帝国暦734年 夏 重版出来/20xx年 私欲

 「まだ少ないが……」


 じゃらりと重い音が部屋に響き渡った。袋に詰まった大量の銀貨と幾許かの金貨が立てる音は、金属の重さ以上に秘めた価値の重みを掻き鳴らす。


 「勝利の音だ」


 カエサル邸の幾つかある来賓室の一つには、ささやかな宴席が整えられていた。


 A吾妻B毒嶋C知多トリオの遠大なる世界終焉を防ぐ旅路、その第一歩がしっかと踏みしめられたことを言祝ぐ席である。


 前回と同じく寝椅子が囲む机上にあるのは、名家の名に恥じぬ贅沢な食事の数々であるが、中央には今回の主役とも言える“征服と統治”の売上げが積まれていた。


 その数、20万セステルティウス。日本円に換算すれば7千万円を上回る金である。


 帝国暦734年の夏に売り出された“征服と統治”は、空前絶後の人気を呼んで初回生産分5,000組が完売。通常版、豪華版、特装版、装飾箱に収めた初回限定版など購買意欲を煽る表紙カード――及び他数枚の象徴的なカード――にバリエーションを持たせた入門セットも瞬く間に売り切れる。


 金持ちであれば買い占めることが難しくない価格と数であるため、色々な家の力添えを得て一家につき最大で50組までと購入制限を設けたにも拘わらず、倉庫に積み上がった在庫は三日で底を突いた。


 完成当時、家の倉庫に積まれた5,000組もの膨大なカードは三人に初の同人誌即売会の参加者の如く「これ本当に捌けるんだろうな?」と危惧させたが、まったくの杞憂であった。


 実に驚異的な売上げである。報告を受けたガイウスも珍しく自身の耳を疑って息子からの報せを聞き直し、「至急増産せよ。買いたくても買えない状況が一番売れる」と商売人染みたアドバイスを送った。同様に増産命令の書簡を受け取ったベリルも酒を吹いて引っ繰り返った。


 高度な娯楽が未だ乏しく、暇を潰す道具に飢えた人間の脳味噌にTCGは麻薬の如く効果的すぎたのである。


 リウィア嬢以外の宴席でも試供品をばらまいたアウルスの宣伝戦略が上手く働いたことや、父や母が密かに「息子がこういう物を売り出すことになっていてな」と知人に広めていたのもあるが、やはり新しい娯楽というものは無聊を嫌う人間の本能を耐えがたく刺激するらしい。


 今となっては三日で売り切れたせいで流行に乗り遅れた者、バラ売りでデッキを強化しても尚足りぬという趣味人、そして“あたり”を引けなかったことを悔やむ収集癖の持ち主から、再販はまだかと邸宅に矢の催促がグロス12ダース単位で届いている。


 特別給金を出して工場の職工達を休日返上のフルタイム稼働させているものの、同様の在庫を復活させるにはどうしても一月はかかる。版画という性質上、塗料が乾くまで待たねばならず、デヴォン工房の絵師やベリルが父親の伝手で雇って貰った画家が肉筆で色を付けるのも一日二日では終わらないためである。


 それまではどうしようもないため、とりあえずの成果を祝おうじゃないかと宴席が設けられる運びとなった。


 「いい音だ、幸せの音だねぇ」


 「全くね……まだ軌道に乗ったとも言い難いのに、既に現金を刷ったような盛り上がりじゃない」


 職工と軍人は大盛り上がりで酒杯を空け、銀貨が詰まった袋を掌で弄んだ。これだけでも奴隷を百人も買えるし――健康な農奴購入費の平均は2,000~2,500セステルティウス程――中隊を暫く食わせてやれるような大金だ。


 「ああ、しかしまだ足りない……まぁ、父上の出資金に色を付けて返しても余裕があるし、材料費も経費も安いから利益率は八割近いが、世界を救うと考えれば小銭も小銭だ」


 人間の人生を買い上げるに十分過ぎる金を小銭と笑って放り、アウルスはとても12才とは思えぬ剣呑な笑みを作った。貴族的な細面をしているのに灰色の瞳が笑っているようで笑っていないこともあり、ベリルは悪党面だなーと他人事のように感じ、カリスはあの父にしてこの子ありと心中で呟いた。


 これは二人にとっては予想というよりもちょっとした予言なのだが、彼は今後、この生まれ持った悪党面と、変声期により外連味と色気を増した声で不利益を被ることとなるだろう。


 「売れる内にバンバン売るぞ。工場の生産ラインを倍……いや三倍に出来ないか?」


 「あ? 建造時点で当初予定の三倍も集めてんのにか? そりゃまぁ人足を集めてくれりゃあ、たっぷり余裕がある箱だったから五倍までは製造ラインも収まるが……だが、そんなに増やして大丈夫か?」


 「こういうのは勢い商売だ。余所が真似して刷り出して、私達より数を流通させたらどうする。TCGなんぞプレイヤー人口が多くてなんぼだ。横から掻っ攫おうと慌てて工場を作ってるヤツがいる筈なんだよ」


 「……そっか。これも発想勝負だし、やってること自体は単調だもんな」


 「そういうことだ。豊かな我々の牧場が空いているからと、無遠慮に余所の羊を放り込まれちゃ困る。隙間がないほど我々の家畜を行き渡らせる必要があるのさ」


 指摘を受けてベリルは天を仰ぎ、頭の中でそろばんを弾きつつ工場を拡充するのに必要な時間と経費を割り出した。工具自体は複雑な物は使っていないし、版画の原盤も質に多少のブレが生じることは避けられなくとも量産は簡単だ。原材料もこれだけ金があるのだから、仕入担当の頬を金でぶったたけば――札束ではないので大怪我をしそうだ――瞬く間に用意してくるに違いない。


 「そうさな、根回しの費用を含めてブツと新しい宿舎や倉庫の増築も含めて4万セステルティウスもありゃあ……」


 「なら余裕を見て八万持っていけ。速度が全てだ、金に糸目を付けるな」


 露ほども躊躇せず放り投げられる大金が詰まった袋を受け取って、ベリルは友人が本当の意味で実業家になったのだなぁと驚いた。10年ばかし本や歴史、そして神が用意した相談役と格闘して経済学を学び、同じく神が用意してきた“完全に地球のそれと同じ動きをする”経済シミュレーターで20年も飽きずに実戦経験を重ねてきた男の貫禄は、流石と言うべきか凄まじい説得力があった。


 「今は急ぎだ、帝都で募集をかける。前と同じで大々的に試験をやって、工場の中で算盤弾けるヤツを一人用意してくれ。目指せ週産3,000組だ」


 「お、おう……」


 「それとな、直ぐ新弾の構想に移って欲しい。頼むぞ、主席カードデザイナー殿」


 「は!? もうか!?」


 盟友からのせっつきっぷりに驚いて酒を吹き出しかける鉄洞人に対し、霊猿人は指を一本立てて言った。


 市場と顧客が飽きるのは一瞬。高炉の如く燃料を尽きさせてはならぬと。


 「この調子なら、新弾は最低でも発売日に15,000から20,000組は在庫を用意しておきたい。現状の二色刷仕様は単色刷りの倍時間が掛かるから、15人の工員がいれば一週で400組作れるんだったな? なら用意するのに15人工で約25週。半年かかって10,000組じゃ全然足りん。年に4回から3回は新弾を出したいなら、並行して新しく刷り初めて、順繰りにラインを切り替えていっても到底間に合わんよ」


 「……ああ、分かった、分かった、ここまで売れると思ってなかった最初の計算が甘かったな。版画の原盤増やすなりして一週あたりの生産量も増やす。工場の件は任せとけ」


 「それに、貴族の流行は分母が増えれば増えるほど膨らむからな。更に膨らむのを見越して準備してくれ。信頼してるぞ、お抱え職人。やりたいことも、やるべきことも幾らでもあるんだ。川の流れが滞れば実入りは少なくなるものさ」


 歯が浮きそうな言葉にベリルは中指を立てて応えた。彼女は彼女で、友人にここまで手放しに信頼されると恥ずかしさの一つも感じてしまうようだった。


 「商売の話も良いけれど、折角のご馳走なんだし食べない?」


 「おお、そうだな! 肉だ肉!」


 「ん、たしかに、これは祝いの席だった。どうあれ目出度い! 乾杯!」


 酒杯が打ち鳴らされ、一先ずの勝利を祝って転生者三人は酒を干して大笑した。


 準備は浪々、後は仕掛けを御覧じようと腹を括ってこの世界に産まれてきたものの、事業が本当に上手くいくかどうかは賽子を転がしてみなければ分からない。飽きるまでという膨大な下準備期間の下駄を履いていても、いざ実戦となると三人も不安でならなかったのは事実。


 継続的に利益を上げられる財政的基盤が一つできただけでも、初めて手を付けたことと考えれば三人にとっては大勝利なのだ。


 下準備の際は三人だけだったが、今は世界がある。彼等は世界に干渉することを考えて用意を重ねてきたものの、実戦となれば世界からの影響も受けてしまう。


 その揺らぎに潰されやしないかと怯えていた三人は、一時だけであるものの重い荷を下ろすことができたのだ。


 何度となく繰り返される杯を打ち合わせる行為。酒宴は用意した酒が尽きるまで続けられ、明日への活力を満たした三人は再びそれぞれの役割に戻っていく…………。












 地下の豪勢極まるホームシアターのスクリーンには、静かな駆動音を立てるプロジェクターから出力された映画が映っていた。三人が生きていた時代の規格とは異なる、古い4:3画面の歴史漂う映画だ。


 神はこの場を準備のためと用意したが、彼は人間という生き物の構造をよく理解していたようで、きちんと“魂”が摩耗しないよう環境を整えていた。


 家の外にも空間があって、通行人はいないものの公園や菓子などが手に入るコンビニがあり、望めば記憶に有る限りの娯楽作品を供給する本屋や貸しDVDの店もあれば、懐かしのネット小説が読めるPCも置いてある。


 存在しないのは三人以外の他人、そして三人が死んだ時点で未発表の作品くらいのものである。


 これはおそらく、部屋の居心地の良さは大事だが、あまりに居心地が良すぎて“準備”という名目で堕落しないようにするフェイルセーフであろう。魂が疲弊しては困るが、これから望む遠大な事業に腰が引けて長期滞在されるのも困るのだから。


 形の上でしか時間が進むことのない、三次元空間に生きている人間では全容を正しく理解できない空間は、いずれ正しく“飽きる”ように作られていた。


 それこそ、一人だったなら早々に準備が嫌になって、新しい世界に飛び出してしまう程度には。


 「やっぱりな、酒がね、酒が悪いよ。俺ぁハイボールが飲めない人生なんて味気なくてやってられんぜ」


 しかしながら、三人もいれば精神的な余裕もできるのか、じっくりと腰を据えて準備をすることができる。


 映画を見ながら酒をカッ喰らい、息抜きの時間を堪能する三人がこの準備空間を訪れて優に一〇年が経過しようとしていた。


 「そうさな、それには私も同感だ。冷えていない上に炭酸の弱いビールなんて無法極まる。人類に対する犯罪と言ってもいい。データベースから再現してもらって飲んだが酷いもんだ。単なる麦の汁だぞ、あれは」


 「全くね。あたしがこの世で許し難いと思っているは、反社と半グレ、それから気の抜けたビールなのよ」


 ダラダラと過ごした時はなかった。向こうに行ってから「あれ? 俺なんかしちゃいました?」と周囲に迷惑を掛けないで済むよう社会情勢や地理、世界そのもののことを勉強するのに半年。それから先はロードマップの策定に数年。残りは現地で必要となる知識の勉強と実技訓練で過ごした。


 だがまだまだ準備は終わらない。まだまだ足りぬ。


 それはまぁ多いのだ。たった三人で世界を救おうと思うならば、知っておくべき知識、学んでおくべき分野、できるようになっておきたい技術が。


 この映画を見ながら酒を嘗める怠惰な時間の過ごし方とて、ただ暢気に休みたいがためだけにやっているのではない。だらだら酒とつまみを囲みながら会話するのは、彼等が生前から催していた羽安めの会の延長という側面もあるが、今みたいに気合いを入れていない時の会話から好いアイデアがポロっと出てくることが多いために行っている節もある。


 「娯楽と酒、これは欠かせんよな……人類が生きている以上、平穏に社会を牛耳るために必要な要素の二つだ」


 愛飲の銘柄をハイボールにして楽しんでいたBは、禁酒法時代のマフィアを題材にした映画の画面を眺めながら呟く。生前も同じ映画を流しながら、この時代に生まれなくてよかったと語らったものだ。コソコソ隠れて酒を飲んで何が美味いのかと。


 「軍事費ってぇのは大した物を生み出しやしねぇのに金ばっかりは食っていく悪魔の炉だ。金貨をくべて燃える炉に足すモンは幾らあっても足りやしねぇ……玩具作った次は、鉄工と木工やりながら酒も作るかね」


 「おっ、いいわね。ねぇ、B、ホップを効かせたビールは早々に作ってちょうだいな。あたし、仕事終わりはビールで一杯って決めてるのだから」


 「木工始めたら樽を作るんだろう? ならウイスキーも早々にな。ビールは最初の一口が最高だが、それ以降は他の酒の方が美味いからな」


 「好き勝手言いやがって……プロが何年掛けて味を掴むと思ってんだよ。いいよ、分かったよ任せとけ、蒸留器の図面引いたら早速実験部屋で向こうの環境用意して作ってやらぁ」


 ハイボールのグラスを天高く突き上げ、煙草のようにさきイカを咥えたBをAとCは崇め、奇妙な場の奇妙濃度が更に上昇する。三人とも良い具合に脳味噌がアルコールに浸っているらしく、画面で寝床に放り込まれた馬の首を見て卒倒している男は知らんぷりだ。


 この家には実験室という、三人が望んだ条件と設備を用意し、必要とあらば時間を加速させる空間がある。いざ図面を引いて本に書き写し、転生したものの現地で作ったら動きませんでした、では困るため、実際に作って動作確認ができる部屋を神が用立ててくれているのだ。


 そこでBは既に多数の作品を作り出し、実働を確認している。現場では形を作って後は現地人に任せることが増えるにしても、最初の一つは自分が作ることになるのだから当然のことだ。


 外燃機関による自動化と火薬によってファンタジーのバランスに中指を立てるつもりの三人である。実験などどれだけした所で足りることはあるまい。千数百年のショートカットを試みる上、最も発展著しい二百年を一足飛びしにようとしているのだから。


 しかし、それらの事業も向こうで快適に暮らすことに重きを置いてロードマップを練っていることを考えると、本当にやる気があるのかと問いたくもなるだろう。


 少し前には尻を拭く心配をしていたし、今は酒の味だ。先週には暖房の不便さと不備を嘆き、扇風機もクーラーもない夏に恐怖していた。


 だが、生活が楽になるというのは文化レベルが上昇することに繋がり、今まで取られていた人手を別のことに使えるようになるのだ。食っていくために100人が農業に従事しなければなかったのが50人で済むようになれば、残りの50人は職を失うことになるが、同時に新しい職に就けさせることにも繋がる。


 自由に動かせる人手の多さこそが国家の、社会の強さであり、その人間が健全かつ楽しく生きていける構造を作るのが持続的な発展というもの。


 であるならば、この駄弁りも、三人が舌に馴染んだ酒が飲みたいが故に技術発展の方向性を決めるのも、将来的には誰かの役に立つのである。


 「よぉーし、俺の個人工房を手に入れた後は生活の質をじゃんじゃん上昇させてやるぞぉ! どうせ危ねーモン作るにゃA様が政治基盤を手にいれにゃならんのだ! それまでは好き勝手やってやらぁ!」


 「扇風機! 暖房! シャワートイレ!」


 「ビール! ウイスキー! ブランデー!」


 何度目かになる意味のない乾杯が交わされ、浅ましいまでに隠すつもりのない欲望が打ち上げられる。


 斯くしてこれから何千何万と連なっていく準備の夜は更けていく。


 異郷の地にて快適に暮らすことを夢見る酒浸り三人の夢を乗せて…………。

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