帝国暦733年 夏 歩卒の本領/20xx年 ないない尽くし

 帝国の軍制は周辺国と比べて先進的であり、この時代には珍しく志願制を取った常備軍に近い形をしていた。


 かつては市民層のみが武器を取る権利があるとして、市民権を持つ者達を対象とした徴兵制が敷かれていたものの、国土拡充を目的とした外征や防衛戦争によって男手を取られた市民層が衰退し、自作農家が食っていけなくなるような事態が多発したため、帝国暦542年に大規模な軍制改革が実施された。


 後に吝嗇けち将軍、或いは小卒長と呼ばれる護民官あがりの将軍マテウスによる改革だ。


 現在の帝国軍制の基礎は、この改革によって固めらた。軍法が改めて明文化された上で編成制度が整えられ、名誉市民制度を餌にした志願制が導入される。


 元々、帝国は市民権を持った市民の志願と徴兵により軍隊を編成していたが、戦争の長期化と大規模化に伴って人手が足りなくなり農業生産力が低下していった。


 これを拙いとみたマテウスの献策を皇帝は呑み、無産階級でも補助兵――市民で構成される軍団兵より一段級下の扱いを受ける兵――として15年間軍役に就けば軍団兵に昇格し、更に10年勤め上げれば市民権を与えられるなど待遇が次第に良化していくこととなる。


 そして、現在では無産階級からの成り上がりを求めた者達の志願により、平時の鎮護を担うに十分な数が得られるようになったことで、常備軍めいた制度を確立することに成功しているのだった。


 その中でも帝都鎮護を司るのは、最強と名高い第Ⅰ軍団。皇帝直属の軍団は一個軍団定数5,000名の所を大幅に超えて15,000に達し、実質三つ分の軍団に等しい人員を確保している。


 その役割は市街警備に始まり出入市の管理から川港での税関作業など日常的な物も多いが、専ら熱を上げているのは軍事的な調練である。


 全ては夷狄の侵入を防ぎ、不逞なる者の反乱を撥ね除けて帝国そのものを守るために。定数の何倍にも上る人数は、時に軍団を割って地方に遠征させる戦力を持ち続けるためでもある。


 この日、第Ⅰ軍団の第Ⅱ大隊は基本的な横列の構築に始まり、縦列の行軍形態より戦闘用の横列への移行といった、軍団が機動するにおいて必要不可欠な訓練の最中にあった。


 密集陣が威力を発揮する時代において軍人の仕事は歩くことと走ること。そして、必要に応じて列を組むことだ。正しくその本質を果たすための下地を作る訓練であった。


 軽装の鎧、巨大な長方形の楯、混戦にも密集戦にも強い小剣や手槍で武装した兵士達は、身分の軽重に関係なく卒長――十人長とも――の厳しい監視の視線に晒されながら、隊伍長――百人長とも――から指示を受けて、各中隊ごとに忙しなく集合離散を繰り返している。


 斯様な熱気の中にアウルスの護衛官ことカリスも混ざっていた。


 帝国軍は各軍団の将軍、指揮権を預かっている者の影響を強く受け、軍制の大枠こそあれ内情は半分ほど私兵に近い。故に高級指揮官に将軍縁故の者が据えられることは珍しくなく、軍に身を置きながら私人に仕える者も同様に多い。


 カリスの一族もその類型である。


 父ルカスは第Ⅰ軍団の基幹部隊に属する第Ⅱ大隊の大隊長――千人長とも――にして軍団長の参謀の一人だが、アルトリウス氏族の譜代家臣でもあり、個人としては後者に重きを置いている。


 ともあれ、家の繋がりと軍の繋がりは別個として存在し、国への忠義と家への忠義も同様に別の物として確立される。これは国家への帰属意識が未だ弱く、国民国家ではなく、市民権に依って立つ国体であるが故のこと。


 この認識に従い、カリスもまた専任の護衛としてアウルスに仕えつつも帝国軍に籍を置き、召集に応じて護衛から離れ――その間は、別の護衛に守られている――戦う者としての腕を磨いていた。


 さて、帝国軍のドクトリンにおいて重視されるのは、戦列の均一化である。


 人類は数え上げると膨大な数が存在し、その特性や身体能力は正に千差万別であるものの、やはりある程度の標準がある。


 そして、戦列とは秀でた個が数人混ざっているよりも、できるだけ同じ体格、同じ膂力の者が纏まっている方が戦闘単位として力を発揮するものだ。


 これは各員が高度に連帯するには、能力が近しい方が効率が良いからである。突出した力の持ち主は戦列から外れがちで、同時に周りの人間を引っ張りすぎて疲弊させる傾向にある。それならば、むしろ少し劣ってカバーしてやる必要がある者が数人混ざっている方がマシという、長年の実戦に基づいて算出されたデータがあった。


 では、この法則に照らし合わせるのであれば、一際秀でた巨体を持つ低地巨人は軍に居場所があるのか。


 先に結論だけ言うと勿論あるが、カリスは戦列を組む歩卒としての役割を求められてはいない。


 帝国の霊猿人の平均身長は、地球の単位に直せば150cm少し。170cmもあれば長身で、180cmを超えると巨人の親戚扱いを受ける。


 これは彼等が温暖な地域に順応した個体群で構成され、主食が穀類であるため生物学上やむなくそうなっており、特別体格に劣る種族だからではない。


 どうあれ、人口の三割にも達する霊猿人の身長を帝国における人類の平均身長と言い換えてもよい訳であり、横列を構築するための中隊は身長などをできるだけ合わせて編成される。


 故に更に小柄で人口も多い緑皮人は霊猿人と組まされることは希であるし、頭一つから二つ大きい狼頭人や豚頭人も編成時点で同じ列に並ぶことはない。


 では、それより更に巨大なカリスが軍で占める役割が何かと言えば、極めて単純なものであった。


 横列の転回に従って後方に陣取ったカリスが歩いていると、歩調を決める勇ましい太鼓の音に笛の音が響いた。


 「後列、よぉい!!」


 それに合わせて隊伍長の怒鳴り声が届き、横列は一時動きを止め、基準となる軍旗を境にして数カ所で“左右に割れた”。


 後ろに控えた者達を前に行かせるための動きだ。


 「はいはい、参りますよっと」


 一際巨大で鉄板を何枚も重ねた大楯を持つカリスが前に出る。左右に控える同等の体躯を持つ者達と共に。


 後列に控えているのはカリスだけではなかった。彼女と近い――といっても頭一つは小さいが――上背を誇る大型の人類、巨熊人や猪頭人が10人、通常編成の分隊と同じく編成されて控えていた。


 横列の間を割って前に出た巨躯の兵士達は改めて距離を詰め、巨大な楯をガンと打ち合わせながら横列を組む。また、その背後でカリス達に道を空けていた兵士も粛々と隙間を埋め、元の隊列に戻る。


 「よし! 50歩前進!」


 隊伍長の指示――実質、兵士達に聞こえているのは、それによって鳴らされる太鼓や笛の音だ――に従って前進する横列。決まり切った動きに身を任せるカリスだが、彼女達体格に秀でた種族が普段は後方に控え、合図一つで前に出る理由は単純である。


 部隊が壊走せぬよう撤退時に屈強な肉体で殿を務め、彼等に劣らず肉体に秀でた種族が鮮烈に襲いかかった時に迎え撃つためだ。


 一時、帝国ではこのような巨体を誇る種族だけを集めた精鋭中隊なるものを編成していたことがあるのだが、結果は惨憺たるもので百年と保たずに廃れてしまった。


 原因は一つ。精鋭中隊は圧倒的な体格と鉄量を以て相対した敵を粉砕できるが、他の横列が敵方の陣に混じった巨体に押されて劣勢になりやすいからである。


 精鋭中隊が奮戦して両隣の分も戦ったとしても、編成によって巨大な種族を吸い上げられた横列は不利を避けられず後退することとなり、結果的に精鋭中隊も敵中で半包囲されて壊滅。手間が掛かった割に大した成果を上げられなかったという苦い苦い教訓を得ることとなった。


 隊伍に特別秀でた物が数人いるより、全員が均質な方が強くなる事例の拡大版とも呼べる事例だ。


 この事例を元に帝国軍では敵の巨大人類と戦列が効率的に戦うため、横列の最後方に大柄な種族を控えさせている。敵の大型種族が少なければ後方より投げ槍や投石によって前線を支援し、多ければ前に出てそれらの相手を引き受ける。


 適材適所と効率化、それだけを偏執的に狙って考案された、現時点で最も効率的な戦術である。


 体に馴染んで熟れた動きをしながらも、かつて拳銃をぶら下げることがある公務員であった過去を持つカリスは、銃があればこんな面倒なことしなくていいのになぁと嘆きつつ重い防楯を掲げて走る。


 その上で予定どおりであれば、主人という扱いになっている級友は今頃、実家で札をしばいて楽しく遊んでいる頃と来た。この落差は一体どこから生じたのか。


 並の毒など聞かず、短刀を易々と弾く肉体に生まれついたのは、暗殺に怯えて対策せずにいられないAと比べて恵まれているものの、労働面では酷い物だ。将来的にAが激務によってカフェインやニコチンなしで精神を削られるのは確定的に明らかであれど、今が正に辛い人間からしては何の慰めにもならぬ。


 直にラッパが鳴り響く。50歩進んだら大抵の場合は接敵間際だ。敵陣を怯ませるために槍投げを繰り出しつつ、抜剣しての突撃が始まる。


 ああ、銃があればこんな厄介なヤツら専用の部隊に編成されなくて済むというのに。


 欲しいものに限ってこの場にない。恵まれた環境に身を置きながらも、それ以上を知っている軍人は無い物ねだりの溜息を兜の中で溢すのであった…………。












 「ゴムがねぇ」


 息抜き兼娯楽としての食事を――試しに三日飲まず食わずでも小腹が減る以上の空腹を感じることはなかった――リビングで採っていたAとCであるが、唐突に現れてそんなことを言い出したBに驚いて箸を取り落とした。


 「……溜まってるにしてももうちょっと物言いがあるでしょ」


 「そもそも、死んだ状況でゴムって気にする必要あるのかね」


 「何と勘違いしてやがる! もっぺん死にてぇか!」


 うわぁ、と言いたげな顔で苦言を呈する両名に対し、下ネタと解釈されたBはブチ切れてメモ帳を投げつけた。


 とはいえ、何の前振りもなければ本当に下ネタである。こいつ急に何言い出すんだよと白い目を向けられても文句は言えまい。


 「……ゴムの木がねぇと出来ることが大幅に減るんだよ!」


 「ああ、そっちかよ」


 Aは中身が勝手に補充されて、しかも何となく欲しいなと思った材料が現れる不思議な冷蔵庫を使って作ったオムレツを一口頬張りながら笑った。因みにこの三人の中、唯一自炊ができるのが、悲しいかな彼なのであった。


 「くそぉ、未発見の素材については資料が何処にもねぇ……地力で探せってか」


 「たしかに、あの自称神も仰っていたな。生まれ変わる周辺の情報は全て用意しておくと。我々が生まれる国で発見されてない物が本に乗ってないのは自明か」


 「ゴム、近代化にはゴムが必要不可欠なんだがなぁ。せめて地形も地球と一致してれば」


 冷蔵庫にツカツカと歩み寄ったBは何の躊躇いもなく冷蔵庫からキンッキンに凍らせた蒸留酒を取り出し、乱暴に定位置へ尻をねじ込むとAが使っていた湯飲みを強奪して呑み始める。


 時間が流れることのない空間であるが、生活サイクルのため用意された時計はまだ13時頃を示しており、彼等もそれに従って生活しているためAとCは「また昼間っから……」と難色を示した。


 「地球型惑星なんだし、気候は似たような物になるのではないか? 赤道周辺の国を探せば見つかるだろう」


 「外洋に何日も出られる大型船がねぇ! ゴムがないと色々な物の密閉が甘くなる。何を作るにしても欲しくて堪らないのに、取りに行く準備の準備の準備がいるんだぞクソッタレめ」


 だが、そんな二人が気にならないほど技術担当にとって辛いことがあったのだ。


 二一世紀日本において当たり前のように動いている機械や使っている物には、様々な部品でゴムが使われている。これらは密閉性を上げ、空気が漏れることを防いだり逆に外から異物が侵入してくることを防ぐためのものであり、高精度な工業製品を作りたいのであれば不可欠のマテリアルだ。


 更には人類の移動を効率化した道具、タイヤを車輪から進化させるにも必要だ。現状、ゴム以上にタイヤに適した素材はなく、極地に適応した代替品はあれど製造コスト、耐久性含めて完全にその地位を独占している。


 地球においてはネイティブ・アメリカンに相当酷いことをした男が西欧に持ち込んだ品であるが、それが見つかったのは単なる偶然である上、良質なゴムが多く抽出できる品種は限られた場所にしか分布していない希少種である。


 のみならず、艱難辛苦を乗り越えて発見したとしても、季候の問題もあって本土では栽培できないとくれば、絶望の一つや二つもしたくなるだろう。


 なにせ彼等の生まれる国家は、生まれる数百年前には今の何倍もの国土を誇ったが、その殆どを「非経済的で美味しくない」と手放した変態共である。今更海外領土を増やすのに積極的かと問われれば微妙なところである。


 「それに石油も欲しいぃぃぃ……」


 「またB殿が欲しい欲しいマシーンになっておられるぞ」


 「ほっときましょ、昨日もタングステンがとかアルミニウムがと遅くまで騒いでたんだから。暫く飲んでたら復活して代替案探し始めるわよ」


 「お前らもなぁ! 暢気してるけど、向こうはナイナイづくしだからな! 覚悟しとけよ! 乗り物の振動でケツ痛めても、柔らかい紙で尻を拭ける幸福は暫く来ねぇからな!」


 「「あっ!?」」


 Bの八つ当たり混じりの指摘に気付いたのか、二人は絶望して箸で摘まんでいた物を同時に取り落とした。


 向こうの世界は地球に準えると何世紀と断定するのは難しいが、帝政ローマ期から中世初期の風情が入り交じった複雑な情勢である。少なくともペスト禍真っ只中のヨーロッパよりは様々な面においてマシではあるものの、文明に耽溺し飽食を欲しいが儘にしてきた現代人にとっては不便極まる僻地そのものだ。コンビニの一件もない片田舎の漁村でも、電気と水道にガスがあり、数時間車と飛ばせばスーパーに行ける分まだ快適と言えるだろう。


 「そうだ、紙は羊皮紙かパピルスなのよね!? じゃあトイレどうしてるの!? 砂!? 手!? それとも濡らした海綿!?」


 「マジかよ! 私、座り仕事長いんだからシャワートイレないとやだぞ!? 痔は本当に怖いんだからな!? 同僚が酷い痔瘻で何ヶ月入院する羽目になったか!」


 「はっはっは! 漸く気付いたか贅沢モノ共が! トイレットペーパーもねぇ! 生理用品も概念すら存在しねぇ! 言っとくが、風呂はあっても真面な石鹸もねぇ世界だから覚悟しとけよ! 冷蔵庫もねぇから牛乳も飲めねぇし、ゴムがねぇから必然コーヒーもねぇ! 茶の木もねぇんだから紅茶と緑茶も諦めろ! あとA! 煙草もねぇから覚悟しとけよ!!」


 「「うっ、うわぁぁぁぁ!?」」


 「ぜぇんぶ俺が作るか見つけてくるか、それか根気よく誰かが思いつくまで数百年待たないと供給されねぇんだ! 崇め奉れ! そして全力で欲しい素材を探すお手伝いをしてくださいお願いします!!」


 暗い道行きにぎゃあぎゃあ騒ぎ始める三人であるが、現代文明に慣れ親しんだ人間にとって全てを失うことは本当に辛い。海外旅行先でトイレに紙を流せないだけで耐えがたい思いをし、時に遭難先で食べられる物があっても不味すぎて飲み込めずに餓死することがあるのが現代人という業深き生き物。


 魔法と幻想、そして現世にはない浪漫があっても、全ての利便を失った世界での旅路は肉体的にも精神的にも辛いものとなるだろう。


 Aは伏してシャワートイレの開発と煙草の探索をを希い、Cはカフェインが取れなければ欠乏症で死ぬと泣き付き、Bは死にたくねぇなら黙って予算をジャブジャブ突っ込むんだよ! と土下座して将来の投資を約束させた…………。  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る