帝国暦733年 夏 企画説明会

 総督という仕事は実に多忙である。


 国家から領地の管理を命じられているのだから、言うまでもないやもしれぬが、やはりその広大な人類の生存域を真面目に管理しようとすると膨大なコストが必要となる。


 代官を置き、官吏を派遣して負担を分散したとして、総督がその目で以て直に状況を見なければ判断が難しい部分も多々ある。


 中には全てを代官と官僚に任せきり、自身は帝都の別邸や領地の館から殆ど動かないという怠惰な総督もいるが、コーニュコピア総督たるガイウスは、とてもではないが斯様な連中に同調する気になれなかった。


 人間は見られていなければサボる物だからだ。人より上の立場にあり、地位により利潤を得る者達は特に。


 租税のごまかし、利得を貪るため不正を働く者、または見逃す者。全てを見抜くのは不可能であっても、領地をこまめに見て回り、時に対応が難しい話であれば現場で実際に判断を下すのが最も効率が良い。


 そのため、ガイウスは己が動くことを厭わない。


 常に初代たれ、というのがカエサル家に伝わる金言の一つであるから。


 相続しただけの物に溺れれば、人は受け継いだ財だけではなく魂や知性まで使い果たしてしまう。これを避けたければ、常に考え、餓え続けた、最初は何処の誰でもなかった初代と同じく勤勉でならねばならない。


 慣れて忘れていく人間、その中でも特に忘れっぽい霊猿人には難しいことだが、今期もまた家法を守り抜いたガイウスは、帰宅しても休憩を許されずにいる我が身を恨むこともせず、面会を望む書簡を淡々と受け入れた。


 諸般の事情もあって帝都に住まうガイウスが子の一人、アウルスが父の執務室を訪れたのは、旅の泥を流し終えたであろう夕刻に差し掛かりつつある時刻であった。


 「何用だ?」


 飾りもいたわりもない率直な言葉は、父親が息子に向けるにはあまりに無機質過ぎるものであった。


 杉の一枚板――現在は保護されて伐採が禁じられた品種だ――で作られた広い執務机についているのは、耐性のない者であれば問答無用でひれ伏せさせる威厳のある男性。


 秀でた額と高い鷲鼻、そして深い彫りと相まって面長の顔付きは凄まじく厳めしく、理力で輝く光源の下で油断なく煌めく灰色の瞳が酷く剣呑で物騒な空気を醸造する。


 痩せぎすの長身を覆う伝統的なチュニカは砂漠渡りの上質な絹地によって財力を象徴し、更に希少な染料でなければ定着しない緋色のトガは権力者にのみ許された色であるため揺るぎなき政治基盤を伺わせる。


 「父上、長旅お疲れ様でした。無事のご帰還、心よりお祝いいたします。お疲れでしょうに貴重なお時間を頂戴し、感謝します」


 そんな父に恭しく頭を下げながらも、この男が帝国の能吏であり忠臣と呼ばれていることに最初は納得がいかなかったのが、他ならぬ実の息子であるアウルスであった。


 髪油で短い黒髪を後ろに撫で付けた厳めしく陰気な姿は、子供向けアニメの悪役といっても立派に通用する見た目であり、どちらかといえば帝国を転覆して終身独裁官にでもなろうとしているか、何らかの方法で世界を滅ぼそうとする計画を練っている方がしっくりくる。


 が、実態としては外見とは裏腹に大変な名望家にして、様々な事業に出資する傍らで慈善事業にも余念がない徳の高い御仁である。


 帝都には彼の名を冠した救貧院が三つもあり、傷痍軍人年金への資金提供も毎年莫大な額に及ぶ。飢饉の折には減税を実施するに留まらず、遠慮なく自家の倉を開いて領民から餓死者を出さぬようにした業績も相まって、これぞ仁君の見本と呼んで恥じることなき人物であった。


 何より此度の領地視察も、どこぞの山が長雨で地滑りを起こしたことに起因するものだ。大きな被害を受けた場所を見舞い、再建案を立て数年間の減税を命じるためにでかけていく彼を仁君以外の何と呼べばいいものか。


 凶相と言って差し支えのない顔から繰り出される、人口が多い方が儲けが多いのだという言葉が照れ隠しと察するのは、付き合いが深ければ深いほど容易い情に脆い男。


 そんな父に対面した息子は、杓子定規な挨拶は要らぬと窘められたので話を本題に移した。


 「父上、賜った事業が形になりそうです。よい案件を手にすることを許していただき、そして出資していただき本当に感謝しております」


 「ふん……あれが五月蠅かっただけのことだ。それに玩具のことなど子供に任せておく方がよい。使う者が考える方がよい物もできるであろう」


 察する能力が発達していない子供であれば、余りにぶっきらぼうな物言いに心が折れて父親が嫌いになりかねないが、アウルスにはこれが単なる照れ隠しであることが分かっていた。然もなくば、何の躊躇もなく大量の奴隷が買えるような大金を11才に過ぎない子供に預けたりはすまい。


 兄には兄で目付として優秀な年上の従兄弟がついていたからこそ、倍の予算が与えられたのだ。壮園経営に関わる重要な事業を託されたのも、彼が嫡男としてカエサル家を継ぐ予行演習といった側面も強い。


 目付などなくとも十分過ぎる働きを見せる第二子を好きにさせ、更に予算を与える行為は客観的に評価するのならば“親馬鹿”の一言に尽きる。


 「それでですね、売り出す物をご覧に入れたくお持ちしました。父上の許可が得られたなら、夜会や茶会などでも広めたく……」


 「なるほど、まずは目が肥えた親族を使おうという魂胆か。よかろう」


 「ご理解が早く助かります。では、おたしかめください」


 息子が机の上に広げた物を見て、父親は眉根を寄せた。


 三色の顔料、金属から作る安価なくすんだ赤い顔料や黄色、何より安上がりな炭の黒。そして輪郭だけを黒く染めたことで木材の白を目立たせた、都合四色の木版画が踊る板の用途を瞬時に察することができなかったのである。


 「これはですね……」


 「待て」


 ガイウスは厳めしい顔付きを更に険しくし、顎に手を添えて深い思案に入った。


 札には様々な絵が描かれているが、基本的な図案は同じである。上部に名前が書いてあり、上の三分の一程に決まって何らかの手が込んだ美麗な絵が。更にその下に闘士や理力式、奇跡などと書かれている。下部を占める枠で区切られた中には、説明文と思しき文章と共に一節の箴言や詩が綴られており、闘士と書かれた札にだけ右下に数字が二つ。


 明確に法則性がある札の数々を見て、聡明な頭は瞬時に用途を弾き出した。


 「骨牌遊びの一種だな? 図案を並べるような物ではなく、何らかの規則の下に勝敗を決める遊戯の類い。違うか?」


 「ご慧眼、流石です父上」


 「気色悪いわ、世辞など使うな。そうだな……闘士を戦わせ、理力と奇跡でそれを補助する。勝敗を決するのは倒した数か? いや、なら右肩の記号は費用だと考えると弱い闘士は要らなくなる……となると、直接点数を入れる形か」


 ちょっと察しが良すぎて気持ち悪さすら感じつつも、アウルスは父に全容を説明した。


 この世界においては世界初のTCGとなる予定の札遊びは、今の所正式名称は決まっていないものの、かなり灰汁のないシンプルなルールをしていた。


 競技者ごとに20点の国力――いわゆるライフポイント――を持ち、それを互いの闘士や理力、奇跡で削り合って先に尽きた者が敗北という単純なもの。


 これは壮園経営をモチーフにしているからか、全ての札は逆さに出すことで“労働力”となり、労働者が仕事をすることで捻出できる財貨を使って闘士を戦場に繰り出すか、理力や奇跡を行使する。


 理力式は理力の持ち主が望めば発動できるため如何なるタイミングでも使用でき、逆に奇跡は神の許可がなければ行使できぬため他に誰も行動していない時にのみ発動できるなど、アウルスが言った「どっかで見たことあるぞ!」という構造そのままである。


 これは三人が愛好していた――サークルで流行したもので、Cは付き合い程度であったが――前世世界初のTCGを基盤に据え、後は人気作品の良い所取りをした同人システムのようなものだ。最初も最初であるためカードの数を絞り、ルールも効果も簡素にしたインフレ上等のバランスは、実験的な状況だからこそ許されるもの。


 何より彼等にはTCGが最初に抱えていた問題を既に知っているというアドバンテージがある。1点残れば十分な筈のライフを矢鱈と重要視してドローを軽視してみたり、文面が統合されてなかったりするせいで「破壊と墓地送りの何がちげぇんだよ! あと無効と破壊も違うって何!?」と子供が喧嘩しないで済むように気を遣った程度の物である。


 その分こぢんまりしたカードプールは、後からカードを足せるTCGの強みを遺憾なく発揮して拡充し、加速するインフレで購買層の金を一気に搾り取ることも想定しているのだから、邪悪と誹られたところで何の反論もできまい。


 「ふむ、軽く見るに赤は帝都周辺の都市帯、黄色は南方領邦、黒は西の理力の民で色がないのは北方領邦か」


 「仰る通りです。富裕層に読み書き算術、歴史に地理と詩の勉強をさせる契機となると売り込もうと思っておりまして。札にも各地の特色が出るようにしております」


 「なるほど、富裕層向けか。どういった形で売るのだ」


 同名札は三枚までに制限された30枚でデッキが一揃いとルールを考えているため、その30枚を集めたランダム性のない各色の入門用デッキ、そして五枚一組の札をばら売りするつもりだと言うと、ガイウスは二枚のカードを並べて問うた。


 同じ費用で場に出せるカードにも拘わらず、強さが異なる札があるが、これは何か意味があってやっているのかと。


 「珍しさ、ということで強い札は印刷枚数を少なくし、ばら売りの中に入れる数を絞ります。珍しい札ほど強いのは、闘技場の名優とそう変わりありますまい」


 「……続けろ」


 「珍しさはオルディナリウスコモンエクセルシオールアンコモンオプティマスレアの三段階に設定いたしました。上に行くにつれて強くなり、希少にもなります。値付けは売り込む層が層ですので、ばら売りは五枚一組20セステルティウス辺りにしようかと思っており、オプティマスは三組に一枚前後で……」


 「値は30セステルティウスにしてオプティマスは五組に一枚にせよ」


 「は?」


 急な提案に言葉を止めた息子を父親はじろりと睨んだ。想定外のことを言われたからといって、間抜けな声を出すなと窘めているのだ。


 帝都には海の物とも山の物とも知れぬ強豪が犇めき、時に眉の微妙な傾きからさえ感情を読んでくる達人もいる。如何にも不意を打たれました、とでも言いたげな声を上げるようでは、これから先の社交界を生き抜いては行けぬと教えているのだ。


 「失礼いたしました、父上。して、その意味は?」


 「これでは安っぽすぎる。金が掛かってもよいから二色刷にしろ」


 「時間単位の生産数が相当減りますが……」


 「儲かれば人手を増やし工場も建て増せばよいだけの話だ。次々新しい物を作って売るのであれば、決して無駄にはなるまい? 何よりもだ、ためになって面白かろうと高貴な人間は自分の子供に安っぽい玩具を与えぬ。大前提を満たすために見た目の豪奢さは必須だ。分かりやすさのため、文字も別の顔料を使わせた方がよかろう」


 「流石のご賢察ですな、父上。仰る通りにいたします」


 息子は父親に深々と頭を下げた後、レアを絞る意図を問うた。


 これでもレアはかなり絞って入れている方だ。ボックス販売がない時点で、ばら売りの封入率としては塩っ辛過ぎるとSNSでボロクソに貶されても反論の余地がないくらいに。


 「貧民であれば好い札の入りが乏しいことに文句を言おうが、貴様が売り込もうとしている層であれば、珍しい物は数が少なければ少ない程好いのだ。むしろ数百組に一つの限定的な札なんぞも混ぜれば飛ぶように売れよう」


 「……豪華に四色刷にして、銘に箔押しでも施しましょうか?」


 「そうしろ。派手であればある程に売れる。何なら肉筆塗装させよ」


 「……製造費が嵩みますな」


 「余所に真似できぬような所が一つ二つなければ、直ぐに模倣されて碌に使い物にならなくなるぞ。それこそ、今までにない奇抜さであることは認めるが、所詮はアイデア勝負に過ぎぬ。盗られて泣きたくないなら創意工夫せよ」


 そろばんを弾き直さねばと髪を掻き上げて苦悩を示す息子を余所に、ガイウスは札を幾枚も見て効果や強さを吟味したのか、一つに纏めながらこう命じた。


 自分も何処かに口を聞いてやらんでもないので、遊び方を教えなさいと…………。

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