帝国暦739年 夏 御ビール様!/西暦20xx年 バブル悲喜劇

 帝国暦739年の夏。またも盛況のまま終了し、軍事関係――伝手を考えて優先的に売却したため――の大御所も株主として加わった株主総会の結果に満足したアウルスは、例の如く多忙なA・B・Cトリオの予定を調整して祝賀会を催した。


 下手な壮園を経営するよりずっと多額の純利益。実に720万セステルティウス、平均的な壮園収入に換算して10箇所以上もの純利益があったと考えるとささやかな宴席は、その実新商品の試飲会も兼ねている。


 「では、今期も無事の総会閉幕を祝して乾杯!」


 「「乾杯!!」」


 打ち鳴らされるのは商品としては微妙な売れ行きなれど、三人は多いに気に入っている小さな樽の酒杯。外見は簡素極まり、粗雑とも言えるため煌びやかな外見と派手な装飾が好まれる貴族の価値観においては、頑丈だろうけどそれが……? という品だ。


 彼等なりのファンタジーっぽさを演出するための小道具として、雰囲気がお気に召したのだろう。三人は此方の世界に染まりつつも、未だ“異郷を楽しむ”精神を忘れてはいなかったようである。


 斯様な酒杯の中でしゅわしゅわ景気よい泡を立てるのは、帝国安閑社出資でガイウス個人所有の壮園にて密かに製造された“ビール”だった。


 帝国にもビールはある。しかし、アリカと呼ばれるそれは下等な飲み物という扱いで奴隷や無産階級の酒と認識され、相当に適当な造りをしていて味もまぁ酷い物。適当な管理のせいで発酵が弱いため、言うまでもなく炭酸の爽快さなど求めるべくもない。精々、酒精のおかげで生水より幾分マシ、といった程度だ。


 三人はそれを払拭したかった……のではなく、単に炭酸の心地好い飲み口を夏場に味わいたくて作り出したのである。


 ベリルの工房で作られた樽と金属の大鍋、水銀を使った温度計と温度管理の送風機構や加湿器などを駆使し、上面発酵により醸造されたビールはベリルが直々に属州まで赴いて技術指導を行っただけあって満足感の高い物に仕上がった。


 大麦と綺麗な水、そして探させたホップだけを用いた、現代ではエールに分類されるビールは適度な酒精と爽快な炭酸ガスを孕み、管理されぬ発酵に任せた低品質のアリカとは一線を画した味わいを誇る。


 これを日本に倣い、井戸水でキンキンに冷やして喉を滑らせれば、夏の暑さと湿気など瞬く間に吹き飛んでいった。


 「かぁっ……美味い! やっぱりな、この喉を抜ける炭酸がな!」


 「何者にも代えがたいわね! あたし、苦いラガーは嫌いだけどエールは好きよ! フルーティーな味わいだから!」


 「うん、私も好きだな、苦すぎなくて丁度良い。これなら飲み飽きることはなかろう。何よりよく売れそうだ」


 久方ぶりの爽快な炭酸の心地に無粋な感想を挟むアウルスに、職工と兵士はブーイングと共に親指を下に突き出して抗議した。


 しかし、この打ち上げで饗され、同時に株主総会後の宴席に出した酒は、試供品の5樽が瞬く間に空になって暴動半歩手前まで行ったため、よい商品であることも事実である。


 大麦は帝国の主要穀物だけあって上質な物が安価に入手でき、ホップも単なる香草の一種としてしか認識されていなかたったため探すのも購入にも苦労はなかった。品質のばらつきは、今後栽培することで少しずつ解決していく予定である。


 そして、綺麗な水も場所さえ選べば至極当然に手に入る帝国では、正しく水から青銅貨を鋳造するようなものだ。技術と知識から金を生むと考えると、このビールは今後、帝国安閑社の財政を多いに盛り立てることであろう。


 安価に大量生産ができ、低温殺菌すれば長く酸化することのない酒はどこにでも需要がある。強い酒精には興味が薄く、果実の爽やかな甘さと香味を好む帝国では特に広く受け入れられる素養があるのだ。


 そして、アウルスにとって何より嬉しいのは酒税。流通と規制のため目が飛び出る程高いそれが、アリカには殆ど掛からないのが最高だった。今までは下賎の酒で奴隷や貧民用として雑に製造されていたそれに対し、国も何の注目もしていなかったのである。


 アリカとして扱われる新商品のビールは非課税なのを良いことに安価極まる値付けとし、薄利多売の――それでも原価率は三割を割る――戦略が当たって、現状の生産量では10年先まで予約で一杯だ。ガイウスは商機とみて、壮園数個をビール専門の壮園に作り替える予定でいるが、それでも暫くは一般に流れることはなかろう。


 酒精が弱く常飲に適し、樽に入って売られるそれは――樽はレンタル扱いなので、返却しないと樽代が高いが――軍隊から強く興味を持たれているのだから。


 軍にとって水は生命線だ。人間が健康で暮らしたいならば、多くの種族で一日平均して2リットルは水を必要とする。カリスのような巨大な種族であれば、その倍から三倍は飲まねばならない。


 そのため、水源地がなければ大量の水を輸送する必要があるのだが、残念ながら水も腐敗するので鮮度の問題が付きまとう。


 悪くなった水は蒸留するか酒精で割れば飲めなくもないが、やはり健康の問題を解決するに葡萄酒の酒精は物足りない。さりとて蒸留酒を使えば酔いすぎるので悩み所。


 しかしながら、酒精が弱く腐りにくいビールがあれば当座の問題は解決する。


 無論、アルコールが入っているので利尿作用が強いビールは水分補給に適しているとは言い難いものの、腐った水を飲むよりマシだ。


 軍はアウルスのいう“最低でも一年は保つ”という売り文句に未だ懐疑的で、買った樽を一年保管して本当に腐らないか実験してから導入を考えるとは言っているものの、実際に痛んでいなければ大量に購入することだろう。


 味が良く腐っていないビールは兵士にも広く受け入れられる筈。


 これは歴史が証明している。前世地球において、中世の遠洋航海船は腐らぬ水分としてビールを数百樽船倉に蓄えて船出をしていたのだから。


 事実として、最近は“背嚢姫”と呼ばれて軍内部でカルト的な人気が出つつあるカリスが、慰労の一環に自身の中隊へ試供品を数樽振る舞ったところ大盛り上がりし、余所の中隊が美味さを聞きつけて押し寄せ、盾を並べた友軍相撃半歩手前になる程の人気を博したのだから。


 彼女が反省文と軍の綱紀を乱したことへの違反金として1万セステルティウスを軍団に取られた騒ぎはさておき、今期もビールを含めたTCG事業など、その他の商売含めて全ては順調であった。


 軍に背嚢が死ぬほど売れて、俺らにも売れと五月蠅い運送業者に全く流す余裕がないことや、そろそろ属州にもカードショップを出そうかと考える程に規模が膨らんだこと。そして海軍との伝手がどんどん太くなっていくことはよいのだが……。


 「さてと、ところでちょっと意見を聞きたいんだが」


 「お、どうしたどうした、酒を中断させるほどのコトか?」


 「酒が不味くなる話は聞きたくないわねぇ……」


 「ちょっと懸念事項がある。三人でしか話せん」


 身に付けた、口から吐き出す言葉全てが重大事に思える大仰な話法をさておき、アウルスの醸す雰囲気が重かったため、さしもの二人も真面目に話を聞く体制になった。酒杯から手を離すことはなく、左手は余念なくつまみに伸ばされているものの目は真面目だ。


 「俺達のを真似した株式会社がちらほら立ち上がっている。玉石混淆もいいところだが……」


 「なんだ、敵対者が出るのが怖いか?」


 「いいや。雑な会社が資金を持ち逃げしまくって、株主会社の概念そのものにケチが付くのが嫌だ。巻き込まれて帝国安閑社の価値まで落ちたら目も当てられん。下手すると責任を問われて吊されかねんぞ」


 「あぁー……南海泡沫事件ね……」


 カリスの呻き声にベリルは、それって何だっけ? と声を上げた。


 簡単に言えば18世紀初頭に起こった、バブル経済の語源にもなった事件だ。


 南海会社という英国の会社が大成功したことで投機ブームに火が付き、南海会社の株式が実態以上に膨れ上がった上、これに肖ろうとした合法、非合法の株式が市場に氾濫。


 実態なく膨れ上がる投機市場を重く受け止めた英国が規制を行ったところ、市場は沈静化を通り越して一気に破裂。株価は暴落し、あらゆる株券が紙くずとなった。


 このように形もなく泡のように膨れ上がり、同時に形もない株式会社が山のように生まれて一瞬で吹っ飛んだことに因んで泡沫、バブル経済という概念が生まれたのである。


 「これが怖い。余所の領邦や属領でこぢんまりとやる分にはいいが、帝都で下手を打って爆発されたら堪らんぞ。下手すると株式会社なんて始めた野郎はどいつだ、と民衆の八つ当たりで私まで悪いことにされかねん」


 「いや、そこまで行くかね……?」


 「行く。確実に行く。いいか、人間は損したら「俺は悪くねぇ!」と思いたがる生き物なんだよ。そこに都合の良い怒りの矛先が用意されたら、理がなかろうがなんだろうが簡単に火がつく。私がくたばることで得をする連中も多いから、確実に煽る連中は出てくる。この時代なら、比喩じゃなくて文字通り火をつけられかねんぞ」


 「……消火ポンプ作るか? 井戸用の手押しポンプ作ろうと思ってたからできるけど」


 「付く前に何とかしようって話だよおバカ!!」


 見当外れなことを言うベリルにアウルスは体を捩りながら叫んだ。でもそれは、きっと売れるから別問題として作ってね、と添えつつ。


 アウルスの懸念は何も心配性故の物ではない。たとえ世界が違おうと、ホモ・サピエンス以外が幅を利かせていても、それが大枠で“人類”である以上、地球で人類がやらかしたことは異世界でも絶対にやらかすのだ。


 それは既に国家という概念が成立し、奴隷という悪習が産まれている以上、確実に証明されていた。


 さにあれど、事態は一概に同じとは言えない。帝国安閑社は南海会社と違って国策会社ではなく、国債も富くじも扱っておらず、同時に株式市場と呼べる物も今の所存在しない。


 殆ど唯一である帝国安閑社の株式を売る者がいないからだ。


 約款の中で個人間における株式の販売、譲渡は認めているものの――そうしないと富の相続もできぬ――数年持っていれば購入額以上の利益が“ほぼ確実に”得られるような“魔法のチケット”を手放す者がいるだろうか。


 年々売上げが倍増では収まらず、十倍にも跳ね上がる会社の配当は、一時の金を代償として手放すには魅力的過ぎた。これを売る者は、他の投機にしくじり二進も三進も行かなくなった債務者くらいであろう。


 しかし、後追いの会社がポコポコ出てきて成功した場合、じゃあ俺も俺もと利益が上がる予定もないのに設立される会社は増えて行く光景は想像に難くない。


 現に地球ではそうなった。実態のない株式会社が溢れ、中には実現不可能な商売を掲げ――毛生え薬から永久機関の開発まで――予算だけを集めて逃亡する詐欺も横行したのだ。


 帝国には投機の機会を求める富裕層が幾らでもいる。さして学もない中産階級が金を持て余していたことが原因の一端でもあった南海泡沫事件時代の英国や仏国とは状況が違うが、それでもアホが絶無でない以上、実態のない株式会社に騙される者達は出てくるのは予見可能な事態だ。


 その中に政治的に強力な伝手を持ち、癇癪を起こして株主会社という概念そものを敵視する輩が現れないとも限らない。


 ならば、何かしらの手を打つ必要があろう。


 「政治案件だぁ……」


 「またA氏が死んでおられるぞ」


 「安らかに眠れ、といえないのが辛いわね。でも、残念ながらそっちの領分で私達に手助けできることはないわよ」


 「それこそ冗談抜きで、マジに火ぃつくまではなぁ……」


 「クソォ! こいつら役に立たねぇ!!」


 あぁん!? とドスの利いた声を上げて立ち上がる二人。流石に面と向かって役立たず扱いされると受け入れかねたらしく、酒が入ったこともあって理性の血管は容易くブチ切れた。


 即座に三人は殴り合い……をすると、カリスが二人を殴り殺して終わるので、別の勝負にもつれ込んだ。


 即ち、ビールの早飲み対決である…………。












 「人類ってアホでは?」


 地下のホームシアターにて例の如く映画を流して休憩していた三人。画面に映される悲喜劇を眺め、Bは飲み下したワインに押し出されるように感想を吐き出した。心底不思議そうな声音は、正しく吐き捨てるという感想が似合っている。


 世界初のバブル経済、チューリップバブルを題材にした映画を鑑賞しながらのことだ。


 チューリップバブルはネーデルラントにてチューリップの球根が高嶺で投機的に取引されるようになり――咲いた華に大変な価値が付いた――最終的に暴落して多くの悲喜劇を生んだ事件だ。


 当然、幾ら価値のある花であっても本質的な価値と投機的な価値の間には乖離が生じる。そこにペスト禍などが重なって取引が破綻してバブルが崩壊し、オランダ経済に大打撃を与えたとも、富裕層や商人の投機家にのみ打撃を与えたとも色々言われているが、どうあれ時代を生きていた人々には大変なものだったイベントである。


 「アホだよ」


 「何を今更」


 Bの感想にAはなんでもないことのように応え、Cは今更何言ってんだコイツという顔をした。


 「アホじゃなきゃ似たようなこと繰り返さないでしょう。日本でもあったんだし」


 「親の世代の話だから実感ないけど、私の祖母の家も猫の額みたいな土地なのに4千万で売らんかって話来たくらいだしな」


 「そっから懲りずに、あたし達が死ぬちょっと前に仮想通貨でもやらかしたんだし」


 「あったな、んなことも」


 淡々と上げられる事例に、うーむとBは唸って腕を組んだ。


 とはいえバブルは難しい。弾けてみるまで、それがバブル経済なのか単なる経済的な揺らぎなのかの判別がつかぬため、後になってみて「こいつら揃いも揃ってアホかな?」と思うことが自然と行われるのである。


 馴染みがある所でいうと、TCGの市場流通価格の上下がある。一時、とある世界初のTCGの値段がバブルもかくやの勢いで上昇し、どうせ泡が弾けて直ぐ元に戻るさと暢気に待っていたら、もう10年以上値上がりが続き「あ、駄目だコレ」とコレクターが慌てた事件もあるのだから。


 その反面、長い歴史を持つTCGがバブル的に値上がりを見せた後で価格が一時安定し、これは永遠の市場だと勘違いして素人の投機筋が参加したところ、見事に弾けて定価割れでも新品が売れなくなった例もある。全く同じ業界ですらケースとして見るには不安があると来れば、最早泡が弾けるか弾けないかは博打でしかなかった。


 「まぁ、私達はこれを反面教師にして、先を見て動けばいいんだ。作った物を売るだけの簡単な作用にも何かしらの大きな反応が伴うんだからな」


 「そうそう。背嚢の形一つ変わっただけで流通が変わって経済大変貌、なんてことも起こり得るんだからね」


 「……それって、つまりこの下準備をしても出た所勝負をせにゃならん……ってコト!?」


 技術分野に偏重して知識を身に付けたBの疑問に、Aは厳かに頷いた。


 結局、人間が関わることは思わぬ要素で妙な方向に転ぶ物だ。どっかの画家志望が美大に落ちたら世界大戦が起こったように、思わぬ事態で世界史は突拍子もない所に転がっていくものである。


 コイツ一人死んでたら、かなり未来は違ったんだよな……という事態が頻発する世界をリアルに生きるならば、諦めも肝心だ。どれだけ準備を重ねようと、前世では無縁であった凄まじい力を得ようと、マナカーブや効率を練りに練ってドローソースをしこたま積んだデッキを握ろうと“じこはおこるさ”の精神は大切にしなければならない。


 結局、三人にとって下準備における最も大きなアドバンテージは、先人がやらかしてくれている失敗を知っていることなのやもしれない…………

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る