帝国暦738年 秋 行軍革命/帝国暦739年 初春 新体制

 帝国の各軍団は国家の統制下にある私兵集団に近いため、指揮官によって兵卒達の扱いは大きく異なる。


 軍団の任地と将軍の政治的影響力、そしてポケットマネーの多寡に依って予算に開きがあるからだ。


 給金や宿舎設備を含めた待遇などは勿論、かつては兵卒が自弁すべきであった装備が軍団から支給されるようになると、その質と充実度合いにも“将軍の格”によって差が生じるようになった。


 装備が潤沢でなければ困る、重要領邦の鎮護を委ねられた基幹部隊には、規定予算額を超えて予備を蓄えられる潤沢な装備が供給される。反面、地方鎮護の然程重要ではない――同時に、強力過ぎては困る――部隊では軍靴さえ不足し、個人で自弁しなければならないほど絞られることも珍しくはなかった。


 その点、配置換えが行われない帝都鎮護の第Ⅰ軍団は、議論の余地がない程に前者であり、また各大隊、中隊においても指揮官の裁量と予算で装備が追加支給されるため、“市民の盾”という正規の異名よりも“金満者”なる別名の方が有名になるくらいだった。


 帝国暦738年の秋、中隊指揮官であるカリスは、何度目か数えることが馬鹿らしくなる回数を積み上げた行軍訓練の途上にあった。


 現在は分散進撃。中隊規模で敵中に浸透し、目的地にて再結集。敵が予期せぬ地点での会戦を強いることで、戦力の集中を阻む戦術の訓練中だ。


 これは各中隊の練度によって成否が別れる極めて高度かつ博打的な戦術であり、組織化と規格化が進んだ帝国軍なればこそ行える攻撃だ。のろのろ大軍を集めて移動するしかない敵にとって、望まぬ場所、望まぬ地で敵の大軍が結集し、それを叩くため落伍者が出ることを覚悟して進まねばならぬのは悪夢であろう。


 だが、言うまでもなく失敗した時は各中隊が各個撃破され続ける地獄となるので、並の練度では口にすることも烏滸がましい高等戦略でもあるので、帝国軍は平時であっても厳しい訓練を課し、軍団の切れ味を落とさぬことに腐心することとなる。


 「よし、時間だ。各員小休止!」


 「小休止ぃ!!」


 カリスの指示に従い、副官の最先任卒長が声を上げ、次いで金属の筒を咥えた。


 空気を吹き込まれた筒、いや、笛から甲高い音が響いて隊伍の隅から隅まで行き届き、全員の足が止まる。


 ベリルがカリスからの要望を聞き届けて生産した呼子笛だ。コルクの球が笛の中に入っており、それが吹き込んだ空気と共鳴して大きな音を立てる楽器は、軍隊の行軍に丁度よい。


 軍隊とは近現代まで音楽と切り離せぬ存在だった。それは士気高揚だけが目的ではなく、戦場では遠くまで声が届かぬため、声より遠方に音を届けることができる楽器を合図として使ったからである。


 遠くまで響く鼓笛の音がなければ、数千人が連帯して行動することは難しい。それだけの人数が犇めいていたら、どれだけ声が大きな人間の叫び声でも簡単に掻き消されてしまう。


 しかし、笛の音は遠くに届く。特に呼子笛、警官や教員がぶら下げるそれは、頭によく突き刺さってグランドの対角からでも気付くほど。


 中隊の動きを制御するため特注で作られ、カリスが父の許可を得て試験的に運用している笛は、今のところ卒長達から好意的に受け取られていた。


 笛なのに演奏技術が必要とされず、息を吹き込むだけで大きな音が出るのが画期的であったこと。そして怒鳴り声を上げ続け、喉をやられなくていいと。


 10分間の小休止を許された兵卒達は、やっとかと重荷を解いて腰を下ろした。


 呼子笛と同じく、試験的に配給された帝国安閑社製の背嚢を脱ぎ捨てるようにして。


 背嚢はベリルが作った足踏み式の機織り機によって大量生産できるようになった帆布地を用い、人体工学に則って作られた時代に不相応な逸品だ。外見だけならば蝋を塗った防水性帆布の塊という無骨さながら、構造設計だけならば現代の有名登山メーカーが洗練し続けてきた製品に肖っているのだから性能は折り紙付きである。


 地球だと18世紀になってやっと普及した背嚢は、背負い袋を棒に括って歩いていた兵士達にとって、酒か臨時ボーナスと同等以上の歓迎を受けた。


 最初は、こんな見慣れない物を寄越されてもなと怪訝な顔をしていた。帝国軍は基本的に安定志向で、かつて征伐した支配地の技術や装備の導入に偏重しているからだ。


 今使っている鎧も武器も、大抵は異郷の地で発生した物を合理化していった末の形であり、一から帝国で生み出された物というのは、実は少ないのである。


 しかしながら、兵士達も実際に使ってみると掌を返さざるを得なかった。


 最初はカリスからの命令で不承不承ながら荷物を移していたものの、荷袋の道具を全て移して尚余裕がある背嚢の容量に感動し、同時に背負った際の嘘のような軽さに驚かされていた。


 それは重みを背骨と腰で受け止められているからだ。肩にバランスが悪い加重が掛かるよりも、背筋と肩で重量を受け止める方がずっと楽になる。幅広の肩紐に緩衝材となる綿たっぷりと仕込み、エイト環による紐の調節で体とのフィット感を強め、走っても背嚢を暴れさせないチェストストラップの効果が兵士達の活動を多いに助けた。


 背嚢の背中側には、従来通り背中に盾を背負って行軍するための留め具が備えられており、紐で結わえられるようになっていることも喜ばれている。


 今までは困難であった、両手を空けることによる力強い行軍が可能になると同時、奇襲に備えて武器を片手に素早く歩き続けられるようになったのだから。


 背嚢の恩恵からか、見るからに疲弊度合いが少ない兵士達の姿を横目に、指揮官級の者達は座らずに休憩時間が過ぎるのを待つ。疲れて座り込むのは軟弱であり、兵達を統率する役目を持った者に相応しくないとされるからだ。


 まぁ、一種の見栄だ。舐められたらお終い、というのは何も政治家に限った話ではない。


 私も足投げ出して休みてぇー! という内心を軍人の顔で隠しつつ、カリスは従兵に命じて地図を取り出させ、帯革に括った角形のポーチ――これもベリルからの試供品――より六分儀を引っ張り出した。


 そして、副官と従兵が広げ持つ地図の上に方位磁針を置いて方角を調べつつ、天測を行って現在位置を調べる。太陽を直視しても目を痛めぬよう黒く塗った紙を介し、体内時計に従って太陽の位置から現在地点を割り出す。星々を頼るほど正確な情報は得られずとも、指だけに頼るよりはずっとずっと正確だ。


 だとしてもGPSと地図アプリを知る現代人には大いに物足りなかったが。


 「よかったわね、予定より二時間も先行できているわ」


 「おお、それは目出度い」


 現在時刻との整合性を鑑み、地図の地形を読むと、かなりよい結果が見えた。きつめに設定していた目標地点より二時間も先行できている。遮二無二に走り、現地に到着さえすればいいと訓練を舐めている連中がいなければ、間違いなく彼女の中隊が先頭を行っているだろう。


 「使い心地のおかげかしら」


 「間違いないかと。より多く、より軽く荷物が運べているので、兵卒達の足が軽くなっておりますな。水の携行量が増えて遠慮なく飲めるのは有り難いですし、何より両手が行軍中に空いているのが最高です。即座に全ての軍に支給するべきかと」


 「そうなったら良いわね。今回の訓練結果如何で、上に話も通るでしょう」


 「そうして貰えなければ困りますな。我々も仲間に嫉妬されて、追い剥ぎに遭うのは勘弁願いたい」


 笑えるような笑えないような絶妙な冗談を言う副官にカリスは愛想笑いを返し、六分儀を畳んでレンズにカバーを掛けた。強化硝子のように頑丈な素材ではないので、丁寧に扱わねば割れてしまうのだ。


 「それと個人的には、その帯革も羨ましいですな。剣を吊すにも具合がよさそうで、小物もずり落ちずしまえるとは」


 副官が羨ましそうに眺める帯革は、形状は従来品と大差ない。ただし、幅広の帯の上に細い帯が三段重ねられており、その帯に色々な小物を引っ掛けられるようになっている。角形のポーチは、その帯に通して括られているのだ。


 いわゆるモールシステムと呼ばれる、現代のタクティカルベストに近い構造である。その上、負荷を分散するべくサスペンダーもついているため、どちらかと言えば帯革というよりもチェストリグに近い趣がある。


 「そう? ならこれも今度持ってこさせるわ。お礼は……」


 「カエサル家の次男様に、ですな。この間届けていただいた酒にも皆、大変喜んでおりました。ともすれば、今回の背嚢のおかげで皇帝より人気があるやもしれませんな」


 評判は伝えておくわ、と軽く応え、カリスは地図をしまわせて代わりに水筒を取り喉を潤した。


 かなりハードな訓練だが、上手くいっている。装備の改善で以前より大分楽になった。


 これ以上の欲を言うなら、天測に頼らず正確な時間が分かる時計があれば最高なのだが。ベリルの工房でなら、そろそろゼンマイ式の物が作れるのではなかろうか、と低地巨人の兵士は勝手な期待を帝都方面へと飛ばす。


 このペースで進み続けたなら、予定より五時間は早く目的地に着ける。兵士に疲労が溜まりにくく、素早く機動できるとなれば、自ら新兵器を開発する意気に乏しい帝国軍とて迷わざるを得まい。


 何より、他の兵士達が欲しがるはずだ。アイツらは隊伍長の金とコネで楽できてんのに、何で俺らは駄目なんだよと苦情が上がれば、指揮官達もやりづらかろう。少なくとも、カリスの父であるルカス率いる第Ⅱ大隊にはあっという間に支給されるのだから。


 結局、政治家も将軍も人気商売。むしろ、軍事における功績が貴賤を問わない政治への参入口であることを考えると、将来的な得票源ともなる軍団兵の要望を無碍にする将軍はいない。


 大口取引よかったわね、還元しないと酷いわよ。そんなことを口中で呟き、軽くなった水筒を帯革にぶら下げ直した若き指揮官は、休憩終わりと声を張った…………。












 年が明けて帝国暦739年の春、アウルスがそろそろ要らぬかと邸宅の薪ストーブを片付けさせるべきかと考えていた頃の話である。


 この薪ストーブは帝国安閑社の製品であり、ベリルがプレス加工機やベンディングマシンの稼働実験も兼ねて生産した製品だ。ハイポコーストより安価で、一部屋単位での暖かさは上。そして、上に水を入れた鍋を載せておくことで加湿もできる優れものとしてよく売れている。


 まだプレス加工機の精度が未熟で――油圧シリンダーによる圧力に金型が負けたらしい―― 職人の技巧に頼る所も多く、量産開始しても一冬で500台程度しか生産できなかったそれは、暖かくなった今でも発注が絶えない。


 今の内に在庫を確保し、来冬にでも高く売りつけようと小売業者達は算盤を弾いているようだった。


 とはいえ、どうせベリルのことなので、来冬にはプレス加工機や旋盤の精度が更に上昇し、バージョンアップした製品が売り出される筈であるから、必死に手に入れた所で型落ちになってしまうのだが。


 顧客からの反響で、空気の流入調節口が使いづらいだとか、火室の蓋の稼働が悪いという意見が届いていたため、設計を改善した品が準備されているに違いない。


 まぁ、それでも売れる限りは売ってしまいたいので、問題なく作らせるし売りさばくことに商売人は全く良心の呵責を覚えなかった。


 アウルスはセール前日に定価で買ってしまったり、新版が発表される少し前に現行品を買ってしまったりした顧客からの返品は「お前の運が悪いだけだろ。私が知るか」と思う気質なのだ。


 「アウルス様、よろしいでしょうか」


 「……ん? ああ、入れ」


 数度のノックの後、静々と二人の奴隷が部屋に入って来た。


 二人とも年若い少年で、一人は帝国にも数が多い犬狼人、もう一人は南の海峡を隔てた南西大陸より来た猫頭人だ。


 「ご思案を遮り失礼いたします。お手紙の仕分けがすみましたので、お持ちしました」


 「わたくしは先月分の帳簿が仕上がりましたので、こちらもご確認いただきたく」


 「ご苦労だった。サレハ、ファハド」


 両名とも、アウルスの生誕に併せて購入された奴隷であり、アウルスの手となり足となり働くことを期待されて養育された者達であった。


 帝国の上流階級には、腹心として扱える人間を用意するべく、子供と同年代の奴隷を買って高等教育を施す文化がある。霊猿人など生命のサイクルが早い種族の文化であり、霊猿人の名家たるアルトリウス氏族に属するアウルスにも当然のように彼等が買い与えられていた。


 その奴隷は普通の奴隷よりよい待遇で育ち、更には主人となる子供と同等の教育を施され、将来的に側近として機能するのだが……残念ながら、アウルスは幼い頃から優秀すぎた。そのせいで、折角の二人の教育が事業の開始に間に合わなかったのだ。


 しかしながら、それも漸く追いついて来たのか、普段は従者や下男として仕えていた二人は、今春より正式に帝国安閑社の“社員”として雇用されるようになった。


 語学に堪能で字が綺麗な犬狼人のサレハが事務方。数字に秀で細かな計算が得意な猫頭人のファハドが経理方。今まで信用できる職員が足りず、殆ど全てを自分で片付けていたアウルスにとっては待望の事務員である。


 これまでも手紙を処理する奴隷は購入し、事務所に置いていたが、やはり情報が漏洩する不安はあった。事実、株式募集の情報が漏洩した形跡があったため、アウルスは一度人員を入れ替えるハメになっている。一度でも主人の情報を売った奴隷など、次は何を売られるか分かったものではないので使い物にならないのだ。


 しかしこれからは、そんな面倒がなくなると思うと胸の重みが随分と減る。アウルスにとってこの二人は、産まれた時から付き合いがある兄弟にも近い存在であるため、ともすればベリルやカリス並に気を許せる存在であったから。


 予め仕分けされた手紙には紐が結わえられていた。赤、黄、緑と黒の四色に染色された紐は、それぞれ重要度を指し示している。


 赤は至急の報せや家人からの手紙を意味し、黄色は重要顧客や株主、緑は個人的友誼のある人々で、黒は初見の人物やご意見伺いといった程度が低い内容。今回は含まれていないが、白に関しては今春で帝都内に三軒まで増えたカードショップからの業務連絡と、感覚的に優先順位が分かりやすいような仕組みになっていた。


 なにせ一日に届けられる手紙が多すぎるのだ。今やアウルスは帝都でも有名な実業家であり、欲する者が百や二百で済まぬ株式の発行権を持つ者。友誼を結び、少しでもおこぼれに預かりたいと考える者が多すぎた。


 なので、急ぎで読む必要があるものは、先にざっと目を通させて判断させている。どうせ重要なことには、これから二人も関わってくることになるのだから、隠したって隠し切れまいという開き直りあってのことだった。


 「……おや、陛下からのお誘いか。珍しいな」


 普段通り赤い手紙から開いていると、任期の終わりが近づきつつある皇帝ウィリテウスから酒宴の誘いが来ていた。大株主の一人であり、大事な後ろ盾でもあるので断ることができない誘いの一つだった。


 「この日はたしか……」


 「はい、アウルス様、空いております」


 「翌日にベリル様の工房をお尋ねになる予定が入っておりますので、あまり遅くまで歓談なさるのはよろしくないかと存じますが」


 秘書官でもある二人はベリルの予定を正しく記憶している。確認を兼ねて問うてみると、アウルスの記憶通りの答えが帰ってきたので、アウルスは安心して参加することにした。


 しかし、気になることもあった。紹介したい人がいるので、よろしく頼むという一文だ。


 皇帝も株主としてよく私信をやりとりしているので、アウルスの多忙さは十分承知している筈。その上で紹介したい人物、となるとかなりの大御所で、重要な取引の仲介をしたいからだろう。


 如何に酒と宴席を愛する皇帝であっても、不労所得を稼ぎ出すアウルスを呼びつけて「杯を交わしたかっただけだ」などとは言うまい。


 それにアウルスの宴席嫌いは、ここ数年で知れ渡っている噂でもある。


 騒ぐのが好きではないのも事実だが、多くの宴席を断って参加していないのが悪い方向で広がった噂だ。律儀に応じていては、体があと四つは必要になる程誘われているから無理もないが、成人して一年経とうとしている今も決まった相手の一人もいないことと相まって、相当な人間嫌いと世間から認識されているらしい。


 その人間嫌いを引っ張り出そうとする宴席。かなり大事な集まりになりそうだ。


 「ふむ……なら、その日の予定は完全に空けておいてくれ。それと、参列者も少し調べておいてくれるかね。進物の目当てくらいつけておきたい」


 「畏まりました」


 あまり気は進まないが、商売のためなら仕方がない。


 筆記具を取ったアウルスは、ベリルが早く書き心地の好い紙と鉛筆を作ってくれないものかと現実逃避しつつ返事を認めた…………。

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