帝国暦735年 夏 第二企画説明会/西暦20xx年 誰かの損得

 息子が持ち込む商売とアイデアに頭を悩まされることに慣れてきたガイウスであったが、領地から戻って早々というのは勘弁して貰いたかった。


 豊かな穀倉地帯を抱えるコーニュコピアの総督であるガイウスは、一年の内、初夏と冬に帝都へ滞在することを常としていた。春先は雪が溶けて雪中で耐えていた麦の生育の大まかな情報を知るため領地にいる必要があったし、夏の終わりから秋にかけては収穫時期だけあって総督としても壮園の領主としても公私共に忙しい時期だからだ。


 このサイクルは勤勉なガイウスならではの物である。普通は一族の優秀な者にある程度投げて帝都にいる時間を増やすか、現地から動かない者が多い。如何に帝都の交通システムが優れているからといっても、移動に掛かる時間は長く、道中程“まちがい”が起こる危険な瞬間は多いものだ。


 しかし、危険を押しても現場を見るだけの価値があると信ずるガイウスには、名代だけ置いて仕事の全てを投げるような、帝都にごまんと溢れる有閑貴族の真似をする気にはなれなかったのである。


 帰参すれば一週か二週は宴席も断って妻と――余裕があれば子も――連れて、穏やかに休養をなどと考えていたが、まぁ初っぱなから重たい案件を投げつけられると胃の腑にずんと重い物が落ちる気がする。


 「如何でしょう?」


 「……少し待て」


 帰宅早々に息子が用意してきた企画書は、思っていたより相当に重量感がある。まだ成人もしていない息子が一人で考えたというより、何万という人間が何千年とかけて培ってきた経験で磨き上げてきたような構想であり、彼の聡明な頭脳を以てしても咀嚼するのに結構な時間が必要だったのである。


 最初は不在時に売り出された第Ⅱ版の――贈答用ということで、自家用の在庫を2,000程確保させてあった――売上げと製造の報告かと思ったが、それは実に簡素な数枚の報告書で分かりやすく纏めてあった。全ての官吏がこうであればいいのに、と思う洗練されたフォーマットは後で問い質すとして、利益自体には何の問題もない。


 15,000組があっという間に売り切れて、450,000セステルティウスの儲けというのは凄まじい。諸経費を抜いても利益は350,000セステルティウスを下ることはなく、これを元手に新たな商売を始めるには丁度良いくらいの利益だ。


 だから、後に続く分厚い物は、新事業の企画書くらいに思っていた。


 「……陛下や元老を巻き込む気か?」


 「我々も皆も得するのですから、悪いことは何もないでしょう」


 大したことでもなさそうに言ってのける息子に対し、父親は底知れぬ不気味さを感じずにはいられなかった。


 元老や皇帝と渡り合おうという態度もそうであるが、何よりこの“株式会社創立企画書”の内容が恐ろしすぎた。


 初めて見る概念であった。会社という一家や個人より独立した組織を作り、その組織は“株式”という一種の権利書を投資家に売りつけることで“出資”を受け取り、代価として上がった利益を株式の割合に従って分配する。


 株主になるのは単なる投資ではない。会社から利益を受けると同時に掣肘を加える権利、即ち会社そのものを所有するに等しい権利を持つことになるのだ。


 今まで合同で複数の家が出資して事業を行うことは珍しくなかった。利益に見合えど一家の財力では厳しい事業など幾らでもあるため、合力して大きな利益を上げようとすることは極めて自然な行為であった。


 しかしながら、継続して事業を行い続ける、一家に属さぬ組織の箱を作る発想は初めて見た。それも出資者は一度出資してしまえば、後は黙っていても金が入ってくる夢のような機構だ。事業とは坂の上から石を転がすような物なので、転がす石を大きくして速度を速くしようとする発想に従えば実に合理的である。


 また、その会社を所有する権利とも言える株式は、個人間で譲渡も売買もでき、最終的には相続さえ可能としている。


 理性と合理を煮詰めたようなシステムであった。


 それこそ、火種として広まったなら、新しい概念が帝国に浸透する程に強力な。


 「事業を守るため、そして利益を上げ続けるため、陛下や繋がりのある議員の方々に株式を発行し、買い取っていただこうと考えております。さすれば……」


 「会社の利益を損なわせる行い、つまりアウルス、お前の事業を妨害するような行為は……株主への敵対行為となる、という訳だな」


 「変わらぬご慧眼、流石ですな父上。勿論、株主が会社を好きにできぬよう、私が三割を持ち、父上と母上には一割ずつ。兄上にも五分ほど発行いたしましょう。そうすれば最高責任者を無理矢理任命することはできませんからな」


 恐ろしい発想だった。出資者から鎖を嵌められているように見えて、この時代においては実質彼等の権力をチラつかせて協業関係にある他者を恫喝しているようなものだ。


 会社が関わっている業務において、株主の権力を超える権力を持っていなければ、別の存在がパイを取り合おうと手を伸ばすことは宣戦布告に等しいのだから。


 「……玩具作りにここまでするか? たしかに大した利益であるが……」


 「今はまだ帝都一都市ですが、さらに画期的な量産体制が整えば全ての領地や属領、信託統治領にも広められる商売ですから。更には外国さえ標的にできるかもしれません」


 まぁ尤も、目聡い商売人が発想を持ち帰って自国で始めている可能性もありますが、と嘯きながら、アウルスは懐から小箱と紙束を取り出した。


 「それよりも、一家が独占するには重すぎる商品をお抱えの職人が思いつきましてね」


 「それはこの私ですら手に余ると言いたいのかアウルス。それとも、偉大なるアルトリウスの血統でさえ」


 「氏族間紛争の火種としては十分ですな。発火具だけに」


 紙束を小脇に抱え、箱を開けたアウルスが木切れを箱に擦りつければ、驚くべきことに火種もないのに炎が上がった。粘土のような物がついた木切れの先端が強い光を放ちながら発火し、やがて火は軸に移ってゆっくりと燃え始める。


 「……なるほど、たしかに火種としては十分だ」


 軸を燃やして揺らめく炎を見てガイウスは悟った。息子が今し方、あちち、と暢気に呟いて消したそれは、扱いを間違えれば幾つもの氏族を燃え上がらせる大火になると。


 こんなもの誰だって欲しいに決まっている。売れない筈がないのだ。全ての分野、生活、製造、軍事、どの面においても簡単に火を熾せる道具は役に立つ。日用品であるため、単価は安くせざるを得ずとも、一年間で消費される本数を考えると莫大な利益を上げられると容易に想像がつく。


 製法と利権を握るならば、未来永劫尽きぬ泉から金を汲み上げられるようなものではないか。


 「製造に移すのは容易か?」


 「ええ。簡単に日産数千本に達します。設備に投資すれば数万でも容易いかと。帝国中、況んや世界中が欲するやもしれませんな」


 「たしかに、私にも、カエサル家にも、アルトリウス氏族であっても重いか」


 「ええ、重いかと」


 家を軽んじるようなことを口にする息子を叱る気力はなかった。


 果たして己だったらどうしただろうか。一家の身に余るならば、製法を数家と共有して連帯を組み……いや、駄目だ、どうせ誰かが欲を出して早晩瓦解する。縄張りを決めた所で妨害合戦が起こるのは目に見えていた。


 最大利益を確保するためであれば、昨日友好の杯を交わした相手の背に短刀を突き立てるのが実業家というものではないか。


 「ですので、第Ⅰ版に続いて第Ⅱ版を陛下に献上するにあたり、この会社の株式の話を父上にしていただければなと思いまして。なんでしたら心付けとして無償で譲渡しても構わないと思っております」


 「皇帝の箔がつくならば、それだけの価値はあるか。どの程度だ?」


 「そうですな、初期発行分の五部から一割はお渡しせねば不敬にあたるでしょうか。それから更に五分から一割ほど……帝国そのものに献上しようとも思っております」


 「税収とは別に利益を渡すと?」


 「どこの家も有事とあらば国家への寄付を行うでしょう。さすれば国家は会社を、いずれ会社を相続するカエサルのお家をさぞ大事にしてくれるかと。放っておけば金の卵を産む家禽の腹を割く愚か者はそういますまい」


 「……考えたものだな」


 「はい、必死に頭を捻りました。まぁ、株式を増刷する暁には、割り当てを考える必要はありましょうが、上手くいくと考えております」


 父上は如何お思いでしょうか? と目で問うてくる息子に対し、父は暫し考えるので一人にしろと命じた。


 そして、去り際にふと気付く。株式会社の企画書とは別に抱えた、残りの紙束はなんだろうかと。


 「ああ、これですか? 今回起こす会社は製造を中心に行おうと思っておりますので、この着火具……マッチの次に作ろうとする物の案です。生活を豊かにする物が揃っていますが、ご覧になりますか?」


 「……後でいい。悪いがもうたんと馳走になった。消化する時間を寄越せ」


 ご随意に、と息子が扉の向こうに消えるのを見送った後、どうにかこうにか平静を保っていた表情を崩し、カエサル家当主は疲労のあまり机に額を落とした。


 持って来た物が重すぎて消化は疎か、満足に咀嚼できていない。我が息子ながら、成人もしていないのに恐ろしい傑物に育ったと鳥肌が立った。


 しかし、これだけ美味しい事業を前に手を引っ込めることができないのは、彼も疑う余地なく実業家であるからだ。


 色々考え込んで是非を問うたところで、最後には首を縦に振ることになる。


 たとえ、息子の才覚に僅かなりとも嫉妬を覚えている自分がいたとしても。


 やがてガイウスは企画書を二度三度と読み込んだ後、専門家でなくても分かるように簡易な説明用の文書を作らせる必要があるなと認識しつつ、皇帝に謁見可能な日取りを問う書簡を書き始めた。


 私室に取り寄せておいた贈答用の第Ⅱ版150組に手を付けることもできず…………。












 「金、暴力、権力……とは言ったものの、やっぱ足りねぇよなぁ」


 「どっかで聞いたフレーズねぇ……」


 書架で纏まった考えを各々の“本”に書き写している中、Aが唐突にそう宣言した。


 独り言めいた考えを呟くのは、この三人が神の用意した下準備空間に放り込まれてからよくあることだ。各々考えを纏めるために思考を言葉にし、時に相手に理解できるように組み立てられているか確認するため考えを口にすることもある。


 頭の中で漠然としたイメージを抱えているままではいけないのだ。余所の世界に上がり込んで、事業を興そうというのだから、やはり他人が理解できるような形に纏めてからでなければ話にもならない。


 「で、今度はどうした?」


 Bもペンを置いてAの話を聞く姿勢に入りつつ、すっかり冷めたコーヒーを啜った。この独演は最終的に自分の事業にも関わってくるため、誰が始めても残りの二人が付き合ってやるのが三人の間で不文律となっていた。


 「いや、以前に莫大な富を生む新事業を確保するには、権力を確保して地盤を固める必要があるって言ったじゃん?」


 「言ったなぁ。そりゃあ何も間違ってねぇだろ、どこまでやるかってレベルで。皇帝になれとは言わんが、どっかの属領の総督くらいにゃ収まる必要があるかなってぼんやり考えてたんだが」


 「それでも足りねぇんだよなぁ、よく考えると」


 どういうことだ? とBが問えば、Aは机の上に転がっていたメモ用紙を取りだして名前を熟々と書き始める。


 ティベリウス、ガイウス・ユリウス・カエサル、コンモドゥスなどローマに由来する偉人に始まり、エイブラハム・リンカーンなど米国なども含めて他色々。


 全て暗殺された皇帝や絶大な権力を持っていた人間の名前である。


 「みんな権力を持ってたが死んだ。つまり、死んだら誰かが凄い得をする人間になっていたわけだな」


 「……それで?」


 「つまり、権力と金があって、暴力を飼っていても殺される時は殺される。権力の絶頂にあったグラサン童貞でもあっさり断頭台の露に消えたんだ。一個人として権力を極めた所で、首元が冷たくない時は一時もない訳だな」


 「それ漫画の演出だろ……」


 「なので単に権力を得るだけじゃ駄目だと思ったんだ。昨日、ローマが舞台の歴史ドラマを見た時に」


 如何にも深刻そうに、ここ何十年かの準備で身に付けた説得力のある話法と発声法まで使って言うにしては、適当極まる発想の元にBとCは椅子から少し体がずり落ちた。この無面目と評するしかない特徴のない男も、政治家としてやっていけそうなスキルを手に入れたというのに中身があまりにも変わらなすぎるのである。


 まぁ、政治家のスキルなんてのは、しょーもない普通の人間が偉大に見えるよう振る舞うことなのだよ、とうん十年を勉強に捧げた人間に言われれば納得する他ないのだが。


 「なので、俺が死んだらみんなが損をする形を作らにゃならんと気付いたのよ。どうすりゃいいと思う?」


 「善君になるとか?」


 「良い統治しても吊された統治者なんて何人もいるでしょうに」


 三人で暫くウンウン考え込み、その日は結局良いシステムが思いつかなかったため、済し崩し的に解散となったが、後にAは「会社!」とエウレカの如き勢いで思い至った。


 余談であるが、それは最終的に相談役にまで出世するリーマンの漫画を読みあさっている時だったそうな…………。

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