帝国暦735年 春 新セット・新問題

 時節は帝国暦735年の春。内海が近く四季が明確な帝都は、穏やかな春の陽気に微睡んでいた。


 他の豪邸と同じく、カエサル家のガイウスが所有する邸宅は一年中来客が絶えない館である。例え当主が領地巡察のため南方に帰っていても、帝都に残った他の家族が催す茶会や酒宴の来客が訪れ、そしてガイウスへの手紙や言づてを持ってくる遣いも数えきれぬほど。


 そんな一年中賑やかな館にて、定例となりつつある酒宴が催されていた。


 出席者は二人、厳密には護衛を入れて三人だけの極めて内輪だけで固まった酒宴。


 それは征服と統治の新弾完売を祝うイベントであった。


 「では、此度の新セット<帝国戦線>の瞬殺と第Ⅰ版の再販分完売を祝して、乾杯!」


 「「乾杯!」」


 参加者は例によって、異世界の崩壊を食い止める事業で送り込まれたA・B・Cの三人。宴会の主旨としては、アウルス唯一の事業にして、今帝都で一番熱い娯楽として噂になっている“征服と統治”の最新版となる第Ⅱ版の売れ行きが好調であったことへの労いである。


 「うまい! 銀貨は最高のつまみだな! 現代に比べると大味すぎる酒に勝利の味が添加される!!」


 「聞きました軍人さん、この物言い。丸きり銭ゲバの発言で俺怖いわぁ」


 「ええ、聞きましてよ職人さん。この人、お金の魔力に負けてしまわないか、たまに怖くなるんですの。一昨日なんて帳簿を眺めながらお酒を召していらしたのよ?」


 「まぁ、怖い」


 「なんだその態とらしい煽り! ホント嫌なヤツらだな!!」


 アウルスの物言いをからかうベリルとカリスであったが、両名とも言葉の鋭さに反して笑顔は朗らかであった。


 それ程までに事業が好調であり、私事においても良いことがあったからだ。


 さて、征服と統治の第Ⅰ版はリウィア嬢や両親の口コミによって三日で初版5,000組が瞬殺されたが、その後再版に再版を重ねて一年で累計30,000組の売上げを記録したスマッシュヒット製品となった。今や帝都で暇を弄んでいた富裕層の若者達で嗜んでいない者は、余程の肉体派で屋内遊戯に興味がない人間でないかぎり希となるくらいだ。


 これには幾つかの要因が奇跡的に噛み合ったことがある。


 第一に帝国の社交は会話と食事を交わしながら屋内にて限られた人数で行うもので、社交パーティーと言って想像するような広い会場に百人以上が詰めかけて立食形式で行うものではない。


 戦勝祝典や祝祭などで大勢が一同に会することはあるが、一般では数人から十人までの客を呼び集め、より緊密に話を交わすことで仲を深めると同時に腹の中を探り合おうとする場である。


 その場に“征服と統治”は非常にマッチした。話題の切り替え、時間つぶし、趣味の話として、食事の合間に行うのには丁度よかった。


 さして場所をとらず、1ゲームがそう長引くこともなく、勝敗が明確。その上、一対一でありながら見ている人間も趨勢を楽しめることが、帝国の宴席と見合っていたのである。


 第二に面白さが認められたのも事実ではあるものの、デッキとプレイの傾向に人間性が恐ろしく色濃く表れることを目聡い人間が悟ってしまったことがある。


 社交は相手を深く知り、動向を探り思惑を掘り当てることが目的。これに対し、TCGはともすれば将棋や碁よりも人間性が表出する遊戯であるため、目的に合致しすぎていたのである。


 デッキの構築やプレイングは勿論、場面場面でのカードの出し方、好む勝ち筋、劣勢になった時の表情や仕草、同時に優勢時の詰めへの入り方など、気を付けて観察すれば商売や政治にも繋がるパズルの欠片が大盤振る舞いされるのである。


 これを見て武器にしたいと考える政治人間は多かっただろう。そのせいで、今やお子様の教育に最適! という文言は掠れて、普通に大人でも嗜むようになってしまったくらいなのだから。


 第三に政治的な思惑とは別に、元来貴族が持ち合わせる“収集癖”を多いに擽ったことがある。


 1パックが平民ではとても手が出せない値段30セステルティウス・約15,000円の完成度は勿論、カードの希少性でマウントを取れるのは大きい。何よりもデヴォン氏族指折りの画家――普段は壁画やモザイク画の担当――が肉筆彩色したレアカードや、売り出し中の画家が辣腕を振るった限定版の美麗さは収集家も唸る程で、表面がスレることを嫌ってゲームには使われず、大事に飾っておかれるくらい珍重されている。


 これにアウルスは代替となるプロキシ代用カードを用意することで対応しようかと考えている。元にしたカードであれば公式大会での使用は、両面を使う特殊なカードくらいでしか許容されていなかったが、どうせなら試合で見せびらかしたい人も多かろうと考えてのことだ。自前で記入したカードをデッキに入れておき、場に出てから入れ替わるならば摩耗もなくて済む。


 他にも細々した理由――当初の通り、子供が読み書き、歴史と詩に興味を持った――はあるが、帝国上流階級の文化に恐ろしく馴染んだため、世界初のTCGは参考にした前世のそれと同じく、開発者の想定を超えた売れ方をしたのであった。


 そして、期待に期待を重ねて制作された第Ⅱ版は、なんと最短完売記録を更新して15,000組が僅か二日で吹っ飛んだ。数え切れないほどの遣いや、趣味が高じて自分で足を運んだ客の盛況さにメッサリーナが暴動かと勘違いし、アウルスの手を引いて館から逃げようとした程である。


 発売日に合わせて、工場の人足を特別給金で釣って不眠不休にて再印刷させた第Ⅰ版のパック5,000組、入門版100組と合わせて瞬く間に売り切れ、製造元に改めてその人気を認識させるに至った。


 買えなかった者を諫めるのに苦労する規模の混乱は、その場でアウルスが“優先予約券”を作って配ることで解決したが、流石にこの販売形態は限界が来ていると反省している。


 だが、何はともあれ目出度いことに違いはない。今後のことを考え直す必要はあるが、一先ずお祝いだと三人は集まり、余人の目がないのを良いことにどんちゃん騒ぎを始めた。


 「いやぁ、美味いし目出度い。ベリルもよかったじゃないか、個人で動く裁量が増えて。色々作ってるんだろう? そして……」


 「分かってるよ、勿論お前の所で捌かせてやる。良い物を持ってきたんだ」


 酒が回って慶事を一通り祝い尽くした所で、ベリルはニヤニヤしつつ懐から何やら小さな箱を取りだしてきた。箱は中に入っている物が燃えると困るのか、難燃化するための塗料が塗られており、中々仰々しい見た目をしている。


 開けてみなと放られたそれを受け取ったアウルスは、中身を見て口笛を一つ。


 「何? あたしにも見せてちょうだいな。独り占めは狡いわ」


 「分かった分かった“隊伍長”閣下、これは本当に良い物だ」


 箱の中身を見せられたカリスは、声にならない歓喜の悲鳴を上げて箱をぶんどった。先日、軍への奉仕と実力を認められて卒長を飛ばして隊伍長に昇進した彼女は――言うまでもなく譜代家臣の御威光もあるが――箱の中身が本当に恋しかったのである。


 「マッチ! マッチ様! あああマッチ! 着火具様を崇めよ!!」


 「うわ、コワ……なんか妙な宗教興し始めたぞコイツ……」


 「分からんよなぁ、邸宅暮らしのお坊ちゃまにゃあ火を付ける労力と面倒さなんざ」


 クルクル回る2.4m超えの巨人が掲げ持つのはマッチだった。分類としては黄燐マッチと呼ばれ、現代地球では成分の毒性による製造時の健康被害と引火性の高さから製造が禁止された危険物である。


 しかしながら、組成も製造法も単純で大きな工業設備がなくとも手工業的手法で生産できる利点があるため、ベリルは鉱毒に強い鉄洞人が手袋とガラスのゴーグル、そして口に活性炭を封入した覆い――鉄洞人以外であれば気休め程度でしかない品質だが――を付けて作業することで健康被害を避けながら工房で量産することに成功した。


 論ずるまでもなく地球から持ち込んだ知識を工房で実用化したものであり、工房は再び祭りを開くほどの大盛り上がりを見せたものだ。


 火起こしは重要ながら面倒臭い仕事の代表例のようなものであり、鋼鉄製の良質な火打ち金があっても熟練者でなければ時間が掛かりすぎる。その上、明るい内から始めねば、肝心の暗くなってからだと手元が見えず使えないのも不便な所。


 マッチは、そんな問題を一挙に解決する。どこのご家庭でも野外活動でも、しゅっと一刷りすれば火花より強力な火を直接熾せるのだ。有り難さは野外行軍での火起こしの面倒くささを知るカリスであれば、正しく崇め奉りたくなっても無理はない。


 マッチの発明は19世紀。科学技術の発展を待って漸くもたらされた物であり、それまで人類は何万年も忍耐強く木を擦り合わせるか、カチカチと燧石で頑張ってきた。その手間を一挙になくし、濡れてさえいなければワンアクションで火が熾せる道具は正に革命だ。


 「これがあれば野営がどれだけ楽になるか! はぐれて凍死する兵士も減る! いや、狼煙が簡単に上げられて活動がどれだけ高速化するか!」


 利便性を声高に訴えて、終いには箱に頬ずりし始めた軍人を胡乱な目で見やった御曹司は、ややあって溜息をついた。


 「どうした? お気に召さねぇか?」


 「いや、これは素晴らしい物だが……」


 「だが?」


 「もっと強い後ろ盾がないと危なっかしくて捌けんな」


 「はぁ?」


 マッチ自体は素晴らしい発明に違いない。しかしながら、この特許もへったくれもない時代に作るにはリスキー過ぎた。


 この存在は間違いなく多方面にパラダイムシフトを引き起こす。日常生活は勿論、カリスが言ったように輜重や情報伝達など、軍事行動で気軽に火を熾せる道具の発達は本当に重要なものなのだ。


 にもかかわらず、成分が何かなど鉱石に詳しい者が嗅いでみれば直ぐに分かるだろうし、製法とて利点の一つで上げたように複雑でも何でもない。


 つまり、知識を得ることさえできれば“誰にだって”製造できてしまう。間違いなく官民に通じる必需品として何百何千年と利益を上げ続ける道具なのだから、その利益を欲した者が卑劣な手段に手を染めても手に入れんと策謀を巡らせるだろう。


 如何にデヴォン氏族が帝都にも工房を構える有力な家であり、彼等をお抱えとして重用しているカエサル家とて無敵ではない。


 産業スパイのえげつなさは21世紀のソレとは比べものにならぬ。必要となれば金塊で殴りつけ、家族を質に取り、製法を独占するため発明者を拷問にかけて技術を絞り上げた後に、郎党纏めて皆殺しにすることだって鼻歌交じりでやってのける。


 こんなちっぽけな発火具には、それだけの力があるのだ。


 「本当はもっと後にしたかったんだけどなぁ……まぁ、いいか。丁度良い機会だ、面倒事は一挙に片付けちまおう」


 深い嘆息の後、アウルスは二人に居住まいを正すよう命じ、寝椅子のベッドサイドに置いてあった鈴を鳴らして従者を呼んだ。プライベートな場を守るため、これが鳴るまでは何があっても近づくなと従者達に厳命してあるのだ。


 やってきた従者へ言葉みじかに命じ、私室から箱を持ってこさせた。


 「こいつぁ……!」


 「ま、思ったより遅かったかな、ってところだ」


 箱の中に放り込まれていたのは雑多なカードの山だった。征服と統治のカードもあれば、それ以外の見慣れぬカードもあった。


 「贋作か!」


 「ご名答。流石製造元、手に取らずとも分かるか」


 「分からいでか! こいつぁ版画なんだ! 微妙な彫り痕の癖! 原盤の傷でつく塗料の陰影! 何万と見てる職人が忘れる訳あるか!」


 怒りのままに箱の中にガッと手を突っ込んだ職人は、わなわなと震える手付きで贋作の山を掴みだし、ついに我慢できず木製のそれを“握りつぶして”しまった。


 「クソッタレが! 真似するならまだしも、こんな……こんなデキの悪い贋作を作りやがって!」


 怒りが収まらなかったのか、ベリルは握りつぶしたカードを強く握ったまま、机に拳を叩き着ける。カードに叩き着ける憤怒を浅ましい贋作者に届けんとする勢いで。


 乗せられた料理、勝利を分かりやすくするため積み上げた財貨の山が一瞬浮き上がる。アウルスとカリスが危険を察知して酒杯や酒瓶を退避させていなければ、それらも倒れてしまっていただろう。


 憤りに任せて粉砕されたのは、ここ数日で密告と共に持ち込まれた征服と統治の贋作だ。複製品と呼ばないのは、複製と呼ぶにはあまりにお粗末だったからである。


 サイズこそ合わせているものの塗料の色味は違うし、転写したからか絵も似てはいるものの荒く、更に版画であるため浮き出る削り痕の流れが全く違う。儲け重視の贋作を作ることをプライドが高い鉄洞人の職人に拒まれでもしたか、腕の良い職人を捕まえることができなかったに違いない。


 時代が時代故に複雑な偽造防止策は使えなかったのだが、ローテク故、偶然発揮された真贋判別基準が役に立った。


 また、活版印刷もどきを使っていないため、テキストも版画で作ったのが字が荒い。テキスト枠に合わせた木枠に活版を押し込んで印刷する真作と違い、枠ごと版画で作ったからか絵と角度がズレていた。


 「どこの、どこのカナクソ野郎だ……とっちめて炉にくべて本当のカナクソにしてやる」


 「やめとけ、贋作野郎なんてくべたって炉の温度は上がらんよ。むしろ不純物が増えるんじゃないか?」


 「だぁってろ!」


 作品と“百年以上”に渡る三人で作った下準備を穢されたことが相当頭に来たのか、ベリルの沸騰した血が常温を取り戻すのにまだまだ時間が必要そうである。


 アウルスはやれやれと溜息を溢し、少しでも怒りが収まれば良いのだがと箱を片付けて彼女の視界から外した。


 他のカードは類似品であり、征服と統治の流行に合わせて作られたパクリの数々だ。とはいえ、どれも絵こそ凝っているもののルールは丸パクりか稚拙そのものであり、製品として売り出すのが恥ずかしいような代物。それこそ、アウルスが父へ最初に持ち込んだのがコレだったなら、呆れられた上で別の商売に替えさせられるような品質だった。


 「模倣されるのは予想していたが、よもや贋作が出るとは思わなかったよ。もっと先の話かとね」


 「前世でも贋作問題はあったけれど、中々酷い物ね……どこで見つけたの?」


 「作りが荒いって持ち込まれたんだ。偽物なんじゃないかと善意で通報された。だからまぁ……私もこれに対処せにゃならんなとは考えていたのさ」


 本気でキレているベリルの言うように、首謀者を探すことは、実は難しくなかったりする。この時代、軍隊は国家の制御下にあるように見せかけて、実態は指揮官や出資者の私兵集団みたいなものであり、帝都駐屯の第Ⅰ軍団も二割程はアルトリウス氏族の私兵と断言して構わないような状況だ。


 兵士には国家帰属よりも、家族単位の由来、ないしは指揮官への信頼の方が重要なのだ。


 いざ戦争となれば帝国のため矢面に立つことに彼等は躊躇いを覚えまいが、全ては信頼する指揮官や血の繋がりがあってのこと。国家への忠誠が強い軍隊は、民族主義や国民国家の概念が生まれてから漸く成立するもので、現状の制度で私兵化はどうやっても止められない毒物のようなものである。


 それ故、アウルスには権限こそないものの、ガイウスが必要性を認めたならば、一個大隊は即座に動かせると考えてよい。譜代家臣たるカリスの父、ルカス・イラクリオン・アルトヴァレトが大隊長を務める第Ⅱ大隊は、主人であるガイウスの命令を忠実に熟すであろう。


 やろうと思えば警察権を持つ600人の兵士を――帝国では軍が警察権も持っている――捜索に投入できるため、下手人は簡単に見つかる筈であるが、それをやる意味は薄い。


 二人や三人阿呆が吊されようと、贋作を作って儲けようなんて狡っ辛いことを考える愚か者は消えやしない。


 俺は大丈夫、と謎の自信に任せて愚かな犯罪を続けるものだ。


 「類似品はまだいいよ、私達の作品の方が完成度が高くて面白い。比べものにならんと言いきっても良い程度だ。だが、また別の完成度が高いTCGが発売された時……評判を下げるために敢えて質の低い贋作なんぞをばらまかれちゃ堪らんからな」


 「むっ、それは……考えられるわね……」


 「だから、もっと強い後ろ盾を作ろう」


 アルトリウス氏族の御威光と貴族の愛顧以上に強い後ろ盾? と首を傾げるカリスに対し、アウルスは悪戯っぽい笑みを作ってこう言った。


 実はこの間、皇帝から秘密裏のご依頼を受けて、第Ⅰ版を100組ほど帝室に献上したんだよねと…………。

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