帝国暦734年 冬 職人デビュー/西暦20xx年 杞憂

 むふー、と満足そうに鼻から息を吐きつつ、真新しい作業机に陣取った令嬢はピカピカの道具類を眺めて悦に入った。


 「よかったなぁ、御姫様おひいさま、全部親方入魂の新品ですぜ」


 「いいなぁ、俺ん時もこれくらい気合い入れてくれりゃよかったのに。殆ど大兄様のお下がりだったんだぜ」


 「親方の親馬鹿具合は留まる所を知らねぇなぁ」


 帝国暦734の冬、大口注文が上手く回っていることと一族に膨大な利益――その数、なんと特別報酬込みの純利益で50,000セステルティウス也役1,800万円――をもたらしたことを決定打とし、ベリル・グィンソン・デヴォンは遂に工房に自分の席を手に入れた。


 元々TCG製造事業が上手くいけば成人前でも玩具以外を作ってもいいという約束であったし、親族会議もこれだけの利益を上げる思いつきをしたんだから、好きにさせてもっと稼がせた方が氏族にも本人にも幸せだろうと認めたが故の仕儀であった。


 工房の一角に職人個人の机が与えられるのは、その工房に認められたという証明であり、見習いとして工房入りして漸く手に入るものだ。これは職人は工房に属するが、物作りは本質的に一人一人が頭を捻って行う物と考える鉄洞人の文化に依る所が大きい。


 工房全体は全員が助け合って物を作る場所であっても、新しい物を作り出すのはいつだって個人の脳内が最初だ。それならば、職人の第一歩にして最初の城は自分の机、と鉄洞人が考えるのも普通のことであろう。


 「うるせぇぞ鉱滓カナクソ野郎共! 群がってねぇでさっさとテメェの仕事を片付けてこい!!」


 「「「うぇーい」」」


 グインの怒声を浴びても大したことなさそうに散っていく職人衆。ぶっとい手足と同じくらい太い肝を持つ配下に憤りで肩を怒らせていた親方も、その内に息を整えて机に座った娘と向かい合う。


 「……これから工房に居る限り、俺ぁもうお前の親父じゃなくてデヴォンの親方だ」


 「おう、分かってますよ親方。娘だからって甘えたこたぁ言いやしねぇ。俺が作りたい物を作るのは勿論だが、親方が命じた仕事は何だって黙ってすらぁ」


 「言ったな小娘」


 「言ったぜ親方」


 未だ年若い娘が独立しようとしていることが不安なのと寂しくて仕方がない父親は、やっぱり怖いと甘えてくれやしないかと厳しい視線を娘に注いでいたが、不敵な笑みを形作る初姫が一切折れる気配がないことを悟ると、重い重い溜息を溢してから両の頬を張った。


 そして、その後にはもう娘にダダ甘な親父の顔は消え失せ、数百年の歴史を誇る氏族を率いる頭領の顔だけがあった。


 「よっしゃ、じゃあベリル、鉄洞人の基本から入れ。今日からダインについて炉を見るんだ」


 「おう、分かったぜ親方。全ては鉄からだもんな」


 「そういうこった。励めよ」


 父親からバシンと背中を叩かれて送り出されたことにベリルは大きな感動を覚えた。


 これは父が職人相手にしかしない、気合いを入れてやる仕草だからだ。兄達も初めて見習いとして工房に上がった時にして貰っていて、一番気に入られているという自覚がある自分でさえ今まで受けたことはなかった。


 まだ職人ではなかったからだ。玩具遊びが得意な初姫としか見ていなかった父親が、初めて己を職人として認めた。


 二度目の人生を歩み、経験的には十分スレているベリルは、自分が認識よりもスレ切っていないことに驚きつつ、喜びを噛み締めて鉄炉へ向かった。


 「おう、ベリル。来たか」


 「来たぜ兄ぃ。よろしく頼むわ」


 工房の片隅、一際熱気を放つ区画には工房の心臓とも呼べる炉が存在している。実用金属の錬鉄や鋼鉄の卵である銑鉄を原料である鉄鉱石から精錬する炉であり、鉄器文明の根幹を成す重要な区画だ。


 デヴォン氏族の帝都工房では都合八基の炉が稼働しており、一基辺りの日間産出量は20kg程と文明レベルに比べると破格の量を誇る。これは鉄に親しみ熱に強い鉄洞人だからこそできることであり、焼けた鉄を素手で掴める種族の恩恵によってゴリ押しで効率を上げているに過ぎない。他種族が営む工房であれば、同型の炉を使っても日間産出量は半分程度となるだろう。


 さて、この炉は基部に向かって広がっていく凸型のフォルムをしている。広く口を開けた上部が材料の投入口であり、下部には焼き上がった鉄を取り出す搬出口が設けられ、そして送風用の“ふいご”を差し込む口が開いている。


 塊鉄炉と呼ばれる原始的な製鉄炉の一種だ。煉瓦に不燃材となる粘土等を塗り固めて建造され、内部にて原料となる鉄鉱石を木炭で焼くことによって不純物を取り除き、同時に炭素を添加することで質の高い鉄を作り出す。


 炉の中で熱されて蕩けた鉄鉱石を回収、加工することで鉄製品が生まれるが、炉の温度や木炭、その他の材料の添加により製造できる鉄の種類は変化する。


 デヴォン工房に拘わらず、工房の塊鉄炉で製造される鉄は錬鉄と銑鉄の二種類。


 一般的に鉄と言えば錬鉄を意味し、これは頑丈で粘り強く様々な製品に用いられる。


 そして銑鉄は錬鉄よりも炭素含有量が多い鉄であり、硬いものの酷く脆いため実用には適さない。


 しかし、親方と一部の製鋼を許された熟練工だけが扱うことを許される製鋼炉で熱して槌で叩き、余分な炭素を飛ばすことで錬鉄よりも硬く、粘り強い実用的な鋼鉄に生まれ変わるのである。


 これらの鉄が錫の不足によって製造が困難になった青銅器に代わって文明の背骨となり、今日の社会を支えてきた。


 正しくこの炉が文明の基盤であり、これからの屋台骨を作って行く物であるというのが鉄洞人の誇り。赤々と燃える炉こそが文明の要であると自負するに足る、力強く脈動する心臓であった。


 「お前も今日から見習いだからなぁ。成人前つっても容赦はしねぇぞ」


 「分かってらぁ、大兄様よ。もっと小さい時分から工房をうろちょろしてたんだ。先輩方の厳しさは十分以上に分かってるつもりだぜ」


 そんな炉の前でベリルを迎えたのはダイン。七人いるグインの息子達の長子であり、次期親方として将来を嘱望される70歳の若き職人である。


 といっても、ヒトに近しい霊猿人からは、彼の若々しさは感じづらいだろう。父と同じく鋼色の光沢を放つ髪と髭は既に十分な豊かさを湛え、これまた父に似た金壺の目と厳めしい顔付きのせいで老爺との区別がつかぬ。


 しかしながら、この弟妹にも職人にも気さくで心遣いの細やかな職人は、平均して400年は生きる鉄洞人の中ではまだまだ若造なのである。霊猿人に例えるのであれば、やっとこ三十路に差し掛かった辺りだろう。


 「さぁて、この炉は今から火入れだから色々教えてやらぁ……まずコイツだ」


 ダインは炉の傍らに積んであった袋に手を突っ込んだかと思えば、中から一塊の鉱石を取りだした。知識がなければ赤茶けた石塊にしか見えぬそれは、デヴォン氏族が生まれ落ちたデヴォンの鉱山帯より掘り出されし鉄鉱石である。


 「こいつが鉄鉱石。鍛えられるのを待ってる鉄の赤ん坊だ。よし、囓ってみろ」


 唐突にとんでもないことを宣いつつ石を妹に放り投げるダインであったが、ベリルも「応」と至極当然のように受け取ると、まるで熟れた果実の具合をたしかめるように鼻を寄せて匂いを嗅いだ後、何の躊躇いもなく硬い硬い鉄鉱石に歯を立てたではないか。


 するとだ、普通であればエナメルの脆い歯など問題なく粉砕する筈の鉄鉱石、その一部が上等な焼き菓子を思わせる自然さで崩れ、口の中に消えたではないか。


 「おっ、美味い」


 「だろう? 家で取れる鉱石は一番だ。まだ若い柑橘みたいな味がしないか?」


 「ああ、分かる分かる……最初の一口が一番美味いのも似てる」


 鉄洞人が優れた鉄を作り出すのには、何も炉から発する熱に対する高い、それこそタンパク質で構成された肉体からは考えがたい耐性を持っているからだけではない。


 彼等には他の種族が持っていない味覚と臭覚があるのだ。


 「これが良質の鉄鉱石の味だ。絶対に忘れるなよ」


 「分かったよ大兄ぃ。逆に良くない石ってのはどんな味なんだ?」


 「苦みと甘みが強いと混ざり物が多い。渋みがあると鉄が薄いから駄目だ。程よい酸味を感じるのが一番良い鉄だな。俺達は赤鉄鉱と呼んでる。苦みが強いと磁鉄鉱つって、ちっと選らねぇと使いモンにならん」


 「ふんふん」


 鉄洞人は概念的に鉱石に親しむ。その親しみは観察眼や扱いに秀でるのみならず、他の人類にはない感覚で選別ができることでもあるのだ。


 「で、これを焼くに当たって燃料とは別に木炭を混ぜる。大体等分になるようにだな。焼きながら交互に重ねていくんだ。そうすると匂いが変わってくる」


 「どんな匂いだい?」


 「そりゃあ焼きながら実感してみろ。俺らの焼く鉄が一番良い鉄なんだから、一番良い匂いがするもんだ」


 さぁ、始めるぞとダインが手を叩くと周辺の職工と奴隷が声を上げて作業に入った。


 炉に火を入れて温度を高めるのだが、この作業は数時間が掛かりで行われる。中身を取りだし、清掃するために火を落とした炉は再び鉄の融点である千数百度に達するまでに何時間も根気よく火を燃やし、空気を送り続けねばならないからだ。


 これは実に大変な作業で、バーベキューの火を熾すため団扇で扇ぐのとは訳が違う。扇状の木と蛇腹の獣皮で作ったふいごを羽口という送風口に差し込み、嫌になるほど何時間も何時間も空気を送り続けてやっとの作業である。


 これは奴隷も職人も平等に交代しながら行う。三つの羽口に差し込んだふいごを一時も止めずに延々と吹かし続け、漸く炎は目的の温度に達する。


 「……おっ?」


 汗にまみれながらふいごの取っ手を握ってひたすらに上下運動を繰り返していたベリルは、不意に炉から香る熱の変化を感じ取った。


 霊猿人が感じるような、燃えている物の違いによる火の臭いではない。炎自体が発する、一部の種族でなければ感じ取ることのできない香りを鼻が嗅ぎ取ったのである。


 熱が昂ぶれば昂ぶるほど、その香りは甘く香り高い物となる。木炭が燃え、鉄を蕩かす炎の匂いは得もいえぬ甘く馥郁たる調べ。ベリルは前世の知識で語るのならば、上質なブランデーを使ったフランベの匂いが一番近いと感じた。


 「分かるか、ベリル!」


 「ああ、良い匂いだ! 甘い、酒が焼けるみたいな匂い!」


 「この匂いが温度に達した時の匂いだ! 鼻と頭にたっぷり染み込ませて絶対に忘れるなよ! よし、ふいごは代わって材料を入れるのを手伝え! 分量を肌で覚えろ」


 「応!」


 長い長い作業に耐え、炉に材料を投入できるのは喜びの瞬間だ。熱を発する煙突状の口へ材料を放り込み続け、鉄から滲み出て排出口より溶け落ちる不純物を素手で取り除き――これも鉄洞人だからこそできる所業――その間にも絶えず風を送る荒行の後、ダインから命じられてベリルは上がってよいと言われた。


 労働時間が長くなったこともあるが、炉から鉄を取りだして錬鉄を仕上げる作業は見習いに許されていない工程だからである。


 規則によって定められた特例によって、成人前に見習いになることを許されたのであれば、ベリルはその規則に従わねばならない。どれだけ才能があろうと見習いは見習い。順を追って技術を覚えていくのには、それ相応の理由が必要となるのだ。


 ここで数年、鉄の匂いを嗅いで覚えがながら基礎を仕込まれ、正しく鉄を焼くことを覚えてからやっと先に進める。


 ベリルは異を唱えず、初日の労働で焼いた鉄と同じように重く、熱くなった体を引き摺って工房を後にする。才覚を買われて工房に出入りするようになったところで所詮は子供。体がまだ大人の重労働について行けないのである。


 「ぐおお……肘と腰が……」


 無尽蔵の体力を抱えている子供の体が悲鳴を上げる中、それでも工房裏の洗い場に這って行って体を洗うベリル。関節が上げる酷使への抗議に悩まされつつも、貴重な体験をしたと笑みを作る。


 この感覚はヒトのままでは絶対に得られなかったものだ。鉄洞人が持つ製鉄への絶対的なアドバンテージ。これを体感的に習得して活かしきることが出来たならば、準備期間に策定したロードマップを大幅に短縮することだって夢ではない。


 「いいぞぉ、やってやる、やってやろうじゃないのぉ……まずは効率を上げてやるぅ……」


 軋む筋肉に鞭を打ち、炉から溢れ出した大量の煤と煙で真っ黒になった顔を洗いながらもベリルは奇妙な笑いを止めることはなかった…………。












 「そういえばさ、私達は今と違う生き物になるんだよな」


 調べ物や勉強が一段落し、茶の一杯でも煎れようかという空気になった図書室でA吾妻がそう言った。


 「なんだよ、藪から棒に」


 「そうね。籤で言うとAが人間っぽい感じで、B毒嶋がドワーフみたいな種族、それで私が……まぁ、巨人ね。巨人というにはちょっと小柄な感じだけど」


 Aが急にそんなことを言い出したのは、多民族国家である帝国に生まれることが分かっているのだから、種族ごとの特性や文化を知っておかねばなるまいと勉強を始めたのが原因である。


 政治と経済に深く関わることを決めた以上、交渉相手や取引相手となる他種族の事情を熟知していなければ、不用意な一言が致命的な侮蔑に繋がるような事態に発展することもある。そうなれば大事な取引先が潰れるどころか、強大な敵が生まれることになりかねない。少なくとも種族一つと敵対するなど、経済力によって余人の口を噤ませようとしているAにとっては悪夢でしかなかった。


 「いや、そうなれば体の感覚とかどうなるんだろうと思ってさ。俺がなる予定の霊猿人だって、完璧には地球のホモ・サピエンスとは構造が違うから」


 「あー……どうなんだろ。そりゃあまぁ、その辺も考えて神様はやってくれるんだろうけどさ」


 世界が異なり人間の発生もまた異なるのであれば、当然ながら魂が収まる器の形も違う物になる。


 ホモ・サピエンスと類似する人類の一種、霊猿人は外見的にも能力的にも地球人類と大差はない。身体能力は人類、つまり交配可能な知的種族の中では低い方で、成人までの期間は比較的短くとも多産ではないせいで優れた種族とは言い難い。


 秀でている点といえば一日に何十kmと移動し続けられる持久力と、高い環境適正により極地以外のどこにでも――道具と住居ありきだが――居住できる汎用性。それ以外は寿命も頑丈さも力強さでも上位互換が存在してしまうような、ファンタジー世界で転生するには中々残念な種族である。


 しかしながら、霊猿人には他の種族と異なって“理力”なる魔法に似た力が産まれながらにして他種族より潤沢に宿っている特性がある。殆どの個体は超常現象を引き起こすことはできずとも理力や奇跡に抵抗を持ち、中には卓越した技術によって厄災にも近い現象を引き起こすことがあるそうだ。


 つまり、似ていようと根本的に違う生き物なのである。


 その上で地球と変わらぬ、憎悪と呼んで良い破壊と支配への執着を持つため、この上位互換が山ほど存在する世界でも埋もれずに済んでいる。


 鉄洞人においては言うまでもない。煮えたぎる山の熔鉄に魂が宿った人類は、熱への比類なき耐性を持ち寿命も長く、鉱物と語らうことができると形容される特殊な感覚を持っている。炉や金属が秘める熱に体を焼かれることはなく――それ以外の熱源では傷を負うが――短躯が嘘のような膂力を秘める肉体の強さは、Aからすると羨ましくもあった。


 低地巨人も巨人の中では小柄というだけで立派な巨人種族の一派で、その膂力は本に書いてあることに従えば、突っ込んでくるトラックと相撲を取って勝てる領域にあるという。その頑健なる肉体を支える骨格も筋構造も地球人類とは大きく異なり、強力に過ぎる筋力を繊細に制御するために脳構造も違ったものになるのだろう。


 となると、純粋なホモ・サピエンスとして30年ばかし生きてきた人間からすると、本当に大丈夫なの? という心配が沸いてくる。


 脳味噌とは中々に拡充性に富んだ臓器であり、半分が破損しても生き残った部分が機能を補填して活動してみたり、機械的に追加した六本目の指にも容易く順応し、少しの訓練で扱えるようになったりする物だが、やはり魂ごと新しい器に入れるとなると不安は禁じ得ない。


 「下準備期間で試させて貰えないのが不安過ぎる……」


 「俺もなぁ、鉄と語らうって何? って感覚的にしか理解できていないから不安はあるが」


 「あたしも、トラックと相撲を取れる体でどうやって卵の殻を剥いているのかは大変に疑問が残るけど、どうなのかしらねぇ……」


 ちょっとした思いつきから三人はたしかめようもないことでウンウン唸り、中々眠れない夜を過ごすこととなった。


 長い長い、それこそ神が呆れるほどの準備期間の後、杞憂だったねと笑い合う将来が待っているなど知らずに…………。

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