帝国暦737年 晩夏 雇用主様のお祝いに/西暦20xx年 ローテク行軍

 稼働する機械の音で毎日賑やかな工房も、月に幾度かは静かな日が訪れる。


 それは週に一度の水車の点検日や、一月に一回の分解整備日。


 或いは、水車を新しい水車に入れ替える改装工事予定日の前日など、総じて工房の心臓が休暇を取る時のことであった。


 帝国暦373年の晩夏。暑さがしつこく居座る中、普段の賑やかさとは打って変わって死んでしまったように静かな工房で、ベリルは帳簿を捲りながら酒を呷っていた。


 彼女が椅子代わりに座っているのは、取り外されて仕事を終えた古い水車である。工房開設時から数えて三代目の水車であり、歯板の数や歯車の回転数を川から供給される水の勢いを勘案して調整し続けた愛しい作品の一つ。


 しかし、その隣で填められるのを待つ最新型の水車が仕上がったことによってお役御免となった。


 新しい水車の導入によってお役御免となる水車も、明日にはまた別の壮園に送られて粉を挽く新たな人生が待っているため無駄はない。


 隣に置かれた新型水車も構造自体は殆ど三代目と変わらない。変わったことと言えば歯板の確度に調整が施されたことと、その軸にベリルの父、グイン渾身の“玉軸受けベアリング”が採用されたことくらいであろうか。


 玉軸受けはベアリングの一種であり、円形レールの枠の中に完全な球形に近い金属球を等間隔で仕込んだものだ。


 摩擦は触れあう面が広ければ広いほど強くなる。長方形の箱を地面に置いて押せば分かりやすいのだが、底面積が広い面を接地させれば、同じ重さなのに押した時に感じる抵抗はより強くなるだろう。


 逆を言えば接地面積が狭くなればなる程、摩擦によって受ける抵抗は減る。ならば、最も接地面が小さくなる“球”を活用すれば、摩擦が減って回転効率が上がるのではなかろうか、という発想に基づくのが玉軸受けである。


 レールと外角に挟まれた球は、最低限の点でのみ軸と接するため極めて軽い摩擦抵抗しか受けず、同じ運動熱量を受け取ってもより高効率で回転する。これを水車に導入すれば時間あたりの回転数は増加し、原動機としての出力が向上する。


 しかしながら、原理は単純でも現実に作るのは全く簡単ではない。形が僅かにでも乱れていたり、大きさが不揃いだったりしただけで破綻する精密部品だ。軸と経が僅かに違うだけでも効率は下がるどころか崩壊の危険を孕んでいるため、ちょっとした錆でさえ事故の原因となる。


 そう、錆でさえだ。


 つまり、鋼や鉄といった錆びる金属ではベアリングは作れない。


 では、この軸受けに何が使われているかと言えば、錆びない金属、ステンレス……ではない。


 ステンレス鋼は、ベリルの工房でもまだ製造できなかった。クロムやチタンなどの合金素材が満足に手に入らないのもあるし――現地人が知らぬ物を選って送ってこいとは頼めない――炭素含有量を減らす酸素ガスを吹き込む複雑な精錬過程を構築できないからだ。


 しかし、ここはファンタジー世界。現実にはない元素も素材も存在しているため、代替品を探せば割と何とかなるものである。


 そしてベリルの狙い通り、代替素材が存在した。


 真銀と呼ばれる“神秘”を孕んだ金属だ。


 これは神が宿る鉱山、生きている山で希に採掘される鉱物であり、銀の煌めきと鋼の強さを持ち、何者にも侵されぬ耐摩耗性を有し、驚異的な衝撃吸収・分散能力を持つ。


 生きている山とは、即ちベリル達鉄洞人が拠点とする小さな神格が宿る山々のことだ。


 この山は定期的に“寝返り”と呼ばれる胎動を起こし、中身が攪拌されることで新たな鉱石が表層近くに運ばれる。無論、胎動に伴って全体が“かき混ぜられる”影響で地崩れや坑道の落盤が起こるが、鉱物が枯れて使い物にならなくなるのに比べれば安い物だ。


 それに鉄洞人は酸欠にも強い。生き埋めにされても二日は平気で生きているし、中には開き直って更に奥へ掘り進み希少な鉱石を取ってくる者もいる連中からすれば、正しく故郷からのお恵みであろう。


 真銀は、そんな厄災の直後にのみ僅かに産出される希少な鉱石だ。鉄洞人や限られた種族のみが知る方法で鍛えれば、剣ならば永劫に折れることも毀れることもない名剣となり、鎧に仕立てれば投石器の一撃でさえ防ぐ城壁もかくやの壁となる。


 そんな物でベリルはベアリングを作らせたのである。手作業で真球に近い球を作れる父親を使ってまで。


 名剣一本で所領に等しい価値を持つと呼ばれる素材で作るには、贅沢過ぎる代物であった。それこそ、摩耗や錆で軸の直径が変わってもいけないということで、軸を覆う管もこれで作ったのだから、かかった額はとんでもない。


 その額なんと100万セステルティウス約3億6千万円。今期ベリルが受け取る予定であった“役員報酬”が全て吹っ飛ぶ物である。


 「いやぁ、楽しみだなぁ」


 ニヤニヤしながら手の中でベアリングを弄ぶベリルは、それでもご満悦であったが、周囲からは「正気か!?」と凄い勢いで諫められたものである。


 いくら金がベリルの懐から直接デヴォン氏族に流れ込むという、平常通り過ぎる流れであっても、やり過ぎだろうという話だ。


 その実、希少極まる真銀は、産出されれば氏族内で「誰が何を作るか」でオークションが行われて取り合いが始まるような代物なのだ。


 そう、依頼主からの発注を受けてではなく、職人が誇りと浪漫を賭けて競り勝とうとする物だ。これを慮外の金で買い取って、誰の目につくでもない物に作り替えるなど、鉄洞人としては狂気以外の何物でもない。


 ベリルにとっては垂涎物である、高効率の水車導入による工場の稼働効率五割増しという利点も職人達にとっては割とどうでもいいものだ。たとえ、この水車動力によって地味な作業がら解放され、好きな物を好きなように作れるようになったとしても。


 しかし、剣一本や槍の穂先でナンボになるんだよという実利主義者の前では一切問題にならなかったらしく、全ては金と「親父の凄い技術じゃなきゃ駄目なんだよぉ……なぁ、駄目?」という甘えたおねだりによってねじ伏せられてしまった。


 それと、時期がよかったこともある。デヴォン氏族の大口発注元である上、近年は帝国安閑社よりの“顧問料”と“役員報酬”に“特許料”とやらで大儲けさせて貰っているアルトリウス氏族はカエサル家のご次男様の成人祝いもあったのだ。


 一般的に帝国人は誕生日を祝う文化を持たず、年が明ければ一つ歳を取るという――たとえ冬に生まれても――大雑把な計算をしており、正確な年齢を把握していない者も多い。


 だが、名家では産まれた季節に年を重ねた祝いや成人の祝賀会を行う。そのため、夏に産まれたアウルス坊ちゃまの成人祝賀の祝いは盛大なものであった。


 人気取りが必要な議員家系でもあるまいに、大枚を叩いての炊き出しに留まらず――以前からアウルスは社会貢献として行っているが――帝都に幾つかある私邸を解放して、平民達に振る舞い酒まで見舞う程の規模であったという。


 それこそ、事情を知らずに炊き出しや振る舞い酒を受け取った者は、皇帝にまた子供でも増えたのかと思った、と溢すほどである。


 与太話の類いやもしれぬが、闘技場で生誕を祝う競技会を催させようとメッサリーナが企画したが、それはプリムスの時にもやらなかったから不遜すぎるだろうと、アウルスが止めたため没になったそうだ。


 どうあれ、アウルスの生誕を祝う宴の常軌を逸しつつある規模は、母メッサリーナの悪ノリに起因することは間違いないらしい。


 宴席の盛大さはさておき、大口顧客の生誕祭となればお祝いを用意するのが製造業の常。


 普段であればでっかい銅像でも鋳造するか、特大の肖像画を描いて贈る所であるが、アウルスは大の像と肖像画嫌いで有名なので――前世でも写真に死んでも写ろうとしない男だった――最も無難な手段がとれなかった。


 では次にメジャーな宝石はと問われると、彼は贈ることは好んでも印章指輪以外の装身具を身に付けることは一切ない。男性であれば喜ぶ武具に関しても、特に興味はないようで、発注を受けても専ら誰かへ下賜するか贈答するための品ばかりであり、本人が受け取っても喜ばれるとは考え辛い。精々、ほとぼりが冷めた頃に褒美として与えるため、蔵剣として死蔵されるのが関の山だ。


 悩んでいた所に「工場能率五割増し」なら喜ぶのでは、とベリルに提案され、誰も否定できなかったのである。


 結果的にベリルが役員報酬の全てを使って真銀を買い込み、そして類い希なる腕前を持つ父親が全力を発揮して、傍目には何の役に立つかよく分からない物を作ることに一族が理解を示すこととなった。



 そして、そのよく分からない物を作っていることを大口顧客が大変喜び、逆に褒美まで貰ってしまったのだから、どうしようもないことこの上なし。


 贈り物をして褒美を貰うのも意味が分からない話であるが、上流階級では下々の者からの捧げ物に、それ以上の価値を持つ物を下賜して財と徳を示すのは特段珍しい文化でもないようだ。


 諸般の思惑もあって通されたゴリ押しながら、いざ稼働を始めたら誰もが効果を認めざるを得まいとベリルは確信している。


 製造された玉軸受けは真球を用いた、本来ならば水車に最適と呼べる形状ではないものの“再利用”を考えて潰しが利く玉軸受けとなったが、それでも大変な回転能率をもたらしてくれることに疑いの余地はない。


 回転効率が上がれば、分配器によって更に沢山の機械を稼働させられることにも繋がるが、今まで出力の都合で使えなかった、より高い馬力を必要とする機械を実装することもできるようになる。


 今も稼働している鋼を鍛造する巨大な水力式の槌の大型化と並列化。水車の馬力不足で圧力が弱く試作止まりの“圧延機”導入による、均一な厚みの鉄板や鋼板の製造。更に精密な部品を加工する、高回転数で安定した最新型旋盤。


 精密部品を作りたい人間にとって、涎が出るほど魅力的な機械の数々を使えるようになるのだ。


 五年は大人しく民生品の生産と販売に努める、という方針を定めた帝国安閑社なれど、新しい技術と機械の発明、そして既存技術の効率化まで止める訳ではない。


 現にこの一年で新規開発した機械は、工場設備と販売用品含めて多く、その何れもが将来的な発展に不可欠なものである。


 特に需要が高い“石鹸”や“髪石鹸”を初めとした美容品事業を支える手回し式の攪拌機。将来的な外燃機関の叩き台となる薪ストーブ。高い工作精度と職人の手作業、そして迷宮産の生体由来ゴムでパッキンを作って生み出された“油圧アクチュエーター”を採用した最新型の低温搾油機。より純度の高いアルコールを抽出し、人気商品の香油や香水を作る高効率の蒸留器等々。


 全て、最終的には軍事技術にも繋げられるような品々だ。


 今の所、商品を受け取る市場側も、全く新しい工作機械を作り出している職人側も、ヤバさに気付いている気配はない。


 勿論、職人側は大量生産が容易に可能になることによるダンピング合戦が始まり、自分達の立場が悪くなる懸念を抱いており、技術を秘匿しながら慎重に流通量と価格を調整しているが、本当のヤバさには気付いていない。


 物作り大好きで政治に疎い彼等にとって、雑事にかまける時間が減り、部材の単価が下がって贅沢な品を安く作れるようになる夢の技術。それも使い方によっては文明を焼き払う悪魔の発明になるというのに。


 銃、砲、火薬、そして外燃機関。全ての製造と軍事に不可逆の変革を引き起こす道具を製造する下準備である等、A・B・Cトリオの同郷でもない限り知る由もないので当たり前だが。


 今は生活を豊かにする道具を作って市井に広げ、更に官庁に安く卸すことで地盤を作る。


 既に軍団が移動する際に必要となる、水の保管と移動用に樽が各軍団へ大量に売れているのだ。軍団が支給する肌着などの卸しにも参入が決まりつつあるし、そう遠くない将来、帝国安閑社は軍事の世界でも強い影響を示すようになるだろう。


 アウルスは三人だけで行う打ち上げの時、心底悪い笑顔を作ってこう宣った。


 政治的に強くなるなら、殺すのが難しいだけの権力と軍事力を持つより、死なれたら困る立場になるのが一番だと。


 今、アウルスが死んで帝国安閑社の経営が宙に浮いたなら、株主だけではなく関連事業者全員が困る。なにせアウルスは小売りの管理は面倒だから、などと宣ってTCGと高給化粧品事業以外では積極的に行っておらず、納入を受けて商売をしている業者が圧倒的に増えたのだから。


 その上で議会や議員への献金、僧会への喜捨、市井での炊き出しなど、帝国安閑社が稼ぎ出す金と製品の恩恵を受けている者は帝都を覆い尽くさんばかり。


 彼の財と商売が邪魔に思っても、軽々に排除できる物ではなくなっていた。


 ちょっとでも考える頭があれば、仲良くした方が得だと分かりやすい程の巨木。無理に斬り倒そうとする阿呆が現れたとしても、その木陰に集っている人間が阿呆を殴りに掛かるだろう。


 金と人の城壁は分厚ければ分厚い程、指数関数的に強度を増していく。今やアウルスがちょっと何かやらかしたところで、文句を言う者は殆ど出てこないくらいに。


 それこそ、飽きることを知らぬと言わんばかりに帝都を行き交う流言飛語――誰ぞが皇帝暗殺を目論んだとか、子供が実は隠し子だとかいう低俗な物――で揺らがない人気を得ている。


 何度かあったのだ。足下からアウルスの立場を危うくし、新設した己の株式会社を売り込もうとした者達が、心ない噂を流したことが。


 やれ館で大勢侍らせている色狂いだとか、大酒飲みで一度酔うとどうしようもないとか、巨人や小人にばかり欲情する極端な性癖の持ち主だと嘯く下らない噂から、母親と姦淫に耽る背徳者と誹る最低の侮蔑まで。ともかく多くの悪い噂が出回ったことがあるが、結果として誰も信じなかったし気にしなかった。


 普段の彼の態度や振る舞いが噂からかけ離れていたこともあるし――大酒飲みで、頬一つ染めず、あらゆるハニートラップを曖昧な笑みで蹴飛ばしてきた――恩恵を受けている人達が証言を重ねることで守ってくれたのである。


 泡沫の金持ちであれば致命的な噂が、鼻で笑われる立場の安定感は凄まじい。


 密かに人気を博しつつある、ゴムタイヤとサスペンション付きの馬車や輿よりも座り心地がいい椅子なのだろう。


 「そろそろ軍用のガジェットも作ってやらんとなぁ。機織り機も足踏みの良いのが完成しそうだし、Cのご機嫌もとってやらにゃあならんし、迷宮に潜る山師共との繋ぎも作りてぇ」


 今の所、ベリルはAことアウルスの立場を安定させる商品の製造に注力しており、Cが欲しがる物は後回しにしがちだ。少し前に宗教を起こす一歩手前まで行ったマッチや、高精度の六分儀と方位磁針には多いに喜び、今は草の根的に軍内部で宣伝活動をしてくれているが、それでも快適な軍隊生活には程遠い筈である。


 全ての道具は重く、非効率的で、更に持たねばならぬ数はあまりに多い。


 だが、それらも全て工業が能率化され、新技術が導入されれば改善していく。


 まだ現代の山男達が愛用するステンレスの薄くて軽くて頑丈な食器には勝てないが、軍隊生活を便利にする道具を作ってやることはできる。


 入れ子細工型の椀、二次燃焼を活用することで長く燃える組み立て式のストーブ、肩紐を工夫した疲れにくい背嚢。兵隊が自分の荷物を自分で運ぶのが一般的になった世界で、歩卒が喜ぶ物は現時点でもこれだけ作ってやれる。


 そこにAの会社と権力が加われば、軍隊にを日用品を供給する下地はできているため、軍備に関われる日もそう遠くないはずだ。


 「いやはや、温めたアイデアを出してくのは楽しいもんだな。もっと過激な物をお出しするには早いが、みんなの驚く顔は悪くない」


 さしあたって楽しみなのは、水車の出力が劇的に向上する明日の水車お目見え式だ。今の所、仮の軸に差して手で回す実験しか行っていないため、作った当人グインでさえ効果に懐疑的なのである。


 楽しみだとクスクス笑うベリルであったが、その効率によって悩まされることをまだ知らない。


 既存の分配器が水車の効率に負け、摩擦熱で煙を噴いたせいで、慌てて全設備の回転数を調整しなければならなくなるのだから…………。












 「地獄では?」


 神が用意した不思議空間に湧き出した山で、転生先の装備を担いで試験的に行軍してみたCは汗だくの体を拭って呻いた。


 「大変そうだねー」


 「ねー」


 一方、心地好い程度の汗で額を濡らしたAとBは、いい汗掻きましたとでも言いたげにタオルで顔を拭った。


 当然である。C程のフィジカルモンスターではない二人は、付き合ったらぶっ倒れるどころか家も出られんわ、ということで現代の登山用具を担ぎ、電動サポートの付いたマウンテンバイクで悠々と同道していたのだから。


 「ぶっ殺すぞ!」


 あらやだ怖い、と自転車を漕いで、憤りに任せて摸擬剣を抜き放ったCから離れる二人だが、キレたくなるのも無理はない。


 着込んでいる板金と煮革、そして帷子を組み合わせた甲冑を初めとする軍装が死ぬほど重いのは勿論、棒きれにぶら下げて肩に担ぎ持つ荷物袋の不便さは格別だ。


 個別に物を収納する革の鞄が重いのは勿論、中に詰めている食器や食料に水、着替えと毛布、そして土木作業用の道具が鬼のように重い。その上でかさばって袋の中で揺れまくるので、同じ重量を登山用バッグで担ぐのとは段違いの負荷が体に押し寄せる。


 その辛さは、何十kgとある水を詰めた革袋を素手で担いで山を登っていると殆ど同じである。


 現代の軍隊も十分に苦行であろうが、古代の軍隊は不便さも相まって、より苦しい苦行となるだろう。


 三人が転生するより前の年代であれば、従者や世話役の奴隷を兵士より大勢引き連れて行軍する楽な時代もあったというが、簡単に奇襲を喰らって大損害を被るようになってからは、軍制改革で禁止になったのだから仕方ない。


 輜重隊は当然編成されるにしても、やはり前線に赴くにあたって、兵士が一日二日喰っていけるだけの装備は必要不可欠である。水と食料は勿論、ちょっとした着替えなど色々詰めていく間に大変なことになる。


 18世紀の戦列歩兵は肩に何個も引っ掛けた鞄のせいで、戦闘が始まる前に“骨”を痛めてしまう者が大多数だったという研究が残る程に、前時代的な兵士の装備運搬は大変だったのである。


 「B、頼む、リュック、リュックを作って、できるだけ早く……これ嫌。頑張れば耐えられるけど本当に嫌……」


 「作るだけなら簡単だが、製品として売れるようにするにゃあ別の組織作らんとなぁ。あくまで俺ん生家は鉄工と木工メインで、陶工と宝石加工をちょっとやってるって感じだし……となると紡錘や縫製の機械を作るか。凝らなきゃ単純作業だから」


 「じゃあ余裕できたら高性能な機織り機作ってくれ。工場は別で確保するから、型紙作ってくれたら、こっちで別事業として旗揚げしよう。キャンプギア作って軍隊と探索者に売りつけようぜ」


 「おっ、いいねぇ」


 疲労と痛みで呻くCだが、何もマゾ装備で登山を楽しみたかった訳でも、死後の己を儚んで修行者めいた苦行を趣味にした訳でもない。


 軍隊の、ひいては将来的に率いることとなる迷宮踏破組織の稼働効率を上げるため、実際の装備の不便さを味わい、可及的速やかに用意すべき装備を策定するべく、実地試験に臨んだのだ。


 結果はご覧の通り。武器とか防具以前に“必要最低限の装備が苦行”という結果が出た。


 「じゃ、丁度良い時刻だし、野営するかー。ほんと、陽まで暮れて寒さもあるとか、不思議な空間だ」


 「俺ら焚き火台使うけど、お前は竈から組まないとなぁ」


 「殺す……後で絶対に殺す……」


 悠々と自転車のリアキャリアに固定したバニアバックからキャンプ道具を取りだしていく二人を呪いながら、Cはギシギシ軋む体を引っ張って野営の準備に移る。


 また、その呪いは“生の実感”を薄れさせぬよう、この死後の空間でも痛みを感じるような仕組みにした神にも向けられた。


 呪いは深さを増す一方で、燧石での焚火を始めることの難儀さにより更に増し、毛布一つで眠ることの辛さによって深淵を貫いて深く深くへ掘り進められる。


 そして翌朝、死んでいるにも拘わらずリアルな命の危機を察したAとBは、Cを散々に気遣って暖かいコーヒーを馳走し、重い荷物を全部自転車に載せてやって山を後にした…………。

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