帝国暦736年 春 新工房開設

  株式会社の運営や新工房の開設などの仕事でお互いに忙しく、半年以上顔を合わせていなかったベリルにアウルスが訪問の打診をしたところ、珍しいことに“迎えを寄越すので待っていろ”との返信があった。


 態々向こうから迎えに来るとは不思議な物である。距離が離れていても、移動手段に困る身分の相手でもなかろうに。


 さて、帝国の金がある貴人の移動手段は三つだ。最も一般的なのは、二本の――或いは種族によっては+α――足で歩くこと。帝国の富裕層は中世欧州貴族の如く、できるだけ自分では何もしないのが高貴の証明という文化を持っていないのだ。


 むしろ貴族階級ほど健康と肉体に気を遣う。帝国は建国過程もあって尚武の精神が上流階級になるにつれて強く、平民達の模範たる市民こそ肉体を鍛えて当然という文化を持っている。


 それ故、貴族であっても元老院議員であっても、それこそ皇帝であってもよく歩く。荷物は下人や奴隷に持たせるのが一般的であろうと、ただただ歩いて現地へ向かう。乗り物を使うのは軟弱、という風潮さえ感じさせるくらいに。


 中には視察先の状態をよく見るため、遙か遠い属州まで海路以外では全て歩くような剛の者もおり、それ程に皆よく歩いた。


 第二の手段は輿であり、これは基本的にご婦人や足が悪い者、足が萎えた老人が使うものだ。場所を取る上に悠長なので、利点は本当に楽である一点のみ。とはいえ、人間が担いでいるため揺れは馬車よりマシ程度に過ぎないので、やはり苦手とする人も多い。


 最後は馬車だが、戦車と見た目が豪勢な式典用以外のソレは、貴人の乗り物とは言えぬのが現状である。


 木製の車輪は地面の揺れを乗客へダイレクトに伝えるので、乗り心地が良いとはとても言えない。帝国において馬車とは平民や兵士、そして商品の奴隷を大量輸送する乗り物という印象が強く、帝都市内での移動で馬車を使う貴人は少ない。


 腰と尻に対する呵責、と呼ばれるような手段を敢えて好む人間はいまい。長距離を移動する際にやむなく乗るのでなければ、手前の足で歩いた方がマシとの評価は極めて妥当なものなのだから。


 利点らしい利点は外から覗かれず、同道する人間や荷物が多くても一緒に動けることくらいか。


 余談であるが、騎乗しての移動を好むのは軍人か、余程急ぎの者くらいで一般的な移動手段としては認識されていない。鐙が東方から伝わっておらず、鞍を足で挟んで体を固定する騎乗法が帝国では一般的であるので、余程習熟した者でなければ扱いきれないためであった。


 どうあれ迎えが来るなら待っているかと、好調な経営を祝う品を用意していたアウルスの下に訪れたのは、美事な一台の馬車であった。


 「おお……おお……!?」


 帝都市民の目を惹き付けながらアウルスの事務所にやってきたのは、二頭の馬に牽かれるキャリッジと呼ばれるタイプの箱形馬車だ。二対四輪の車輪の上に台形の車体が載せられており、各辺が優美な弧を描くそれは貴人の美的感覚を多いに擽った。


 優美な彫刻。各所に施された金箔の飾り。熟練の職工が腕を振るった豪勢さがありありと窺える、全く新しい洗練された形の馬車は市民の耳目を多いに集めたことだろう。


 しかしながら、アウルスの興味を惹いたのは、車体ではなかった。


 黒い車輪。車輪の周囲にゴムを纏わせた新型の車輪だった。


 「お迎えに上がりました、アウルス様」


 「ご苦労だった、ベリル。これに乗れと?」


 「ええ、差し支えなければ」


 馬車の戸を開けて誘う古い友人の誘いを断らず、霊猿人の実業家は鉄洞人の小さいが鋼のように硬い手を取って馬車に乗り込んだ。


 事務所の下男が荷物を運び終えるのを待ち、出してくれと御者に頼むベリルの声に従って馬車が屋敷を出ると、アウルスは予想通りであっても大きな驚きを得た。


 腰に対する拷問、と嘯かれているのが嘘のように乗り心地がいいのである。


 帝都の貴族が住むような区画は石畳が整えられているが、それでも石と石の隙間が各所にあるため、轍を踏んでいても揺れる。間断なく訪れる揺れは三半規管を狂わせ、そして突き上げる衝撃が腰を苛むが故に馬車は金持ち達から好まれなかったが、この新しい馬車は大分違う。


 まだまだ揺れは感じるし、安心してコップを窓辺に置ける程ではないものの、世間で囁かれている馬車の乗り心地と対比するなら、感性が肥えた現代人でも十分我慢できる程度の揺れであった。


 「すごいな、ケツが痛くない……遂に完成にこぎ着けたか」


 「ご明察。苦労したぜ、生体抽出ゴムのタイヤとコイル撥条のサスペンションだ」


 乗り心地を誇るように胸を張ったベリルは、人類の移動に重大な貢献を果たした二つの発明をこの世界に輸入することに成功した。


 ゴムの木がない土地で、彼女は迷宮産の怪物からゴムを抽出することに成功した。RPGで散見される、電撃属性や雷属性とやらに耐性を持つ、絶縁体の皮膚を持つゴム質な肌の生物から、ゴム成分だけを抽出するのは苦難の道であった。


 幼き日、迷宮横の市場で古タイヤのような皮膚を持つワニとも蛙ともつかぬ生物を見つけ、親に叱られて捨てられた日から苦節数年。丁寧に鞣し、刻み、煮込み、不純物を漉したり蒸留してみたりして、ラテックスを分離する方法を見つけ出すのは本当に大変な道のりであった。


 なにせ今までと違って、先人達が“成功”を見せてくれていない。この点において、始めて余人と同じく、下準備による失敗の回避なく新しい物を作ることになったベリルは、改めて歴史の偉人達の思いつきと、その下に積み重ねられた計上不能なまでの失敗に平服して感謝した。


 その結果産まれたのがゴムタイヤだ。薄いゴムを管に加工し、そこに空気を吹き込む。車輪の溝に噛ませたゴムチューブを保護する、分厚いゴムの皮膜を被せれば、未熟なれどゴムタイヤの完成だ。


 今は熟練の職工の手に頼った、大量生産に向かぬ品だが――小さな金具である空気注入口の工作難易度が高い――快適性は類を見ない高さである。


 「でも、お高いんでしょう?」


 「……うん、まぁな」


 アウルスの通販を思い出させる軽口に、ついついベリルは素で答えてしまった。


 まぁ、実際にコストが高いのだ。


 迷宮の走狗は安定供給されないし、同時に生皮からラテックスを精製する工程が複雑で人件費が高く付く。その上で加工も複雑とくれば価格はドンと上がってしまい、ベリルの見立てでは、利益が欲しいなら“タイヤ四本だけで既存の馬車二から三台と等価”といった所だろうか。


 「おお、お高い、お高いな……本体価格込みで四倍……いや、五倍くらい?」


 「そんなとこだな。凝った車体にせずコストダウンしても三倍はする。金持ち専用って所だな」


 チューブに蓄えた空気とゴムの弾力が素晴らしい快適性をもたらす道具は、口惜しくもコストという問題で、最も需要が高い運輸業界に売り込むことができそうになかった。


 膨らんでいた自慢が凹むように暗い顔をして外を見るベリルに、少しでも話題を逸らさせようと、アウルスは慌ててサスペンションのことを聞くのだった。


 サスペンションは現代地球であれば全ての車両に採用されているもので、日本語で表現すると懸架装置となる。最初期の物は、車体に鎖や紐で座席を吊り下げて保持することで衝撃を緩和する装置だったためついた訳語だが、この車体に採用されているのはそれよりも先進的なものだ。


 靱性と弾性に優れる鋼の棒を螺旋状に成形したコイル撥条を各車輪の車軸に搭載し、車輪の揺れや傾きを撥条が受け止めることで、馬車本体に伝わる傾きと衝撃を和らげる。構造が比較的簡易な車軸懸架式のサスペンションは石畳の揺れを受け止め、ガラス製品を載せても梱包さえしていれば割れない程の安定性をもたらした。


 タイヤとサスペンションがもたらす衝撃吸収性能により、穏やかな揺れだけが伝わる空間であれば、従来と違って腰を痛めるどころか目的地まで気楽に昼寝さえできるだろう。


 「なるほど、コイツはいい。乗り心地がいいのは勿論、輸送効率がかなり上がる。今まで大変だった物の輸送も簡単になるだろう」


 「おうよ。ガラスや陶器は人手で運ばにゃ危なっかしくて仕方なかったが、これなら箱に梱包材と一緒に詰めときゃ全力疾走しないかぎり何とかなる。実験済みだが、結果は悪くねぇぞ」


 「ほぉ……分かった、結果は後で寄越せ。で、ずっとこれを作ってたのか?」


 「真逆。これはあれだ、製鋼の練習してるヤツについでで作らせたし、タイヤは俺の個人的な課題だ。それに……あんまり、売れないかなって……」


 「いや、ほら、遠出する貴族は多いから、私が売り込み頑張れば売れると思うから。な? 凹むなって」


 アウルスは友人を慰めようと、項垂れた肩を抱いて言葉をかけているが、自分でも気休めだなと気付いていた。貴族が乗り心地に気に入り、荷運び用兼たまの遠出用に一台か二台買われることはあろうが、常用としての需要が爆発的に増えるとは文化背景的に考えにくい。市街を長距離移動する富裕層は、それ程多くないのである。


 その上、まだ手作業で作っている一品物だけあって高価なこれが、隊商や乗合馬車の経営者に売れるとは考えにくかった。隊商であれば壊れ物は人を雇って運ばせる方が安上がりだし、乗合馬車なら客なんぞ黙らせておけばいいので当然と言えば当然である。


 広まりはするものの、今までの製品ほど世界をがらりと変えはするまい。皆の掌を返させたいならば、従来品の馬車から精々五割増し程度の値段に抑える必要がある。


 「あっ、これが目玉じゃないとするならな、半年なにを作っていたんだ? テレビの工場じゃあるまいし、操業までに何年もかかるもんじゃないだろう。見積表を見る限り、箱物だけなら数ヶ月もありゃ仕上がった筈だが……」


 製造費、という強大な敵に打ちのめされた友人の気を逸らさせてやろうとすると、お楽しみが待っていることを思い出したのか、若き鉄洞人の気分が僅かにだが上向く。


 「あー……それはついてからのお楽しみだ。優雅な馬車旅を楽しもうぜ」


 物を作る人間特有の茶目っ気。完成品で客を驚かせたいという意図が透けて見える笑みから色々察したのか、水を差すのも悪いなと御曹司は黙って受け入れた。時は金なりというものの、一分一秒が惜しいほどタイトな時間に生きていない。これくらいの余興に付き合う精神のゆとりも必要であろう。


 ゴトゴトと馬車に揺られること暫く。昼寝をするのに丁度よい時間の後、帝都から離れた場所に帝国安閑社出資の新工房は佇んでいた。


 衛星都市圏と帝都市街の合間に位置する、起伏に富んだ原野だった場所に建造された工房は、帝都の外れにあるデヴォン氏族の工房と見た目は大きく変わらない。


 背の高い目隠しの塀に囲まれ、その中に幾つもの建屋が並んでおり、煮炊きとは明確に違う大きな煙が上がっていた。鉄炉が稼働している証明の煙だ。


 鉄は現地で生産するのが最も効率的であるが、帝都周辺においては話が別である。消費が旺盛な帝都では様々な需要に基づく発注がなされるため、現地で注文に応じて加工した方がよい場面も多く、同時に輸送費を払っても採算が取れる希有な場所だからだ。


 帝都の人間は既製品より特注品を尊ぶ。その付加価値が輸送費を上回るならば、帝都で物を作る価値は十分にある。


 そのため、各工房は産地から鉱石と木炭を運ばせてまで、この地で鉄鋼業を行っている。


 これらを鑑みるに、新しい工房は門外漢の目には普通の工房のように映った。少し気になるところと言えば、態々川を跨いでまで塀を通していることや、川を覆う形になる建屋の屋根が見えることだが……どんな工業も水は必要なので、利便性を追求したからだろうか。


 「ようこそ、我らが工房へ。出資者様のお通りだ、謹んで道を開けよ!」


 疑問を抱きつつ辿り着いた工房は、何やら聞き慣れない音に溢れていた。炉が燃える音や槌の音に紛れて何かが稼働している音がする。


 はて、これは何かと首を傾げつつ、鉄洞人の職工達に迎えられて案内された工房の中でアウルスは目を剥いた。


 川を跨ぐ大仰な構造の建屋の中で、水車を動力源とした様々な工作機械が稼働していたからである。


 「なっ……な……」


 「こっちは旋盤、あっちはボール盤、でアレが実験中のプレス加工機。あっちで職人が弄ってるのがベンディングマシンと圧延加工機なんだが、さっき壊れたから修理中なんだよ。奥の動いてないのは製材用の丸鋸。同じく今は落としてあるのが水車用の大型鍛造機。ついでにあそこから外に伸びてる動力伝達用の機械は、外の送風機に繋がってて新型炉に空気を供給してる」


 「なんじゃこりゃ……」


 耳慣れない喧しい騒音の源は、水車によって自動で稼働する機械が発する音だった。旋盤とボール盤の前に陣取った職人が木や金属を加工するのに従って甲高い摩擦音が響き、鋼板を挟む金属加工機の轟音は頭を割れ鐘のように揺らす。


 音に満ちた近代に近づこうとしている工房の熱気は、若い実業家には強すぎたらしい。


 「おっと、若君には毒だったか……おおい、誰か手伝ってくれ! 応接にお通ししよう!」


 フラフラする体を支えられて別の建物の、応接と呼ぶには質素過ぎる部屋に通されたアウルスは、渡された水を乾すことで頭の再起動に成功し、冷静に話すことができた。


 騒音に驚いたのも間違いないが、後ろ盾ができて多少無茶がきくようになったからといって、初っ端から飛ばし過ぎだという呆れと驚愕が放心の主な原因だったのである。


 「ちょっと飛ばしすぎじゃないか……? 水車動力の機械って」


 「馬鹿言うない。この時代の人間はお前が思ってるよりずっと先進的だぞ。水車なんぞ、もう自動製粉機で使われてたんだ。殆ど応用の域を出てねぇんだから、そこまでえらいこっちゃねぇよ」


 「だからってお前ねぇ……」


 「しかたねぇだろ。旋盤とボール盤は前から欲しかったんだよ。mm単位以下の工作精度は熟練工の手でも実現できるが、如何せん時間がかかるからな。やっぱり自動化万歳だ」


 しれっと言い放つ鉄洞人に呆れつつ、霊猿人は半年間何やってるかと思ったらコレかよと軽い疼痛を訴える頭を抑えた。


 ゴムチューブやコイル撥条といった、複雑な加工品も作れるはずだ。旋盤やベンディングマシンに圧延加工機があるなら、現代とそう変わらない工程で全てを用立てることができる。


 「で、とりあえずコレが成果の一端だ」


 ひょいと寄越される包みに悪い予感を刺激されながらも、アウルスは慎重な手付きで中身を解いた。


 そこに収まっていたのは一本の鉄管である。艶々と誇らしげに光る鋼の塊は真円に整い、中は恐るべき滑らかさで刳り抜かれていた。


 「……巻き金じゃないな」


 「分かるか」


 「分からいでか。溶接痕も継ぎ目もないなら素人でも察するわ」


 鉄管は彼の想像通り、従来の製法で作られた物ではない。頑丈な鋼で管を作る際は、細い鋼の板を鉄の棒に巻き付け、再加熱した上で鍛造し直す。或いは鋼板を丸めて継ぎ目を溶接して埋めるのだが、これはその何れでもない。


 一本の太い鋼の棒、その中を貫通しないよう刳り抜いてあるのだ。


 「これが旋盤の効果って訳だな。凄まじいな」


 「もっと驚いてくれないと張り合いがないんだがな……工作精度を上げに上げてやっとこできたんだぜ。今稼働してる旋盤なんてバージョン幾つだと思ってやがる」


 「……2か3?」


 「6だよ馬鹿。マザーマシンって言葉を理解してても嫌になったわ」


 うわぁ、という顔をする門外漢に、専門家はやってみなきゃ分からんだろうなと苦労を説いた。


 旋盤やボール盤といった工作機械はマザーマシン、機械の母とも呼ばれている。それは機械を製造するための機械という性質を持つからであり、この機械の精度如何によって、今後製造される物品の工作精度が全て決まってしまう。


 物が真っ直ぐ切れない刃物で綺麗な箱が作れる訳がないのと同じことだ。どれだけ正確かつ均一に、歪みなく、滑らかに部品を加工できるかが品質を左右する。


 ベリルはこの一年間、大口発注を手に入れたのを良いことに父親を上手く転がし、工場の自動化実験を自分主導で執り行っていた。


 水車の建造によって一定速度での安定した回転を手に入れたベリルは、水を得た魚とばかりに新たな道具の製作に入る。


 手始めとして手作業で原始的な旋盤を作り、そこから人力ではちょっと難しい精度を出せる良い旋盤とボール盤を。その成果で更に制度が高い部品を作ってより制度が高い機械を……という、周囲から見れば奇行か苦行としか思えぬ行為を繰り返した。


 その成果は、人間の目には完全な直線を描いているとしか思えぬ一本の鉄管と、指先では歪みも傷も感じることができぬ滑らかな表面を持つ筒の腔。


 誰にもケチの付けようがない、美事すぎる“先込式滑腔銃”の銃身であった。


 「試験的にだが、ここまで作れるようになった。まぁ、今の設備だけなら頑張っても日産50本から80本ってとこだが。あ、資材は備蓄品を使っての計算だから、一年ずっとの数じゃねぇぞ」


 「いや、この工作精度で年間2万本近く製造できるのは破格だろう……」


 水平器を置いても完璧な水平を示しそうな銃身を惚れ惚れするような目で見つめ、様々な角度から眺めたアウルスは満足したのか、人類が手にする暴力のステージを数段跳ね上げさせる危険物を静かにしまった。


 これを見せた意味は分かっている。


 ロードマップに従って火薬武器を作って迷宮踏破……ではない。


 高精度な武器が作れると言うことは、高精度の民生品を作れることに他ならない。マザーマシンさえ整っていれば、後はどんな機械にも応用できるのだ。これはそれを表明するための試金石のようなもので、自分達が今どの辺にいるのかを出資者に分からせてやるための見本品。


 第一、ただのマスケットで何ができるというのか。原理が原始的であるため工作精度の下駄を履かせた所で、どこまでいっても滑腔銃は滑腔銃。有効射程が幾らか伸びた所で、正しく毛が生えた程度の性能向上でしかない。


 先込式滑腔銃は読んで字の如く、銃口から火薬と弾丸を入れ、槊杖で突き固めた後に何らかの火種で火薬に着火する銃である。そのため、弾薬を装填するのに手間がかかり、現代のオートマチック方式の銃を知る人間からすれば絶望的に発射間隔が長い。


 そんなもので大軍による横列が展開できぬ閉所に殴り込んだらどうなるか。


 手槍より短く、剣より重くて振り回しづらい棍棒になるのが精々だ。例え長い銃剣を装着できるようにしても、最初から槍を持っていった方が幾らか戦い易かろう。


 なので銃はまだ作らない。マスケットのような原始的な代物でも“人類同士の戦争”であれば、十分効果的であろうとも。


 少し手を加えれば施条銃にもできて、椎の実型の鋭頭弾を作れば性能が劇的に向上してもまだ早い。


 既得権益に多少喧嘩を売っても問題ない程度の権力は得たが、軍事に不可逆の変異を起こして不興を買わない程の立場ではない。


 もう少し力が要る。然もなくば兵器の領域に手を出し、危険と判断されれば利を捨ててでも処分されかねない。


 銃も火薬も作ることは確定していても、彼等は社会から離脱するつもりもなければ、国家を転覆させる予定もないのだから。


 偏に効率のためだ。古い器を壊して作り直すのに必要な労力はどれ程か。かかる時間は如何程か。考えるだけで気が遠くなる。


 それならば、既存の社会の中で“必要不可欠”な存在になるほうがまだ簡単だった。後は政治と民意、そして金の力だけでなんとでも自由に振る舞えるようになるのだし。


 ならば、態々血みどろの革命戦争なんぞ考えるだけ労力の無駄だ。自分が皇帝位に居座って気持ちよく全てを差配したいなら分かるが、世界を救うのにそこまでやる必要は何処にもない。


 「さて、じゃあ次は決まったか?」


 「ああ。工作精度が満足行くからな……そうさな」


 ちょっと織物工業の歴史に新しい頁を刻んでやるかなと悪い笑みを作ったベリルに対し、アウルスもまた若年ながら立派な悪党にしか見えない顔を見せるのだった…………。  

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