第12話 結婚指輪
夕日には赤い時と、そうじゃない時がある。何故なんだろう。今日の夕日は、ひと際赤い。赤く赤く燃え上がりながら沈んでいる。まるで、満開の桜が散っていくように見えた。拳を叩き込みながら、俺は夕陽を見ていた。何て美しいんだろう……。
「四つ」
鳩尾に叩き込んだ拳のせいで、男が足元でもんどりを打って暴れている。残りの人数は四人。ちょうど半分、倒したことになる。俺のケンカはシンプルだ。殴るか、握る。足技は得意じゃない。俺に組み付いてきたら、握ることにしている。手首なら、握るだけで折ることが出来る。首なら、窒息させることが出来る。それだけで、相手は戦意を喪失する。相手が、もし離れたら、殴る。それだけだ。
「次は?」
俺は、男たちを睨みつける。公園で桜を馬鹿にした男が、バットを持って立ちすくんでいた。鼻に付けた絆創膏がお似合いだ。リーダーらしき男も残っていた。しかし、俺を見ずに、よそ見ばかりしている。釣られるようにして、その視線の先を、俺も見た。俺たちのケンカを観戦している男がいる。誰だろう? 少し気になった。ギャラリーが居るんなら、良いとこを見せないといけないな。俺は、自然と笑っていた。
「コノヤロー」
余所見をしている俺に向かって、絆創膏が、叫びながらバットを振り下ろしてきた。一歩踏み込んで、俺はそのバットを手で受ける。もう片方の手で、そいつの手首を掴んだ。そのまま握る。
「イテェー!」
絆創膏が痛みのあまり、バットを離した。
カタン、カタン、カタン。
バットが地面に転がる。絆創膏も両膝をついて転がった。折れた手首を押さえて、苦しがっている。
「五つ」
残りの連中を見た。あと三人。
「全員で、掛かってこないのか?」
俺は、一人ひとりを、睨みつける。
「もうそろそろ、日が暮れるぞ。早く帰らないと、ママに怒られるんじゃないのか?」
そう言って、俺は笑って見せた。三人は、お互いに顔を見合わせると、同時に襲いかかってきた。左右の二人は俺の両手を封じるために、腕を掴んできた。リーダーは真っすぐに走ってくる。手にナイフが握られていた。俺は、珍しく足を使うことにした。力任せに、ナイフも関係なしにリーダーを蹴り上げた。リーダーの股間に足がヒットする。体が宙に浮き、崩れ落ちた。リーダーは、俺の足元で、股間を押さえて顔を歪めた。悲鳴すら出ない。
「六つ」
俺は、腕を掴んでいる男たちを、交合に見た。
「やるのか?」
そう言うと、男たちは顔を青くして、俺の腕を離した。そのまま、走り去っていった。俺は、そいつらを追いかけない。少し疲れた。その時、後ろから、拍手の音が聞こえた。
パチパチパチパチ。
手を叩きながら、男が俺に近づいて来た。先程のギャラリーの男だ。近くで見ると、結構、物騒な雰囲気の男だった。俺の肌が、ヒリヒリと鳥肌を立てる。俺は、警戒した。
「お前、ケンカが強いな」
俺は、その男を睨んだ。
「お前、誰や?」
「俺か? 俺は、こいつたちの先輩や」
俺は、拳を握り締め、身構える。
「落ち着け。お前とやり合いたいわけじゃない。お前、名前は?」
俺は、そいつを睨む。
「聞いているのは、俺や」
そう言うと、そいつは面白そうに笑った。
「そうやったな。悪かった。俺は、安達勲。この地域を仕切っている者や」
ヤクザか……これは、不味いことになった。
「ヤクザが、俺に何の用や? こいつらの仕返しか?」
そう言って、俺は倒れ込んでいる男達を見回した。すると、その男は、惚けた様な顔を俺に見せる。
「おー、そうやった。あまりにも見惚れてしまって、こいつらの仕返しを忘れていた。それよりも、お前の名前を教えろよ」
俺は、眉間に皺を寄せて、口を開いた。
「ミナミ高校の木崎隆や」
「木崎、隆……聞いたことあるぞ。ひょっとして、お前、有名人か?」
「そんな事、どうでも良い。用がないなら帰るぞ」
「慌てるな、隆。俺は、お前が欲しくなった。俺の所に来ないか?」
妙なことを言うやつだ。俺は警戒心を解かない。その男を睨みつける。
「遠慮する」
安達というヤクザは、口角を上げて楽しそうに笑う。
「今度、俺の家に遊びに来いや。歓迎するぞ」
「いや、いい」
「連れない奴やな」
そう言って、ニヤニヤと俺を見る。
「俺はお前のことが好きになった」
俺は、安達というヤクザを睨みつけた。
「ただな……建前上、落とし前がどうしても必要なんや」
「落とし前?」
「ああ、落とし前や。それだけは貰ってくれ」
そう言うが早いか、安達という男は、俺の鳩尾に拳を入れた。重い拳だった。お腹を押さえて前屈みになったところを、首筋に一撃を入れられた。目の前が真っ暗になる。
暗闇の中で、誰かに呼ばれている声がした。体を強く揺すられる。
「おい、君。おい、君」
目を開けると、目の前に警官が居た。気を失っている間に、警察が駆け付けたようだ。体を起こして、周りを見ようとした。ズキッと首に痛みが走る。首に手をやって、再度見回した。複数の警官と、俺達を囲むようにして野次馬が集まっていた。横では、無線で警官の増員を要請している声が聞こえる。遠くからは、救急車がやって来る音も聞こえた。結構な騒ぎになってしまったようだ。今更、逃げることも出来ない。俺は観念した。警官が、俺に質問をしてくる。俺は、奴らが襲ってきたこと、また、それに立ち向かったことを、そのまま説明した。ケンカをした他の男達も、警察から事情聴取を受けている。救急車が到着すると、俺も含めてケンカの当事者は一旦は病院に移送されることになった。救急車に揺られながら、安達と名乗った男の事を思い出していた。変なことを言うやつだった。俺の事が好きになった、と言っていた。笑わせる。俺には、そんな趣味はない。しかし、不意打ちだったとはいえ、気を失ったのは初めてだった。
「あの野郎」
思わず、呟いてしまった。
高がケンカ。そう思っていたが、今回の事は面倒なことになってしまった。病院での治療を受けた後、鑑別所で拘留された。その上、家庭裁判所の世話にまでなってしまった。釈放されて、家に帰った時には、事件から二週間以上が経過していた。桜の誕生日を、俺は祝ってやることが出来なかった。その事だけが、心残りだった。あとはどうでも良い。帰って来て直ぐに、桜に会いに行きたかったが、学校に呼び出された。母親と一緒に、俺は学校に行く。
「今回の事は、大変まずいですよ」
先生が、顔をしかめて母親を諭す。俺の顔を見ようともしない。
「暴力事件を起こして、更には警察に連行されたんでしょう。これはまずいですよ」
俺は、先生を見る。
「あれは、向こうから襲ってきたんや。俺は、悪くない」
俺が喋ると、先生は怯えるようにして身構えた。
「そ、それにしたって、相手の学生の大半は、骨折なりの重傷を負っているんだよ。過剰防衛だよ木崎君」
俺は、先生を睨んだ。
「あいつらは、バイクに乗ったまま、バットで俺の頭をどついたんやぞ!」
「それにしてもだね、君の行為はやり過ぎだよ。第一、警察も君を家裁まで送ったじゃないか」
俺は口籠った。先生を睨みつける。先生は、俺に顔を合わせようとはせず、更に言葉を続ける。
「学校としてはだね、木崎君には、停学処分の処置を言い渡すしかないんだ。本当は、退学でもおかしくない出来事だよ」
勿体ぶった言い方だ。母親が、頻りに先生に頭を下げていた。俺は、気に入らない。火の粉を払っただけの俺が、どうしてここまで責められなければいけないのかが、分からない。
「兎に角ね、木崎君。今後二週間は、停学処分を言い渡すから、家で反省をするように」
もっと何か言い返してやりたかったが、母親が俺を引っ張るので、仕方なく教室を出た。教室を出て、俺は呟く。
「俺、学校を辞めるわ」
俺がそう言うと、母親が悲しそうな顔を見せた。三年生になったんだから、後、一年頑張れば卒業できるじゃない、と俺に諭す。しかし、俺には、高校に対する未練は、これっぽっちも無かった。
「友達に会いに行くから、お袋は、先に帰ってくれ」
そう言うと、母親は悲しそうな顔をした。もう一度、考え直してね。そう言って帰って行った。心に、わだかまりが残った。俺は、一人になると、達也を探しに行った。達也は、教室で楽しそうに、クラスの奴らと話をしていた。新しくなったクラスの皆は、俺を見ると、一様に怯えた表情になる。達也だけは、俺を見つけると、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「隆、久しぶりやな。娑婆の空気はどうや?」
俺は、変わらない達也の態度に、ホッとする。
「便所みたいに、臭いわ」
達也が、面白そうに笑った。俺は、そんな事よりも、桜の事が心配だった。
「桜の調子は、どうや?」
達也は、顔をしかめる。
「あまり良くない。桜、お前の事、凄く心配していたぜ」
俺は、眉間に皺を寄せた。胸が塞がれる。俺は、達也にお願いする。
「今日、一緒に桜に会いに行ってくれないか?」
「ああ、ええよ」
「遅くなったけど、今日、桜と結婚式を上げたい。協力してくれるか?」
「当たり前や」
そう言って、達也が笑ってくれた。学校は終わっていなかったが、達也は俺に合わせて、無断で早退をしてくれた。俺は、そんな達也に、頭を下げる。
「それとな、達也。金を貸してくれ?」
達也が、不思議そうな顔をする。
「何するねん?」
俺は、正直に述べる。
「桜の為に、結婚指輪を買いたいんや」
「ああ、なるほど。ええけど、俺、そんなに持ってないで」
「なんぼある?」
「聖徳太子、一枚やな」
「それでええ。桜に会いに行く前に、心斎橋まで付き合ってくれ。先に、結婚指輪を買いに行く」
持つべきは、友。この時ほど、達也の奴を、心強く思ったことは無かった。結婚指輪を買うために学校を出ると、表にベンツが止まっていた。中から、男が出てくる。
「お勤めご苦労さん」
安達勲とかいう男だった。
「なんか用か?」
俺は警戒する。安達が嬉しそうに笑った。
「決まっているやないか。お前をスカウトに来たんや」
俺は、眉を顰める。俺は、更に警戒する。殴られたことも、忘れてはいない。
「スカウト?」
そう言うと達也が、俺の手を引っ張った。
「誰や、あの怖い人?」
「ヤクザさんや」
達也が、納得の表情を見せる。その上で、好奇心を漲らせて、俺の代わりにシャシャリ出た。
「隆のスカウトってことは、契約金もあるんですか?」
安達が、達也を睨む。物好きな達也は、動じない。むしろ、喜んでいる。
「アホな隆の為の、マネージャー兼友人の相原達也です」
そう言って、恭しくお辞儀をする。安達が、達也に凄む。
「素人が余計な首を突っ込まん方がええぞ」
「いやいや素人は隆です。俺が付いとかんと、直ぐ騙されるので」
安達が、笑った。
「面白い奴やな」
「スカウトってことは、野球でいうドラフトみたいなもんですよね。隆は、何番目ですか?」
安達が、目を開いて笑う。
「ドラフト一位や」
達也が、俺を見た。
「お前、期待の大型新人やないか?」
達也は、面白がって俺の肩を抱いた。抱きながら、達也が安達を見る。
「ただね、今、俺たちも忙しいんですよ」
安達の表情が険しくなる。
「俺が、出向いてるんやぞ」
達也は、更に、駆け引きを面白がる。
「実はね、今日は隆の結婚式なんですよ」
安達が、表情を崩した。
「結婚式?」
「ええ、結婚式。ところがね、一つ問題があるんですよ」
「なんや?」
「こいつ、出てきたばっかりで、金がないでしょう。結婚指輪を買うことも出来ないんですわ」
「で?」
「契約金の前払いを下さい」
安達が、俺を見る。
「こいつの言うことは、本当なんか?」
俺は、頷いた。安達は、少し考える素振りを見せた後、俺に言った。
「車に乗れよ。俺が買ったる」
達也が、俺を見た。
「隆、どうする?」
俺は、安達と言う男に、深々とお辞儀をした。今更、学校に帰るつもりもない。俺が欲しいと言ってくれるのなら、付いて行こう。そう思った。俺と、達也は黒いベンツに乗り込んだ。来なくても良いのに、達也も物好きな奴だ。ミナミの宝石店に向かう道すがら、俺は桜との結婚の話をした。安達は、俺の話を興味深そうに聞いてくれた。宝石店に到着すると、指輪が分からない俺の為に、達也が選んでくれた。プラチナで出来た結婚指輪だ。銀色にキラキラと輝いていた。サイズ違いで同じものを、俺と桜の為に用意してくれた。
「指輪の裏に、何か刻まれますか?」
店員が、俺に問いかける。刻印の意味を教えてもらった。俺は、達也と相談をして答える。
「T♡S Apr. 2.1971」
ハートの文字が、ちょっと恥ずかしかったが、そこは達也に押し切られてしまった。俺は、安達を見た。安達が、嬉しそうに俺を見る。
「どうや、これでええやろう」
俺は深々と、頭を下げる。
「ありがとうございます」
「その桜さんがいる病院は何処や? そこまで連れて行ってやる」
宝石店を出ると、安達は、俺と達也を桜がいる病院まで送ってくれた。車から降りると、安達が車の中から、俺に声を掛けた。
「落ち着いたら、俺の家に顔を出せ」
俺は、頭を下げる。
「宜しくお願いします」
安達は、達也にも呼びかける。
「達也、お前もウチに来るか? 歓迎するぞ」
達也は、頭を掻いた。
「俺はいいっす。頭が良いんで、大学に進みます」
安達が、笑う。
「そうか。なら、遊びには来い。それでどうや?」
「気が向いたら」
安達は、達也のそんな態度に声を上げて笑った。
「じゃあな、待ってるぞ」
車のドアが閉められる。低いエンジン音が唸り出すと、ベンツは走り去っていった。車を見送った後、達也が振り返る。
「行こうか。桜のところに」
「ああ」
俺は、病院を見上げた後、一歩を踏み出した。
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