帝国暦733年 夏 居心地の良い実家/西暦20xx年 神々と無茶振り

 帝都は石材と煉瓦の街である。


 道の全ては舗装され、然程重要でもない小路を除いて石畳が敷かれている。


 主要な大通りは馬車の往き来を効率化するべく轍が複線で切られ、雨を逃す排水溝までもが備わった道々の便利さは、この世界有数の快適な交通事情を住民にも異邦人にも分け隔てなく与えていた。


 家々は土壁の時代を脱して久しく、多くが頑丈な石材や焼成煉瓦で造られるようになり、街路を飾る中に職人の効率とさりげない意匠への拘りが見られる。


 巨大な石と煉瓦の都市人口は脅威の100万人。大陸において抜きん出た人口を誇り――尤も、市壁を隔てた衛星都市を帝都と換算してるため、大きな下駄を履いての話だが――並ぶ者なき繁栄を湛え栄華を誇る。


 華の帝都、と帝都市民が自称しても苦情が何処からも出ない美事な都市には、多数の種族が犇めき、またその繁栄のおこぼれを頂戴せんと大陸中の都市から陸路、海路を問わず多数の商売人が訪れる。


 多様と発展の都市は、帝国暦733年の夏を平穏の下に謳歌していた。


 初夏の暑さを迎えようとしている帝都、その町並みは混沌の対極、緻密な都市計画の下に完全な区割りが実施されている。


 元より小高い丘に古い権力者の館が建ち、そこから発展していったため北の小高い区画に行政施設が建ち並び、その都合で特権階級が住まうようになり、空いた周辺を市民階級が埋めるように占拠する。そして、その外周に生産施設や無産階級の住居が集中していた。


 北部の大邸宅が並ぶ区画には、所狭しと広大な御殿が密集している。前庭や中庭を持つ館は外装にも贅がこらされており、門柱一本、壁の一枚とっても装飾のない寂しい部分が見つけられぬ。


 しかして、普通に暮らせば数十人が悠々と個室を持って住むことができる館も、住んでいるのは一家の数人だけなのだから、財の多寡とは無情なものだ。奴隷階級は屋根の低い離れに数家族が雑魚寝で生活し、労働者は一家で薄い寝床に足を突っ込んで生活しているというのに。


 斯様な状況の中でも、一際豪勢な館があった。


 この時代では珍しい三階建ての高層建築と言える中央棟、そして西と南に向かってL字に伸びる別棟を持つ豪勢極まる館だ。離れも二棟ある上、多数の富を蓄えられる大きな倉は三つもあり、本宅と並んで美事な幾何学模様を描く庭園を囲んでいる。建物を構築する柱は太く、壁は彩り豊かで、外界と館を隔てる生け垣は手入れが行き届き美麗の極み。


 どれだけ派手で目立つ建物を建ててよいかは、帝都における家格と等号で結ぶことができた。如何に金を持っていようが成金が跳ね上がって派手な邸宅を建てれば、空気が読めない愚か者として社交界から排斥される定めにある。


 つまり、この家の主は家を豪奢に飾って顰蹙を買わぬ権力の持ち主ということ。


 それもそのはず。この館の主はコーニュコピア総督、ガイウス・アルトリウス・カエサル・ピウスの居館であるから。


 霊猿人有数の有力氏族たるアルトリウス氏族、その中でも基幹的な地位にあるカエサル家は大陸南方の豊かな穀倉帯を持つコーニュコピア総督を世襲し、数十の壮園と千以上の奴隷、そして数万に及ぶ小作人を抱える名家である。財力は帝国広しといえど30位の内には必ず入り、金倉の底が金貨の重みで抜けたことがあるとされる。


 この名家の当主、ガイウスは総督業もあるため帝都の邸宅には年に三月と滞在しないが、その正妻と子達は将来の“つなぎ”を作るため、専らこの屋敷にで暮らしていた。


 重要な社交は帝都にて催されることが殆どであり、教育に欠かせない優秀な学者や教師も、都会の喧噪を嫌って隠棲していない限りは文献を求めてここに集中しているからである。


 それだけのこともあり、ガイウス邸の書庫は多くの書物で溢れていた。


 筆者、年代、ジャンル毎に几帳面に分類された書棚が並ぶ書庫では、数多の豪奢な装丁を施された本や歴史在る巻物が唸りを上げ、その身に蓄えた膨大な知識が紐解かれる日を待っている。


 人によっては古い紙とインクの匂いだけが溢れる陰気な部屋であるが、アウルスにとっては第二の実家で寝床の次に心地好い場所と言える。


 今日も家庭教師が付いていないのをいいことに書架に入り浸り、偉大な哲学者の遺した哲学書や歴史書と戯れ、いにしえに思いを馳せる。政治担当として外に出るようになり、経済的な手腕を振るい始めたら手に入らない贅沢な時間を今の内に堪能しようという腹だ。


 「電子書籍の手軽さもいいが、やはりこの不便さがいいねぇ」


 古いパピルスの文献は劣化しているため開くのに神経を使い、逆に新しい羊皮紙の本は重すぎて書見台がなければ捲るのにも苦労させられるが、スマホやタブレットで読むのとは違う感慨がある。前世から収集癖を持っていた彼にとっては、この不便さも満足感に一つのアクセントを加えるスパイスの一つとなっていた。


 「さてと、今日はイオリアの恥史歴の続きを読むか」


 地球とは違う文化、種族、歴史を辿った者達が織りなす哲学は奥深く、幾ら読んでも飽きることはない。


 歴史書もまた、種の隔絶、対話不足に依る誤解から発した戦争、そして帝国が“旨みが少ない”として多くの海外領を手放し、この亜大陸と幾つかの属領以外を捨てて引き籠もるまでの経緯など趣深い内容ばかりが記されている。


 前世と下準備段階で神から「まだ行かないの?」と呆れられるほど勉強をしてきた彼にとって、価値ある物がそれくらいしかないからとも言えたが。


 医学は専門ではない身からしてもチープと言わざるを得ず、数学は大変に高度であるが文系人間であったAは必要最低限以外の興味を擽られない。


 そして、芸術は過去の名作を借用し、そこに天から与えられた子供にしては低く艶のある声で何とでもしてきた。カラオケで付き合い程度に流行曲を歌う男は、芸術も社交の武器程度にしか思えなかったのである。


 反面、一度も読んだことのない情報の宝庫たる歴史と哲学の味わいは格別だ。あの下準備空間には、あくまで資料的な本だけが用意されていたため、本当の意味で世界の内側で綴られた本を手に取るのは、転生してから得られた初めての楽しみである。


 今日手に取った歴史家の認めた歴史書も、人類の恥ずべき効率の悪い歴史を露悪的に綴った悲観的な文体が癖になる一冊でアウルスのお気に入りであった。


 当時に書かれて一部の愛好を得るものの、その“俗”とも言える内容のせいで後世には残らなかったであろう数ある本達の同胞。将来的に大金を得られたら、アウルスは日本で言う国会図書館を作ろうと堅く決めた。愛すべき本の数々が戦火の中に消え、有名な一部しか残らないのは書痴ビブリオフィリアに片足を踏み込みつつある男には惜しすぎた。


 犬狼人の部族と霊猿人の部族が、歓待の食事に各々が食べられない物を知らずに出したことによる諍いから始まった戦争の話を読んでいた時、静かに書庫の戸が叩かれた。


 「どうぞ」


 「失礼いたします、アウルス様」


 やって来たのは綺麗に身を飾った猫頭人だ。人の体に猫の頭が乗り、全体に体毛を生やした種族の女性だ。市井の平民よりも華美な姿をしているが、片耳に金輪の飾りを嵌めた彼女はカエサル家に仕える奴隷である。一部の染みもない真っ白な毛並みの艶やかさは、その主人が持つ権威がにじみ出すかのように麗しく整えられていた。


 「メッサリーナ様が一服なされては如何かとお誘いです」


 綺麗に着飾らせ、美容に気を遣わせるのは全てアウルスの母、お家騒動を起こす寸前までいったメッサリーナの趣味である。彼女は愛らしい、または美しいものを愛で、さにあらぬものを磨いて綺麗にすることに悦びを見出すため、彼女付きの奴隷は全員が平民に羨まれるほどよい暮らしをしていた。


 「ええ、直ぐに参りましょう」


 そんな母からの誘いに応え、アウルスは本に後ろ髪を引かれながらも栞を挟んで席を立った。


 嫌に広い邸宅を歩き、これまた広い母の部屋に訪れた息子は、毎度の如く神殿のような部屋だと感じる。


 床には帝国の一般建築と異なって大理石の板が巡らされ――冬は酷く冷えて辛いのだ――壁も広く窓を取って開放的にし、更に壁紙を廃して、これまた神殿調の石壁となっている。


 それもこれも、部屋の片隅に敷かれた大きな絨毯に座るメッサリーナが、神殿にて長く奉公した巫女であったからだ。


 帝国にて崇められる多神の神群は、有力氏族の子弟を僧や巫女として抱え、一定の修行を終えた後に還俗させる文化を持っている。神々の影響力を有力者層に絶やさぬため。そして、神への信仰が厚い者を増やして世俗的な勢力を衰えさせぬための方策だが、上手く考えるものである。


 「アウルス、いらっしゃい。さぁ、おいでなさいな」


 巫女として高い格を持ち、そして社交界にて一際注目を集めていたカエサル家の旦那様を還俗後に僅かな期間で攫っていった“悪女”こと母メッサリーナは、息子アウルスからしても美しい女性だった。


 彼と同じ淡い色合いをした透けるような金色の髪は、鋳溶かされた本物の金が流れ落ちるような麗しさで膝下にまで達する。


 顔はアウルスとよく似ていた。二児を産み、30を大きく過ぎて40歳も間近とは誰も信じられぬ若々しさは、なにも巫女であったからという訳ではあるまい。ただ、灰色で笑みに撓んで尚もどこか物騒さを感じるアウルスと違い、彼女の目だけは大粒の翠玉を削って嵌めたかの如く優しい印象を受ける。


 だからだろうか。彼女は目だけが父親に似て、他は全て己と似ている次男を殊の外可愛がった。本来ならば母親の手から離れるような年齢になりつつある息子を頻繁に自室に呼び寄せ、世話を焼きたがるのは、自身の似姿に愛した男の要素が一つ滲む、ある種の理想を体現しているからかもしれない。


 長男を差し置いてお家騒動を起こしかけたとは思えぬ、慈母を体現するような外見の母に誘われてアウルスは彼女の隣に腰をおろした。正面ではなく隣に座るのは、昔から母がそうすると喜ぶからという経験に基づく行為だ。


 「早いけれど石榴が届いたの。もっと秋が早い属州からの贈り物でしょうね。あなた、石榴が好きだから早く食べさせてあげたいと思って」


 「ありがとうございます、かかさま。大好物なので嬉しいです」


 母が差し出す血のような沈んだ赤をした石榴を受け取り、アウルスは無邪気な――それでも余人から見れば、何か企んでいるようにしか見えぬ――笑みを浮かべて母に礼を言った。


 分かっている。彼も政治交渉担当として必要だと感じ、神が用意した講師を相手に何十年も心理学や対人交渉術を学んだ身だ。自分の精神が前世で得られなかった充足を得ようとして、一種の代替行動に溺れているくらい。


 それでも心地好いのだ。母親という存在に子供として全幅の信頼を寄せて甘えるという行為は、心にかかった全ての重荷を放り出せるようで。


 大人として働き、今も大人と変わらぬ態度を求められる貴族の息子として生きているアウルスには、普通よりも更に心に響いてしまう。人は得てして子供の内に得られなかった物が大人になってから手に入ると、更にのめり込んでしまうものなのである。


 趣味しかり、色々な癖しかり。


 「今切ってあげるわね」


 「はい」


 自分でできることをせずに済み、毒を漏られる心配もなく口に運ばれることの快感は、きっと前世の自分では理解できぬのだろうなと思いつつ、アウルスは母の指に摘ままれた赤い種皮を口に含み、強い酸味とほのかな甘みの果実を楽しんだ。


 書架での息抜きは、明日帰ってくる父に提出する事業計画案、その最後の仕上げのためであったことも忘れて…………。












 テルースへの理解が深まるに連れて、一つの議題が三人の中に上がった。


 現地の神々。A的に解釈すると不動産管理業者との付き合いをどうするかだ。


 異世界の神々は上位世界の神、つまり世界の所有者である神から内側の管理を任されているのだが、その形式は人間の目線から言わせると酷く適当なように思える。


 A・B・Cトリオの故地となる亜大陸には自然現象が擬人化した多神教の神々が幅を利かせており、場所によっては唯一神を自称する神が君臨し、更には別の多神教群も存在するなど実に混沌としている。


 これは効率が悪いのではなかろうか、とパッと見ただけで思ってしまうほどだ。


 「あれかね、社内で事業部分けて営業を競わせる感じか? どこの会社でもあったが」


 「いや、完全な同事業の事業部を同じ配属地で分けるのおかしくね? 同じ地域内で第一営業部と第二営業部がガチンコって誰が得をするのか」


 「中弛み防止策かしらねぇ。内側の神様にも色々あるんでしょう? 最終的には私達の雇用主と同じ段階に至るとかいう。世界の家の神様として温々しないように、競争相手を置いてるんでしょう。なまけたら死ぬように」


 社内の緊張を保つために宗教戦争を起こさせるとか、この世界の人間も大変だなぁと適当なことを考える三人。


 とはいえ、信仰が社会の中に組み込まれている以上、ノータッチでいる訳にもいかないので策を練る必要が出て来た。


 宗教関係者に嫌われて失脚した為政者や政治家など、歴史上枚挙の暇がないほど多いのだ。時の皇帝さえ膝を屈し、教皇という太陽を受けてようやく輝くことのできる月に収まる他なかった時代もある。


 だとすれば、分かたれぬパイプを作って仲良くして貰うのは必須といえた。


 「言っとくが俺ぁ出家してる暇なんかねぇぞ」


 「そこまでする必要はないと思うけど、あたしも流石に忙しいわね。護衛と兵士、二足の草鞋に三足目は足せないわ」


 「君ら、体動かす仕事だからって直ぐに私に投げようとするな。私だって割とカツカツだぞ。事業を始めたら特に。うーん……仕方ないな、喜捨やら何やらでパイプを作って上手に付き合うかぁ」


 お天道様が見ています、どころではなく実際に神が存在し、罰を下し益をもたらす世界に置いて聖堂を蔑ろにすることは不可能だ。何より彼等は“迷宮を破棄すべし”と神託を下し、三人の事業に大義名分を与えてくれる存在でもある。これを放っておいては、勿体ないにも程がある。


 幸いにもアウルスは生家に聖堂との繋がりがあるらしい。この時代、還俗した巫女を娶ることは名誉ともされているそうなので、母親からの口利きで何とかするのが効率がよかろう。


 「喜捨で金だけじゃなくて進物も喜ばれるだろうから、お香や香油を作ってくれないか。できるだけ沢山。安価で多くて沢山作れたら、色んな聖堂に配れて向こうも予算が別に使えて助かるんじゃなかろうか」


 「簡単に言ってくれるなぁ、おい。油が現地でどれだけ高価か分かってるか? サラダ油を段ボール一つ分持ち込むだけで一家を興せるような世界だぞ」


 「だからこそ言ってるんだよ。菜種なり何なり親の荘園で栽培させるから、上等な搾油機や濾過器を作ってくれ。価格を破壊しない程度に」


 「ほんっと気軽に無茶なこと抜かすよなお前は!! 香油ともなると蒸留器やらもいるから大変なんだが!?」


 「先に無茶言ったのはテメーだろうに。予算はたっぷり融通するから、一つ頼むよ。あっ、ついでに蝋燭も欲しいなぁ。ほら、綺麗に絵が入ったのとか作れない? お寺で使ってるみたいな。絶対に人気でると思うんだけど」


 ついでって難易度じゃねぇ!! と叫んで身を捩るBを見て、Cは無茶振りすることはあっても、されづらいポジションで良かったと心から安堵の息を漏らすのであった…………。

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