を目論んだ。


 アウルスとしては功労者には帝国市民権を買い与えてやった上、アドバイザーや教官の地位を与えてもいいと考えてさえいる。彼等が最終的に目指す目標を思えば、必要経費の内だろう。


 「あと、俺の工房での試作品の供与が受けられるぞ。使い心地の聴取なんかにも付き合って貰えるが、全軍団兵が欲してたまらん背嚢だとか色々……」


 「待て! 待て待て! 一遍に情報の波を浴びせないでくれ!」


 「まぁ聞けって。将来的にはグイン工房の品を優待割引で買えるようにしたいんだが、とりあえず帝国安閑社の子会社が出来るから、そこの契約冒険者って形で……」


 悩む暇も与えずメリットで溺れさせて加入させちまおう。そんなベリルの詐欺の手口にも似た魂胆に、熟練探索者相応の用心深さを持つブレンヌスも次第に呑み込まれていき、正常な判断能力を失っていく。


 結果として彼は一時間の交渉という洗脳の末に条件を呑み、探索者組合の契約探索者第一号として、契約書に血判を捺して帰ることとなった。


 狐につままれたような気持ちで塒に帰った彼は、配下に事情を説明するのだが、一言喋る度に出てくる「嘘だっ!」の合唱に大変苦労させられることとなった…………。  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る